2013年 11月

地域で暮らす

2013/11/30

日本でも今年度から新たな認知症施策推進5か年計画(オレンジプラン)が始まっていることは前にも紹介しました。その特徴は、認知症になっても引き続き住み慣れた地域で暮らすことができる社会の実現を目指すことです。そのためには多くの人が認知症について理解している必要がありますし、様々な機関との連携も必要になってきます。

認知症についてインターネットで調べていたら、NHKのEテレで放送されているハートネットTVのサイトを見つけました。ハートネットTVは、「生きづらさ」を抱える全ての人に向けた新しいスタイルの福祉番組。“当事者の目線”を大切に、ほかのメディアやニュースとは違う視点で掘り下げていきます。(ハートネットTVホームページより)という番組で、テーマは介護に限らず様々なシリーズで構成され、その中に認知症のシリーズもありました。2013年7月にに放送された番組「シリーズ 認知症」のアンコール放送の告知ページに番組の内容が番組ダイジェストや番組ディレクターの取材後記など、とても詳しく紹介されているので、興味深く読みました。12月にアンコール放送もあるので、見たいと思います。

ディレクターの取材後記には、認知症の当事者と、介護者の困っている状況はひとり一人異なり、千差万別。どんな症状が起こるかわからない状況に、介護者は24時間向き合っているので、多大な不安と負担になっている。そのことばかりを考えてしまい、認知症の人の立場や思いという視線、当事者の気持ちにより添う視線を持つことを忘れていた自分がいた。というコメントがありました。「同じ人間なのに、介護者、当事者と、立場を変えて考えるだけで、捉え方が違ってくる」認知症に向き合うことの難しさを痛感した瞬間でもありました。(ハートネットTVホームページ)

立場を変えて考えてみることが大切なのはわかっていますが、難しいと思います。もし自分だったらという目線で見てみると、それまで介護者目線で見ていた自分の考えが受け入れられなくなった。とこのディレクターの方は言っています。このように誰かの立場になってみることができると、自然に寄り添うことができそうです。認知症になっても引き続き住み慣れた地域で暮らすことができる社会の実現のためには、認知症の方やその家族の気持ちに寄り添い、サポートする人がたくさんいると良いのではないでしょうか。

支える

2013/11/29

認知症の人が迷子になっているのに叱ったり、自分では家に帰るのだと思って出かけようとするのを無理に止めたりすると、本人は辛い思いをしてしまいます。本人には本人の理由がります。また、鍵をかけて家から出られないようにすると、とてもストレスを感じ、そのことで症状が悪化することもあるそうです。

迷子になりやすいなら一緒に買い物に行くとか、散歩につきあってあげるとかすると良いとか、出かけたと思ったら、そっと先回りして偶然会ったようにふるまい、興味の対象を変えるようなことばがけをして、本人が納得したら一緒に帰ってくると良いということがいわれます。

しかし、介護をしている人もいつもいつもそうできるわけではありません。全てを家族だけで行うことは不可能だと思います。だからこそ周りのサポートが必要になってくるのです。様々な介護サービスもそうですが、ご近所さんであったり、お店の人や駅員さんなど町じゅうに認知症についての知識を持った人がたくさんいると、迷子になっている人や、不自然に歩いている人を気をにかけること、声をかけることができますし、専門機関に連絡することも可能です。

ご近所さんが気をつけてくださっていれば、ちょっと目を話した隙に認知症の方が出かけても、あそこで見かけた、ここで見かけたという情報も得やすくなります。声をかけてくださったり、家に帰れるようにうまく促してくださる可能性もあります。みんなで見守りあえる関係性ができていると良いのだと思います。

2004年、それまで使われていた痴呆症という呼び名が認知症に改められ、それを機に2005年度から「認知症を知り地域をつくる10ヵ年」がスタートし認知症サポーター100万人キャラバンなど認知症の理解者を増やす取り組みが進んできました。
認知症について学んだ、認知症サポーターは、平成25年9月30日時点で、4,468,264人になりました。

