2012年 2月

いっしょ!

2012/02/09

 大きくなることが人一倍うれしいお年頃!!2歳児では、誰かが誕生日を迎えると「わたしもさんさい!」とみんなが三歳になった事を教えてくれます。

 そんなある日、いつものように話していると、一人の女の子が「○○さんさい~!」と私に指で3をつくって教えてくれました。そこで私も「先生も、もうすぐ三十三歳」と両手で3をつくって伝えました。すると少し考えてから・・・「いっしょやな~」とSちゃん。私も少し考えてから「一緒やなぁ~」と答えました。

 3歳と33歳、一緒とはうれしい限りです()

2012/02/08

3・4・5歳児の部屋に行ってみると、ダンボール箱を筒のようにまるくして、いくつもつなぎ合わせたものが置いてありました。子どもたちが作品展に向けてみんなで力を合わせてひとつの物を作っているのです。
何を作っているのか子どもに聞いてみると「今年は辰年だから龍」と答えてくれました。新春のお参りにお寺に行ったときに貫主様から竜のお話を聞いたこと、境内にある龍を探したことが印象深かったようです。
そういえば、先日5歳児たちがダンボール箱をつなぎ合わせていたのを思い出しました。箱の底と蓋を開いて筒状にし、角をとって丸くしてガムテープを使ってつなぎあわせます。長くなったダンボールの筒の中から子どもが出てきました。中に入って遊んでいるのかと思ったら、ダンボールの継ぎ目を内側からもガムテープで固定しているのだそうです。そうしてできた筒はしっぽの方がちゃんと細くなっていました。
作る前に5歳児がそれぞれに龍のイメージ図を描いて、一番作りたいのを選んで完成予想図兼設計図にしたよそうです。

     完成予想図兼設計図

全員で役割を分担をし、工夫をしながら土台となる筒を龍らしくします。頭の部分を作る担当、胴体を装飾する担当、腕と足を作る担当にわかれ、ああでもない、こうでもないといいながら作っています。頭に角があったり、口から火を吐いていたりします。赤いポリ袋で作った火炎を見て、「ソーセージ食べてるみたい」と言って笑い合っている子がいました。顔はどことなく園の周りでよく見かける鹿のようでかわいらしい顔でした。

胴体は鱗に見立てた紙をたくさんかねて貼り、背中にはとげとげをくっつけていました。腕と足は関節から曲がっている部分を作るのに苦労していたようですが、筒状にしたダンボールをうまくつなぎあわせて、関節を表現していましたし、先の方には爪もつけていました。爪をつけるのは少し難しかったようで、保育士に「先生手伝って」と頼んでくっつけてもらっていました。作っているときの子どもたちの表情は真剣そのものです。時には意見がぶつかることもありますが、何とか自分たちで解決しているようです。

他の人と協働する力はとても大切です。なぜなら、人は社会をつくり力を合わせ助け合って生きてゆくようにできているからです。一人ひとりがそれぞれに自分の意見だけが正しいと言い張って他の人の意見を認めなければ、いつまでもバラバラです。それでは社会は成り立ちません。

気持ちと力を合わせれば、2人の力が3人分にも5人分にもなるのに、お互いが自分を主張しあうだけでは、2人力が1.5人分にしかならなかったり、お互いに足を引っ張り合って、0.5人分にしかならないことだってあります。それではつまらないことになってしまいます。

そうではなく、お互いを認め合い、話し合い、力を合わせてゆくことを子どもたちにたくさん経験して欲しいと思います。そのためには、まずは大人が我欲の衣を脱ぎ捨てて、お手本にならなくてはなりません。

癒しの空間

2012/02/08

2、3歳児で大きなバスを作りました。足や手にたくさん絵の具をつけて夢中で色塗りをしたり、牛乳パックに新聞を詰めて椅子を作ったり、タイヤもちぎった折り紙をペタペタ貼って、二日間に渡りみんな楽しんで作って完成させたバス。やはり大人気で、絵本をたくさん持って入ったり、「行ってきまぁ〜す」と自分達で動かす方法まで生み出し進んでみたりと色々遊んでいます。

段ボールの中は暖かく(こども達も暖かさを感じています)、なんだか少し落ちつく空間で、狭いのにケンカする事がないんです。さらに友達同士おしゃべりしている時間がとても長くなり、ずっと入ってでてこないお友達がいるくらい・・・。とっても楽しそうに遊んでいますよ!

