2013年 7月

お散歩先で・・・

2013/07/23

毎日蒸し暑い日が続く中、今日は風もあり涼しい1日だったのでグループにわかれてお散歩へ行きました。

月齢が低いチームは運動場へ行き草抜きをしたり、倉庫の回りで隠れんぼ、まてまてーとおいかけっこなどして過ごしました。

たくさん走りまわったので、ちょっと日陰で休憩しているとY字型の木の枝を見つけ両手にもち保育士が『カニさーん』とカニのマネをしていると『ちょーだい』とMちゃんとSちゃん・・・。

木の枝を渡してあげると、毎朝体操で踊っている「エビカニイクス」を踊る2人の姿かわありました(笑)

踊っている姿とっても可愛いかったです。

おとまり保育〜食事〜

2013/07/23

自分たちで話し合っておとまり保育の夕食にはハヤシライスを作ると決めた5歳児たち、材料には何が必要かも話し合ったそうです。たまねぎ、お肉、にんじん、じゃがいも、いろいろな野菜が候補に挙がりました。結局いろいろなものを入れようと言うことで、材料はほとんどカレーと同じ、味はデミグラスソースというハヤシライスに決まりました。ブロッコリーという意見がでて、賛否が分かれたそうですが、ブロッコリーは単体で茹でて食べたい人はお皿に盛りつけたハヤシライスの上に飾る。食べたくない人は食べない。という選択制にしようということで解決。

先生は子どもたちの思いが広がるようにと、できるだけ時間を取って話し合ったり、食材の絵を描いたり工夫していたようです。ですから、食べることに限らず子どもたちの期待は小さな胸一杯に膨らんでいました。

食材も決まり、おとまり保育の当日、子どもたちは朝から食材の買い出しに行きました。といっても、近くにお店はないので、20分くらい電車に乗って、園に食材を納品してくださっているお店に行きました。近くにパン屋さんがあるので、翌日の朝食に使うパンも買いに行きました。

パンと言えば、朝食も子どもたちが作れるように、でも余り手間がかかりすぎないようにと、メニューにはホットドッグを選んでいました。何種類かの具材を調理の先生が用意し、その具材を子どもたちが選んで、自分でホットドッグ用のパンに入れ、アルミホイルで包んで温めます。

温めるのにも子どもたちが関われると良いということから、事前に子どもたちがオーブンを自作しました。といっても、そんなに難しいものではありません。ダンボール箱の内側にアルミホイルを貼り、外側をきれいに飾っただけです。この内側にアルミホイルを貼ったダンボール箱の上の方にホットドッグをのせるための針金を取り付け、下から炭火で温めるのです。そんなので温まるの?と思いましたが、意外と火力が強く、パンの外側がさくっとするくらいになります。この方法を教えてくれた調理の先生はピザも焼けるといっていました。この手作りオーブンを使い、キャンプ気分を味わいながら園庭での朝食となりました。

おとまり保育 〜話し合って決める〜

2013/07/22

今年も5歳児たちが、待ちに待ったお泊まり保育の日がやってきました。いつもより大きい荷物を持って、うれしさと少しばかりの不安を胸に登園してくる子どもたち。今年もおとまり保育の目的は、「子どもたちが自分で生活すること」です。もちろん普段から何でも自分たちでやっている5歳児たちですが、普段保育園で食べる機会がない夕食づくりの仕事があります。

今年も夕食のメニューは事前に子どもたちが話し合ってハヤシライスに決めたようです。ところが、子どもたちの夕食メニュー決定会議はハヤシライス賛成派と反対派に別れて紛糾したようで、なかなかメニューが決まらなかったようですが、先生も子どもたちが話し合って決めることを信じて、できるだけ口出しをせずに待っていたそうです。そうしたら、いつの間にかハヤシライス反対派が歩み寄ってくれて、無事にメニューが決まったと言っていました。こう書くと「ハヤシライスはいやだ」と言っていた子が渋々同意させられたように感じられるかもしれませんが、そうではないようです。賛成派と反対派がお互いに譲らず、硬直状態が続くので、このまま決まらなかったらどうしようかと先生も心配していたようですが、しばらく時間が経つと反対派が積極的に歩み寄ってくれたのだと言っていました。

大人だったら物別れに終わりそうですが、子どもは素直なのか、いつの間にか気持ちを合わすことができるようです。それもお互いに納得してのことです。もちろんその前段階としては徹底的に意見を交わし合う、戦わせることはしています。子どもは優柔不断なのではないかという意見もあるかもしれませんが、そういうわけではないように思います。子どもは刷り込みが少なく、我欲にこだわることがなく、心がやわらかいのだと思います。

お手伝い活動

2013/07/22

朝のお手伝い活動では、子どもたちがお米をといだり、野菜を洗ったりしてくれています。
先日、じゃがいもを洗ってもらいました。

その日の給食はクリームシチュー。

私が給食を食べていると、お手伝い活動に参加してくれていた年長クラスの女の子がそろり、そろりと近くにきて
「あたしの洗ったじゃがいもおいしい?」と少し不安気に聞いてくれました。

