2011年 10月

ごっこあそびもだんだんイメージ豊かに

2011/10/21

このところ、ぐーんとお友達関係も深まってきて散歩先でも園庭でも友達と一緒の場面が多くなってきた2歳児クラス。泥あそびやごっこあそび楽しそうにしている姿をよく見かけます。今回は、園庭遊びのひとこまについて書きたいと思います。

もうすぐバスに乗って3歳児クラスと一緒に動物園にお弁当持って行くことを話して以来すごく楽しみにしていて、この日もお外で動物園ごっこ。枕木を並べて置いてあるところをバスに見立てて「運転手する」とA君とB君が並んで運転手。ガタゴトガタゴト〜と揺れながら「動物園着きましたよ〜」とB君。バスごっこのうた♪仲間達と歌いながら葉っぱの切符渡して動物園到着。

辺りを見回しながら「ぞうさんいたよ〜」と言うと駆け寄ってきて見ていて「次は何、見に行く?」と尋ねると、滑り台を指差し「ペンギンいた」とC君。「ペンギンもすべり台滑ってるね〜。」の声にC君もニッコリ。

今度は水道の蛇口の方までDちゃんが駆けより「かばくんいたよ」。他の子もすぐに駆けより水たまりを覗きこむような感じで見てました。

次の瞬間には黄色の木馬型遊具を指差し「キリンいた」とEちゃん。キリンの背中に乗せてもらおう〜という事になり、始めは「のせて〜」「いやや〜」と我先に乗りたくて押し合いになってましたが…「おまけのおまけの汽車ポッポーポーとなったら変わりましょポッポ—♪」で順番こしたら?と歌い出すとトラブルもおさまり並んで待っています。途中からは、保育士が少し離れた場所から見ていても、お友達同士二人並んで「おまけの…♪」と歌って順番待っていて「かわって〜」「いいよ〜」とかわったりする姿もありました。

以前までは、保育士が中心となってリードしてきたごっこあそびも少しずつイメージしながら遊べるようになり、普段の遊びを見守る中で、子ども中心のごっこ遊びができるようになってきました。

トラブルが多くなる時期でもありますが、自分がを主張するだけでなく少しずつ相手の気持ちも考えられるようにもなってくる時でもあるので大切に見守っていきたいです。

畑で遊ぶ

2011/10/20

稲刈りが一通り終わった子は、もう1人の保育士と畑に生い茂った草を引き抜いたり、ひとりでに生えてきて畑を占拠してしまった瓜を収穫したりと大忙しです。

     重いから気をつけて

畑は園庭の一段高いところにあって、自然農法に取り組んでいます。と言いたいところですが、実際の所は全く面倒が見られていなくて、雑草と呼ばれる草たちが生い茂っています。ジャングルと呼ばれています。そのジャングルのなかにカボチャがゴロっとできていたり、夏にはメロンやスイカがころがっていました。あまりにも草の生え方がひどいので取ることにしたようで、子どもたちが草を引き抜いていました。みんなでどんどん抜いていったのですが、最後にとても大きくて太い、まるで小さな木のようなのが残りました。1人の子が引っ張るのですが、なかなか抜けないので、「おーい!みんな手伝って」と声をかけると他の子が集まってきて、手伝い始めました。どうするのかと思って見ていると、他の枝や幹の別の部分をもって引っ張るのではなく、2番目の子は幹を持っている子の腰を持って、3番目の子は2番目の子の腰をひっぱるという、絵本の『おおきなかぶ』のようになりました。保育士も、「AちゃんがSくんをひっぱって、をMちゃんがAちゃんをひっぱって・・・ うんとこしょ!どっこいしょ!」と声をかけるものですから、子どもたちも張り切って力いっぱい引っ張ります。1度引っ張るごとにだんだん列が長くなって、何度か挑戦しますが、まだまだ草はぬけません。「先生も手伝って!」の応援要請に保育士が少し手伝って根っこをゆるめた後にもういちどみんなで引っ張ると、今度は見事に抜けました。「やったー!」とみんなうれしそうです。

 うんとこしょ!どっこいしょ!

