2012年 11月

みんな一緒に外で給食!

2012/11/05

とても天気がよくて風が気持ちいい日に外で給食をみんなで食べました。そんな日の心温まるお話。

その日の給食はボルシチでした!さくら組(2歳児)の女の子はボルシチにウィンナーがひとつしか入っていなくて少しご機嫌ななめ・・・でもウィンナーのおかわりがほしくて苦手な野菜もあっという間に食べ終わりいよいよおかわり!保育士もその子が頑張って野菜も食べたこともあり、ウィンナーを3つも入れておきました。ところが・・・隣に座っていた1歳児の男の子がパク!パク!パク!つまみ食い・・・女の子は保育士に「○○ちゃんが食べはったよ~」と言いながら少し泣きそうになっていました。

男の子にも説明をしてもう一度おかわりに行ったのですが残念ながらボルシチの中にはウィンナーがなく、ちっちゃなちっちゃな端っこだけ・・・もちろん女の子は納得がいくはずもなく、ますます泣きそうになっていました。

するとその日は幼児クラスも園庭で食べていたのですが、ゆり組(5歳児)の女の子が「ウィンナーあげよっか?」と声をかけてくれました。しかも「大きいのんいいよ!」とまたまたうれしい言葉!普段は友達のお皿からもらうことはしないのですがその日は特別にもらっちゃいました。

後から聞いたところによると、年長の女の子はその日「ウィンナーたくさんいれて!」と言っていたようです。自分も好きだったのに譲ってくれた気持ちにうれしくなりました。

お楽しみ会 2

2012/11/04

お楽しみ会のコーナーはまだまだあります。保護者と一緒に参加していただくことになっているので、お父さんやお母さんと各コーナーを回ります。お店の店員さん役やコーナーの担当は前半と後半で交代するので、店員さんもお客さんも両方経験できます。

  さかながうまく釣れるかな?

1階の一番奥の0歳児が使っている部屋には大きな池が出現、中にはおさかなが泳いでいます。もちろん紙で作った魚ですが、それをうまく釣り上げるとおさかなには景品がくっついていて、夜店の金魚釣りといった感じです。磁石で簡単にくっつくものとクリップを引っかけて釣り上げるものの2種類の難易度があって、子どもたちが挑戦していました。

秋祭りのおみこしを作ろうコーナーは、コーナーに来た人がダンボール製のおみこしに思い思いの飾り付けをしてゆきます。みんながそれぞれに飾り付けるので、最後がどうなるのか誰にもわかりません。

  思い思いに飾り付けたおみこし

親子で作って遊ぼうのコーナーでは、おみこしが出るときにみんなでたたく太鼓をつくりました。プラスティックでできた植木鉢を胴にして、ビニールシートの皮をロープで張ってゆきます。これはかなり難易度が高いので、必然的に保護者の方に作っていただくことになり、一生懸命とりくんでいらっしゃるお父さんお母さんの姿が印象的でした。子どもたちはできあがった太鼓に飾り付けをします。

そして、飲食コーナーでは、給食のメニューの一品、大根おろしと野菜がたくさん入った「おろし汁」を担当になった親子がサーブします。

 かなり大きめの小学生用の太鼓

「おろし汁」をもらって室内でも、園庭でも食べることができます。汁物だけではおなかがすくので、各家庭から自分の食べる分のおにぎりを持って来て頂いて、おにぎりと、おろし汁がお昼ご飯です。ちょうど給食の試食も兼ねられます。

おたのしみ会 1(10月27日分)

2012/11/03

おたのしみ会という行事を行いました。子どもたちをまん中に保育園にかかわるみんなが楽しく過ごすために、保護者の有志と保育士が実行委員会を結成して、企画から準備、当日の進行や様々な段取りまで行いました。目標は「参加者がそれぞれに楽しむこと」です。子どもはもちろん、実行委員として頑張ってくださった保護者、仕事が忙しくて実行委員はできなかったけど当日にお手伝いいただく保護者、当日参加してくださる保護者、そして職員も楽しく過ごします。それぞれがそれぞれのできるやり方で参加し、協力する行事です。

