2013年 4月

シャベルカ—に乗っているおじさんに憧れて(H君)

2013/04/20

「先生、ちょっと待っててな!工事現場にお仕事、行ってくるわ〜」おはようの時からシャベルカー見に行く〜と言っていたH君。本当にシャベルカー、ダンプカー、クレーン車の三台が園の前を通ってお山に上がって行って、3つも上がっていった〜と大興奮

良いお天気の日に、長靴を履いてきたHくんに「今日は長靴を履いてきたの?」と聞くと、「おじさん長靴履いてるから〜」

年度末に、「もうすぐしたら一つお兄ちゃんお姉ちゃんになって、さくらぐみさんだね〜」と話していると、
「もうすぐ、おじさんなる〜」と。

年度最初の日も、「おじさんになった〜」と、さくらぐみバッチを受け取ってました。

理想像

2013/04/20

「自分がどんな人になりたいと思っていますか?」そう聞かれたら、皆さんはすぐに答えられますか。先日、ある会社の社長さんの話を聞いたときに、そんなことをおっしゃっていたので、自分に照らして考えてみたのですが、すぐに適切なことばが見つかりませんでした。

その方は「この人に会えて良かった」と思っていただける人になりたい。とおっしゃっていました。そんな人になれたらどんなにステキでしょう。会っただけで、明るくなれる、話しをすれば元気がもらえる、勇気づけられる。そんな人になれたらいいですね。その方が、具体的にそうおっしゃっていたわけではありませんが、「この人に会えて良かった。」から私が想像したのは、こんなイメージでした。

自分自身はどうかと言えば、まだまだというより、全くだと思います。理想の自分の姿をしっかりとイメージできないと、そこに近づくことはできません。理想の自分をイメージし、現実の自分をしっかりと認識し、そのギャップを埋めてゆく学びを増やす必要があるのでしょう。

当園の目指す子ども像は「自ら考え、判断し、行動できる子」「相手の気持ちを受けとめられる子」「自分の気持ちを伝えられる子」「感謝の心を持てる子」「ゆっくりと深くいのちを感じられる子」というものです。ちょっと抽象的すぎるかもしれません。特に最後のは意味がわかりにくいかもしれませんね。「誰かのステキなところ、その人にしかできないところをしっかりと感じ、見つめることができる」と言い換えると良いかもしれません。

子どもだけではなくて、ある意味、自分自身がこういう人でいたいと思います。なかなか近づけませんが、自分がそれを目指さずに、子どもにそうなってほしいというのは、おかしいなのではないでしょうか。

もう一度、原点に戻って、自分自身を見つめ、理想像をはっきりと見据え、前進してゆきたいものです。

目指すところ

2013/04/19

ある社長さんのお話を聞く機会がありました。仕事をする上で、生きてゆく上で大切なことをいくつか教えていただいたので、紹介します。

あるがまま
いつも100パーセント完璧にいろいろなことをしておきたいと思っていたら、体調を崩し、お医者様に診てもらったら不安神経症と言われた。原因は何かと尋ねたら、「性格や!」と言われたので、それなら治そうと思った。そんなとき、「あるがままで良い」というアドバイスをいただき、あるがままの自分を受けとめることから始めようと決心した。と話していらっしゃいました。
自分にも当てはまるところがたくさんあります。あるがままの自分でいるって簡単なようですが、私にとっては難しいことです。自分自身の心を見つめ続けるということなのでしょう。
また、性格を直すには毎日の癖を変えるしかないともおっしゃっていました。自分自身をちゃんと知った上で、自分の癖(毎日の習慣)を変えてゆく必要がありそうです。

全てのことは必要があって起こっている
良いことも、良くないと思われることもいろいろなことが起こるが、全ては何かの意味があり、自分に必要だからこを起こっている。自分が智慧をもっていれば、悪いことであれば半分にすることはできるし、良いことは倍にする事ができる。今起こっていることは、天から何をしなさいと言われているのだろう?と考えるようにしているとおっしゃっていました。
これこそが、悪いことを良いことに変える力なのではないかなと思いました。

自分自身が普段から思っていることと同じことを他の人から聞き、その人もそれに向かって努力していらっしゃることを知ると、勇気が湧いてきます。

きょうのごはん

2013/04/19

・ライスコロッケ

・ささみのさっぱりサラダ

・スープ

・バナナ

もう、お姉さんだね

2013/04/19

おやつにバナナが出たときのことです。

年少クラスのSくんはバナナの皮の剥き方が分からないようで、困った表情を浮かべていました。

そんな彼の様子に気付いたのは年中クラスのYちゃん。

Yちゃんはバナナを持ってSくんの横に座り

「バナナの皮はこうやって剥くのよ!!」と言うと、房の付け根の部分を持ち、

グイっと引き下げて皮を剥きはじめました。

それを見たSくんは、Yちゃんの何倍も時間をかけて自分でバナナの皮を剥くことができました。

 

昨年度は年中・年長クラスのお友達にたくさんの事を教えてもらっていたYちゃん。

そんなYちゃんがお姉さんになった姿を見て、ジーンと心があたたまりました。

これからもそんな姿が見られるのかな、と考えるとワクワクします(*^。^*)

