・筑前煮
・ねばねば汁
2012/10/04
2012/10/04
先日、鞍馬小学校で演劇を鑑賞する機会がありました。「劇団 俳小」 という劇団の巡回公演です。パンフレットによると劇団 俳小は、昭和49年に早野寿郎、小沢昭一などが中心となって活動していた劇団俳優小劇場がそのスタートです。欧米の演劇から、日本の古典、新作、詩や小説をそのまま舞台にのせるなど、一定の演劇理念にとらわれない幅広い演劇活動を続けながら、舞台芸術の原点を探る演劇創造集団として定評があるそうです。
最初、公演案内のチラシを見たときには、どういう経緯で東京の劇団が、鞍馬小学校で公演してくださることになったのか不思議でした。実は文化庁の行う「次代を担う子どもの文化芸術体験事業ー巡回公演事業ー」で、小中学校で一流の文化芸術団体による巡回公演を行い、優れた舞台芸術を鑑賞する機会を提供することにより、次代の文化の担い手となる子どもたちの発想力やコミュニケーション能力の向上につなげることを目的とした事業です。
教頭先生がの事業に応募されたところ、ご本人も驚かれるくらい順調に鞍馬小学校での実施が決まったそうです。
上演された作品は「トキワ荘の夏」(竹内一郎作・演出)です。昭和30年、東京都豊島区にあるアパート、トキワ荘に集まった若い漫画家たちの物語。漫画家たちが語り合いぶつかり合い悪戦苦闘しながらも子どもたちの夢と希望のために、自分たちの夢と希望と情熱を込めて漫画を描いてゆくという作品です。
トキワ荘といえば、手塚治虫、石ノ森章太郎、寺田ヒロオ、藤子・F・不二雄、藤子不二雄A、赤塚不二夫など現在のマンガの基礎を築いた漫画家たちが、共に暮らし、作品を作生み出した場所で、マンガの聖地と言われています。作品の登場人物も、手塚 治虫がモデルの木塚 修身(きづか おさみ)、石ノ森 章太郎がモデルの秋森 良太郎(あきもり りょうたろう)など、創作でありながら、実在の漫画家を思い起こさせる、半分フィクション、半分ノンフィクションの作り方がおもしろいと思いました。
笑いあり、ホロリとさせる場面あり、熱くマンガを語るシーンもあり、とても見応えがりました。俳優さんの演技はもちろん素晴らしいことに加えて、あまり大きくない体育館の中に舞台と客席が作ってあるので、舞台と観客の距離がとても近く、役者さんの息づかいまでが伝わってきて、迫力満点でした。
小学校での公演ならではの企画として、3年生と4年生がところどころで、マンガを教わりにくる子どもたちの役で出演していたのも微笑ましく感じました。これには事前に公演に関するワークショップが劇団員の人たちにより行われて、子どもたちが演じること、鑑賞することへの実感を持つことができるように配慮されているそうです。少人数ながら、子どもたちは笑顔で舞台に立っていましたし、100分という公演時間にもかかわらず、1年生も最後まで真剣に見入っていたようです。
ステキな機会を与えてくださった鞍馬小学校の先生方と、迫力の演技で心を揺さぶってくださった劇団員の皆様に感謝します。
2012/10/04
運動会の朝の天気予報は曇り時々雨。
運動会できるかなぁ〜とずっと早朝から天気予報や空を見て「どうしよう、どうしよう」と思案してました。
せっかくだからいいお天気の下で子ども達の素晴らしい姿がはじける運動会にしたい!でも今日の天気はどの時間にどのくらい降るのかわからない…
100名以上の人が集まる運動会。途中から雨が降り続けたらどうしよう〜と決断するのが怖かった当日の朝。
でも園長が「運動会しよう!!」と拍車をかけてくれたので行う事に!
結果、途中で一回ザーッと雨が降ったけど、子ども達が「雨上がれ〜!雨上がれ〜!」と空を見ながら大合唱でお祈りしているとすぐにやんだんです。
子ども達の素直な祈りってすごい!
子ども達の願いが空の雲を動かせたのかなって思いました!