それでもまだまだ、認知症の方とその家族を支える仕組みというのは充分とはいえないようです。

感じ方

2013/11/28

認知症の行動症状に徘徊があり、徘徊をしてしまう人は理由もなくただうろうろしているのではない、本人には本人なりの理由があるということを書きました。ただ現実の認識が実際とは異なっていることがあるので、周囲の人にはあてもなく歩き回っているように映るのです。言い換えれば、世界の感じ方が違うと言っても良いでしょうか。

しょうがいを持っている人たちの中にも、世界の感じ方が異なる人がいるといわれます。一つのものに焦点をしぼって見ることが難しく、目に映る全てのものが同じディテールを持って見えてしまったり、音が大きく聞こえてしまったり、気温の感じ方が違ったり、その違いは様々ですが、やはり違うのです。

音が大きく聞こえてしまう人に大きな声で話してしまっては、その人には耐えられないでしょう。その人に合った声の大きさで話す必要があります。

大人と子どもでは視野が異なると言われます。6歳児の場合、垂直方向の視野は大人約120度に対して70度、水平方向は大人約150度に対して90度しかないそうです。それを体験できるメガネのようなものがあります。インターネットで「チャイルドビジョン」と検索すると、自動車メーカーなどのサイトから型紙がダウンロードできるので、それをプリントアウトして組み立てれば簡単に体験することができます。

園内研修でこどもの視野を体験しようと、みんなでこのチャイルドビジョンを付けて、目の高さが子どもと同じになるように、園内を膝立ちで歩き回ってみたら、子どもってこんなふうにしか見えないんだ!と衝撃を受けました。子どもがよくぶつかるのは納得できます。これを体験した先生たちは廊下に置いてある机は危ないと言って机をすぐに片付けていました。

みんなそれぞれに、世界の感じ方や理解の仕方が違うということを念頭に置いているかいないかで、対応が大きく異なってしまいます。視野が狭くて見えない子どもに「よく見ないからぶつかるのよ!ちゃんと見なさい!」なんて叱りつけたら、子どもは悲しい気持ちになるだけです。よく見なさい。なんて言われても見えないのですから。

それぞれの世界

2013/11/27

認知症では、記憶障害、見当識障害、理解・判断力の低下、実行機能の低下などの中核症状が原因で、様々な行動・心理症状(周辺症状といわれることもある)が起こります。行動症状の一つとして徘徊と呼ばれる行動があります。「徘徊」を辞書で引くと、どこともなく歩き回ること。ぶらつくこと。(広辞苑)とあります。認知症で徘徊しているというと、あてもなく歩き回っているように感じますが、歩いている本人には本人なりの理由があるそうです。見当識のしょうがいのために、買い物に出かけたけれどもお店の場所がわからなくなったり、家への帰り道がわからなくなる、いわば迷子になっていることがあります。また、自宅にいるのに「家に帰ると」いって出て行ってしまう。よくよく話を聞いてみると、家というのは、若い頃に住んでいた家だったということがあるそうです。このように記憶があやふやになって、本人が認識している現実が実際と異なることで、起こる徘徊もあるそうです。歩いて行けるはずもない遠いところまで歩いて行こうとする人もいると聞きました。

そういえば、鞍馬でも遠くから来られたお年寄りが、保護されたという話を聞いたことがあります。

徘徊は、周りの人から見ると奇異な行動かもしれませんが、本人の中にはその人の現実、その人のとらえ方、その人の世界があり、その人の理由があるのです。
私たちはどうしても自分自身の感覚で捉え、他の人も同じように世界を捉えていると思い込みがちです。

ですから、その人の感じ方や世界があるということを考慮せずに、自分の価値観や都合だけで考えて、それを誰にでも当てはめようとしてしまいます。もちろん、相手と全く同じように感じる事はできませんが、できる限り想像を巡らすことはできそうです。

認知症

2013/11/26

そもそも認知症ってなんでしょう。厚生労働省のホームページ(http://www.mhlw.go.jp/topics/kaigo/dementia/a02.html)には、次のようにあります。

脳の細胞が壊れることによって直接起こる症状が記憶障害、見当識障害、理解・判断力の低下、実行機能の低下など中核症状と呼ばれるものです。これらの中核症状のため周囲で起こっている現実を正しく認識できなくなります。