関わり

2013/04/18

新しい年度がはじまって20日が過ぎようとしています。新入園児さんたちが一日も早く園に慣れることができるよう、先生方が努力してくれているので、新入園児はずいぶん園に慣れてきて、泣き声もほとんど聞こえなくなりました。

新メンバーを迎えて、子どもたちにもいろいろな姿が見られます。泣きじゃくる新入園児の頭をなでなでしてをそっと慰める1歳児、ついこの間まで赤ちゃんって感じだったのに急に大きくなったように思えます。

勝手のわからない新入園児さんに、懇切丁寧にいろいろなことを教えている姿もよく見かけます。

ある日、子どもたちが園庭で遊んでいました。私は外出しようと、園庭の入口の前を通ると、昨年度から園にきている1歳児と今年入園してきた2歳児(だったと思います)が2人で遊んでいました。ニコニコ笑いあいながら遊んでいるので、しばらく見ていたら、おもちゃの取り合いがはじまりました。もみ合った後、おもちゃを手にした新入園児さんが、そのおもちゃで相手の頭をこつん。たたかれた方は泣き出してしまいました。するとどこかから4歳児の女の子が現れ、泣いている子を慰めています。

どこかでその様子を見ていたのでしょう、5歳児の男の子がツカツカとやってきて、たたいた子に何か言っています。どうやらたたいてはダメだといっているようです。大きなお兄ちゃんに言われてびっくりしたのか、たたいた子も泣き出してしまいました。そしたら、別の4歳児の女の子がやってきて、泣き出した新入園児さんの手をつないであげていました。

こうやって書くと長いのですが、あっという間の出来事でした。2人のおもちゃの取り合いにいろいろな子が自ら関わって、慰めたり教えたり、その場その場でのそれぞれの役割を果たしているのだと思いました。

きょうのごはん

2013/04/18

・梅ごはん

・豆腐の煮物

・いものきんぴら

・のっぺい汁

じりつ 2

2013/04/17

自立とは、全く依存しないことではありません。しがらみを切ることが自立だと勘違いして、まわりとのつながりをどんどん絶ってゆくと、誰にも依存していないように見えるかもしれないが、それは自立ではなく孤立です。そもそも、人間が自分ひとりだけの力で生きてゆけるはずがありません。いろいろなものやヒトに依存してというより、助け助けられることが必要なはずです。

小児科医 熊谷晋一郎氏はご自身が脳性麻痺のために車いすの生活をされています。インタビュー記事が東京都人権啓発センターのホームページにありました。

地震でエレベーターが止まり、逃げ遅れた体験からこんなことをおっしゃっています。一部引用します。

“障害者”というのは、「依存先が限られてしまっている人たち」のこと。健常者は何にも頼らずに自立していて、障害者はいろいろなものに頼らないと生きていけない人だと勘違いされている。けれども真実は逆で、健常者はさまざまなものに依存できていて、障害者は限られたものにしか依存できていない。依存先を増やして、一つひとつへの依存度を浅くすると、何にも依存してないかのように錯覚できます。“健常者である”というのはまさにそういうことなのです。世の中のほとんどのものが健常者向けにデザインされていて、その便利さに依存していることを忘れているわけです。実は膨大なものに依存しているのに、「私は何にも依存していない」と感じられる状態こそが、“自立”といわれる状態なのだろうと思います。

大変興味深く読ませていただきました。

当園の「子ども像」に、自分で考え、自分で決定し、自ら行動するというのがありますが、決して他とのつながりを切り捨てることを目指しているのではありません。子どもが、自分のできる事とできない事をちゃんとわかっていて、できる事は自分でするが、できない事は誰かに頼むことができるのが自立だと言われています。自立の前提には、自分のことをわかる自己認識が必要なのです。これは、子どもに限ったことではないと思います。

きょうのごはん

2013/04/17

・ごはん

・豆腐ハンバーグ

・和風サラダ

・ポパイスープ

じりつ 1

2013/04/16

「じりつ」ということが言われます。じりつには「自立」「自律」があります。「自」はもともと正面から見た鼻の形で、自分自身を指すときに鼻を指さしたり、鼻を触ることは昔も同じだったようで、そこから、「みずから、おのれ」の意味になったそうです。「立」は手足を広げて立つ姿を現す「大」と立つ位置を表す「一」とが組み合わさっています。「律」は筆の意味で一律に交付するという意味をしめし、「のり、おきて、さだめ」の意味となったそうです。(常用字解より)

自立 他の助けや支援なしに自分の力でものごとをやってゆくこと
自律 自分の行為を主体的に規制すること。外部からの支配や制御から脱して、自身の立てた規範に従って行動すること。

と辞書にはあります。

自立って何でしょう?
河合隼雄氏は日本人は西洋から入ってきた自立という概念を、なんでも人に頼らず自分でおこなうこと、そのためにはしがらみを切り捨ててゆくことだと誤解してしまった。依存を否定することが自立になると誤解した。そしてそれをやっているうちに、繋がっているべき家族がバラバラになってしまい、自立するつもりが、孤立してしまった。
誰にも依存せずに、ひとり1人がバラバラになることが自立ではない。誰にどのように依存しているかをよくわかっていて、依存したことに感謝できる人が、自立しているということだとおっしゃっていました。(河合隼雄講話集)

ヒトは1人で生きてゆくようにはできていないようです。自立する部分と依存する部分があると言うことは、お互いを尊重しつつ助け合うということだと思います。

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