2011年 12月

僕の手

2011/12/08

仲間の中でなにやら物事を決めるときに度々出てくる方法。それは「じゃんけん」

今日もじゃんけんのお世話になった。劇あそびの配役を決めたときだ。

その二人はどちらも同じ役を希望し、その席は一つ「どうやって決める?」と聞かれ

「じゃんけん」と答える。「勝っても負けても大丈夫か?」「大丈夫!!」「せーの」

「じゃーんけーんぽん」「うゎー」負けた子が「いややー」と泣き出した。

わかってはいるけれど、受け入れたくない事実、パーを出してしまった僕(自分)の手をじっと見て…。

そしてひとしきり泣いてから、受け入れた。じっと手を見ながら…。

大きくなったね(^^)

 

 

 

子どもの力

2011/12/07

『最高のクラスのつくりかた』から「こんな先生がイイ !!」をとりあげたのは、ここで子どもたちが「イイ」という先生像は、私たち鞍馬山保育園の職員がめざしている職員像にとても近いからです。そして子どもたちの姿や活動についても、こんなだと良いと思うのです。小学校6年生と乳幼児では違うでしょう。という声が聞こえてきそうですが、具体的な活動内容は発達に応じて異なっていても、子どもの心の持ち方(気持ち)や意欲、姿勢は共通だと思うのです。

トイレ掃除:子どもたちは「どうせやらなくてはいけないなら楽しい方がいいでしょ。」という考え方で、掃除をはじめとした様々なプロジェクトに取り組んでいます。掃除でいえば「掃除プロ制」掃除のプロを目指し、どうすればきれいになるか、楽しんでできるかを考え、自分たちでアイデアを出し合い工夫して楽しんでいるのです。例えば、テレビで見たミカンの皮からつくる洗剤を、先生に頼んで費用を出してもらって自分たちで作って使うとか、掃除道具を工夫して自作するとかしているのです。そのうえ、掃除が終わったら毎日良かったところ、改善した方が良いところを探して、みんなで振り返るというのです。子どもたちが、いきいきとトイレ掃除をする姿が目に浮かびます。

トラブル発生:転校してきたばかりのあかねは、このクラスのみんなは最初から仲が良かったのかな、と思ってももこに聞いてみました。ももこは自分のことを例にあげて話します。ももこは自分の髪型をしつこくからうのぼるに怒ります。のぼるは謝ったけど、ももこは無視し続けました。3日ほどして、みおの「誰かこのケンカの解決役になってくれない」の声がけに、けんたとひとみが解決役を買って出て当事者の話をじっくり聞いたあと「許せないなら許せなくても仕方ないと思う。でも許せるなら許してあげたらどうかな。」と提案してくれたおかげで、ももこは謝る人を無視し続ける自分も大人げないと思って許した。というエピソードです。いろいろな人がいればトラブルが起こるのは当たり前、それを少しでも減らせるように、みんないっしょに成長してゆけると良い。トラブルは人とどうやっていい関係をつくるかを学ぶ機会だと子どもたちがとらえているのです。ここで解決役を買って出たけんたが「許せないなら許せなくても仕方ない」とももこの気持ちを受けて止めた上で「許せるなら許したあげたらどうかな」と提案しています。当園で目指している相手の思いを受けとめ、自分の思いを伝えると同じです。大人だって、なかなかこうはいかないと思います。ついつい自分の考えだけが正しくてそれを相手に押し付けようとしてしまい、あの人はダメだと決めつけてしまいがちです。

環境さえ整えてあげれば、子どもたちは自分の力でここまでできるのです。それも、自らそうしようと思って主体的に取り組んでいます。決してやらされるのではない、自分のこととして取り組むからこそ楽しめるのですね。

大きくなったね!

2011/12/07

この間、乳児クラスの女の子が手をいっぱいに広げて「だっこ〜!」と笑顔で私の所へ走ってきました。
久しぶりにその子をだっこし、二人でニコニコ笑っていると、その女の子が「おもたくなったでしょ!おねぇちゃんになったもん」と・・・。「へぇ〜、そんな事いうんやぁ〜」と感心したのと、ほんと大きくなったね、と思った一時でした。

こんな先生がイイ!!

