・野菜の磯和え
・吸い物
2013/08/06
2013/08/06
学童保育「めぐみ精舎」は去年の6月から本格的に活動が始まり、2年目に入りました。
普段は土曜日に開室していますが、小学校が夏休みに入り、めぐみ精舎は毎日開室になりました。
先日、春休み以来来てなかった○○ちゃんは部屋に入るなり「うっわ〜、この部屋ひっさしぶり!」ととてもなつかしい気分にひたりなが入ってきました。
久しぶりに会う子ども達はちょっぴり大きくなったような気がしました。
昼食の時には学校であった事やプールでの出来事などいろいろ話がでてきて、違う小学校から来てる子ども達も興味津々で聞き入ったり、自分の行ってる学校の事を話し出したり…旧友に会ったかのような時間が流れていきました。
これから約1ヶ月の間、学校とはまた違った雰囲気の中で、いろいろな友達と知り合って世界が広がっていくのが楽しみです!
2013/08/06
そして、久しぶりに畑に行ってみると、前回見たときとは全く別の世界が広がっていました。作物以外の草が高く伸び、
トウモロコシは背が高いので、よくわかるのですが大豆はかろうじてどこにあるかわかるくらいで、トマトやにんじんはどこにあるのか全くわからない状態です。今年もあっという間にジャングルが出現していました。10日ほどの間に畑の状態をこれほどまで変化させる植物の生命力、自然の力を見せつけられた感じがしました。作物たちはどうなったのでしょう。腰くらいまでの高さの草をかき分けて進み、黒豆の所に行ってみました。黒豆は虫に食われながらも、80センチくらいに育ってたくさんの葉を茂らせていました。
ところどころ花が咲いていたので、しばらくすると豆が実りそうです。黒豆と同時に種まきした大豆も順調に育っていて、こちらは小さな豆が実っていました。ちなみに、私が自宅でプランターに蒔いた大豆は順調に芽を出して花を咲かせ、小さな実をつけていますが、ひょろひょろで弱々しい感じです。畑の大豆は、実こそまだ小さいものの、たくさん葉が茂って力強い感じに育ちました。プランターと地植えではこれほど違うのですね。でも過酷な条件のプランターの方が豆が種を蒔いた時期は遅かったのに、先に豆が実りました。どんな条件がどう作用して、どんな差になって表れるのか全くわかりません。2013/08/05
2013/08/05
野菜が大の苦手な1歳児クラスのEくん。
先日の給食中、Eくんの大きな泣き声が聞こえたので様子を見に行くと
ブロッコリーを食べさせてあげようとする職員に
”ブロッコリー、食べたくない!!” と大きな声で泣きながら一生懸命、抵抗していました。
そんなEくんの抵抗はしばらく続き、
そうこうしていると、職員が持っていたブロッコリーがEくんの口の中にポロッと入りました。
次の瞬間、
「おいしっ(*^。^*)」 とEくんは笑顔になり、
気づいたときには、嬉しそうに両手にブロッコリーを持っていたEくんでした☆
2013/08/05
園庭入口付近にはアジサイとガクアジサイ、2株のアジサイがあります。少し前のブログにも取り上げましたが、今年はたくさんの花をつけて、私たちの目を楽しませてくれました。しかし、美しかった花も役目を終えるとだんだんと枯れてきます。そのままにしておくとどうなるのか観察し続けるのも一つの方法かもしれませんが、全体的に背が高くなりすぎていたので、今年は剪定するのが良いのかなと漠然と考えていました。ただ、闇雲に剪定するよりも調べてから剪定した方が良いのかなと思いながらも、そのままになっていたら、園芸に詳しい保護者の方が気にしてくださって、剪定しましょうかと仰ってくださいました。
渡りに舟とばかりにお願いをしたら、早速いらしてくださいました。来年、芽が出るところを残しつつ、短くすっきり苅ってくださいましたが、その手際の良いこと、早いこと。若い先生と私と2人で手伝うつもりでいましたが、私の出番はなさそうだったので若い先生に任せました。
子どもたちは早速、刈り取られた葉っぱや花で遊んでいましたし、葉の陰から現れたカタツムリと遊ぶ子もいました。子どもはすぐに遊びにしてしまいます。
こうして園庭のアジサイはスッキリとしたのでした。剪定してくださった保護者に感謝します。ありがとうございました。
保護者の皆様はそれぞれに知識や技術をお持ちです。それを保育に活かしていただける機会や場を増やしてゆきたいと考えています。それは、園が助かるからだけではありません。子どもがいろいろな人と関わる機会になります。様々な知識や技術に触れることで、学びの幅が広がります。また、職員も学ばせていただくことがたくさんあるはずです。
保護者の皆様が得意技を発揮していただく機会を作りたいと考えています。ご協力いただければ幸いです。
2013/08/04
2013/08/04
写経をしているときは、集中していないとすぐに間違えてしまいます。「乗」が「乘」、「観」が「觀」、「即」が「卽」というように旧字がたくさん使われているので、文字を間違えることがありますし、ひどいときには途中からとなりの行に飛んでしまう事もあります。それはやはり他のことを考えてしまったりしているときにおこります、やはり、集中している必要があるのです。
