人間を超えた存在を認識し、おそれ、驚嘆する感性をはぐくみ強めてゆくことには、どのような意義があるのでしょうか、自然界を探検することは、貴重な子ども時代をすごす愉快で楽しい方法のひとつにすぎないのでしょうか。それとも、もっと深いなにかがあるのでしょうか。
わたしはそのなかに、永続的で意義深いなにかがあると信じています。地球の美しさと神秘を感じとれる人は、科学者であろうとなかろうと。人生に飽きて疲れたり、孤独さにさいなまれることはけっしてないでしょう。たとえ生活の中で苦しみや心配ごとにであったとしても、かならずや、内面的な満足感と、生きていることへの新たなよろこびへ通ずる小道を見つけ出すことができると信じます。(『センス・オブ・ワンダー』新潮社P50)
人間も自然の一部であり、自然界のいろいろなものと繋がって生きているのです。今は、日常生活が自然から遠ざかってしまって、そのつながりを意識する機会が少なくなっています。一見何の役にも立たないように思える虫や、わたしたちを困らせるカビなども、あらゆる存在が見えないところで繋がっていて影響し合っているのです。もちろん空気や水もそうです。
自然には美しくやさしい、不思議さを与えてくれるだけではなく、荒々しい部分も多くありますし、わたしたちを困らせる部分もあります。だからこそ昔の人は様々な自然現象に畏敬の念を抱いていました。恵みを与えてくれもしますが、人間にはどうすることもできない猛威をふるうこともある。その両方を受け止めてきたのです。
見えない部分に思いをはせること。見える世界も見えない世界も含め、何が良いとか悪いではなく、良いことも悪いこともどちらでもないことも全体としてとらえることができると、そこに真理というか真実というか「永続的で意義深いなにか」を感じることができるのではないでしょうか。
レイチェルカーソンは海洋生物学者として、科学的に自然を研究してきました。「作者が素材を選ぶのではなく、素材が作者を選ぶのです」というほど研究を尽くしたのです。科学的につきつめればつきつめるほど、ことばでは説明のつかない「永続的で意義深いなにか」にであったように思います。