2012年 9月

一人ひとり

2012/09/18

見守るというのは、子どもを放任しておくことではなく、子どもが好き勝手にすれば良いというものではありません。まずは、子どもをしっかりと見るこが大切だと思います。そこから出発です。年齢や性別、しょうがいの有無といったことにとらわれ過ぎることなく、今、目の前にいる「この子」をできるだけわかろうと努力することです。一人ひとりみんな違うのですから、その違いをその子の特徴としてとらえ、一人一人が今を最もよく生きるには何が必要なのかを考えてゆくことです。

保育所保育指針にも「一人一人の子どもの心身の状態を把握しながら、その発達の援助を行うことが必要である。」(第2章第2子どもの発達)とあります。

背格好も顔も声も、好きなことも嫌いなことも、得意なことも苦手なこともみんなそれぞれに違う。早く育つ子もいれば、ゆっくり育つもいる。歩くのが難しくても、話すことが難しくても、その子はその子のいのちを精いっぱい生きているのです。その子自身を見ることなく、何歳児だからということだけにこだわることは全く意味がありません。というより、一人一人の発達を保証するという観点からすると、むしろマイナスに働くこともあります。

子どもが辿る発達の道筋やその順序性には共通のものがあります。 しかし、満3歳になった子がみんな同じではないことは誰でもわかります。

保育所保育指針では、子どもの発達課程を8つに分けて説明していますが、各区分の説明にはいる前に次のように書かれています。

子どもの発達過程は、おおむね次に示す8つの区分としてとらえられる。ただし、この区分は、同年齢の子どもの均一的な発達の基準ではなく、一人一人の子どもの発達過程としてとらえるべきものである。また、様々な条件により、子どもに発 達上の課題や保 育所の生活になじみにくいなどの状態が見られても、保育士等は、子ども自身の力を十分に認め、一人一人の発達過程や心身の 状態に応じた適切な援助及び環境構成を行うことが重要である。

何歳児だから!ではなくて一人ひとりがをしっかりと見つめてゆきたいものです。

きょうのごはん

2012/09/18

・ごはん

・ぶりの照り焼き

・野菜のごま和え

・豆腐のみそ汁

子どものつぶやき

2012/09/18

Aちゃん:ハチさん好き〜

保:ハチさん、チクって刺すときあるけど、怖くないの?

Aちゃん:怖くないよ。ハチさんは、ハチミツいっぱい運んで来てくれるから…

Aちゃん:カニさんも好きやで〜大きいのは、ちょっと怖いけど…小さいカニさんは好き�だってカニさん、Aちゃんの髪の毛、ハサミでチョキチョキ�して、綺麗にしてくれるから…

きょうのごはん

2012/09/18

・パン

・ポトフ

・バナナ

9月15日(土)の献立です。アップが遅れてすみません。

信じる

2012/09/17

見守るというと、大人が何もしないことだと勘違いする人がいます。何もしないのは、育児放棄か放任です。そんなことで子どもが育つはずがありません。

見守るということの一つの意味は、その時その時で、目の前の「この子」に適切に関わることなのだと思います。その基本になる子ども観が、子どもは一人の人格として主体的に生きているというとです。そこを起点として考える必要があります。そして、子どもは一人ひとりがそれぞれに違うのです。ですから、一人ひとりの子どもが、遊びをとおして、人、物、自然などの環境に主体的に自発的に関わることを適切に援助する必要があるのです。

その基礎となるのが、子どもとの信頼関係です。子どもが大人を信頼してくれることが大切ですが、そのためにはまず大人が子どものことを信頼する必要があります。子どもは一人ひとりが違うので、様々な姿を見せます。その子どもを「きっと大丈夫」とまるごと信じることが第一です。

最近、子どもの足りないところや困るところばかりに目を向け、必要以上に気にし過ぎて「気になる」「気になる」といい、その「気になる」に名前をつけるだけで安心してしまうことが多いように思えてなりません。発達に偏りがあるなら(あって当然なのですが)それをその子の特性としてしっかりと捉え、その子どもが生きやすいようにはどうすれば良いのかを、専門機関との連携も含めて考えてゆけば良いのだと思います。カテゴライズするのではなくて、その子をしっかりと見ることです。

少し話がそれましたが、大人が子どもをまるごと信じ切ることからしか信頼関係は作れないのです。まず、信じることをせずに「ダメ!」とか「話を聞け!」とか「食べろ!」などと指示、命令ばかりしていたら、決して子どもは信頼などしてくれません。