2011/12/06

世界で一番ステキなクラスをめざす小学6年生の取り組みを、子どもたちが自ら振り返り紹介している『最高のクラスのつくりかた』に「こんな先生がイイ!!」というページがありました。このページで、子どもが「こんな先生がイイ!!」という意見を発表しています。子どもだって立派な一人の人間です。大人と同じ一人の人格です。自分に関係することについて意見を述べることができるのです。ですから、子どもの意見も聞かずに全て大人が勝手に決めてしまうことは避けたいですね。

どんな先生がイイといっているのでしょうか。

  • 子どもを信じている
  • 子どもに考えさせる
  • 子どもにまかせる
  • 自分一人で決めない
  • クラスをかげで見守る
  • どんな場面でも、子どものことを待ってくれる
  • 自分が悪いと思ったらすぐに謝る
  • 子ども扱いしない
  • 小さなことにはこだわらないが、大事な場面ではしっかりおこる
  • 自分のなやみを子どもに話してくれる
  • 子どもの限界を決めない

などがあります。これは子どもの意見です。子どもは「私は主体的に生きている一人の人間なんだ!だからそのように接して欲しい!」と言いたいのだと思います。これって人間関係の基本で「子ども」を、例えば「相手」などほかのことばに置き換えてもおかしくないと思います。私たち保育者が接するのは小学生ではなく乳幼児ですが、基本は同じです。どんなに小さくても一人の人格として接するべきなのです。たとえことばで意見を表明できなくても、伝えようとしていることはあると思います。

これをチェックリストにして自分を省みたら、いくつチェックがつけられるだろうと考えてしまいます。子どもを一人の人格として丸ごと信じ、真心を持って接し、見守ることができているのか、省みることをいつも忘れないようにしたいと思います。

ちなみに「こんな先生はイヤだ!!」というのも小さく書かれていました。自分はこうなっていないかな?

  • スパルタ
  • 自分勝手
  • すぐおこる
  • えこひいきをする
  • クラスをほうっておく
  • 自分が主役だと思っている
  • 何でも自分でやってしまう
  • 子どもの話し合いに口出しする
  • 自分のなやみを子どもにかくす
  • 子どもを待たない

帽子

2011/12/06

0,1歳児たちと冬イチゴ採りに行ったとき0歳の女の子が帽子を池に落としてしまいました。

どうやって帽子をとろうかと考えていろいろ試しましたがなかなか取れません・・・。

でもよく見ると、少しやわらかそうな足場がありました。

そこで一回石をそこに落としてみて、よし、いけるなこれはと思い、そこめがけて飛び込んでみたら・・・

どぷん

見事に泥に足がはまってしまいました・・・

そして、帽子を落とした女の子はすごく笑っていました。

一応帽子は取れたのですが、見事に靴と靴下が泥まみれになりました。

みなさんも、そういう場面になったら無闇に飛び込まないように気を付けてくださいね。

最高のクラスのつくり方

2011/12/05

○×小学校の6年1組に転校生がやってきました。名前はあかね・・・そんな書き出しだしで始まる1冊の本があります。題名は『最高のクラスのつくり方』、あかねが転校してきたクラスを紹介してくれます。そのクラスは世界で一番ステキなクラスを目指しているのでした。

クラス目標:学級会で運動会のクラス目標を決めるために、先生も子どももみんなが輪になって話し合っています。「クラス目標って先生が決めるもの」と思っていたあかねに、みおが「みんなで作らなきゃみんなの目標にならないし、先生が作った目標だと先生が作った目標だからと言い訳して実行しないと思う。」と言います。子どもたちが自分たちの目標を自分たちで決めてそれに向かって力を合わせ、終わったとは振り返ることを実践しているのです。

教室:いいクラスを作るには、まずはいい教室からということで、4月に子どもたちがみんなで協力し、工夫して作った教室です。机の配置は、子どもどうしで勉強や話し合いがしやすいように4〜5人ずつ向かいあわせに座れるようにしてあったり、タタミを敷いた図書コーナーでは読書はもちろんおしゃべりしたりのんびりしたりすることができます。