でも本当に雨がやんでくれてよかった〜
2012/10/03
2012/10/03
自然農法というか、ほったらかしの畑からも実りが得られていることは前にも書きました。普通の大豆と黒豆を何本かとってきて、枝豆を茹でて食べました。まだたくさん畑に残っている豆たちもずいぶんと太ってきました。葉っぱが黄色くなってきているものもあります。枝豆で食べるか、もう少し待つか悩むところです。少しだけ枝豆で食べてみようかと思っています。
トマトは、サンマルツァーノという煮込み料理に適した種類がたくさんできています。サンマルツァーノでトマトスープをつくって食べてみました。爽やかな酸味の効いたスープができました。パスタソースを作ったら美味しいかもしれません。ただ、一度にたくさん取れるわけではないので、園で子どもたちと食べるにはどうしようかと考えてしまいます。もちろん、生で食べても美味しくいただけます。
ある日、子どもたちがおやつを食べている間に畑を見に行ったら、トマトがいくつか赤くなっていたので収穫しました。ふと見ると普通の丸いトマトもできています。何という品種かはわかりませんが、お店で普通に売っている丸い形のトマトです。サンマルツァーノは細長いので違いはすぐにわかります。とにかく赤くなって食べられそうなものはすべて収穫して食べました。
とってきたトマトをよく洗い、小さく切るためにテラスに机を出して、まな板とペティーナイフを用意していると、おやつを食べ終わって園庭で遊んでいた何人かの子どもたちが「なにするの」と集まってきました。「トマト屋さんか開店しますよ!」というと「手伝いたい」という子がいたので、トマトを洗ってもらいました。洗ったトマトをくし形に切ってボウルに入れ「食べる?」と聞くとみんなニコニコ顔です。伝い歩きをはじめたばかりの0歳児さんも近づいて来たので、ちいさく切ったトマトを口に入れてあげると酸っぱそうな顔をしていました。「おいしいね」というと、もっと欲しいという顔をしていたので、もう一度口に入れてあげました。最初は酸っぱい顔をしますが、すぐに「もっと」という顔に変わります。気に入ってくれたようでした。
ほかの子たちも、どんどん食べるので、まだ食べていないおともだちにも食べさせてあげたら。というとトマトの入ったボウルを持って、「トマトはいりませんかー」と園庭で遊んでいる子や先生に配ってくれました。
決して、甘くて美味しいわけではないのですが、あっという間に売り切れて、トマト屋さんは閉店しました。
お迎えのお母さんにトマト屋さんのことを話していたら「うちの子、トマト食べましたか?家では食べないんですよー!」とおっしゃるので、ちょっと驚きました。その子は、たくさん食べていたからです。
2012/10/03
夏が終わり季節はすっかり秋になりました。
園のランチルームも清々しくなりました。
最近、給食でこんな変化が起こっています。
夏場の暑い時期はお汁物の売れ行きが悪かったのですが、秋になり涼しくなるとお汁物の売れ行きが良くなりました。
季節の変化と共に食も変化していることに『生きてる』をあらためて感じました。
2012/10/02
2012/10/02
台風が秋を連れてきて、10月になった途端に涼しくなりました。朝夕は肌寒いくらいです。今朝の気温は16度でした。お彼岸を過ぎたころからしのぎやすくはなりましたが、京都市内では、最高気温が30度を越えた日もありました。ところが、台風が近づいた9月30日は最高気温が22.8度、10月1日は23.5度です。一気に秋が来たと実感できます。
自然はちゃんと季節の移り変わりを表してくれています。景色も、色も夏のそれとは違います。朝日のなかではすべてのものがとても立体感を伴って目に飛び込んできますし、午後に傾いた太陽に照らされる山の木々は、乾いた空気のせいかコントラストの高い写真のようです。日の光が斜めになってきたからなのかもしれません。
園児と園の近くを歩いていたら、「なんか、いいにおいがする!」というので、ふとみるとキンモクセイが小さな花をつけ始めていました。その時の花は、まだあのやわらかなオレンジ色にはなっていなくて、うすみどりから黄色くなりかかっていたのが、2日後にはちゃんとキンモクセイ色になっていました。
シュウメイギクも咲き出しました。キブネギクとも呼ばれるこの花は今の季節にたくさん咲きます。今のところ鹿に食べられることなく、花を開いていたり、つぼみをたくさんつけていたりします。このまま美しく咲いてくれると良いのですが・・・
ジョロウグモがいたるところに巣を作っています。大きくてカラフルな雌が巣の真ん中でどんと構えていて、小さなオスは巣の端の方にちょこんといる姿がかわいらしい感じです。
夜になると鹿の鳴く声が山や谷に響き渡ります。やはりどこかもの哀しい声です。ときどきムササビがキュルキュルキュルと鳴く声も聞こえます。夜歩いていたら、すぐ近くの木の枝でガサガサと音がするので、持っていたライトで照らして見たら、大きなムササビが枝の上からこちらを見ていました。ライトがあたると目がピカピカと光ります。リスのように大きなしっぽをピンと立てていました。枝からジャンプしないかなと思ってしばらく見ていましたが、その時は飛びそうにありませんでした。
植物も動物も、季節の移り変わりを敏感に感じ、それに合わせて生きているのですね。園児たちにも移り行く季節を感じて欲しいと思います。
2012/10/02
運動会が終わりました。でも、まだまだ運動会を楽しみたい様子の子もいます。
「今日運動会する?」「ヨーイ ドン!したいなあ」
開会式での先生の真似をしたり、他クラスのダンスを踊って楽しんだり、
まだまだ運動会ごっこは続きそうです!
