2013年 9月

何事も不思議と思う心

2013/09/19

9月から、たんぽぽぐみ(0歳児クラス)に新しいお友達が入ってきました。初日と2日目は、初めての保育園なので、お家の人と別れる時も大泣きしていたけれど、そのうち、クラスにいる保育士の顔を何度も見て確認してはニッコリ微笑んでみたり、普段会わない保育士だと、見て泣き出したりしています。小さくても、ちゃんと見て分かっているんですね。

砂場にお座りした状態で下ろすと、嫌がるどころか、前にくの字にのり出し、ダイナミックに手で砂をすくうように手を上下に動かして砂の感触を楽しんでました。水道の蛇口のところでつかまりだちすると、蛇口から出てくる水に手を近づけ、水しぶきを少し浴びながらも、喜んでいました。見るものすべてが新鮮で、生まれてはじめて会ったものは何でも光輝いて見える。そんな眼差しは、驚きと感動に満ちあふれていました。この何事も不思議と思う心を大事にするためにも、その発見や感動にまわりの大人は無言で通りすぎず、共に喜び、一つ一つを大切にして共に感じてゆきたいと思います。そうする事が子どもの心にも一歩近づくことに繋がるでしょう。

楽譜

2013/09/18

コミュニケーションのとり方による伝え方の違いを見ていたのでしたが、しばらく話題がそれて、行事や台風になってしまいました。

日本は世界の中で最も高コンテクスト社会だとアメリカの文化人類学者エドワード・ホール氏は言っています。高コンテクスト文化を持つ社会では、ことば以外の社会的習慣や人間関係などに依存する割合の高く、聞き手に「察する」「文脈を読む」ことが求められることが多く、低コンテクスト文化を持つ社会では、ことば以外のものに依存しない傾向が強く、一から十までことばで説明する必要があり、直接的ではっきりした表現が必要とされるという考え方です。

伝統的な職人技などは、ことばで説明するだけで伝えきれるものではありませんし、それは程度の差こそあれ、洋の東西を問わずそうなのだと思います。

音楽においてもそんな傾向があるかもしれません。園で先生達がピアノを弾くときは、五線譜を使っています。現在音楽、特に西洋音楽を楽譜に表すための記譜法で用いられているのはこの五線記譜法が一般的です。五線の上に音符や休符が並べられ、音の高さや音の長さ、時間的要素を表します。その他様々な記号を用いて、演奏に必要な要素を表しています。歌がある場合は歌詞も付されるでしょう。かなり細かな要素まで決められていて、楽譜が読めれば、演奏ができます。

お寺では、よく声明(しょうみょう)が唱えられます。声明は経文に一定の旋律をつけて、法要などで唱えられるものです。簡単にいえばお経に音楽がついていると思っていただいてもいいでしょう。この声明を唱えるにあたっては、ピアノを弾くときのような五線譜は基本的には用いません。音の高さや旋律を表す博士(はかせ)といわれる印が使われます。これがしっかりと読めれば、唱えられないことはありませんが、音の長さなど時間的要素はそこには表されていません。それでも、みんなで唱える、いわゆる合唱することができます。

日本の文化は、音楽を楽譜に表すにも、すべてを表すことはしないのでしょうか。

きょうのごはん

2013/09/18

  (ごはん)

  ・ウインナー炒め

  ・ブロッコリーのサラダ

  ・いとこ汁

  (おやつ)

  ・ハムトースト

運動会が近づき〜

2013/09/18

運動会が近づき、いろいろなことに挑戦し始めたこどもたち!

鉄棒苦手やねん…と言っていたKちゃん。

ある日、ここが難しいねん…。と私に打ち明けてくれました。

ここに気をつけてやってみたら〜?と一度一緒に練習した日から、Kちゃんはもくもくと練習し始めました!

初めは自信のない顔だったKちゃんでしたが、日に日に目がキラキラし始め、自信のある顔に!!