記憶障害は文字通り覚えられなくなる症状です。経度のうちは新しいことが覚えられなくなり、さっき聞いたことが思い出せないといったことが起こります。症状が進むと、覚えていたはずの記憶も失われてゆきます。

見当識障害は、年月や時刻、自分がどこにいるかなど基本的な状況を把握することが難しくなることです。長時間待ったり、予定に合わせて準備することができなくなりますし、場所や方向がわからなくなって迷子になったりします。

理解判断力も低下して、考えるのが遅くなったり、2つ以上のことがうまく処理できなくなったり、いつもと少し違うことが起こると混乱してしまう。観念的なことと現実的なことが結びつかなくなるということが起こります。

実行機能障害はいろいろなことを計画を立てて行う事が難しくなることです。このようなしょうがいのためにその場の状況が読めなくなり、その場に応じた感情表現ができなくなってしまい、突然怒り出すと周囲の人に思わせるような感情表現をしてしまうことがあります。

これらの症状を中核症状と呼びます。この中核症状が原因となり、不安や焦り、うつ状態、幻覚、妄想、徘徊、興奮、暴力、不潔行為などの行動・心理症状が起こります。今までできていたことができなくなったり、物忘れなど認知機能の低下を自覚して、元気、やる気がなくなり、うつ状態になったりしますが、そんなときは周囲の人の対応が大切なのだそうです。失敗したときに、叱られたりとがめられたりばかりだと、ますます元気がなくなりますし、そのことが症状を悪化させることにも繋がるそうです。逆にそういう本人の状態を理解し、大丈夫だよと受けとめてあげると、症状の進行が穏やかになったり、改善したりすることもあるようです。

また、大切な物をどこにしまったのかを忘れてしまい、盗まれたと思い込んで、家族を疑うこともおこり、介護している人をはじめ周囲の人を疲弊させてしまうこともあります。こんな時は、介護している家族にも支援が必要になってきます。

いずれにしても、認知症についての正しい知識をもつことが大切です。そして本人を受けとめ、穏やかな気持ちで過ごせるような支援が必要ですし、それを行うためにも介護者である家族の負担を軽減する支援も必要になってきます。

みんなの思いやり

2013/11/25

認知症について学ぶ機会が多かったので、ブログで取り上げてきました。たまたま、テレビを見たらNHKスペシャルで「”認知症800万人”時代 母と息子 3000日の介護記録」という番組が放送されていました。元NHKのディレクターの相田さんという方が、認知症のお母様の介護の様子を3000日にわたって撮影された記録映像を見ながら専門家の皆さんが議論するという番組でした。

厚生労働省の研究班の発表では認知症高齢者の数が全国で推定462万人、予備軍も含めると800万人にのぼるそうです。

認知症になっても引き続き住み慣れた地域で暮らすことができる社会の実現を目指すため、厚生労働省では平成25年度から「認知症施策推進5か年計画(オレンジプラン)」を開始しています。(政府広報オンラインより)

オレンジプランのポイントは早期診断、早期対応と住み慣れた地域で生活をするための医療、福祉、家族支援です。施設に隔離するのではなく、地域で暮らせるようにというところが大切なのでしょう。

しかしそのためには、多くの方が、認知症に対する理解を深め、みんなが力を合わせて、認知症の方を見守るということが必要です。それが家族のサポートにもなるのだと思います。家族だけで介護しようと思うとどうしても負担が大きくなりがちですが、地域のみんなで見守ることができれば、家族も安心です。なによりも、認知症になってしまった方ご自身が住み慣れた町で安心して暮らすことができる事で、不安が少なくなり、様々な症状も軽くてすむのかもしれません。

認知症のの方をどうサポートするのか。認知症800万人時代には、しっかりと考えないといけない問題です。忘れてはいけないのは、どんな人であっても、ひとりの人として対等に接するという基本的な姿勢だと思います。子どもでも、高齢者でも、しょうがいがあるといわれる人でも。基本的にはおなじなのではないでしょうか。相手をどれだけ思いやることができるのか、相手の気持ちにより添うことができるのか、ということだと思います。

