・魚の南蛮づけ
・ブロッコリーのサラダ
・けんちん汁
2012/06/12
2012/06/12
ある日の4才の子どものつぶやきより
子、あんなぁぼくなぁ、昔一人暮らししててん
大、(;゚Д゚)!ど、どこで?
子、おじいちゃんのおうちで…
大、(;゚Д゚)!ほんでどうやったん?
子、 ん??木のおうちやった…
大、Σ(゚Д゚|||)……
その後しばらくの沈黙の後、面白話は続きました
2012/06/12
先日、4歳児の散歩について行ってみました。行き先は向かいの山の薬王峠です。鞍馬街道に出て少し北に行き、鞍馬川を渡り、地蔵寺というお寺の前から山道に入ります。
途中、鞍馬川から引いた水が各家の前を流れてまた川にもどるように作られた水路があります。以前はその水でちょっとしたものを洗うなど、生活に使われていた水路です。今でも散水などには使われています。いつもはかなりの水量がある水路なのですが、修復工事中だったようで、水が流れていませんでした。そこを通りかかった子どもたちは、早速水路の中を歩いていました。自分が水になって流れているつもりだったようです。
少し先に行き鞍馬川を渡りきったところでヘビイチゴを見つけて、摘んでいました。「先生食べられるの?」の声に「毒は無いから食べられないことはないけど、口の中がざらざらするよ」と伝えてあげると、恐る恐る口に入れましたが、しばらくして「うぇ!まず!」と顔をしかめて吐きだしていました。それを見ていて私も子どもの頃同じようなことをしていたのを思い出しました。ヘビイチゴは毒は無いので食べられないことはないのですが、ほとんど味がしないうえに表面のつぶつぶが口の中でざらざらして舌触りが良くありません。
一人の女の子がノイチゴを見つけたので、「これは食べても大丈夫」といって少し食べてみせると何人かで分け合って食べていました。といっても直径1センチほどの果実です。潰れているといってよいくらい小さくなってしまっても分けあっている姿に、少しでも友達にあげたいという優しさが感じられて心が温かくなりました。
子どもたちは毎日の生活でいろいろなこと、それも生活の中の小さな経験を積み重ねて大きくなってゆくのです。だからこそ、その経験が思いやりや、優しさに満ちた経験であると良いと思います。そんな小さな経験がやさしく思いやりに満ちた子を育てるのですね。
2012/06/11
昨日の午後、温湿度計を見たら気温20度、湿度60パーセントという、快適に過ごせる温湿度の範囲でした。しかし、近畿地方も梅雨入りが発表され、じめじめした季節がやってきます。湿度が高くカビが生えやすかったりするので注意が必要です。特に山の中にある当園は、気温はそれほど高くはなりませんが、湿気が多く湿度90パーセントということがよくあります。
雨も多く蒸し暑い梅雨はあまり過ごしやすくないので、敬遠されがちですが、見方を変えれば潤いの季節ともいえます。
5月下旬ごろからまとまった雨が降っていなかったので、かなり乾燥していて、園庭も砂埃が立ちやすい状態が続いていましたが6月8日の雨でしっとりしましたし、木々の緑の色が全く違います。葉の表面のほこりが洗い流されたというだけではなく、内側からいきいきしているという感じです。
お寺の参道には小さな白い星というかプロペラを地面にちりばめたようにテイカカズラの花が落ちていました。テイカカズラはキョウチクトウ科のつる性植物でちょうど6月頃に花を咲かせるそうです。樹液は有毒だそうですが、木や葉は見えないので子どもが直接樹液に触れ可能性はありません。もし、子どもたちが花を見つけたら、毒があることを伝えると良いのです。次に子どもたちが散歩に通るときにもまだあると良いのになと思いながら、地面に落ちた花を写真に撮りました。以前も紹介しましたが、お寺の庫裏の池にモリアオガエルというカエルが産卵していました。5月下旬だったのですが、いつのまにかその卵塊がなくなっていました。なにかに食べられてしまったのかと想像しています。園児たちが見ると興味を持つかなと思ったので、もう少し卵が増えないかと待ちわびていたのですが、産卵には雨が必要なのでなかなか産卵しません。ところが8日に雨が降った後にはたくさんの白い泡の塊が木の枝にぶら下がっていたので安心しました。今日の午前中は天気も良かったので、早速2歳児が見に行っていたようです。
10日ほどすれば、孵化してオタマジャクシが出てくると思います。
子どもたちが、興味関心を持って、熱中できる、そこから感動が生まれる。そんな環境の一つになってくれるでしょうか。モリアオガエルさんよろしくお願いします。
2012/06/11
2012/06/11
さくら組み(2歳児)には、たくさんのおたすけマンがいます。
大人の言葉にはすぐに「イヤ!」と言ってしまうお年頃のみんな!大人からの提案には、まず「イヤ」から始まり頑として動いてくれません。
でも・・・そんな時は大好きな友達がおたすけマンとして、力を発揮してくれます。散歩でもご飯でもトイレでもどんなときでも、友達なら大丈夫だったりします。最近では、少しずつ大きい月齢の子ども達は小さい友達を助けてくれるようにもなってきました。きっと同じ気持ちになった事があるからこそ気持ちがわかるのでしょうね。そんな、おたすけマンを大切にしながら、子ども同士のつながりを見守って行きたいです。
保育士にとってクラスのみんなは本当に頼りになるおたすけマンです。
2012/06/10
子どもの興味関心はそれぞれの子どもによって異なり、それぞれの興味関心に応じて子どもが熱中して取り組むということは、様々な物事のなかから、自分の好きなもの(それはその子の発達にとって必要なものなのですが)を自ら選び取って行うからこそできるのです。その中から、喜びを持って問題を自ら解決しようと挑戦する意欲が生まれてきます。ですから、保育者もいつも同じことを一斉にさせようとするのではなくて、一人ひとりの意欲に注目してゆく方が良いということを何回かにわたって書いてきました。
