2013年 1月

キラキラ

2013/01/05

1、2歳児でお散歩に行く時の事。その日は晴れてはいたのですが、雪がチラチラ降っていました。

なのでみんなの準備が出来るまで待っている時に、何人かのこども達と「みて〜、雪がキラキラしてるよ。お日様に当たって綺麗やなぁ」と見ていたんです。

すると一人の男の子が下にあった水たまりを指差して「みて!お水も光ってる!お日様出てたらなるねん!」と。

そんな事に気づけるのすごい!と思ったのと、こんな事にたくさん気づける保育したいなぁ。こんな豊かな感性を育てたいなぁと改めて感じながら散歩に出発した日でした。

凍結に注意

2013/01/05

1月5日(土)
道路の積雪はありませんが、凍結に注意してください。

本心

2013/01/04

1月4日の朝は本格的な積雪になりました。といっても10センチから15センチくらいの積雪量です。今朝の気温は氷点下3度でした。日中も雪が降り続き気温は1日中氷点下でした。朝から1時間ほど雪かきをしたあとで最初に雪かきをしたところに戻ってみると、既にうっすらと雪が積もっています。雪かきはたいていこんな感じです。

でも、朝から身体を動かしたのでとてもさわやかでした。枝からさらさらと落ちる雪が朝日を受けてきらきらと輝く美しさに出会うこともできました。自然の姿は美しいですね。

真っ白な雪のように純粋な本心、誰もがそんな心を持っているのだと思います。全ての人がそれぞれに持っているステキな部分です。そんなステキな部分をしっかりと見つめられると良いと思います。

「気になる子ども」ということばがよく使われます。もちろん、特別なケアが必要な子もいますが、大人の価値観に合わないと気になってしまうこともあるように思います。一人ひとり違う子どもの一人ひとりの純粋な本心を見つめることができれば、どんなにステキでしょう。

法華経というお経の中に常不軽菩薩品という部分があります。常不軽菩薩という菩薩が、全ての人を「あなたは仏様になる方です」と尊び拝んだということが書かれています。常不軽という名が表すように、常に全ての人を尊び軽んずることがない。たとえ罵られても傷つけられても、常に全ての人を礼拝するという行を行った菩薩です。
法華経などの大乗仏教の経典では、全ての人が仏様になる性質「仏性」を持っているということが説かれます。

それぞれが持っている、純粋な本心はこの「仏性」に通じるように思います。常不軽菩薩のようにはできませんが、全ての人を尊ぶ心を持てると良いと思います。そうすれば、誰あろうその人自身がもっとも幸せになれるのではないではないでしょうか。

自分に素直に

2013/01/03

こうありたい自分、ああなりたい自分、目標をもって努力することは、大切なことだと思います。

しかし、「〜でなければならない!」と頑になってしまったり、肩に力が入りすぎると、無理が生じてきます。あまり自分が無理をしすぎると、あれもしなければならない、これもしなければならないと負担感ばかり大きくなって、楽しくなくなってしまいます。そうなると、ついつい周りの人たちにも無理をさせようとしてしまい、周りの人も楽しくなくなってしまいます。

そうならないためにも、自分の本心のままに、自分の本心に素直に考え、話し、行動すると良いのかもしれません。「自分に素直に」ということです。

どうしても、「園長はこうあるべきだ」という立場で話をしたり、「人からよく見られたい」という我欲から、様々な都合やしがらみに縛られ、変な計算をしてしまったり、事情に流されてしまいます。そういう余計なことに気持ちを使ってしまうことで、自分の本心が見えなくなってしまうのだと思います。

自分に素直にというと、気まま、わがまま、好き勝手と誤解されそうですが、そうではなく、自分自身の心の奥底にいる本来の自分の声を聞く、言い換えれば、魂の声を聞くということなのかもしれません。

人は一人ひとり異なる存在です。ということは、一人ひとり自分の役割を持って生まれてきているのです。だから、ひとり一人がそれぞれに尊いのです。その本来の役割というのか使命というのか、それを果たす事が幸せや楽しさにつながるのではないでしょうか。その人にしかない役割、使命に忠実に生きる。そのことが自分に素直にということだと思います。言い換えれば、しっかりと自分の魂に向き合うことなのかもしれません。

しかし、自分自身というのはとてもわかりにくいものです。自分の本心とは何か、自分の魂は何を求めているのか。自分の使命は何か。それを知るためには、周りにくっついた余計なものをはがしてゆく、取り除いてゆく必要があります。というより、余計なものは見ないで本心だけを見つめることができれば良いのだと思います。いつもいつも自分に問いかけることがその方法なのかもしれません。

やわらかく・あかるく・あたたかく

2013/01/02

元旦の初日の出を拝むことができました。太陽からの強くまぶしい光と温かさが心まで届き、今まですっきりしなかった部分を照らし出し、氷のように固まっていたものを少し溶かしてくれたように感じました。太陽のように明るく温かい心でいなさいということだと感じました。

2日の朝は前日のような冷え込みは和らぎました。空はよく晴れていましたが、山々には少し雲か霧がかかっていたのでしょう、近くの山は濃い色に、遠くの峰は薄くかすみ、濃淡のグラデーションがまるで水墨画のお手本のようです。

比叡山の上に、オレンジ色のまあるい太陽が昇ってきました。昨日のように眩しく強い光ではなく、穏やかな美しさです。

強く輝くときもあれば、やわらかい光で包んでくれることもある太陽。内に明るく強い光と熱さや温かさを、外にはやわらかい光と温かさ。心に太陽ではありませんが、そういられると良いと望んでしまいます。

初日の出

2013/01/01

お寺で除夜の鐘をつきました。気温は氷点下3度、雲ひとつない星空には冴えざえとした月がかかり、シャープな光を投げかけています。冷たい空気が凛としていて、自ずと気持ちが引き締まります。ついさっきまで平成24年をふり返っていた私には、反省したことをしっかり心に刻んだか。と月に問われているように感じられてなりませんでした。ふり返ってはみたもののどこかスッキリしないところがあったのかもしれません。百八回の鐘をついて百八の煩悩を除くといわれる除夜の鐘、一年間の罪過ちを悔い改めることができたでしょうか。

どこかスッキリしない気分を持ち越したまま、迎えた元旦の朝。
強い寒気が入り込んでいて、雪の可能性もあったのですが雪は全く降らず冷え込みました。近年珍しく快晴で迎えた元旦の朝、初日の出を拝もうとたくさんの方が、お寺の本殿前にいらっしゃいました。
東に望む比叡山の向こうの空が明るくなり始め、徐々にオレンジ色に変わってゆきます。そのオレンジ色がさらに明るくなってきて、ついに太陽が顔を出しました。その瞬間、金色の光の束が、ドーンとこちらに向かってきました。そしてどんどん光量が増してきます。金色の光に包まれていると、どこか別の世界にでもいるようで、太陽に向かって自然に手を合わせていました。そうしていると、とてもやわらかくあたたかい何かで心が満たされてゆくような感覚がやってきて、うれしさがこみ上げてきます。そこにいらっしゃる大勢の方々も同じように感じていらっしゃるのだろう。なぜかそんな確信にも似た思いをもちました。

そして、それまで心に引っかかっていた何かが、氷が溶けるようになくなってゆく気がしました。太陽から明るさとあたたかさをいただけたのだと思います。

「太陽のようにあたたかい」そんな自分でいられる1年にしてゆきたいものです。

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