友達関係:「一人ぼっちをつくらない」をクラスのモットーにしていて、クラスのみんながいい関係でいられることを大切にしています。みんなが親友になれるわけはないので、クラス内でグループができるのはしようがないけれど、それはそれで大切にしながらグループ以外の子にも積極的に声をかけるように自分たちで決めているのです。考え方が違う人ともいい関係を作れることを大切にしています。これって大人になっても大切なことですよね。

授業:算数の授業中「ねえねえ、ここわかった?」と言いながら、ノートを持って友達に聞きに行く子がいます。子どもたちが授業中に席を立ったり話し合ったりする姿に驚くあかねに、つとむがこのクラスの授業は子どもどうしで教え合うというのが基本だと話します。教えてもらう子はよくわかるし、教える方も教えることで自分の考えが整理できたり理解が深まるのです。先生はというと大事なポイントとヒントだけ示して子どもたちが自分で答えを見つけるのを待っているのです。お互いに教え合うことで子どもたちの学びが深まることもステキです。もう一つ重要なのは、勉強でもなんでもクラスメイトのだれ一人として「おいてきぼりにしない」ことを大切にしていることです。

こんなステキなクラスについて書かれた本に出会ったので、紹介します。ここに出てくるクラスは実在したクラスで、この本を作ったのも子どもたちなんだそうです。

 

『最高のクラスのつくりかた』
2010年2月20日初版第1刷発行
小学館
著者
埼玉県狭山市立堀兼小学校6年1組(2008年度卒業生)
岩瀨 直樹(担任の先生)

帰り道

2011/12/05

今回は、自分の事について少し話したいと思います。この間、同志社大学のグランドの横を自転車で走っている時、大きな紅色と黄色の混じった落葉が目に留まり思わず手にとりたくて自転車から降りていました。今度は落葉のジュウタンの上を急に歩いてみたくなって自転車を押しながら歩いていると、フワフワで面白い音がします。ふと大好きだった祖母が昔、嬉しそうに話してくれた時の事を思い出しました。まだ私が小さかった頃、落葉のジュウタンの上を足踏みすると面白い音がしてキャッキャ喜んではしゃいでいたという話。記憶としては、おぼろげにしか思い出せないけれど落葉をよく拾った事や祖母が落葉の上を一緒に歩き喜んでくれた事は、なんとなく覚えています。自分が小さい時に経験した事が今も残っている事に気づかされたようなに思います。先程拾った落葉を自転車のカゴに入れ、また自転車走らせていると〜「綺麗な色の落葉のせてるね〜」と横断歩道で警備されてるおじさんの声。なんだかとっても嬉しい気持ちになれる帰り道でした。

生活発表会

2011/12/04

当園では毎年12月の第1土曜日に生活発表会を行っています。今年もお寺の施設を借りて行い、会場には入りきれないほどの園児の家族がいらしてくださいました。

子どもたちは、各年齢ごとに発達に応じた生活の様子を発表しました。0・1歳児は普段保育室で遊んでいる様子を発表し、2歳児はお気に入りの絵本のお話を2歳児なりに表現していました。子どもたちができるだけ普段の様子が出せるようにと思いますが、たくさんの観客が見守る舞台の上といういつもとは全く違う環境で、普段の園での姿をというのも、子どもたちにとっては難しいことかもしれません。少し緊張気味でしたが、乳児クラスの子どもたちは楽しそうに取り組んでいました。

3歳児も、みんなが大好きでいつもいつも読んでもらっている絵本ごっこをしていました。普段から絵本を読んではごっこ遊びをしていたようで、とっても楽しそうに元気に自分なりに表現している姿はほほえましいものです。子どもたちは本当にお話の世界に入り、現実の世界とつなぐことができるのですね。

4・5歳児くらいになってくると台詞もすこし難しくなってきて、覚えないといけない部分が増えてくるので、よく練習していました。練習というと、覚え込まなければならないと思いがちですが、子どもたちは、練習をとても楽しみにしたいたようです。私はずっと子どもたちが練習する様子を見ていたのですが、子どもたちの能力の高さを改めて感じました。回を重ねるごとにどんどん上手になってゆき、5歳児はどう表現すれば良いかなども自分で考えていました。

