ひなまつりの時もそうしましたが、端午の節句の昼食も、3・4・5歳児たちは銘々にお膳を使っていただきました。いつも昼食は一汁二菜のことが多いのですが、この日は調理担当職員も頑張って一汁三菜にしてくれていました。それも結構手の込んだメニューです。和食を基本としながら、子どもたちの食べやすさも考慮したものになっていました。常時2人で調理をする体制になり、力を合わせてくれているのだと思います。
新入園児さんは少し慣れなくて、戸惑う子もありましたが、何度も経験している子は、姿勢良く正座して食べていました。
お膳の日は全園児が2階に集まり、一つの部屋でみんなで一緒に食べています。1・2歳児はテーブルとイスを使い、3・4・5歳児はお膳を使うので、その間に配膳台をおいていますが、お互いに見える距離にいます。1・2歳児が先に食べ始めているところに3・4・5歳児の準備が整って「いただきます」のお祈りをしていると、1・2歳児が3・4・5歳児の方をじっと見ていました。こういう中で、「いただきます」はあんな風にするんだな。と自然と学んでゆくのだと思いました。
みんな楽しそうに食べている中、4歳児のAちゃんは少し苦手な食材があったのか、なかなか箸が進みません。それを見ていた3歳児のBちゃんが「これ、おいしいよ」といって自分が食べて見せていました。異年齢の関わりというと、年上の子が年下のこの面倒を見るとか、促すとか、誘うというイメージを持ちがちですが、全てが年上から年下であったり、年齢がどうこうというのは大人の勝手な思い込みの部分もあるように感じました。そして、その3歳児Bちゃんをしっかりとサポートしている5歳児のCくんの姿もそこにはあったことも忘れてはならないと思います。
いろんな子が、様々に関わり合い、つながり合い、影響し合って発達してゆく。これが一番自然な姿なのだな。子どもたちを見ていて、あらためてそんなことを思いました。考えてみたら、4月2日生まれで1年ごとに区切られるのって、学校に通う間だけです。人生の他の長い期間は様々な年齢の様々な人と関わり合って生きてゆくのですし、学校制度という仕組みが導入されるまでは、または地域の子ども集団が機能していたときはいろいろな年齢の子どもたちが一緒に過ごしていたのです。
少子化に伴って、保育園や幼稚園くらいしか乳幼児が集団を体験する場所がなくなってきているのです。様々な子どもと関わることのできる唯一の場所、保育園や幼稚園がそのチャンスを奪ってしまったら、子どもたちはどこで、その経験をすることができるのでしょう。
何が一番大切なのか。もう一度よく見つめる必要がありそうです。