まわりの友達が出来て行く中、挫けず粘り強く練習していたKちゃんの負けん気にはパワーをもらいました。

そして、みんなパワーにも驚かされる毎日です。

自然の厳しさ美しさ

2013/09/17

特別警報がこんなに早く、しかも身近で発令されるとは思いませんでした。朝、ラジオから番組のパーソナリティーのこんな話が聞こえてきました「放送で特別警報が解除されたと言ってしまうと、警戒しなくても良くなったような誤解を視聴者与える。特別警報が警報に切り替わっただけで、引き続き厳重な警戒が必要なことにはかわりはないいので、伝え方には細心の注意を払わなくてはならない。」
それを聞いて、特別警報が発令されたから、特別警報が解除されたから、大丈夫という考えが自分自身にもあったように思いました。警報が発令されたら警戒すべきなのに、その上のランクの特別警報というのができたことで自分の中で警報の重大さの位置づけが下がってしまったのではないかと思ったのでした。

16日の早朝は猛烈な雨風でしたが、時間と共におさまってきて10時頃には雨もほとんど降らなくなり、雲間から薄日も差すようになりました。周辺に被害がないか確認しましたが、幸い大きな被害はありませんでした。あれだけ強い雨が長時間降ったのにも関わらず、ありがたいことです。しかし、普段は水なんてないような所から水が出ていたり、谷の水かさが大幅に増えていたりしています。お寺の職員さんと一緒に危険箇所がないか見て回っていたら、突然大きな音がしたので、山崩れか、倒木かと思って音のした方を見に行ってみたら、直径60センチはある大きな木が倒れて他の木や土砂と共に参道を塞いでいました。つい10分ほど前に私たちが通った所です。もう少し遅かったらと思うとぞっとしました。風雨が収まってからでも、倒木や土砂崩れは起こりうるということを目の当たりにし、台風の猛威はもちろん自然の厳しさを感じました。

今日は台風一過、昨日までが嘘のような美しい青空が広がっていました。自然の厳しさと美しさの両面を改めて感じさせてくれた台風18号でした。

「こんな事出来るようになったよ」

2013/09/17

先日、私の所に来て「先生・・・・・・・」と照れ笑いしている年長児さんがいました。

「何?どうしたん?」と尋ねると

「えーっと・・・・・・・・」とまた照れています。

「どうしたの?」と私。

「僕なぁ、あんなぁ、跳び箱跳べるようになった。」と。

「ヤッター!!!めちゃめちゃすごいやん」と一緒に喜びました。

子ども達の照れながらでも喜んでいる姿はとても素敵でした。

 

 

特別警報

2013/09/16

台風18号が近づき、通り過ぎてゆきました。9月15日日曜日の夕方から雨量が多くなってきたり、強い風が、雨を斜めに降らせます。風の強さよりも雨の降り方が気になりました。とにかくすごい勢いです。それでも夜のはじめまでは息をつくように雨脚が強くなったりそうでもなくなったりしていました。ところが、夜が更けてくるにつれ猛烈な雨が絶え間なく降り続くようになってきます。風も強まってくるので、不安が募ります。園の裏山は崩れていないだろうか、何か飛んでいっていないだろうか。木が倒れてこないだろうか、窓ガラスが割れたりしていないだろうかと気にはなりますが、どうしようもなく、ゴーゴーと雨風が暴れる音を聞きながら休みました。目覚まし代わりに使っているスマートフォンから、突然いつものアラーム音とは違う音が響き渡り、緊急地震速報かと思って慌てて飛び起きました。画面には、「緊急速報 大雨特別警報発表5時05分京都府全域に多め特別警報が発表されました。これまでに経験したことのないような大雨になるところがあります。最大級の警戒をしてください(京都府)」とあります。5時7分のことでした。

特別警報は平成25年8月30日に気象庁により運用が開始されました。これまでは、大雨、地震、津波、高潮などにより重大な災害の起こるおそれがある時に、警報が発表されていましたが、これに加えて、警報の発表基準をはるかに超える豪雨や大津波等が予想され、重大な災害の危険性が著しく高まっている場合、「特別警報」を発表し、最大限の警戒を呼び掛けるというものです。特別警報が出た場合、数十年に一度しかないような非常に危険な状況にあります。周囲の状況や市町村から発表される避難指示・避難勧告などの情報に留意し、ただちに命を守るための行動をとってください。とされています。