研修

2012/02/07

先日、給食調理の職員と二人で東京まで研修に行かせていただきました。
午前中は保育園の見学、昼からは講演、夜は参加者同士の情報交換会と、とても内容の濃い1日でした(研修は二日間でしたが、私は1日だけ参加しました)
今までは1人で参加してましたが、今回は二人で参加した事で新しい発見を共感したり、考えあったり、いろいろ話し合うことができました。
又、ドイツの保育園に関する講演の中で「おもてなしの心」について、たくさんの写真や動画を交えながらの話を聞きました。
私は「おもてなし=相手を思う気持ち」は保育に通じるなぁ、人とのかかわってゆく中で、とても大事な事だなぁ…と改めて感じました。
今回の研修を、これからの保育に活かせるよう頑張ります。

それぞれ

2012/02/07

人は一人ひとり違います。姿形はもちろん、考え方や、好み、価値観、得意なこともあれば、苦手なこともあり、ステキな部分もあれば、そうでない部分もあります。あたりまえと言えばあたりまえのことです。そんなことはわかりきっているはずです。

でも、「人は自分とは違うのだ」ということを忘れてしまいがちです。私はよく忘れます。ついつい、他の人も自分が考えているように考えているという前提で話をしてしまうのです。ですから、話しがちぐはぐになったり、誤解を招いてしまうことがよくあります。

先日、職員の一人と、私の車の話をしていました。うちには17年間使いたおしてもうすぐ引退するワンボックスと、5年落ちくらいの小さな車があります。私は古いワンボックスのことを話していたつもりだったのですが、私の説明不足のせいで職員は小さな車の方をイメージしながら聞いていたようで、お互いなんとなくおかしいな、と思いながら話していました。しばらくしてからお互いの誤解に気付いて笑ってしまいました。私が話し始めるときに丁寧に説明しなかったのが原因です。

こんなことはあまりないとは思いますが、単語ひとつとっても人によってイメージの範囲は微妙に異なるはずですし、ニュアンスのとらえ方もちがいます。それなのに、「相手も自分と同じように考えているだろう」という思い込みをもったまま話を進めてしまうので、すれ違いばかりになったり、「こんなに説明しているのにどうしてわかってくれないんだ」という思いに繋がったりします。

そうならないためにも、ひとつひとつ丁寧に、相手にわかってもらえるようにとことばに心を込めて伝える必要があります。

また、話を聞く方も話をしている人の想いをしっかり受けとめようと、真心を持って「聴く」事が大切です。「傾聴する」ということばがありますが、まさに耳を傾けて聴くこと、たとえ、相手の意見が自分の想いとは違うものであっても、それを受けとめようと、心を傾けることが大切です。

伝えるために発信する努力、受けとめる努力が話をする方、聞く方、それぞれに必要です。そこから少しずつ認め合い、心を繋げてゆくことができるのです。

写真

2012/02/07

保育の中で写真を撮ることがよくあります。子どもどうしのステキな関わりが見られたり、とっても良い表情をしているとき、行事のとき、子どもたちのいきいきとした様子、輝く笑顔を保護者に伝えたい!そんな思いから写真を撮ります。

今でこそ、ほとんどがデジタルカメラになってしまいましたが、ついこのあいだ?まではフィルムを入れて撮影するのが当たり前でした。今、フィルムを買おうと思っても探すのが大変です。フィルムのころは、現像してからでないとどんな風に撮れているのかわからなかったので、狙って撮った写真ができあがってくるのを少しドキドキしながら待ったものです。私の場合できあがった写真を見てもたいてい場合、今ひとつということが多かったのですが、それでも楽しみに待っていたのを覚えています。