夏前から保護者の実行委員を募集して話し合い、全保護者にアンケートを取って、何度もミーティングを重ねて企画を練っていただきました。その結果、秋祭りをイメージした様々なお店やコーナーがあって、何かを作ったりゲームをしたり飲食できるスペースがあったり、やきいもも作ろうということになりました。

どんなお店をオープンさせようか?実行委員がアンケートをもとに相談して決めてくださったのが、大型迷路、おもちゃのさかなつり、おみこし作り、たいこ作りでした。

   カラフルなテントウムシ

テントウムシのおなかには名前

学童保育の小学生は、自分たちで紙粘土を使って作った様々な色のテントウムシのマグネットを景品にした、くじびきのお店を出していました。くじを引くと、カラフルなテントウムシのうちの1つがもらえるというものです。どの色のテントウムシがもらえるのかはお楽しみです。

    保育室が迷路に

大型迷路は、2階の幼児室にダンボールで迷路を作るという趣向です。ただのダンボールの壁が立っているだけではおもしろくないので、あらかじめ、子どもたちが保育の時間を使って自由に絵を描きました。大きなダンボールに好きに描いて良いということで、子どもたちはホントに自由に楽しそうに描いていました。表現するってこういうことなのだろうと思います。もちろん保護者の方も描いてくださいました。みんなで作った迷路にはブラックライトに照らされて、怪しく輝くお化けもいました。

企画もさることながら、準備がかなり大変なのですが、実行委員を中心とした保護者の有志が連日のように来園して準備を進めてくださいました。その手際の良いことと、皆様のパワーには驚きました。

ご協力いただいた保護者の皆様お忙しいところありがとうございました。

秋のみのり

2012/11/03

    畑に残った黒豆

秋が深まってきました。山の木々の葉も少しずつ色づきはじめています。雨が降るたびに季節が進み、今朝の気温は6度。もう冬といっても良い気温です。これからは様々な自然が冬支度をはじめ、その変化が私たちを楽しませてくれることと思います。

保育園の畑も様子が変わりました。まるでジャングルのようだった畑も、大豆以外の植物はほとんど影を潜めて目立たなくなりました。もちろんシロバナサクラタデ?など他の植物を少し刈り込んだこともありますが、その他の草もみごとにかさがひくくなり、大豆だけが元気に繁っています。その大豆も、葉が黄色くなり、

    軒下につるした大豆

豆のサヤも茶色になってきたので、思い切って収穫しました。園庭の軒下につるして、乾かしています。乾いたものは子どもたちが、中の豆を取り出してくれました。小さいもの、大きく育ったものなど様々です。ちゃんと大豆の色になって形も丸くなっています。ついこの間まで枝豆で食べていたのに、あっという間に大豆に変身してしまいました。当たり前のことなのですが、自然って不思議です。収穫できた大豆は来年、畑に蒔く種を残して、何とかして子どもたちと美味しく食べようと思います。どう調理すると、大豆の味を活かして美味しく食べられるのでしょう・・・悩んでみようと思います。

    こんにちは、おまめさん

収穫したのは普通の大豆で、黒豆はまだ青々として繁っています。サヤはまあるくふくらんで、黒豆くん達がなかで大きく育っていることが外から見てもわかります。まだ、葉もサヤも青いのでもうしばらくは畑にいてもらおうと思っています。黒豆を収穫するのも楽しみです。

ひとつだけ実をつけたナスは種を取ろうと思って、そのままにしてあります。これ以上大きくなるわけでもなく、外観はあまり変わらずに相変わらずぶら下がっています。少し前に花を咲かせていましたが、さすがにこの季節には実を結ぶことはないと思います。

    来年芽が出るかな

トマトは、まだ青い実もいくつかあって、徐々に熟してきています。2つ3つと少しずつ収穫できるので、調理員さんにお願いして、どこかで使ってもらうようにしています。

見る 4(10月26日分)