「めっちゃおいしいよ!ありがとう!」とこたえると「だって、一生懸命洗ったもん!」
と少し照れながら言ってくれました。

その女の子の照れた表情に私も照れてしまい、顔が熱くなりました(笑)

いつもお手伝いしてくれて、ありがとう(^^)☆

喜び

2013/07/21

他人の喜びを自分のことのように感じ、他人の喜びのために何かしたいと思う。そういった視点が、今の経済学には欠けていると、大阪大学大学院経済学研究科教授で、経済思想史が専門の堂目卓夫氏はいいます。個人の喜びは、手にしたモノやカネからのみ生じ、相手の喜びに共感して得られる喜びは考慮されないのが今の経済学なのだそうです。

このような世界では「何のために働くのか」という問いには、「対価として支払われるモノやカネのためという答えしか返ってこないだろう。そして、「他人の悲しみや苦しみを和らげ、喜びを増すため」という答えは、綺麗事か偽善と見なされるだろう。しかし現実の世界では、他人の笑顔や感謝の言葉は、すべての人の「働きがい」や「生きがい」になっているはずである。(2013年6月3日京都新聞夕刊「現代のことば」より)

もちろん、労働の対価として支払われるモノやカネも大切ではありますが、それこそが絶対の目的ではないはずです。「誰かの喜んでくださる顔が見たいから」「ありがとうと言ってもらって嬉しいから」という喜びがあってこそ、働くことが楽しくなるし、もっと誰かに喜んでもらいたいと思えるようになるのではないでしょうか。この喜びと喜びが響き合うところに共感が生まれる。共感の喜びを表す形としてモノやカネが行き来する。モノやカネは「うれしい」「ありがとう」をはこぶメッセンジャーなのかもしれません。

「経済」の意味は「経世済民」、すなわち、「民を苦しみから救い、世を治めること」である。本当に重要なのは、モノやカネの総量ではなく、それらを取り巻く人間関係であり、相互の共感によって和らげられる苦しみや悲しみの総量、そして増幅される喜びの総量である。(2013年6月3日京都新聞夕刊「現代のことば」より)と堂目氏もいっています。

ついつい、目の前に見える現象ばかりに目を奪われ、本当に大切なことが見えなくなりがちです。だからこそ、自らの「ことば」「行動」そして「想い」にいつも注意を払い、何のためにそれをしようとしているのか、どういう意味で言うのか、なぜそう思うのか、平静な心で見つめる必要がありそうです。

「雲」

2013/07/20

夕方の園庭遊びでの出来事。「先生、見て見て〜。」と雲を指さしながら、Aちゃん。「 魚のウロコみたいで面白いね〜こっちは橋みたいだね〜」と見てると、「線路みたい〜」とB君(2歳児クラス)「掃除機の吸うところ(ホース)みたい」とC君(5歳児クラス)「歯ブラシみたい」とAちゃん(5歳児クラス)子どもの発想力は実に豊かで素晴らしく、日々驚かされます。そう話しているうちに、長い雲は風にとばされたのか、もう消えていた。その一瞬一瞬の子どもの心の声を大切にしていきたいです。

喜びのために

2013/07/20

自分の興味関心のあることについては、妬みの気持ちが起こることが多いようですが、そうでない場合は妬みの気持ちが起こることは少ないようです。例えば、特に親しいわけでもない他人の結婚式に参列するのとお葬式に参列するのでは、どちらを選びますか。と尋ねられたら、多くの人が結婚式と答えるのではないでしょうか。私たちはたとえ他人であっても、だれかの悲しみや嘆きに触れるお葬式よりも、喜びや祝福を感じられる結婚式に参列したいと思うのです。なぜなら、私たちには、人の気持ちを自分の気持ちのように感じる、つまり共感する能力があるからです。この共感によって人の悲しみを自分のもののように感じるし、反対に他人の喜びを自分の喜びとする事ができるからです。そこに妬みの感情が強く働くことがなければ・・・

誰かの喜びを自分の喜びとする事ができれば、ひとりで生きるよりも何倍も喜びを感じることができるし、悲しみを何分の一かに減らすこともできます。ですから、自分だけでなく他人の悲しみや苦しみが減り、喜びが増えることを喜びと感じ、そこに自分も貢献したくなるのです。前にこのブログで取り上げた、ボイスケアのど飴の開発も、開発チームの「声を使う人に喜んでもらいたい」という強い思いがあったからこそ、何度も挫折しそうになりながらも完成したのでした。

誰かの喜びのために自分も役に立ちたい。誰でもそんな気持ちを持っています。子どもたちが持っているそんな気持ちを発揮できる機会を増やしたいと思います。
夜回り先生として有名な水谷修氏が、苦しんでいる子どもたちが立ち直るための最初の一歩が、だれかに「ありがとう」といってもらう経験をすることだとおっしゃっていたように記憶しています。

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