いろいろな人

2013/11/24

鞍馬小学校で認知症について知るための小学生向けのプログラムを小学生と地域の方々と一緒に体験しました。このプログラムを通して考えたことは、子どもたちが、いろいろな人がいるということを知ってくれると良いということです。人はひとり一人違うということ、それがあたりまえで、それを理解し認めることが大切なのだと子どもたちが思ってくれればうれしいという思いを持ちました。

教材の映像では、部屋の中にはおばあちゃんひとりしかいないのに、お客さんにお茶を持ってきてというおばあちゃん、もういないおじいちゃんの病院に行くというおばあちゃんの姿が出てきました。それに対して何か変だなという疑問を子どもが持つのはとても自然なことでしょう。ですが、それもおばあちゃん自身だし、認知症という脳の病気で、忘れたり、わからなくなってしまっていることが多いのだ。そうではないいままでのおばあちゃんもいるのだから、そこを大切にして、おばあちゃんが困っていたら、困っているところを助けてあげられたらいいな。くらいに思ってくれると良いと思います。

なにも、違いは認知症だけではありません。年齢や性別、しょうがいの有無、健康かそうでないか、違いはいろいろあると思います。そのことを理解し、受けとめることを子どもたちには学んでほしいというより、皮膚感覚として感じていてほしいと思います。そのためには、いろいろな人が身近にいるという環境が大切です。ひとり一人違うひとり一人をお互いに認め合い活かし合うことを心地よいと感じてほしいと思います。もちろんそのためには私たち大人がモデルになれるようにしたいものです。

みんな違うとわかってはいても、どうしても、他の人も自分と同じように考えるのだろう、そう考えるはず、と思ってしまいがちです。それはいろいろなことを自分という物差しだけで計ってしまうのでしょうがないのかもしれませんが、自分とは違う相手のことをどれだけ受けとめられるか、ことばを変えれば、どれだか相手の立場に立って考える、相手にどれだけ寄り添う事ができるかということが大切になってくるのかと思います。

子どもたちの心に何か少しでも届いたでしょうか・・・

小学生と学ぶ

2013/11/23

先日、鞍馬小学校で学芸会が行われました。小規模校で児童数が少ないので、劇では子どもたちはひとり何役もしていました。少人数なので、学年の枠を超えた取り組みもあり、子どもたちは自然にそれぞれの役割を果たしていたように感じました。当園の5歳児たちも小学生から招待状を頂き、小学校を訪れました。見学だけではなく、出演してほしいという依頼だったので、何を発表しようかと、みんなで話し合った結果、運動会で踊ったダンスを踊りたいという意見が多く、そうなったそようです。舞台の上に上がった5歳児たちはとても堂々としていて、動きも大きく、力強く踊っていました。踊りたくてしょうがい、みんなに見ててもらいたいという思いが強かったのだと思います。
園児も小学生もそれぞれに力を発揮した学芸会が拍手に包まれて終わり、園児達は園に帰りましたが、私は小学校に残りました。鞍馬学区社会福祉協議会の主宰で、小学校の学芸会を鑑賞して、昼食をいただく行事があり、そのお手伝いのためです。例年、学芸会を鑑賞して下さった地域の高齢者の方に昼食を召し上がっていただき、小学生と交流したり、体操をしたり、健康講話を聞いたりといった内容で行われています。

昨年は、昼食後に小学生や先生方を交えてみんなでいろいろな遊びを楽しみましたが、今年は、この時間を使って小学生と一緒にみんなで認知症について学ぶ機会をもってみることになりました。市原地域包括支援センターさんにお願いして、小学生向けのプログラムを行っていただき、まず紙芝居形式の映像を見ました。主人公の小学生が、おばあちゃんの不思議な言動に疑問をもつことで、認知症ということを知り、「おばあちゃんにはできないこともあるけれども、できないことはぼくが手伝ってあげよう。だって、大好きなおばあちゃんは、おばあちゃんだもの。」と大好きなおばあちゃんは大好きなおばちゃんのままなのだから、おばあちゃんができなくなったところは自分がサポートしてあげようと考えるようになったという内容でした。