2012/11/02

顔情報を処理するためのプロセスがあるそうです。まずは一次処理、顔を見つけるプロセスです。そういえば、普段でもいろいろなものを見ている中で顔に見える物ってたくさんあります。丸い形が目、鼻、口のように並んでいるだけで顔に見えたりします。私たちは無意識のうちにいろいろなものに顔を見つけようとしているかもしれません。このどこか顔みたいと思って見ることが、この一次処理にあたるのだと思います。

そして、holistic processingといって顔を顔として顔全体でとらえることが必要というか、顔は全体として見るようになっています。

こんなことをしてみると、私たちは顔を部分ではなく、全体としてとらえているのだと言うことがよくわかるそうです。

2人の有名人、AさんとBさんの顔写真を鼻の辺りで上下に切り分けて、Aさんの上半分(目の部分)とBさんの下半分(口の部分)をくっつけます。AさんとBさんの顔を上半分と下半分で合成するのです。Aさんの目の部分とBさんの口の部分を少しずらしてく置くと、Aさんの目だ、Bさんの口だとわかるのですが、鼻や輪郭など合わせて、ひとつの顔にしてしまうと、全く別の人の顔に見えてしまい、ずらして置いたときほどAさんの目、Bさんの口だとはわかりにくくなります。

このことは、顔を認識するときは、全体として見ているということです。それぞれの部分ではなく、全体として認識するのが、顔認識の特徴だということがわかります。

そうして、顔を全体と把握した上で、違う人の顔が違う顔だと認識するのだそうです。

私たちにとって顔を見ることが、他のものを見ることと異なるということは、全く考えてもいなかっただけに、山口真美 中央大学教授の講義の内容はとても新鮮で、興味を持ちました。

非日常 6

2012/11/02

病院では、入院中の患者さんが快適に入院生活を送り治療に専念できるように看護師さんは、担当の患者さんのところを回るたびに、患者さんの病状をチェックすると同時にいろいろな要望を聞き、その都度丁寧にそのニーズに応えていらっしゃいました。引き継ぎや情報共有がしっかりできているのでしょう。他の看護師さんもちゃんとそれに対応してくださいます。例えば、私が前日に明日10時に外出したいと許可を申請すると、治療に問題がなければ、朝の点滴の開始時刻を少し早めるように配慮してくださいます。そしてその情報がちゃんと引きつがれ、早い時間に点滴を開始してくださいました。もちろん、名前など同じことを何度も聞かれることもあります。しかしそれは、間違いを少なくするための仕組みなのだと思います。

入院中、看護師さんには本当に良くしていただきました。看護師さんも漢字は違いますが「看護(みまもる)」ひとです。患者さんが自分の力で治癒してゆくために、必要なところは助け看護(みまも)ってくださいます。最終的には病は、その人が、その人の心と体が自分の力で治してゆくのです。

保育も同じだと思います。子どもが自ら育ってゆくのです。子どもの自ら育ってゆく力を信じて見守ることが必要です。看護師は英語で“nurse”ですが、保育士も“nurse”と訳されることがあります。“child care person”とも訳されます。

もともと“nurse”はラテン語が語源だそうですが、現在使われている「病人を看護する」というよりも、「子どもを養育する」という意味で使われることが多かったようです。英語の“nurture”(育てる、養育する、促進する、助長する)という語も同じ系列の語です。

看護師さんが患者さんを看護(みまもる)ように、保育者も子どもを見守(みまもる)のですね。ことばが共通するように、役割にも共通性があるのだと思います。

保育者は子どもが自ら育つことを促すことがその主な仕事なのです。病気になった人が自分の治癒力で治ってゆくことを看護ると同様、保育者は子どもが自ら育つことを信じて見守る必要があるのです。そのことを忘れることなく、さらなる向上を目指して仕組みを見直し、改善点があれば、どんどん良くしてゆきたいと思います。

2012/11/02

先日、遠足がありました。

お弁当や着替えの入ったリュックを大きな木の下に置き散策に出発!