中学か高校の時に写真の授業というのがあって、夏休みの宿題に夏らしい風景を撮影してくるというのがありました。撮影したものを学校の写真室で現像、紙焼きするのです。もちろんモノクロです。何を撮って良いのかわからない私は、撮影技術もないのに、無謀にも五山の送り火を撮影することにしたのです。家にあったキャノンの古い一眼レフを持ち出し三脚に乗せ、フィルム1本分撮影したと思います。いろいろと考えて撮ったので、自分ではそこそこ撮れているだろうと思っていました。夏休みが終わって現像してみたら、なんとほとんどがブレているのです。とてもショックでした。仕方がないので、そのまま先生に見せたら、その中の1枚のブレ方に味があると言ってくださり、八つ切りくらいの大きさに焼かせてもらったのを思い出しました。

デジタルカメラは、撮った写真がその場で見られるので、何度でも取り直すことができますし、気に入らなければ、消去すれば良いので、つい気軽にたくさん撮ってしまいます。実はこれが曲者で、すぐに整理しないと膨大な数に膨れあがった写真をあとで整理しようと思うと大変なことになります。
フィルムの頃は、そう何枚も撮れないので、今よりは丁寧に撮っていたように思います。もちろんデジタルカメラでも丁寧に撮れば良いわけで、それは撮る人の心がけの問題なのですが・・・

フィルムからデジタルに変わっても、私は相変わらず写真を撮るのは下手です。
その点保育士たちはとてもステキな写真を撮ってくれます。保育士は、普段一緒に生活している子どもたちのことをよくわかっているからなのでしょう。特に子どもの表情や、子どもどうしの関わりをとても良いタイミングや画角で撮影していて、とてもいい写真をたくさん撮っています。被写体である子どもを、いかによく見ているかということにつきるのかと思います。

*本稿は2月6日(月)の分です。アップに手間取っている間に日付が変わってしまいました。

あ~よかった。

2012/02/06

年末からずっと風邪をひきずっています。少し前からすごい鼻声です。

給食の味付けに微妙に影響しているのではないか?少し心配・・・・。

気にしているだけはいけない。よし。聞いてみよう。

給食中に聞いてみました。

「先生、風邪ひいてて鼻がつまってるねんけど、給食の味何か変なことない?」

「なんにも変なことないよ。」

「ありがとう。」

あ~よかった。胸をなでおろした瞬間でした。

 

節分追儺式 2

2012/02/05

2月3日にお寺で行われた節分追儺式に、園児たちが出仕したことを紹介しました。鬼を追いはらう方相氏に従う侲子という重要な役割を果たしました。

園でのまめまきが終わったと早めの昼食を食べてお寺に上がって装束を着けます。装束を着けるのにしばらく待ち時間があるので、一緒に来てくださった保護者の方とかるたなどして遊んでいました。

みんな着替え終わると一緒に出仕される方々と対面です。金色の4つの目がついたお面をつけ、矛と盾をもったおおきな方相氏さんを見た子どもたちは一瞬顔がこわばりましたが、泣いたりすることはありません。

そこで、怖いお面をつけた人は方相氏といって悪い鬼を追いはらう人で、君たちはこの方相氏さんを手伝って鬼を追いはらう役割がある。その方法は方相氏さんといっしょに本殿のまわりを回って「オー!オー!オー!」と大きな声を出すことだと説明してもらっていました。

かけ声の練習をしますが、どうも方相氏さんが気になるようで、今ひとつ元気がありません。みんながしっかりとかけ声をかけると鬼が逃げてゆくんだよ。だからしっかりと大きな声をだして「オー!オー!オー!」って言ってね。と説明してもらうと、納得して元気な声を出していました。子どもたちは、ひとつひとつ丁寧に説明してあげるとよく理解してくれます。

午後2時、出仕の式衆、導師につづいて、陰陽師、斎郎、方相氏に続いて侲子役の園児たち、公卿、殿上人が行列を作って本殿に向かいます。本殿での読経のあと、陰陽師が「鬼は外、鬼は外、福は内、福は内」と言いながら豆をまき、続いて斎郎が桃の弓と葦の矢を頂いて公卿、殿上人に授けます。陰陽師が祭文を奉読すると、方相氏が立ち上がり、矛と盾を打ち合わせて「オー!」と一声上げた後、本殿外陣から向拝を3度回り、四隅で「オー!オー!オー!」と叫びます。最後に斎郎、公卿、殿上人が向拝に並んで桃の弓につがえた葦の矢を放ち見えない鬼を追います。