保育所保育指針 第2章 子どもの発達 第1項 乳幼児期の発達の特性にも「子どもは、大人によって生命を守られ、愛され、信頼されることによ り、情緒が安定するとともに、人への信頼感が育つ。」とあります。

この信頼することこそが、見守るということだと思います。子どもがどこまでも安心、安定できる安心基地でいてあげること。「こうしたかったんだね。こんな気持ちだったんだね。」と受け止めること、「きっと大丈夫だから、どんどん挑戦しておいで。」と勇気づけることが子どもが自立してゆくうえで必要なことです。
決して何もしないで見ていることが、見守ることではないのです。

見る。守る。

2012/09/16

子どもは、自ら主体的に生きている。しかも赤ちゃんのときからです。ですから、私たち大人は子どもが主体的に生きることを「応援する」ことが大切です。私たちは赤ちゃんがお母さんのお腹の中にいる時は、赤ちゃんが主体的に生きることを保証しているではありませんか。たとえお母さんといえども、自分自身のの体の中にいる赤ちゃんをどうこうすることなできません。赤ちゃんが自分の動きたいように動き、音を聞き、光を感じ、味だって感じながら、ちゃんと自分で育っているのです。

出産というと、お母さんががんばって産むものだと思いがちですが、赤ちゃんも自分で外の世界に出ようと頑張っているのだそうです。お母さんと赤ちゃんの共同作業なのですね。お母さんの陣痛が始まるきっかけは、赤ちゃんが作るそうです。お母さんが産み出すというより、赤ちゃんが、「よし、今から外の世界に向けて出発だ!お母さん手伝ってね!」と言って出発のボタンを押しているかのようです。

うちの次男はせっかちだったのか、ずいぶんと早い時期にその発射ボタンを押したようです。陣痛を抑制する薬なども使いましたが、結局、早く外に出たかったようで32週で生まれました。私は、次男のおかげで、しばらくの間NICUを見学することができて、ラッキーと思ったのを思い出します。いつ生まれてくるかだって赤ちゃんが決めていて、それを大人が止めようと思っても止められないのです。

生まれてくるまでは赤ちゃんの主体性に任せている(任せざるを得ないのですが)のに、なぜ生まれた途端にそのことを忘れてしまうのでしょう。もちろん赤ちゃんは一人では生きてゆけないので、授乳をはじめいろいろとお世話をしてあげる必要があります。守ってあげる必要があるのです。それと同時に赤ちゃんをしっかりと見つめることも大切です。赤ちゃんのしていることにはすべて意味があるからです。それはお腹の中でそうだったように、赤ちゃんが自分で育つためにしていることなのです。ですから、この子は今どんな発達をしようとしているのだろうという目で見ると良いと思います。この、目の前にいる「この子」の姿をしっかりと見つめることなしに、「この子」にとって何が必要なのかはわかりません。主体的に生きている子どもを一人の人格として尊重し、その子の今を見ることで、どう応援してあげれば良いかがわかるのです。見るとと守ること、見守ることが大切なのですね。

子ども主体

2012/09/15

赤ちゃん学の一端を知るだけでも、子どもはお母さんのお腹の中にいる時から、自分の人生を自分自身で主体的に生きている、生きようとしていることがわかりました。そのようにプログラムされていて、そうでなくては発達できないし、自立して生きてゆけないのだと思います。自立し自律することができなければ、人間が生き残り戦略として作ってきた社会というしくみを機能させることはできませんし、社会自体が成り立たなくなります。

もちろん、様々な環境が変化しているわけですから、社会のあり方自体も変わるのでしょうけれど、今は複数の人が協力し合う状態という意味で、社会ということばを使います。

子どもは主体的に生き、自立するようにプログラムされています。しかし、とても弱い存在なので、守ってもらわないと生きてゆくことができません。ですから、大人は子どもが主体的に生きて、自立しようとしているのをうまく応援してあげることが大切です。守りながら応援するのです。主役は、主体はあくまでも子どもなのです。赤ちゃん学に触れることで、この「生きる主体は子ども」ということを再認識しました。

子どもは主体的に生きる。子どもはそうする力も持っているし、そうしようとしているのに、往々にして大人がそれを信じ切ることができず、子どもを自分の思うようにしようとしてしまいがちなのです。もちろん悪気があってそうするのではなく、子どものために良かれと思ってなのですが・・・

よくありがちなのが、過干渉です。少子化で子どもの数が減り、生活も便利になって、子どものことにあれこれ干渉できるようになったからかもしれませんが、ついつい、それをしてはダメ、こうしなさい、ああしなさい、と指示や命令ばかりしがちです。特に多くなるのが、ダメ!あかん!の禁止語です。禁止語を使うなといっているのではありません。危険が迫っている時は強く止めないと、大変なことになります。ところが、それほど切迫した状態ではないにもかかわらず、連発してしまうことがあります。でも本人はそれが良いと思ってしているので、なかなかそれに気づくことはありません。