言い換えれば、一人ひとりの個性が輝くことが大切だということです。そう言うと、そんなことをしていると子どもがわがままになって、周りのことも考えずに自分の好きなことばかりやるようになってしまうのではないか、それぞれが勝手なことをしてバラバラになり集団ができなくなってしまうのではないかという声が聞こえてきそうです。
果たしてそうでしょうか。誰かが自分のやりたいことが自由にできるということはそのまま、他の誰かもその人のやりたいことを自由にできるということです。ですから、他の人の自由も保証するためには、自分の自由を制限する必要もあります。そこで、相手にお願いしたり、譲り合ったりすることが必要になってきます。その前提として話し合うこと、想いを伝えること、相手を受け止めることがなくてはなりません。つまり、コミュニケーションを深めることが必要です。
大人でもかなり意識し、努力してこれをやるようにしないと、コミュニケーション不足になって思わぬ誤解や、思いのすれ違いが生まれ、トラブルの原因となったりします。ですから、子どもの時に心を開いて話し合うこと、素直な心で自分の想いを伝えること、相手を受けとめることが楽しいと感じられる経験をする方が良いと思います。
大人が、子どもをダメダメと叱ってばかりいると、子どもも他の子どもに対して同じように禁止したり否定したりすることが多くなります。最初から強い口調で否定されたら、心を開いて話し合うことなんかできなくなってしまいます。子どものお手本としても、自分勝手な主張ばかりするのではなく、大人が自ら意識して、心を開き、相手を認め、素直な心で想いを伝え、コミュニケーションを深める必要があります。
それなら、子どもがそれぞれに好きなことをしていてはもっとコミュニケーションがとれなくなるという考えもあるでしょう。しかし、ある子どもが、興味関心のあることを見つけて、熱中して取り組んでいる姿は他の子どもを惹きつけます。一緒にやらせてと遊びに加わったり、どうすればできるのとたずねてみたりしながら、コミュニケーションを深めてゆきます。そうやって、友達と意見を交わしながら、力を合わせてなにかの課題に取り組むということを自然に行ってゆくのです。
先日も園庭の築山から水を流したり、ダムを造って水をせき止めたりしていましたが、何人かの子どもがああでもないこうでもないといいながら、工夫してダムを造ったり、水路を作ったりしていました。こういうところでこそコミュニケーション能力と、問題解決能力が高まるのだと思います。
つまり、子ども一人ひとりが興味・関心・熱中を中心としたその子らしい参加をすることが学びの場となりますし、チャレンジするところからコミュニケーションが生まれて豊かになり、子どもが集団の一員として育ってゆくのです。
2012/06/09
2012/06/09
困った子とか気になる子ということがよく言われます。子どもを見ていると、できないところや問題点、不足しているところに目が向きがちです。そして、その不足しているところを埋めよう、引っ張り上げようとしがちです。あまり引っ張りすぎると「助長」になり、子どもは枯れてしまいます。
これは、大人の問題です。子どもを、例えばクラスという一つの枠だけでくくって、その中で全員が同じようにしないといけないという思い込みが強いと、そこから外れる子は、困った子、問題がある子と考えがちです。もちろんみんなと一緒に取り組むことが大切なのはいうまでもありません。しかし、大人に「やりなさい」と言われていやいややってもそれはみんなでやっていることにはなりません。心は離れています。
例えば、みんながダンスをしているとき、いくら誘っても一緒にしない子がいます。見た目は一緒にやっていませんが、後で同じ音楽を聞くと、みんなと一緒にやってなかったはずなのにちゃんと踊ることができたりします。みんながやっていたときは、なにかその子なりの想いがあってみんなと一緒に動くことはしなかったけれども、ちゃんとみんなの動きを見るという形で参加していたのです。目に見える形、大人の思うような形では参加していなくても、心では参加していたのです。その子なりの参加があるのだと思います。
どうしても、みんなが同じようにしなくてはならないという固定概念で、子どもをとらえがちです。もしかしたら、今の大人がそういう価値観の中で育ってきたのかもしれません。誰かに言われたことを忠実に行う、均質な労働力としての人材を育成するための教育こそが大切。そういった価値観から見れば、みんなと同じことを同じように行うことが必要で、同じように行わない人は問題です。そうしようと思うと、どうしてもできないところ、不得意なところに注目して、そこを強化しよう訓練しようという方向で考えてしまいます。できないところに注目してしまうのです。子ども本人がなにかに挑戦するという意欲を持って前向きに練習するのなら良いのですが、大人がそうさせようと思うといろいろな無理が生じてしまいそうです。
全員が一斉に同じことをやらなければならない条件の元では、一人ひとり異なる個性がそれぞれに輝くことは難しいと思います。
2012/06/09
苺の苗から皆で植えて育ててきた畑の苺が紅く色づき収穫時期をむかえました。上の(幼児)クラスから順番に頂き、遂に、すみれぐみ(1歳児)も頂くことに…。皆、苺を見るなり笑顔で美味しそうに頂いていて、絵本や紙芝居で苺が出てくると、「いちご」と嬉しそうに答えてました。また、0、1歳児できゅうりの苗から植えて育ててきた、きゅうりも子どもたちが、せっせと水やりをしてくれたので、黄色い花が咲き初め、昨日見たら、小さなきゅうりがつき初めてます。野菜の好きな子が多いので、また収穫できるのが今から楽しみです。