園児たちは、「オー!オー!オー!」と、とても元気な声をだしていました。「大きな声で鬼を追いはらうんだ!」という子どもたちの気持ちが伝わってくるようでした。

法要が終わったあとは、方相氏さんや他の出仕の方と一緒に写真を撮りましたが、そのときになっても、方相氏さんからは少し距離をおいている子どもたちの姿がおかしくもかわいらしかったのが印象的でした。

     出仕者のみなさん

   「オー!オー!オー!」

節分追儺式 1

2012/02/04

節分が過ぎ、立春を迎えて、昨日までよりは少しだけ、ほんの少しだけ暖かくなったように思います。日差しがたくさん降り注いだ分だけそう感じたのでしょうか。

節分は読んで字のごとく季節の分かれ目ですから、立春、立夏、立秋、立冬の前日なのですが、立春前の節分が、旧暦の大晦日前後だったことから、立春前日の節分が年の変わり目と結びついて、ことに重要視されるようになったのかもしれません。

節分といえば、鬼です。昨日のブログにも書いたように、保育園にも鬼が来ました。
鬼とは何でしょう。古来より季節の変わり目には邪気が生じると考えられ、この邪気が鬼です。その邪気を払う行事が「追儺」(ついな)といい、平安時代から宮中で大晦日に行われていた行事で「鬼やらい」「儺(な)やらい」ともよばれていました。

それは、方相氏(ほうそうし)〈大儺君ともいう〉と呼ばれる鬼を払う役が、金色の目が四つある面をつけ、黒い衣に朱色の裳を着用し、右手に矛左手に盾をもつ姿で、後ろに侲子(しんし)〈小儺君ともいう〉を従え、かけ声をかけて大内裏をまわり鬼を逐います。そして公卿等は方相氏に付き従い桃の弓で葦の矢を射て悪鬼を追ったというものです。

お寺では、この様子にできるだけ忠実に節分追儺式が奉修されており、保育園の5歳児たちがこの法会に出仕させていただいています。ここでは、子どもたちは侲子の役で方相氏に従って、目に見えない鬼を逐うという重要な役割を果たします。

鞍馬寺の節分追儺式には鬼は姿を現しません。方相氏は目に見えない鬼を追いはらう役割なのです。ところが、方相氏の恐ろしい姿を見て鬼だと勘違いされる方が多いのです。平安時代から時代が下るにつれて、この方相氏の異様な面や姿が鬼と間違えられ、次第に方相氏が公卿に射られるということが起こったようですから、それも仕方のないことかもしれません。

目に見えない鬼はどこにいるのでしょうか。

何よりも怖いのは、山から出てくる鬼ではなく、私たち一人ひとりの心の中に潜む鬼ではないでしょうか。

方相氏の後に続く侲子役の園児たち

オニオニ大作戦 パート2

2012/02/04

年長の子ども達はランチルームで円になって座り、鬼が来たときの作戦を立てています。男の子達は興奮してしばしば声が大きくなるようです。

そのうち女の子の一人が「大きな声でしゃべったら鬼に聞こえるって何べんも言ってるやろ、ちょっと静かにして!」と一人の男の子に言います。男の子はかまわず大きな声でしゃべりつづけ、女の子はしばらくじっと睨んでいましたがとうとう泣いてしまいました。二人は好きな者同士だと友達も知っています。結局男の子は話し合いが終わった後に謝っていました。好きな子の前では(特にその子が恐がっている事に関して)強がってみたくなる気持ちと、好きな人が言うことを聞いてくれない気持ちがぶつかったのだと感じました、これも一つのいい経験だったと思います^^

みんなで鬼の苦手なトゲトゲしたものを探しに散歩に行きました。川沿いを歩いていろんな葉っぱを見つけ、特にトゲトゲしたものを持ち帰ることにしました。枯れた長いススキを折って穂の部分を川につけて魚釣りごっこをして遊んでいたら、偶然ヒイラギが川の近くに生えているのを見つけました。枯れかかった部分の細い枝を一つ頂いたので、「鬼が恐い子にあげよう」、「これとさっきのトゲトゲの葉っぱ持ってたら鬼に狙われへんわ」としゃべりながら園に戻りました。

鬼さん、どうか葉っぱを持っている子の近くにはいかないであげてね!!

 

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