思う存分遊び、いよいよお楽しみのお弁当タイム。

しかしその時、リュックを置いた場所からはだいぶ離れたところに移動していました。

そこで子ども達に「お弁当どこに置いてきたか覚えてる?」と聞いてみました。

木のところって答えるかなあ?と思っていると…

2歳児の女の子が「風」と答えました。

そういえば、あの大きな木の辺りはびゅーん!と風が吹き抜けていました。

なんだかとっても素敵だなあ。

見る 3(10月25日分)

2012/11/01

私たちは視覚を使って様々なものを見ますが、実は顔を見ることは他のものを見ることでは、情報処理のしくみがずいぶん違うようです。普通、目から入った情報は主に脳の視覚野というところで処理されるのですが、顔の情報は脳の紡錘状回という部分で処理し、上側頭溝という部分で他者の視線に関する情報を処理しているといわれています。自閉症の人の中には紡錘状回の反応が弱い人がいるそうです。表情が読むのが苦手といわれるのはこんなところにも原因があるのかもしれません。

それにしても、私たち人間にとって顔を見ることは、他のものを見ることとはずいぶんと意味合いが違うようです。それは、社会を構成するためには他者の顔や表情を手がかりとして、他者の心を読む必要があったからではないでしょうか。社会のなかで生きてゆくために必要な能力は、私たちのあらゆるところに備わっているのです。そして赤ちゃんはそれらを自ら発達させるようになっているのです。私たち保育者には、赤ちゃんが思う存分発達できるような環境を整え、見守る義務があるのです。

顔情報の脳での処理方法は他の物を見たときと異なるということは、もともとそうなのでしょうか。それとも赤ちゃんのうちから顔を見ることが多いので、学習効果によってそうなるのでしょうか。そんなことを実験した人がいるそうです。結果は顔以外のものでも、集中的に学習すれば、顔を認識するのとおなじ脳の部分が活動するそうです。

実験は、似ているけれども少しずつ形の違う、顔には見えない形の4種類の人工物を使い、ひとつずつに名前をつけて、名前と形を覚えるようにします。そうして名前をつけて覚えたものを見たときは、顔を認識するのと同じような認識の仕方をするそうです。ブリーダーが自分の育てている動物を見たり、バードウォッチャーが鳥を見るようなときも同じです。ここでは、名前をつけるなど愛情、愛着を持って関わることがポイントだそうです。人間でなくても、生き物でなくても、愛情を持って接するものについては、脳は顔と同じような認識の仕方をするのです。

非日常 5

2012/11/01

病院の治療計画や看護計画は、そこに関わるスタッフ全員が熟知していないと治療どころか患者さんのいのちに関わります。その計画を立てるためにも、患者さんの今の状況を把握する必要があります。そのために、いつも細かく、容体を把握しなくてはなりません。看護師さんは何度も体温、血圧、その他様々なことを細かく調べて記録していらっしゃいました。

全ての患者さんに対してなのだから大変だなと思いましたが、今は、病院もIT化されています。ナースステーションにはパソコンがずらり、点滴を交換するときも、患者さんの腕につけられたバーコードと点滴薬のバーコードを小さな端末で読むだけで、どの看護師さんが、いつどの患者さんの点滴薬を交換したのかが瞬時に記録され、サーバーに記録され、カルテに反映されるそうです。体温や血圧などの情報もその端末から入力していらっしゃいました。もしその記録を訂正したら、訂正したことも記録されると看護師さんはおっしゃっていました。医療過誤を防ぐ工夫がされています。

診察の時も、お医者様が、ついさっき撮影したCTの画像を診察室のモニターで見ながら、説明してくださいましたし、エコーの画像も見せて詳しく説明してくださいました。

技術の進歩により、様々なことが詳しく細かくわかり、症状の把握や治療に役立ったり、医療過誤の防止につながります。こういった技術の進歩をうまく活かしながら、かつデータだけではなく、ひとりの患者さんを頭の先から足の先までそして心までも、ひとりの人間として全体でとらえて治療も含めたケアが大切なのだと思います。

そのためにも、ケアする人たちがしっかりとチームを作り、情報共有する必要性があるのですね。

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