2013年 5月

きょうのごはん

2013/05/13

・ごはん

・高野豆腐の煮物

・きのこサラダ

・赤だし

経塚巡拝

2013/05/13

今年もお寺の行事の一つ、経塚巡拝に参加しました。鞍馬山を取り囲むように設けられた経塚を一カ所ずつ巡ります。

経塚は、書写した経典を埋納したところです。如法経とか如法写経と言って、法華懺法という懺悔の行法を修した後に、心身清浄にて写経した法華経を埋納したのです。

朝9時に集合した人は、子ども2人を含む16名、道中の無事をお祈りしてから出発しました。前日までのはげしい雨がうそのように晴れ上がり、雲一つない青空が広がっています。見上げると、若葉が日差しに輝き、空の青に映えています。雨がほこりを洗い流してくれたからか、若葉も青空も透明感溢れる美しさです。天気予報は気温が高くなるという予報を出していましたが、朝の空気はひんやりとしていて気持ちが引き締まります。こんな日に山歩きができるなんてとても幸せです。ただ、全長12キロメートル、山を登ったり下りたりの行程は結構きついので、少しだけ不安はありましたが、そんな不安も青と緑の美しさがかき消してくれます。

参加した2人の子どもは小学校2年生の卒園児と当園の5歳児です。小学生は今回が初参加、園児は3回目です。子どもが複数になるとお互い励まし合える反面、どちらかが弱音を吐くと、2人ともくじけてしまう可能性もあります。出発から1時間半、向かいの山の尾根を目指して登る長い登りの途中で、ひとりが「足が痛い」「しんどい」と言い出しましたが、2人とも頑張って登り切りました。

心配していたのがヤマビル(山蛭)です。前日までにしっかりと雨が降っていて山に水分が多く、特に最初の山道は湿気の多いところなのでヒルが相当出てくるのではないかと心配していたら、思った通り蛭だらけでした。歩いている最中に足下を見たら、右足に3匹、左足に2匹といった具合にくっついていて、それを払い落としても20歩〜30歩進む間にまた登り付いてきているという状況でした。もちろん、足下を中心に吸血されにくいような対策は取っていましたが、ほおっておくとすぐに首筋位までのぼってくるので早めに払い落としていました。吸血されても特に害はないそうですが、出血がなかなか止まらないのでちょっと面倒です。しかしそんなにヤマビルがいたのは最初のじめじめした場所だけで、尾根道まで登り切ってしまえば、ヒルに悩まされることもありませんでした。

子宝

2013/05/12

大森貝塚を発見したことでも有名なアメリカの動物学者、エドワード モースは明治10年に初めて来日しましたが、日本の様子を見て「世界中で日本の子どもほど親切に大人から扱われている生き物はいない。こどものために深い注意が国全体で払われている。日本は子どもの天国である。」といった。ということを「世界一受けたい授業」武田鉄矢先生の新・教育白書で紹介していました。

現代はどうでしょうか?日本の子どもたちは大人から親切に扱われているでしょうか?国全体が子どものために深い注意を払っているでしょうか?この国は子どもの天国であり得るでしょうか?

日本には「子宝」ということばがあるように、子どもを宝だと考えていた。「子どもを宝として扱っていると子どもが宝になる。子どもを鞭で扱うと、子どもは動物になる」番組の最後に武田鉄矢さんのおっしゃったことばが印象的でした。

寺子屋が普及した江戸時代の日本の教育は世界的にも大変優れており、識字率も就学率もかなり高かったようで、明治期の識字率は世界最高水準だったそうです。

子どもを大切に育ててきた先人の智恵に学ぶところは多いのかもしれません。

学ぶ姿勢

2013/05/11

子ども主体といっても、ただただ何もしないで子どもを放任することではないのです。放任は、子ども主体を隠れ蓑にしたただの怠慢でしかありません。

「幼児をただ遊ばせている」だけでは教育は成り立たない。幼児をただ遊ばせているだけでは,幼児の主体的な活動を促すことにはならないからである。

と幼稚園教育要領には記されています。

子どもが、自分の周りの様々なことに興味関心を持ち、学ぼうとする心の動きを丁寧に感じ取り、環境を構成することが大切になってきます。子どもが自ら学ぼう、伸びようとする力、意欲を引き出すことが必要なのです。

子どもは、様々なことから学ぼうとしています。大人の都合で、学びの芽を摘まないようにしなくてはなりません。私たち大人はどうでしょう?様々なことから学ぶ姿勢を持ち続けているでしょうか。特に子どもから学ぶ姿勢をいつももっているでしょうか。「子どもは何もわからないから、大人がたくさん教えてあげなくては!」という大人目線、大人都合の罠にはまっていないでしょうか?いつも自分をふり返って見る必要がありそうです。

