2013年 10月

スリランカ舞踊

2013/10/09

今年もスリランカ舞踊の日がやってきました。

鞍馬山保育園では、年に一度、遥々スリランカの方々が踊りや歌を子どもたちと楽しむために来てくださります!

きれいな衣装にきらびやかな飾りをつけて舞う姿を、子どもたちは食い入る様に見つめています。

今年は何曲か踊りを披露してくださった後に、〝一緒に踊りましょう〟と子どもたちを誘いにきてくださいました!

何人かの子どもたちは、前に行き一緒に踊り出しましたが、固まって保育士の手を握っている子や、少し離れたところから見ている子どももたくさん!〝行っておいでよ〜〟と言っても、〝いい〜〟〝どうしたらいいかわからんもん〟と後退りする子どもたち。でも、スリランカの方達がとても陽気に楽しく歌って踊っている姿を見ているうちに、子どもたちも少しずつ体の力が抜けていき、自然と体が動き出していました。気付けば、さっきまで〝どうしたらいいかわからん〟と言っていた子どもが、自分なりに飛び跳ねて笑顔で踊り出していました!笑

〝すごいな〜!!〟

思わず出て来る好奇心って大切ですね。何かをやりなさい、やりましょう!でなく、何?やってみたい〜!と子どもたちが目を輝かせることを一緒に見つけて楽しんで行きたいな〜と改めて思いました。

関係性

2013/10/08

人と人が関わる、社会の中で生きるようにできている。長い進化の過程でそのことが遺伝子に組み込まれているのなら、どのような社会であると良いのでしょうか。人間同士の関係でいえば、ひとり一人違う人と人が、それぞれ違うままにお互いに認め合い、助け合い、自分の特長や得意なことを活かしてみんなのしあわせに貢献できることではないかと考えています。「みんながしあわせになれる」といえるでしょうか。

子どもたちが毎日唱えているお祈りのことばのなかに「私たちはまごころをもって世につくす人となる」ということばがあります。誰かを批判や否定するのではなく、まして蹴落とすのではなく、助け合うことができる。そんな社会だといいなと思います。

人間同士だけではなく、ありとあらゆる生き物との関係も、生物に限らず非生物との関係も、全てがわかるわけではありません、というより、わからないことの方が多いのですが、どこかで繋がっているのではないかと意識しながら日々を暮らしてゆけると良と思うのです。よくつかわれることばで表せば「共生」ということでしょうか。

そのために、子どもたちに何が必要なのでしょうか。先ず、その子がその子としてそのまま認められることです。そして、もともと持っている豊かな探求心に従って、自発的に主体的に思う存分世界と関わる事だと思います。そのために保育園は、まず子どもにとって居心地の良い場でなくてはなりません。子どもが安心して心も身体もすこやかでいられ、自分を思う存分発揮して認められる場であることが必要です。

保育者は、どんな子どもも受けとめ、共感し、寄り添う。自分がその子になったつもりでその子のことを想う。そのうえで、ひとり一人の子どもの探求心を刺激する環境を用意したり、不思議だな、なぜだろう、と思えるような声がけやきっかけ作りをしたりすることで、子どもたちが自発的に環境に関わる機会を提供してゆきます。そして、ちょっと困ったときや不安になった時にはいつでも戻ってきて安心できるよう、いつも見守っている存在でいる。子どもが何かを指さしたとき、「あれ見て。」といったときに子どもが見ているものと同じものを一緒に見る事ができるように見守っていることです。そしてその背景には、子どもを丸ごと信じる姿勢が必要となってくるのです。

そんな環境の中で子どもたちが自分を発揮していきいきと活動することで子どもの自己肯定感が育ち、自信を持つことができるのだと思います。

きょうのごはん

2013/10/08

(ごはん)
なたね焼
フルーツサラダ
スープ

(おやつ)
手作りヨーグルト

刺激

2013/10/08

最近2歳児クラスでは給食時に”お箸を使ってみよう”ということを意識しているお友達がたくさん。今まではスプーンを上向きに持ったまま最後まで食べていた子も保育士の顔を見て何も言わず、「持ち方これであってる?」と目で確認してきてくれます。頑張って練習して、だんだん上手に食具を持てるようになってきたお友達は、「こうやって持つんだよ!」と回りの子に自ら伝えようとしてくれます。子ども同士、互いが刺激になり、高めあう存在につながっていせばなぁと小さなことから、そう思う日々です。

きょうのごはん

2013/10/07

ごはん
・ごはん
・高野豆腐の煮物
・きのこのサラダ
・赤だし

おやつ
・バナナケーキ
・牛乳

関わる

2013/10/07

人類は社会を構成するという戦略をとることで繁栄してきたといわれています。社会を構成するために、人は赤ちゃんのうちから様々なことを学びます。9月に満1歳になったお子さんが入園してきました。初めての環境にきょろきょろもして、いろいろなことに興味を持っているのがわかります。一番よく見ているのは発達の近いお友達の姿です。もちろん、自分より少し発達が進んだ子やずっと年上の子も見ます。そして、いろいろな大人の姿も見ます。こうして、いろいろな人が周りにいる環境が大切なのです。そしていろいろな人と関わることによって、世の中にはいろいろな人がいる事を知るのだと思います。また、自分の発達に必要な人と関わろうとするのです。ですから、いろいろな人と関わることができる環境、特にいろいろな子どもたちが関わりあえる事のできる環境が必要なのです。そういうと、赤ちゃんはお互い関わることはないという声が聞こえてきそうです。もちろん関わるということばの定義にもよりますが、ただ、見ているだけでもある種の関わりを持っていることになると思います。見る相手がいなければ、真似をすることもできません。

