2011年 8月

サッカー少年

2011/08/22

夕方の園庭、サッカーボールが好きな年少組のA君が遊んでいました。最近は年長組のB君の真似をしてボールをバウンドさせて玉つきをしています。結構上手で、目の前で10回以上連続でついて見せてくれました。

しばらくして、A君がドリブルをしながらこっちの方向へ走ってきます。すれ違い様何げに「よぉサッカー少年!」と言ってみたら、「ちあうで、ぷおあで!」(皆さんには何と聞こえますか?)と言ってそのまま走り去りました。なるほど、そうきたか!と思い、一本取られた感じでうれしかったです。

次の日の夕方、友達と少し遊んだ後、お気に入りのサッカーボールを見つけて遊び始めたA君。私が少し離れた所で見ていると、そのうちボールが一人で遊んでいた一つ年下の女の子の所に転がっていきました。友達にボールを取られたら怒るけど、その子がボールに触ってもA君は怒らないし、両手でボールを持ち「つかう?」と聞く仕草をしました。それを見てやって来た年少組の男の子。どうやら「ボールかして」と言っています。女の子の反応がまだのまま、男の子同士でボールの所有権を巡って「かして」「かさへん」のやり取りが始まりました。何度か言い合いをしたあと、とうとうA君が大きな声で「これはあかちゃんの!!」と言って、女の子にボールを預けました。ボールを貸してもらえなかった男の子は半ベソになり「ボールかしてくれへん」と私の所にやって来て言いました。本当は丁寧に説明してあげれば良かったのかもしれないけど、その時はプロが大きな声で頑張った手前、私の出る幕ではないと判断して(後付けかもしれませんが、そんな気持ちだったはずです)「そうかそうか~‥‥。」とか何かうまい事を言って、園庭に転がっている別のボールを目で探し始めました。

おみぬぐい

2011/08/21

園の入口に童形六体地蔵尊(どうぎょうろくたいじぞうそん)というお地蔵様がいらっしゃいます。子どもたちは毎朝登園時におはようございますと手を合わせ、帰るときにはさようならと頭を下げています。いつも子どもたちを守ってくださっているお地蔵様です。毎年8月23日の地蔵盆のお参りを前にして、子どもたちがお地蔵様のおみぬぐいをしており、今年も年長の子どもたちが汗を流しました。

童形六体地蔵尊は鞍馬寺開創1200年記念事業の一環として昭和61丙寅年の本尊ご開帳の年に刻まれ寄進されたものです。大きな石に子どもの姿をした六体のお地蔵様が刻まれています。

 童形六体地蔵尊

おみぬぐいは、このお地蔵様のおすがたを清めます。屋外の石像なのでたわしを使いますが、衣紋や顔などの細かな部分は歯ブラシなども使います。その歯ブラシでお地蔵様の口をゴシゴシしている女の子がいました。歯磨きをしているつもりなの?と思いながら見ていると、その子と目が合ってニッコリ!きっとそうだったのでしょう。

濡れた石の上に登って洗うので、私などは滑って転ばないかということが気になって、ついつい「滑るから気をつけてね!」と言いそうになってしまうのですが、保育士はさすがです。そんなことは事前に説明していて、子どもたちが洗い始めると「滑るよ」「危ないよ」などと言うこともなく子どもたちの様子を見ていました。本当に危ないときや必要なときには、しっかり守ろうとしていたのでしょう。子どもを丸ごと信じていないとできないことです。

子どもたちはといえば、水がかかっただの、もっとまじめにやれ、だのもめたりすることもありますが、「私はこのお地蔵さんを洗うから、あなたはとなりを洗ってね。」「顔はきれいになったから今度は足を洗おうか。」「ホースを持ってる人、水かけて。」などと力を合わせながら一時間ほど頑張っていました。おかげでお地蔵様は美しくなり、子どもたちも満足げでした。

夕方、園を出るときにお地蔵様を拝んでみるとお地蔵様の美しさに少しムラがあります。そりゃ子どもたちだけではできない部分があって当然です。たまたま一人の保育士が帰るところだったので、私が「大人がもう一度仕上げをした方がいいね。」というと、その保育士は「子どもたちが洗っているあいだに、大人が少し手伝うことができると一番良いんですよね。」といいます。大人が一緒にやれば、子どもには難しいところをさりげなくフォローできて、より美しくなるので子どもたちの達成感も倍増するというのです。なるほど、より美しくなっていれば達成感も違います。子どもたちの気持ちをちゃんと考えてくれていることにうれしくなりました。

みんなで一緒に力を合わせて

きれいになーれ!