畑の草ひとつとることでも、これだけ楽しめてしまう、子どもの遊び心はたいしたものです。「遊びをせんとや生まれけむ」といいますが、子どもの仕事は遊ぶことです。遊びを通してこそ発達するのです。

年齢を重ねてゆくと苦しいこと辛いことの方が多くなるのか、心が堅くなってしまいがちですが、苦しいこと辛いことも、「遊び心」という調味料を使って、そのままで美味しくいただいてしまうことができる。そんな心の力を養いたいものです。

栗拾い

2011/10/20

この間、畑の奥で栗拾いをしました。

栗拾いといっても、猿にやられちゃう前に!ということで

まだ木についている栗を長い棒で叩いて落して、それをむぃむぃ・・といった感じで。

ヒルにおびえながら・・・(^^;)

なので、栗がそこら中に落ちている!というわけではなく、ぽとぽとと栗が降ってくる状態だったので「俺のや!」「わたしが先!」みたいな・・

よくある展開です(^w^;)

でも一通りの揉め事のあとには、年長さんが年少さんに「ここを踏んだら綺麗にむけるねん!こっち押さえとくしやってみ!」なーんて素敵な光景が広がっていて、なんだかホッ(〇´*`〇)っとしましたよ!

みんなは今、いつ給食に栗ご飯が出てくるのか楽しみだそうです!

もちろん私もです(^^*)

稲刈り

2011/10/19

畑の側に畳一枚ほどの小さな田んぼをつくって、稲を育てていました。ほとんど世話できなかったにもかかわらず、夏にはあざやかな緑色の葉の間から瑞穂が伸びて花が咲き、花の後にはちゃんと実が実りました。中にはカメムシの被害にあって白くなってしまった穂もありましたが、稲の力には感心させられます。
先日、そろそろ収穫しても良いだろうということで、5歳児と4歳児が、1人1束をはさみで切り取るという方法で稲刈りをしました。一通り説明を聞いたあとで、いざやるとなると、どういう順番で刈り取るのか、子どもたちは少し揉めていましたが、背の順、名簿順などいろいろな案を出し話し合いお互いに相談していました。以前はこういう場面で揉め続けて保育士が決めたりすることが多かったのですが、近頃はずいぶん話し合って自分たちで解決できるようになってきたと思います。

全員が刈っても半分近く残っていたので、どうするのかなと思っていたら、保育士が「もう1回やりたい人はどうぞ」といって子どもが自分で決められるように声がけしました。すると、もう1回やりたい子が何人か集まってきて、残った稲を順に刈っていました。
無事に収穫が済んで、今は園舎の軒先につり下げて乾かしています。乾燥したら脱穀してもみを取る作業が待っています。

植えたのは少しですし、収穫できたのはもっと少なく、実際にお米として食べられるのは本当にわずかだと思います。食べられるほどあるかどうかはわかりませんが、食べる段階になって子どもは何を思うのでしょう。稲作を通して、何を感じるのでしょう。子どもたちがどんな感想を持つのか、楽しみでもあり、怖くもあります。

毎日お参りをしている2階の祭壇の前に、収穫したばかりの稲穂がお供えしてありました。子どもたちが言い出したのか、保育士がだまって備えてくれたのか、それは聞いていませんが、その心配りをとてもうれしく感じました。

 

 

言葉

2011/10/19

すみれ組(1歳児)の子どもがよく喋るようになりました。

このあいだ「○○君きがえようよ」と言ったら、「イヤ!!」と初めて言われました。

でも、こんなこと言えるように成長したんだなと思いました。

おたんじょうびおめでとう!