この特別警報の運用が開始されたときは、「数十年に一度しかないような非常に危険な状態」とあったので、滅多に発表されることはないのだろうと思っていたのですが、まさか1ヶ月足らずで、しかも京都府に発表されるとは、驚くとともに不安になりました。それでなくとも、相変わらず猛烈な雨と風の音が聞こえているので、不安は募ります。窓から外を見てみましたが、暗くてよくわかりません。

10分後に京都市より「大雨特別警報に伴う情報」として、追加情報が送信されてきました。「浸水が想定される区域では2階以上に避難するなど身の安全を守る行動をとってください。」など具体的な内容が追加されています。

明るくなってきたので、外に出てみました。強い雨と風です。谷の水かさが上がり、ものすごい勢いで流れています。時折大きめの石が流れてゆく音が響きますが幸い近くを見た限りは大きな異常はありませんでしたが、私は見に行かなかった鞍馬川はかなり増水していたようです。

特別警報の発令を知らずに周囲の状況を見ているだけでは、不安の度合いは違ったかもしれません。「数十年に一度」ということばが頭の片隅にあるので、木が倒れてこないだろうか。山が崩れてこないだろうかと、とても気をつけながら歩いている自分に気がつきました。

警報は良く発令されるので、どこか「また警報」という感覚になりがちですが、本当は警報でも充分に気を引き締める必要があるのです。特別警報が運用開始されたことで、警報を軽視してしまわないように気をつけないといけないと思いました。

嵐山の被害状況が報道されていましたが、京都市内はじめ府下、全国各地で被災された方にお見舞い申し上げます。

義経祭にて

2013/09/15

今年も、お寺で源義経を偲ぶ法要「義経祭」が奉修されました。台風18号の接近で未明から激しい雨が降っていたので、法要だけでなく、様々な奉納も行われ、たくさんの人が参加、見学されるのに、大丈夫なのだろうかと心配になっていました。なにより、園児達が出仕することになっていたので、雨が強くなると心配です。5歳児の有志と保護者がが日曜日にもかかわらず出仕に協力してくださったのです。幸い園児達が来る頃には雨は小降りになり、法要の直前には薄日がさす時間もありました。園児達の役目は、毎年同じですが、義経さんにお供え物を捧げることです。どの子もとても丁寧にお供え物を運び供えていました。子どもたちの動きとといいその時の雰囲気といい、心を込めてお供えしている感じが、とてもステキでした。

昨年も書きましたが、いろいろな奉納をされる方々もいらっしゃいます。近隣の合気道の道場の皆さんが今年もいらしてました。日曜日ということもあって、3歳くらいのこどもからおとなまで50名ほどの方々の奉納演舞は見事ですし、小さな子どもでも姿勢や動きがとても美しかったのはとても印象的でした。

他に、奉納があったのが、「しずのおだまき」の踊りの奉納がありましたし、天狗舞鼓という芸能奉納が今年もありました。

奉納の中でも、一絃琴の演奏奉納は心に響く音色が印象的でした。一絃琴とは、文字通り一枚の桐の板に一本の絹糸を張っただけのシンプルな琴です。演奏法は、右手人差し指、左手中指に象牙の蘆菅(ロカン)と呼ばれるつめをはめ、右手で絃をはじき、左手を移動させることで音の高さを変えて演奏します。ギターのようにフレットがあるわけではないので、滑らかな音の変化も表現できそうです。このシンプルな楽器は、静かながらとても深い響きがあって、演奏されると厚みのある音が響きます。

一般的には演奏しながら歌うことが多いようで、今回は清虚洞一絃琴の家元が義経の生涯を題材にした曲を演奏していらっしゃいました。

清虚洞一絃琴は「特に琴学に基づく精神性を重んじている」(清虚洞一絃琴ホームページより)そうで、「清虚とは心が清らかで私心がないこと、月の都にあると言われている宮殿」という意味があるそうです。
私心のない清らかな心。どうすればそんな心になれるのでしょうか。

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