いのちのめぐり

2011/08/20

園の近くを歩いていると、地面でなにやら虫が動いていました。何の虫だろうと思って近づいてみると、アブのようですが頭が二つあるように見えます。頭が二つあるアブ?まさか?と思って、さらに近づきよーく見てみるとなんと細長いアブのような虫が、別の大きなアブを抱きかかえるようにして捕まえていたのでした。もっと近づくと、少し警戒したのか近くの石垣に飛び移りました。

これはおもしろいと思い携帯電話のカメラで撮影を試みますが、ピントが合わなかったり画角が悪かったりでうまく撮ることができません。かなり近づいてようやく何枚か撮影できたのでしばらく見ていましたが、あまり動く様子もなくじっとしています。どうやら獲物が重すぎて素早く飛ぶことができないようです。

捕まえている方のアブが細長い口を獲物の首筋(というのでしょうか?)に突き立てています。捕まっている方は時々痙攣するように動くだけです。しばらく見ていましたが、あまり変化がないのでその場を離れました。

後で調べてみると捕まえていたのは、どうやらサキグロムシヒキというアブの仲間のようですし、捕まっていたのはヤマトアブというアブです。調べたところによるとこのサキグロムシヒキは、どう猛なスズメバチや自分よりずっと身体の大きな他の虫を捕まえるそうです。

厳しいようですが、自然はみんなそうです。植物が芽を出し成長し、花をつけ実を結ぶ。それを食べる虫がいて、その虫を食べる鳥などの動物がいて、さらにそれを食べる動物がいて・・・学校で習った食物連鎖です。そして枯れた植物や動物の死骸はキノコなどの菌類のはたらきによって土に還ってゆきます。森のお掃除担当だそうです。そして、豊かな土からまた新しいいのちが芽生える。「いのちのめぐり」です。この「いのちのめぐり」がちゃんと行われているところが豊かな自然のあるところだという話しを聞いたのを思い出します。

みんなそれぞれに自分の役割を果たしているからこそ、全体がうまくめぐるのですね。

そんなことを考えていた次の日、園のデスクの上にサキグロムシヒキがいました。こんどはどんな獲物を狙っているのでしょう。

つかまえた!もうはなさないぞ!

癒されました。

2011/08/20

この間、寝違えて首がまわらない日が何日か続いていた時の出来事です。
朝の自由遊び時間にこども達とゲームをして遊んでいいたんです。そしたら後ろから「先生〜!」と呼ばれいつものように後ろを向こうとしたその時、首にペキッ!と激痛が走りました。とっさに「痛っ!」と声が出てしまい首を押さえながらこども達の話を聞いていると反対の肩に優しい手が・・・。Aちゃんが肩をスリスリ撫でてくれたんです。その手に気づきそちらを向くと「大丈夫?痛いの?」と優しく声をかけながらしばらく撫でてくれていました。
痛い方の肩ではなかったのですが、すっと優しく出来る事に嬉しく、痛みが飛ぶくらい癒された瞬間でした。

バレーボール

2011/08/19

先日、高校生のバレーボールの試合を観戦しました。全国私立高等学校男女バレーボール選手権大会(通称さくらVOLLEY)が、8月13日から16日にかけて町田市立総合体育館のほか13会場で開催されたのです。男女各80校が出場する大きな大会で、4月に開催されるはずだったのですが、震災の影響で開催が8月に延期されのです。京都から出場している男子チーム4校のうちの1校の応援に行きました。

感心したのは、応援していた高校の保護者の熱心さです。京都から大勢の人が何泊もして、とても暑い体育館の中で熱心に応援されていました。

さて、試合ですが、1セット目は順調に得点を重ねて楽勝です。しかし2セット目は接戦でした。ピンチや大切なときにちいさなミスが出て相手に得点を許したり、ここというときに得点できなかったりしていました。なんとか2セット目も競り勝ってその試合は勝ちました。私はバレーボールのことはよくわからないのですが、技術的なものは当然としてもその上にチームワークと精神的な部分が大切なのだろうな。と試合を見ていて感じました。

たまたま購入した大会パンフレットに大会委員長の中村四郎さんという方が書いていらっしゃった記事の中に師弟関係と立場の相違ということがありました。

昔の職人は弟子に技術を教えなかったので、教えてもらえない弟子たちは「見て学ぶ」「技術を盗む」「自分で考える」ということをした。しかし今は先生が教え、生徒が教えられるという「教える立場」と「教えられる立場」がはっきりした師弟関係になってしまった。といった内容です。ここで強調されていたのは、教える方が偉くて教えられる方は何事においても下というのはちがう。という立場の違いが人間の違いではないことでした。私が感じたのは、昔の職人さんの教え方、学び方です。あえて教えないことで学ぶ方の「何とかして技術を身につけたい」という意欲を喚起し、見て、盗んで、考えるという、学び手の積極的な態度を引き出すことをしていたのでしょう。もちろん言葉で丁寧に伝えることも大切ですが、一から百まで説明してしまったら学ぶ側は全て受け身になってしまい積極的な態度は身につかないのかもしれません。子どもたちに学ぶ機会を提供する私たち保育者も気をつけないといけないことだと思います。