2011/10/18

月曜日の朝、登園途中の3歳児Kくんと一緒に園に向かっていると、同じように登園途中の5歳児Sくんが「Kくんおたんじょうびおめでとう!」といいながら駆け寄ってきて、一輪のシュウメイギクと折り紙で作ったプレゼント、誕生カードを渡しました。いきなりプレゼントをわたされたKくんは、最初キョトンとしていましたが「Kくんは土曜日がお誕生日だっていってたから、Sくんが覚えてくれててプレゼントくれたんやんか」というと、Kくんの顔がパーッと明るくなって、ちょっと恥ずかしそうに小さな声で「ありがとう」と言っていました。Sくんもうれしそうにニコニコ笑っています。周りにいた大人も思わずニコニコ。

誕生カードには、かわいらしいバースディケーキの絵が描かれており、折り紙も丁寧に折ってあります。土曜日にその日がKくんの誕生日だと知ったSくんは、それを覚えていて、週末にカードとプレゼントを作ったのでしょう。シュウメイギクは「朝家を出るときに庭に咲いていたのを取ってきたんです」と保護者がおっしゃっていました。

土曜日にともだちの誕生日を知ってプレゼントをあげようと思い、家に帰ってから作った。月曜日の朝それを渡そうと家を出たら、庭にきれいな花が咲いていたので、これもあげようと思って取ってきた。そんなSくんのあったかくやさしい気持ちの動きが想像できて、こちらの気持ちもほんわかと温かく、うれしくなりました。

誰かを思う気持ち、誰かに喜んでほしいという気持ちを子どもたちはたくさん持っているのです。そんな優しさやうれしさで心が満たされて育ってほしいと願います。そして、みんなのやさしい気持ち、うれしい気持ちが響き合い、高まってゆく。大人も子どももみんながハッピーを感じられて、心が温かくなる。いつもそうありたいですね。

お楽しみ会

2011/10/18

今年も‘お楽しみ会’が近づいてきました。

‘お楽しみ会’とは、しばらく行っていなかったのが去年復活した行事で、保護者にもスタッフを募り、担当保育士と一緒に企画することからはじめ内容を決めていくのですが・・・。

特にこれといった決まりはなく、主に保護者スタッフの方々の「こんなことやってみたい!」という気持ちを大事にみんなで話し合って企画していっています。

そして毎回のことですが、集まった保護者の皆さんのあふれんばかりのパワーとフットワークの軽さに感心させられています!!

先日も、「○×△のこと早目に決めておかないといけないと思ってるんですが・・・」とあるスタッフの方に声をかけておいただけで早速メンバーを集めていただきすぐに話し合いの日を設けることができました。

あまりのフットワークの軽さにびっくりと同時にいろんなことがどんどん決まっていくことが気持ちよく保護者スタッフの皆さんのことを大変頼もしく思っています。

あと10日ほどで当日を迎えるのでいよいよ大詰めですが楽しい会になるよう最後まで全力を尽くして頑張っていきたいと思います!!

 

ジョロウグモ

2011/10/17

この季節になると、大きなクモの巣があちらこちらで見られるようになります。巣のまん中では大きく色鮮やかなクモが獲物が掛かるのをじっと待っています。ジョロウグモです。

黄色と黒のまだら模様の足、黄色とくすんだ青緑色の模様がある背中、お腹には赤い部分もあり、かなり派手な姿です。秋の日差しを浴びて巣のまん中でどっしりと構える姿は、秋の女王といったところでしょうか。でも意外と臆病なのか、息を吹きかけたりするとすぐに逃げてゆきます。女王といいましたが、この大きくて派手な色のは雌なのです。雄は1/3くらいの大きさしかなく目立たない存在です。巣のまん中に大きな雌がいて、少し離れたところに雄がいるというところをよく目にします。雄は正面から雌に近づくと食べられてしまうので、交尾のためには背後から雌に近づくとか、交尾が終わると雌に食べられてしまうとかいわれています。

