・焼魚
・千切り大根の煮物
・けんちん汁
2013/07/04
2013/07/04
先日地域の小学校との交流会があって帰りがいつもより遅くなった年長児。
給食を食べ終わってから掃除する時間がいつもより少なくなりました。
・・・が、時計の認識がまだない子ども達はいつものとおりのんびりした様子です。
なので、いつもより遅い時間だということを伝え、長い針が〇〇になったら昼寝の時間なんやけどどうしよう・・・??と問いかけてみました。そうすると「あっ、そっか、早くしな!」と気づいた子ども達。そこからは「〇〇ちゃんは雑巾取ってきて!その間に私ここふいとくわ!!」と役割分担の指示をする子が出てきて、みんなもそのよう動きあっという間に掃除が終わってしまいました。
さすが年長児!!
2013/07/03
先日、函館に行く機会がありました。この時期の京都は蒸し暑いことが多いのですが、北海道はさわやかです。朝夕などは気温が13度ほどで、肌寒いくらいでした。函館空港に着いたときには、さわやかだな。と感じたくらいですが、大阪に着いてからは蒸し暑さがとても気になって、家に帰ってから「蒸し暑いね」と言ったら、「今日は涼しいよ」と返って来ました。自分に都合の良いことにはすぐに慣れて、不快なことは気になってしまうのでしょうか。勝手なものです。
仕事が終わって、帰りの飛行機まで少し時間があったので、函館市縄文文化交流センターを訪れました。函館市縄文文化交流センターは、2011年10月に開館した道の駅を併設する博物館で、南茅部縄文遺跡群を中心に、函館市の縄文遺跡から出土した様々な土器や石器などの遺物を数多く展示しています。
両側に緑が続く国道278号線のバイパス尾礼部道路を走っていると突然、コンクリート打ち放しの要塞のような建物が現れますが、建物は高くないので威圧感は感じさせません。打ち放しコンクリートは無機質な印象を与えますが、曲線を多用した造形がやわらかさを加えていますし、近づいて見ると、型枠の組み方を工夫して壁面に微妙な凹凸がつけてあって、平面的になりがちな面に変化をもたせています。いろいろと考えて作ってあるのだと思いました。
建物に入ってみると、エントランスは実は2階で、受付をはさんで道の駅の部分と体験学習室に分かれていて、展示スペースは1階になっています。体験学習室では随時、ミニチュア土器づくり、縄文ペンダントづくり、土器の拓本とりなど、様々な体験を受け付けています。小学生の男の子が真剣に縄文ペンダントづくりをしていて、楽しそうでやってみたくなりましたが、体験をしている時間はなかったので諦めました。
1階の展示室に行ってみると、かなり暗めの照明とスポットライトを使って土器をはじめとした展示物が、浮かび上がるようなライティングであったり、展示ケースの中では多数の石刃が美しくならべて展示してあったり、壁面を覆うように土器が展示してあったりと、展示も工夫が為されていたように思いました。
2013/07/03
2013/07/03
この間のお弁当Dayで公園に行った時のこと。三人の女の子がニコニコ走って楽しそうでした。が、途中で一人の女の子がこけてしまいました。
どうするのかなぁ〜と少し離れた所から見ていると、二人の女の子がこけたお友だちをおこし、ひざなどの砂を払ってくれているんです。今までもこのような姿は見たことがあるし、助けてくれてよかった!と見ていたんです。
するとまだ何やらしてくれようとしています。近くに水が流れている所があったんですが、そこまで手をつないで行き、こけたお友だちのひざを二人で洗ってくれていたんです!(そこの水はきれい?とは思いましたが、気持ちが嬉しかったので見ていました)
お〜!これはすごい!そこまでしてくれるんや〜!と感心してしまいました。
2013/07/02
「構成論的発達科学」の当事者研究により、一つの仮説が立てられていると聞きました。それは当事者自身の研究や報告により、対人関係など社会性の障害以前に知覚や運動に関することに原因があるのではないかという知見に基づいた仮説です。当事者の体験に基づいた研究から得られた「情報のまとめ上げ困難が根本的な特性であり、そこから知覚・運動レベルの問題や対人関係での困難が統一的に説明できる。」という仮説です。身体の自己紹介のまとめ上げという言い方をされている研究者もいらっしゃいました。
例えば、親しい人の顔は目や鼻や口といったパーツの寄せ集めで見るとわかるが、全体像だとわからないといったことや、空腹感の感じ方に特徴がある。
声を発するのが不得意なのは、音声感覚の身体的フィードバックが乏しいために、うまく声が出せない、声を出すのが不安になる。
雑踏の中で話している目の前の人の声が聞き取れないのは、他の音が飛び交っていても、会話の相手の話に意識を集中すると、他の音は気にならなくなるのに、他のすべての音も同じボリュームで聞こえるなどして相手の声が聞き取りにくくなるから。そういうときに相手の喉に指を当てると折り聞き取りやすくなる人もいるそうです。
身体から入ってくる情報を、まとめ上げるのが困難だから様々な困り感が出てしまう。このまとめ上げ困難説を検証し修正してゆくことと同時に、当事者に本当に必要な支援方法を開発することで当事者の困り感を少なくしてゆくという研究なのです。
シンポジウムを聞きましたが、私の能力では理解するのが難しく、正確に伝える事ができていないとおもいます。しかし、とても興味深く聞くことができましたし、知れば知るほどエキサイティングな研究だと感じました。この研究の成果によって、一人でも多くの困っている方が、いきいきと生活できる日が来ることを祈らずにいられませんでした。
日本赤ちゃん学会第13回学術集会というほんとうにすばらしい機会に巡り会えたことを感謝しています。
2013/07/02
2013/07/02
2013/07/01
構成論的発達科学には当事者研究というカテゴリーがあります。障害があると言われる人の体験などの記述によって、障害者の立場から障害を理解しようというのだと思います。
例えば、自閉症は社会性の障害とか、心の理論の障害が共通しているのではないかということがよくいわれます。ところが、自閉症の人たちのコミュニティーがあって、互いにコミュニケーションをとり、共に活動していらっしゃいます。このことは社会性を表しているのではないか。こう考えると「社会性の障害」という言い方は、自閉症の特徴を本質的に言い表しているわけではないように思えます。社会性に先立つ身体感覚の多様性に注目すべきだ。同じ身体感覚を持つ人たちのオルタナティブな社会もある。と演者はおっしゃっていました。
その人のいろいろなことの感じ方や身体感覚にそれぞれの特徴があるということです。そういえば、自閉症の人の中には音にとても敏感で音が大きく聞こえてしまうので、少し大きな音がすると、とても我慢できなくなって耳を押さえてしまう。とか、私たちは、何かを見るときには注意を向けたいものだけに集中して見て、その他のものには余り注意を向けないようにして見ているのですが、自閉症の人の中には視界に入る全てのものが、同じ質感で見えてしまう人もいるそうです。以前、自閉症の人が書いた手記を読んでいたときに、「みんなどうして南の島なんかに行きたがるのか理解できない」とありました。その方は暑さに敏感で、より暑さを感じてしまうのです。このように、まずひとり一人が持つ様々な身体感覚の違いを認識する必要がありそうです。
私たちはどうしても自分の見方、感じ方と同じように他の人も見たり聞いたり感じたりしていると思いがちです。その見え方、聞こえ方、感じ方が人によって異なり、その違いが小さい人もいれば大きい人もいるのです。
ただそれを当事者の特質とするだけでなく、それを理解してどう支援するのか。何が当事者のハピネスやウエルビーイングに繋がるのか。その視点が大切なのではないのでしょうか。
2013/07/01