また、チーム内の選手でも、上手な選手、中くらいの選手、余り上手でない選手、3年生から1年生までいる方が良いということを、上手な3年生ばかりのチームが予選落ちしたことを例に説明されています。上手な同学年ばかりだと、みんながエースになり、キャプテンになって「俺が俺が」のやる気十分が却って混乱を招き、やる気が焦りに変わり、罵り合いになって我慢する人がいない最も弱いチームに変身してしまったというのです。

まさにチームワーク、役割分担だと思いました。一つのチームの中にはいろいろな人がいた方が良いのでしょう。多様性です。そしてそれぞれの違いを互いに認め合い、かばい合い、助け合ってそれぞれの立場でそれぞれの責任を果たすことなのです。それはバレーボールだけではなく、人が集まって一つの目標に向かって進む組織には必ず必要なことです。

白熱する試合 暑いなかみんな頑張っています

応援にも熱が入ります

畑?ジャングル!?

2011/08/19

春に植えた畑のお野菜たちが、梅雨の雨と夏の日差しを浴びて、モリモリと大きくなり…モリモリモリモリ大きくなり…畑だったはずのところが、いつしかジャングルに…メロンやスイカは大きく大きく葉っぱを茂らせ、その合間に雑草と呼ばれる草たちもしげしげ茂ってまるで熱帯雨林。虫たちも嬉しそう!!でもそうとばかりも言っていられません。なぜなら足の踏み場もないからです。ならばと道を作りに仲間と向かいましたが、あまりの勢力に跳ね返されてしまいました。そんなある日、ある仲間が「なあ、あのジャングルどうする?」と聞いてくれました。「うーんそやなぁ、今度の土曜日にどうにかするわ」といつも土曜日はお休みのその仲間に言ってしまいました。するとその週の金曜日、お母さんから「明日なにかあるんですか?僕いかなあかんネン!!って言っているんですけれど…」実はカクカクシカジカで…とお話しすると、土曜日に来てくれて一緒にジャングルと戦いました!ありがとう!!ステキな仲間です。でも…自然は強く、かなり頑張ったのにできたのは足の踏み場だけ…それでも育つ力強いお野菜に期待です!!

消火訓練

2011/08/18

園では毎月、園児と職員が避難訓練を行っています。火災や地震の発生を想定して園児を避難誘導する、火災の場合は消防署へ通報する、初期消火に当たる、などです。子どもたちは、何故そうするのかということをきちんと説明するとよく理解していて、スムーズに行動できます。

8月17日、左京消防署鞍馬出張所の皆様にご指導いただいて、鞍馬寺の自衛消防隊と合同で消火訓練を行いました。子どもたち対象というよりも、職員が消火器や屋外消火栓の使い方を訓練することが中心でした。

消火器を使ってみました

訓練用の消火器を使い、想定した火元に向けて消火液(訓練用は水)を噴出させる訓練です。消火器を火元近くに運び、安全ピンを外し、ホースを火元に向けて、水をかける。言葉にすると簡単そうですし、実際に簡単なことなのですが、慌てたり緊張したりすると、まさかという失敗をしてしまうものです。だからこそ定期的に訓練を行い、いざというときに対処できるようにしておくことが必要なのでしょう。

例えば火元付近に到着する前に安全ピンを抜いてしまうと移動中に誤って消火液を出してしまい、いざ火元についたときには消火液がなくなっているということがあるようです。職員は消火器の使用方法はよくわかっていますが、子どもたちに教えるという形で自分自身も復習をしました。子どもたちは一度聞くとよく理解していて、先生と一緒に火元に向かってうまく水をかけていました。

もう一つは、屋外消火栓の使い方です。保育園の近くに屋外消火栓があるので、いざというときに使えるようにと訓練をしました。こちらは消火器と違って一人では操作できないので、筒先を持つ人、それを支える人、水を出す人の3人1組になった連携が必要です。ホースを伸ばす、筒先や消火栓とホースを接続する、放水するということをしなくてはなりません。こちらはあまり経験がないので、少し戸惑いながらもみんなうまく放水していました。実際に放水するとかなりの水圧のため、しっかりと筒先を持っているのが大変なこと、支える人との交代も含めた連係が大切なことが経験できたのではないでしょうか。

こういった訓練は、意識の上でもついつい二の次になりがちで、どちらかといえば面倒なのでやりたくない。あまり積極的ではない。といったことが多いようですが、職員のみんなは真剣に取り組んみ、なかには楽しそうに訓練している人もいて「子どものいのちの輝きのために、子どもの命を守る」という姿勢が伝わってきました。その気持ちが伝わったのでしょう、かなり長い時間でしたが子どもたちも真剣に訓練の様子に見入っていました。

消火栓の放水を見る園児

消火栓の放水 結構力がいります

ゆりさんはやっぱりすごい!!