ジョロウグモは巣も立派で、直径が1メートル以上はあります。巣を作っている糸が黄色っぽいのか、光の当たり方によっては金色に輝いて見えることがあります。

先日、屋外で行われた式典に参加していたときのことです。少し離れたところにジョロウグモが大きな巣を掛けていたのが私の立っているところからよく見えました。黄金色に輝いていて、美しいなと思ってみていると、何がしたかったのか、巣のまん中にいたクモがどんどん上の方に登っていくのです。しばらく見ていると網の端までたどり着いたかと思うと、コロコロっと巣の上を転がりながら、下に落ちてしまいました。なんだかその様子がおかしくて、おかしくて、吹き出しそうになったのですが笑うわけにもゆかず、じっとこらえていました。そんなときほど笑いがこみ上げてきて、笑いを我慢するのに一苦労でした。

しばらくしてもクモは登ってこなかったのですが、その後どうなったのでしょう。クモの世界にもおっちょこちょいなのがいるんですね。

 

かわいいね

2011/10/17

ふとランチルームに視線をやりました。

ヨチヨチ歩いている小さな園児さん。

どこに向かって歩いているのかな?

少し様子を見ることにしました。

ヨチヨチ・・・・・ヨチヨチ・・・・・。

行先は園長先生のいる職員室。

ヨチヨチ・・・・・ヨチヨチ・・・・・。

前だけ見て一生懸命進んでいます。

私は少し近づいてみることにしました。

すると、近づいた私に気づき、ハッとした顔をして・・・・

とった行動は、ヨチヨチ小走り!!

かわいいね。かわいいね。

運動会で考えたこと

2011/10/16

市原野小学校で運動会がありました。14日の午後から15日未明にかけてずいぶん雨が降ったので、延期だろうと思い込んで仕事をしていたら、運動会決行という情報が飛び込んできたので、慌てて応援に行きました。

市原野小学校は当園から3.5キロメートルほど離れたところにある小学校で、この学区からたくさんの子どもたちが当園へ通ってきています。当然、卒園生もたくさん通っているので、行事の案内を頂くと参観に行っています。この地区は、宅地開発が進み、新しい住宅に若い世代の方々がたくさん入居され、子どもの数が増えています。

私が叡山電車に乗って小学校に着いたころには午前中の競技が半分ほど終わってしまっていて、3年生と4年生がダンスをしているところでした。人数が多いので迫力があります。9月に児童数の少ない鞍馬小学校の運動会を見ていたので、余計にそう思うのかもしれません。わずか2キロメートルほどしか離れていない2つの学校で、一方は児童が少なくて困っているのに、もう一方は児童が多すぎる状況です。

他の自治体なら統廃合させるところでしょうが、京都市の場合は、地域の意向を最大限に尊重しています。それは京都の小学校の成り立ちの特殊性によるものです。京都の小学校のはじまりは番組小学校といいます。明治政府が明治5年に学制を発布して学校制度をスタートさせましたが、それに先立つ明治2年に京都の町衆が当時の住民自治組織だった番組を単位として作ったのが番組小学校です。小学校は地域が作ったという伝統もあり、小学校は地域の学校という性格が強く、行政の都合だけで統廃合が決められるわけではないようです。だからこそ地域住民が学校をどうしたいのかを真剣に考える必要があります。また、学区の範囲が厳格に定められていて、特別な理由がある場合を除いては異なる学区の小学校には通うことは難しく、2キロメートルしか離れていない学校で過疎と過密が発生してしまうのです。

せっかく行政が地域の意向を尊重してくれるのですから、それ活かして地域と学校と保護者が「子どもの育ちにとって本当に大切なこと」をしっかりと見据えて共通理解をすすめ、そのためにそれぞれができることを行えるしくみが機能してゆくと本当の意味での地域の学校になるのではないでしょうか。

運動会の競技から、子どもたちが積極的に取り組んでいるという印象を受けました。PTAの競技というのもあって、たくさんの保護者の方がボール送りで盛り上がっていらっしゃる姿から、一体感が感じられました。卒園生を探すのですが、人数が多すぎてなかなか見つかりません。でもそれぞれの種目に全力で取り組んでいる子どもたちの姿を見ることができ、短いながらも楽しい時間を過ごすことができました。

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