大人はついつい欲が出て、少し良くなれば、もっと良くなって欲しいと思い、ああした方が良い、こうした方が良いと言いがちです。私もついついそうなるのですが、まずは子どものそのままをしっかり認めてあげることを忘れないようにしたいと思います。

本番の5歳児の劇では、少し嬉しい、そして悲しい場面で、役になりきって感情移入していたのか、やり遂げた達成感が嬉しかったのか、何人かの子が涙ぐんでいるように見えました。「ステキだね」と思っていると私も涙が出そうになりました。

また、保護者の出し物があって、たくさんの方が参加してダンスを披露してくださいました。何度も練習し、とてもステキに踊っていただいたのにもかかわらず、本番は音響機器のトラブルでご迷惑をおかけしてしまいました。すみませんでした。職員の出し物もあるのですが、笑いをとろうと悪のりしすぎてしまいました。反省です。

昨年度1年間一緒に仕事をしていた2人の保育士が発表会を見に来てくれました。1人は和歌山から始発に乗って来てくれたのです。場所は違っても同じ志をもって保育している仲間でいてくれるように思いとても嬉しく感じました。

楽しい

2011/12/03

「楽しい」は当園の大切にしていることのひとつでもあり、基本コンセプトでもあります。ただ、「楽しい」と一言で言いますが、それほど簡単なことでもないようにも思います。楽しいって、どういうことでしょう。ただ単に、おもしろおかしい楽しいもあれば、努力の積み重ねによってしか得られない達成感のような楽しさもありますし、だれかと気持ちが通じ合ったときの楽しさうれしさもあります。いろいろな「楽しい」があります。どんな楽しさでも、それぞれに大切ですし、どんな状況からでも楽しさを見つけ出すことができればうれしいと思います。しかし、どうしても「楽しい」というと、おもしろおかしいだけの楽しさがイメージされることが多いようです。

ある会社に勤める30代前半の知り合いの男性と久しぶりに会い話す機会がありました。初めて会ったのは、その方が小学生か中学生くらいの時だと記憶しているので、もう20年近くも前になります。

彼はとても頑張って仕事をしていて、夜遅くまで会社で仕事をしたあと、家にも持ち帰って仕事をし、寝るのは日が変わってから。にもかかわらず、翌朝5時には起きて始発で出社することもあるというほど頑張っているそうです。若いからこそできることだとうらやましく思いました。断っておきますが、決して長時間労働を賞賛しているわけではありませんので、誤解しないでください。

そんな彼に、私は「仕事は楽しいですか。」と尋ねてしまいました。すると彼はしばらく考えて、「今は、ともかくがむしゃらにでもやるだけで、楽しいかどうかはまだわかりません。」と答えてくれました。

私は簡単に「楽しい?」と尋ねたことを後悔しました。私の口にした「楽しい」が薄っぺらだったなと思ったのです。それと同時に、本当の楽しさは重ねた努力の上にこそ感じられるのかもしれないと考えました。楽しさと努力することは、楽しいからこそ努力もできるし、努力が報われて楽しくなることもある。お互いに補い合うものでしょうか。また、一方で、ただ楽しいことがあっても良いとも思います。

「楽しい」といって、そればかり考えていると、どうしても狭い視野や短いスパンで考えて、楽しいか楽しくないかという判断をしがちですが、いつも、いろいろな方向から考え続けていることが必要だと思い直しました。

感激

2011/12/03

わたしは保育時間のほとんどを幼児クラスで過ごします。

なので、たまに乳児クラスの子どもと関わったりすると、短い間での言葉や行動の成長にビックリします。

この間、わたしにはまだ聞き取れる事が少ないなあと思っていた乳児の子が、わたしに向かって大きな声で「先生!」と呼んでくれました。

先生と認識してくれたこと、わたしが理解できたこと、さらに子どもの口からどんどんと言葉が出てくること、たくさんのことに感激してしまいました。

本当に子ども、保育士って素敵だなあと思う瞬間です☆

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