2012/10/01
指差しが、ことばの前の段階だというのはよく言われることですが、指は、意味するもの、対象に意味をつける役割を果たします。つまり言葉と同じです。一方、指差しされる対象は意味されるものです。指差しがことばの前のことばといわれる所以です。
指差しには、2種類の指差しがあります。赤ちゃんの「あれが欲しい!」という欲求の指差しと「あれ見て!」という叙述の指差しです。叙述の指差しは、指差した対象をお母さんと共有しようとしているのです。赤ちゃん、お母さん、対象の3項の関係が、対象についてお母さんと赤ちゃんが共有し、共感する構造になっています。そんなときは赤ちゃんとお母さんは一緒に対象を見ています。共同注意と言われる状態です。当然、この時は赤ちゃんとお母さんは向き合っているわけではありません。共有、共感が起こる時の視線は、決してぶつかる方向ではなく、共に同じものを見る視線です。これは、赤ちゃんとお母さんにに限ったことではないと思うのです。組織でもそのメンバー全員が、一つの目指す方向を向いた時に、共有共感が生まれるのです。視線を交わらせて相手を見てばかりいると、相手の嫌なところばかりが目について、何でも誰かのせいにしてしまうものです。やはり、それは見るところを間違えているのではないでしょうか。見るべきは、みんなで目指す方向です。赤ちゃんのコミュニケーションはそんなことを教えてくれました。
さて、実際にことばをつかうには、「見たてる」能力が必要になってきます。子どもが、お皿に砂をいれて、「ごはんできたよ」と持ってくる。砂をごはんに見たてているのです。この見たてる能力が、ことばを使えるようになるためには重要なのです。なぜなら、ことばも象徴機能(シンボル機能)のひとつだからです。また、様々なものを種類で分けてラベルをつける、カテゴライズする能力も大切になってきます。そういった能力をつけながら、次第にことばを使うことができるようになってゆくのです。
9ヶ月ごろに3項関係が成立し、12ヶ月で意味のあることばを話し始め、15ヶ月ごろには語彙が3語くらいになり、18ヶ月ごろに急に語彙が増える現象があり、語彙爆発と呼ばれています。もちろん、ことばの獲得には個人差が大きいので、ここであげた月齢は目安です。
では、ことばを育てる環境はどのようなものが良いのでしょう。気になるところです。養育者の働きかけとしては、子どもが注意を向けたものを共有し、子どもが興味を持っている対象の名前であったり、言語的な情報を提供すること、子どもの興味の対象を知って、それに合わせた言葉がけをすることで、子どもが語彙を獲得してゆきます。
決して、子どもの興味感心を無視して、大人が教え込むのではなく、子どもの興味感心が第一だということだと思います。
ことばを育てる保育者の役割は、子どもの様々な反応を受け止め、子どもに返すこと。子どもが、「この人と遊びたい」関わりを持ちたい相手になること。子どもの自発性を大切にすること。ひとりひとりの子どもの思いを受け止める。子どもがイメージを膨らませて遊ぶことができる場をつくる。発達に応じた環境を用意する。ことだそうです。
どこかで聞いたことばが、並んでいます。