良い先生というのは、子どもから学ぼうとする。良い先生は良い生徒でもある。学ぶ姿勢を覚えると。どんなことからも学ぶことができる。

「世界一受けたい授業」武田鉄矢先生の新・教育白書で、武田さんがおっしゃっていました。

どんなことからも学ぶ姿勢、まずは子どもから学ぶ姿勢、そして、自分にとって不都合なことから学ぶ姿勢を、持ち続けたいものです。

「じゃーん」

2013/05/10

朝、いつも通り給食の準備をしていると、年長の女の子が給食室のドアをノックしました。

しかもニチャニチャ笑いながら立っています。

「どうしたの?」と尋ねると

「はい、しいたけ。」と言ってしいたけを渡してくれました。

でも、まだニチャニチャしています。

次の瞬間

「じゃーん。」とドヤ顔で出してきたのは、どでかいしいたけでした。

私たちを驚かそうと一生懸命演じてくれていたのでしょう。

とても可愛らしいひと時でした。

ひとりひとりの力

2013/05/10

広島県立安芸南高校サッカー部を指導していらっしゃる畑喜美夫先生は、子どもたちが自ら考えて練習をする。子どもたちの主体的、自発的な取り組みに重点を置いた練習方法で、前任校のサッカー部をインターハイ初出場にして初優勝に導いたそうです。

こんな練習方法について子どもたちはどのように感じているのでしょうか。インタビューを受けた部員は「先生がすぐに答えを出さずに、考えさせてくれるから2倍以上に成長できる。」「自分の好きなようにやらせてもらって、楽しんでいます。」とコメントしていました。

これができるのは、先生と生徒相互の信頼関係が根底にあるからです。畑先生は60人以上の子どもたちと毎日交換日記を交わしていらっしゃるそうです。子どもたちひとり1人に心を運び、寄り添い、それぞれにとって必要な関わりをされているのだと思います。そこからこそ信頼関係が生まれてくるのでしょう。

信頼関係の上に成り立つ、子どもが主体となって自ら考え判断し行動するという練習は体罰とは正反対のところにあります。強くなるために体罰を行うという理論は成り立たないということです。むしろ、体罰によって、成長の可能性の芽を摘んでしまうように思います。

畑先生が子どもたちを個人名で呼ぶという所に、武田鉄矢さんが注目してコメントしていました。「団体競技では、よく、選手をポジション名で呼ぶことが行われるが、そうすると、人間が道具化、記号化してしまう。だが、畑先生は選手を個人名で呼んでいる。個人名で呼ばれることによって個人の自覚が生まれる。ここには個人が団体を作るという先生の意識がうかがえる。」

ひとり1人の力が発揮できるように考え、環境を整え、子どもたちの持っているものを引き出すことで、ひとり1人が輝く、そんな個人が集まる集団が目的を共有すれば、それほど強いものはないということなのでしょう。

これは、なにもサッカーに限ったことではないと思います。

子ども主体

2013/05/09

体罰なんて全然入り込む余地のない方法で子どもたちが力を伸ばしている例がある。として、日本テレビの「世界一受けたい授業」武田鉄矢先生の新・教育白書(4月20日放送)で取り上げられていた高校がありました。

広島県立安芸南高校サッカー部、指導するのは畑喜美夫先生。部室や合宿所など、子どもたちが自主的に整理整頓している影像とともに映し出されていました。「自主的」「強制ではない」というテロップがながれ、子どもたちが自主的に整理整頓した場が映し出されていました。

畑先生は、「体罰をすることによって、人に言われなくては動けない指示待ち人間になってしまう」とおっしゃっていました。大人がやらせるのではなく、子どもが自ら主体的に動くことこそ子どもの実力に繋がるという発想だと思います。

サッカー部の練習メニューは1週間のうち土日が試合、月曜日から金曜日までの5日間で全体練習があるのが2日だけ、後の3日はフリーで、練習したくなければしなくても良いのだそうです。それで本当に強くなるの?と思いがちですが、畑先生は、子どもたちがフリーの時間に次の練習をどうするか、子どもたちが自分で考えるベースとなる時間をできるだけ多く取ることを目指していらっしゃるそうです。子どもたちが自分で考えるということがキーワードです。

週に2日しかない全体練習も、自分たちで決めた練習メニューをキャプテンが説明、子どもたちが自主的に練習をしていて、先生はそれをじっと「見守る」というスタンスです。そして、時々ひとり1人を呼んでは、なぜうまく行かなかった?何が悪かったと思う?と質問し、子どもたちが自分で答えを出せる環境を整えていらっしゃいました。そして、問題点は生徒同士で話し合うようにされていました。

印象的だった先生のコメントは、先生が「先走って言ってしまった時は、子どもたちの判断する場面を奪ってしまったな。失敗したな。と思う。そこをもっと我慢して、子どもたちが動き出す瞬間を大事にしてあげる。」ということでした。

先生が、ぐっと我慢することで、子どもたちが問題点を洗い出し、改善方法を見つけ出していました。先生は「僕の言おうと思っていたことはほとんど子どもたちが言っていた。」とおっしゃっていました。

徹底的に子どもたちを信じ、子どもたちの主体性に任せ、子どもたちが自ら考え、判断する機会をできるだけたくさん作り、そして子どもたちが自ら動き出すのをじっと我慢して待つ。そんな姿勢が、子どもたちの力を引き出すのでしょう。

こんな育て方こそ、当園が目指しているところです。体罰とまでは行かないにしても、どうしても大人の都合で、大人の思うように子どもを動かしたくなる。自分がやらせたい気持ちを抑えるのではなく、「教える」という美しいことばでくるんで、大人の我が儘を押し付けていないか、もう一度内省する必要がありそうです。

きょうのごはん

2013/05/09

・ごはん

・ウィンナー炒め

・ブロッコリーのサラダ

・いとこ汁

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