前にも書きましたが、赤ちゃんが興味を示すのは人間の顔に似た形です。顔が好きなのか、逆三角形の配置が好きなのかという議論はあるようですが。 ・_・ のような形を好んで見ることがわかっています。また、赤ちゃんは視力が発達していないので、全てのものがぼやけて見えているのですが、人間の顔に加えて、その人がどこを向いているのか、その視線を見分けることができるそうです。人の顔や視線に興味を持つということは人との関わりを築いてゆこうとしているということです。それは本能的なものなのです。

また、こんな実験をテレビで見たように思います。目の機能は問題ないにもかかわらず脳の視覚野を損傷したことで、見る事ができなくなった人に、いろいろな画像を見せると、人の表情だけは見分けることができるのだそうです。他のものは見えないのに人の顔だけは見えるのです。人の顔や表情は視覚や意外の所でも認識しているということなのでしょう。

人の顔や表情は私たちにとってそれほど大切な情報なのです。それは、人と人の関わりが大切だということを意味しているのだと思います。人と人の関わりが大切なのは社会を構成する必要があるからです。

子どもは未来

2013/10/06

先日、園児の祖父母をお招きして祖父母会を行いました。祖父母の皆さんにご来園いただいて、子どもたちと楽しい時間を過ごしていただくという企画です。祖父母の皆様にはご自身のお孫さんだけではなく、他の園児ともふれあってほしいのですが、園児数が多くなって、それも難しくなってきました。

最初は、いつものように子どもたちと一緒にお参りするところから始めます。子どもたちはうれしさで、そわそわすることもなく、一所懸命にお参りしていました。普段はあまりお参りをしていない0・1・2歳児も一緒です。

お参りの前、子どもたちの準備ができるまで少し時間があったので、ご参加いただいた祖父母や保護者の皆様に少し話をしました。「お孫さん達にどんな大人になってほしいですか。」から切り出して、私たちはなんのために、何をめざして保育をしているのかということを伝えさせていただきました。一人でも多くの方にと価値観を共有できたらと思ったからです。

子どもは未来です。あたりまえのことですが、今保育園で過ごしている子どもたちが、未来を作ってゆくのです。では、私たちは子どもたちがどんな未来を創造することを願うのでしょうか。私たちが願うのは「すべてのいのちが輝く世界」です。人間に限っていえば、どんな人でもいきいきと生きることのできる社会と言っても良いでしょう。みんなが様々な違いを認め合い、力を合わせて、生きることができる社会を作る、より良い社会人(社会を構成する人)として育ってほしいと願います。
もっと広くいえば、この地球上に生きているのは人間ではなく、あらゆる生物が生きていて、それぞれに繋がり合い、関係し合うことで成り立っているのです。全ての関係性がわかるわけではありませんが、みんなが繋がり合う、みんなが助け合うことで生きているということ、いろいろな生き物がいるから自分も生きてゆく事ができるのだということは、いつも忘れずにいたいと思うのです。

がんばるトマト

2013/10/05

  草に埋もれてもがんばってるよ!

実をいくつか食べて、そのままにしておいたトウモロコシは、すっかり茶色く枯れて立っていました。収穫していなかった実がいくつか残ったままだったので、とにかくとっておきました。中を見てみると、まばらではありますが10センチくらいのコーンの半分くらいは実がついていて、種はなんとか取れそうです。

それにしても、作物以外の草が良く伸びたものです。大豆などを切ってしまわないように草を刈り取るのも、結構大変です。草を刈っているうちに、トマトのことを思い出しました。

   花も咲かせました

畑の入口付近、黒豆の間に植えたトマトは、フェンスの外にはみ出した部分はしっかりと鹿に食べられていたので、無事だったのはフェンスの中に残っていた部分です。支えがないので、地を這うように伸びていました。これは、収穫が期待できるかと思ってよく見てみると、実が一つもついていないばかりか、花も咲いていません。確かこちらは丸いトマトだったと思います。まだ、茎や葉っぱは元気そうなので、花は咲くかもしれません。たとえ一つでも実がなってくれることを祈ります。

畑の奥の方に植えたサンマルッァーノはどこに行ってしまったのか見当たりません。種を蒔いて芽を出していた辺りの草を丁寧に取り除いていると、ふっとトマトのにおいがしました。あっこの近くに元気で生きているんだと思うとうれしくなって、なんとしても見つけたくなりました。草を少しずつ取り除いてゆくと、ありました。細長い茎が伸びていて、花もいくつか咲いています。元気でいてくれて嬉しい限りです。「わたしはここですよ!」トマトが自分の居場所を知らせてくれたように思えて仕方ありません。

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