逆に全くの放任というのもあります。子どもの好き放題を許してしまう、放っておいてしまうことですが、こちらはそれほど多くはないかもしれません。

いずれにしても、子どもが主体的に自分の人生を生きてゆくことにとっては、大きなマイナスだと思います。

いつも子どもの立場で考えたいと思います。大人の都合ではなく・・・
小西先生も「赤ちゃんの気持ちになって考えてよね」とおっしゃっていました。

どこまでも、子どもが主体です。大人が子どもを操作するのではないのです。

おばけ

2012/09/15

おやつの時間の出来事です。

Aくんが
「おばけなんてなーいさ、おばけなんてうーそさ♪」
と楽しそうに歌っていました。
するとBくんが
「そんなん歌ってたら、おうちにおばけ来るで」
とニヤニヤしながら言いました。
次の瞬間、Aくんの顔はひきつり
長い沈黙が訪れました…(笑)

きょうのごはん

2012/09/14

・ごはん

・だしふりかけ

・魚の南蛮漬け

・ブロッコリーのサラダ

・けんちん汁

赤ちゃん学からの学び

2012/09/14

日本赤ちゃん学会理事長の小西行郎先生の講義を聞いて、感じたことを書いてきました。私の理解不足や誤解などから不正確なところがあったかもしれません。ごめんなさい。

お話を聞いて最も印象に残ったのは、「赤ちゃんは一人の人間として主体的に生きている」ということです。しかも生まれる前から、受精の瞬間からです。そんなこと当たり前じゃないかと言われるかもしれません。そうです。観念的にはわかっているつもりなのですが、赤ちゃんが自ら「主体的に」生きているという事実を様々な事例や研究を示して説明していただいたことで、より現実のものとして感じることができました。

ですから、赤ちゃんの主体性を大切にする必要があるのです。赤ちゃんは自分の発達に必要なことが何かがちゃんとわかっていて、その時期になれば周囲にそれを要求してきます。それに適切に応えてあげれば良いのです。だってお腹の中にいる時からそうなのですから・・・

育児というと、大人が何かをしてあげなくては!とか、しつけなくては!と大人から一方的に赤ちゃんを一定の枠にはめようとしてしまいがちです。それよりも、この子は今、どんな発達がしたいのだろう?という目で赤ちゃんをしっかりと見つめ、目の前の一人ひとりの赤ちゃんに応じた対応をしてあげれば良いのです。大人の思うようにしようと思って、それがうまくいかないからといってイライラするよりも、どうすれば、今、この子と楽しめるかな。と考えた方がずっと楽しいと思います。

小西先生が「今の育児の問題は、大人がやりすぎることだ」とおっしゃっていました。子どもが一人の人間として主体的に生きていることを尊重し、子どもが自分で育ってゆくこと、生きてゆくことを尊重してゆきたいと思います。

1歳未満の赤ちゃんが話さないのはなぜか?話せないのか、話さないのか?
この問いに対して、小西先生は「この時期はノンバーバルでつながりたい時期なのだ」とおっしゃっていました。この時期の赤ちゃんは伝えたいことをいっぱい持っているし、いっぱいつながりたいと思っている。しかしその方法は、ことばを通してではなく、運動、動くことにを通してつながりたいということなのだそうです。ですから話しかけるだけではなく、それよりも動くことを通してつながる。動作を共有する。いっそに遊ぶことが大切なのです。動作を使って育ちたい、学習したい時期なのです。だからその欲求を適切に満たしてあげれば良いのです。

動作を使って学習するものにおもちゃがありますが、先生は、「良いおもちゃは存在しない」とおっしゃっていました。おもちゃの良し悪しは、その使い方で決まるということなのです。おもちゃを介してお母さんとつながること。お互いが共有しあって遊ぶことが、話し始める前には大切だということです。

そう考えたときには、大人も心から楽しんで遊ぶ方が良いと思います。義務感で遊んでいては、一緒に遊ぼうと真剣に誘いかけてくる赤ちゃんに対して失礼だし、第一楽しくありません。

赤ちゃん学に出会うことで、自分の子ども観をもう一度見直す機会となりましたし、子どもが主体的に育ってゆけるよう、一人ひとりの今を大切に保育してゆこうという思いを強くしました。

*赤ちゃん学について詳しく知りたい方は、Googleで「あかちゃんきゅー」と検索して見てください。

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