もう一つ難しいのは、筆にどのくらいの朱を含ませるかです。写経会では動物性の膠を使った墨ではなく、朱を使って書写しますが、その朱を含ませる量をこまめに調整して書くと、同じ調子で書くことができて美しくなります。
もともと字が下手な私にはなかなか美しく仕上げることは難しいことですが、筆に含ませる朱の量をできるだけ一定に保ち、筆の先が紙の上を滑る感覚を意識する、筆の先に意識を集中すると間違いも少なく、一定の調子で書くことができて、ある程度美しく書写することができます。まず大切なのは集中力を切らさないことです。しかし、2時間以上集中力を保つのは難しいものです。
集中力といえば、子どもの集中力ほどすごいものはありません。子どもが自分の興味があることに取り組んでいるとき、それがその子にとっておもしろければおもしろいほど集中します。まわりで他の子が騒いでいても、少しぐらい声をかけても、見向きもせずに取り組んでいる姿が見られることがあります。それは、子どもが自分の興味を持なにかを見つけて、自ら取り組んでいるときによく見られる姿です。
なぜ、それほどまでに集中できるのでしょう。それは、子どもが選ぶことが、その子の今の発達に必要なことだからです。子どもは自分の発達にちょうど合ったものを選ぶ能力を持っています。それはその子にとって必要なことなのです。自分に必要なことを自分で選び取り、それを行うことで自ら発達してゆくのです。そして、発達は子どもによって少しずつ異なります。だからこそ、ひとり一人の子どもの発達に合う多様な環境が必要なのです。
集中して取り組んだ結果として満足感が得られ、それが自信や次への意欲につながってゆきます。
2013/08/03
今年もお寺の行事、写経会の時期が巡ってきました。8月1日から3日までは、勤行と写経の日々です。一日中、板の間に正座しているので足が痛いこともありますが、写経会のことだけを考えて、写経会に関係することを一生懸命にするので、他のことを考える必要がありません。そういう意味では一つのことに集中できる環境は整っています。
よく、○○三昧といいますが、三昧とはサンスクリットのサマーディという語の音訳で、心を一つの対象に集中させて安定した精神状態。雑念を去って没入するという意味があります。
写経三昧というなら、写経に集中して心の状態が安定していたのかと問われると、100%自信を持って、そうだとは言えません。というより、写経をしていても睡魔が襲ってきたり、ついつい頭の中に他のことがいろいろと浮かんで来て、ぐるぐる回るのに心が引きずられたり、物音が気になったり、とても集中している状態とは言えませんでした。ですから、写経三昧ではありませんね。
余りにもいろいろなことが多すぎると、ついついいろいろなことを考えてしまいますが、あっちこっち考えると、かえって訳がわからなくなってしまいます。いろいろな問題があっても、今は何が一番大切なのか、それをしっかりと選んで、そのことに集中する。まさに心を一つの対象に集中させ安定した精神状態で取り組む必要があるのだと思います。そのことをやり切るまでは、そのことだけに集中して他のことは考えない方がよいのでしょう。
そして、一つのことをやりきってから次のことに移り、そしてまたそのことに集中すれば良いのですが、気になることが多すぎると、ついついいろいろなことが頭を駆け巡り、それに気を取られてしまいます。
写経をするときに、こんなことを試してみました。筆の先が紙の上を滑る感覚を想像しながら書くのです。もちろん筆の先は私の身体の一部ではありませんので、実際に筆が紙に触れる感覚というのは感じられるはずはないのですが、筆の毛先は自分の指の延長だと思いながら、書いてみたら少しは書くことに集中できたように思います。
2013/08/02
おとまり保育を楽しんだのは子どもだけではなかったことを紹介しています。
子どもたちの楽しみにしているキャンプファイヤーだって、何とかして子どもたちを驚かせるような方法で点火したいという思いから、用務の先生が昨年考案してくれた自動点火システムを今年も使うことになりました。ただ、それを使うには、薪を組むときに細工をしておく必要があるので、あらかじめ準備をしなくてはなりません。鞍馬は涼しいといっても夏の午後の日差しはやっぱり暑く、炎天下で汗だくになって準備をしながらも、「仕事中にこんな楽しいことをさせてもらって良いのかな?」とニコニコしながら準備をしている先生の顔がとても印象的でした。
大人も遊び心いっぱいで楽しんで仕事をするからこそ、その楽しさが子どもに伝わるのかもしれません。とはいっても、おもしろおかしいだけで仕事をしているわけではなく、好きなことだけやっているわけではありません。どんなことでもいかに楽しむか。わくわくしながらできるかが、大切なのだと思います。「ついついやらなくてはならない!」と思ってやっていると、目がつり上がって、苦しくなってきますし、余裕もなくなってしまいます。忙しくても忙しさに負けてしまわず、遊び心を持って楽しめば、余裕が生まれてくるのだと思います。
そんなことを言いながら、私自身ついつい眉間にしわを寄せて、しゃかりきになってしまっていることがあります。そんなときには、できるだけ早くそんな自分に気付いて、余裕を持って笑顔で楽しみながら、仕事をしたいものです。自分を知って、自分を律する。まだまだその練習をする必要がありそうです。