この映像を見て、小学生達は何を感じたでしょう。

理解し認める

2013/11/22

認知症について研究が進み、いろいろなことがわかってきています。アルツハイマー病については症状の進行を遅らせる薬も開発されています。それでも、まわりの人のサポートは当然必要になってきます。地域包括支援センターの方が「認知症は脳の病気です。」とおっしゃっていました。風邪をひくとか、おなかが痛くなるのと同じことなのだと思います。ただ、覚えていられない、忘れてしまうということなのでしょう。ですから、認知症の人は、「何もわからない」「全てわからなくなった」のではなくて、忘れてしまうことがあるということなのです。

本人はそのことによって強い不安に襲われたり、自信をなくしてしまうことがあります。ですから、まわりの人が、認知症についての理解を深め、できないところ、苦手なところを上手にサポートしてあげることが大切です。失敗するからといって叱りつけたりすると、ますます自信をなくしたり、うつになるなど、症状が悪化することもあります。失敗はするけれどもできる事もあるのだから「大丈夫だよ」とわかってあげて、認知症ごとその人を受けとめてあげることで、症状の進行を遅らせたり、緩和することができるそうです。

このことって、認知症に限らず、誰にでも同じことがいえるのではないでしょうか。子どもだって、いつも叱られてばかりいたら、自己肯定感は育たないし、自信も持てず、自ら考えたり、積極的にものごとに取り組んだりすることはしなくなってしまいます。大人に「教えてあげなくては」、「子どもをきちっとしつけないといけない」という思いが強くてついつい、大人の思うように子どもにやらせよう、子どもを動かそうとして、指示ばかりしたり、否定的なことばがけが多くなったりしてしまうことがあります。気をつけないと、せっかく子どもが育つようにと思ってしていることが、反対に子どもの負担となり、発達を妨げることになることがあります。子どものやりたいこと(発達)を理解し、思う存分できるよう保障してあげることが子どもの満足につながり、その満たされた気持ちが、自信や自己肯定感を育み、他の人も認める基礎となり、未来を切り開く力をつけることにつながってゆくのです。

講演会で認知症の話を聞いていたら、そんなことが連想されました。

忘れてしまう

2013/11/21

このところ、認知症について学ぶ機会が何度かありました。まずは、当園が学童保育を行っているめぐみ精舎、このめぐみ精舎主宰の講演会「お話しの会」が毎月18日に行われています。10月の講演会には市原地域包括支援センターの皆さんが来て下さって認知症についてわかりやすくお話しして下さいました。認知症ってことばは知っているけれども、詳しくはわからない。という方も多いのではないでしょうか。私も何かの機会に話を聞いていましたが、詳しいことはわかりにくいままでした。

最初に、何年か前に放送されたNHKの番組を鑑賞しました。若年性認知症になってしまった男性と男性を支える妻の生活を描きながら、男性本人が自分自身について語るという内容です。男性は、さっき聞いたことが思い出せない、だから今日の予定は紙に書いて何度も読み返す。出かけると帰り道がわからなくなるので、ひとりでは出かけないようにしているといったことに気をつけているそうです。

今聞いたことが覚えていられない、出かけて家に帰ろうと思っても帰り道が思い出せない。それってどんな感覚なんだろうと思います。

覚えていられない、忘れてしまうという自分がいるということをしっかりと認識はしているのだけれど、やっぱり忘れてしまう。そんな自分の状態を受け入れるのは辛いことなのではないかと思います。「なぜ、自分は覚えていられないんだろう?そんなはずはないのに!」という感覚というのか、そんな自分自身を受け入れ認める。その心のハードルを越えるのは大変なことなのだろうと思います。

番組の最後のシーンでは、その男性が、自分自身の今の状態や今までの体験を大勢の人の前で演壇に立って語っていらっしゃいました。これまで大きな葛藤や苦しみがあったのだろうと想像しましたが、淡々と語られるその姿に心を動かされました。最後にその方は、自分が今こうしていられるのは、妻のおかけです。心からありがとうと言いたいと締めくくっていらっしゃいました。そのことばを聞いて、胸が熱くなりました。

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