2011/08/18

この頃、鉄棒の周りがいつも賑わっています。
そういえば…去年の今頃も鉄棒の周りには毎日頑張っている子どもたちの姿がありました。
運動会に向けて自分で目標を決め朝夕はもちろん暇さえあれば練習しているみんなの姿に「心も身体もおおきくなったな~」と感じていたことを思い出します。

この間「見て、みて~逆上がりできるようなった~」とうれしそうに報告してくれたゆり組(年長)の子どもがいました。「すごいなぁ~もう出来るようになったん?」に子「○○ちゃん(旧ゆり組)もこんなんしたはったなぁ~」とコツを教えてくれました。鉄棒の周りには今!頑張っている最中の子どもたちに教えてあげる姿があったり、ゆり組を見てひまわり組(年中)の子どもたちもが真似をしてチャレンジしている姿がありました。そして、その周りには「すごいな~」と保育士と一緒に拍手している乳児クラスのみんなもいます。
昔からある縦社会ではなく、こんな憧れからくる縦の関係は本当にステキで保育園の中で大切にしたい関係だなと思って毎日見ています。

戦い・争い

2011/08/17

終戦記念日に戦争について考えてみました。

以前、NHKの番組で、あるアメリカ人ジャーナリストが、沖縄戦を経験した自分の父親が戦争中沖縄で多くの日本人を殺したと告白し、沖縄から持ち帰った日本人の遺品を遺族に返してほしいと言い残して他界したことをきっかけに、沖縄戦の証言を集めるという活動を紹介していました。父親と同じ部隊に所属していた人を全米中探して話を聞き、遺品を遺族に返そうと沖縄に渡って日本人からも沖縄戦の話を聞くという内容でした。第一戦で戦ったアメリカの兵士も多くの人が命を落とし、たとえ生き残っても深く傷つき生涯大きな苦しみを背負っていたのです。

自分自身や家族、友人が傷つけられ、いのちを奪われることは大変な苦しみでしょう。それと同じように、傷つけ、いのちを奪わざるを得なかった人も大変な苦しみを一生背負って生きてゆかなくてはならないのです。勝っても負けてもみんな傷つき苦しむのです。それなのにどうして戦争はなくならないのでしょうか。だれも喜ぶ人はいないはずなのにどうしてこんなことが繰り返されるのでしょうか。

人間の歴史は戦争の歴史かもしれません。争うことは人間の悲しい性なのでしょうか・・・

戦争で傷つくのは人間だけではありません。戦争は最大の環境破壊といわれるように、人間の身勝手な行為のために、多くの他の生き物も犠牲になります。

そんな戦争をしなくてもすむように、私たちには何ができるのでしょう。

私たちの中にある、恨みや憎しみ、地獄、餓鬼、畜生、修羅の心が争いを生むのかもしれません。

自分の心のなかから恨みや憎しみの心がなくならないとしても、それが燃え上がらないように、その心に支配されないように自分自身を律すること。

他の人を否定したり排除しようとするのではなく、お互いに信じ合い理解しようと努力し、目標に向けて力を合わせて一緒に取り組む、そのことに喜びを感じられるようになること。

そんなに単純ではないかもしれませんが、大切なことではないでしょうか。

子どもたちも同様です。お互いに認め合い、信じ合い、冷静に意見を交わし、力を合わせる。そのことが楽しく、うれしいと感じられる。問題を暴力で解決するのではなく、協力して解決するのが当然で楽しい。そんな経験をたくさんして、それが当たり前という環境で育つことです。

そして大切なのは、それを大人がやらせるのではなく、子どもが自らそうしたくなるような環境を整えておくことと、子どもにそうさせたいなら、まず大人自身が努力し、実践すること。自分の心に負けないように。

ジャガイモ

2011/08/17

園の畑に植えてあるジャガイモを掘りに行きました。みんな、スコップとバケツを持ってうきうき気分で行きました。

畑には、カマキリや、セミやバッタなどの虫がたくさんいて、「いっぱい虫がいる」と、とても喜んでいました。ただ、肝心のジャガイモは小さいの3つくらいしか掘れませんでした。

その小さいジャガイモを給食の先生にふかして(蒸して)もらい、ひとかけらずつみんなで食べました。

でもそのジャガイモは小さいながらもとってもおいしかって子どももみんな「おいしい!!」や「もっと食べたい」と言ってとても嬉しそうに食べていた子どもたちでした。

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