2011年 8月

最後のプールあそび

2011/08/26

朝から用事を済ませて、11時過ぎに園に行くと園庭がとても賑やかです。子どもたちの楽しそうな歓声に混じって、ときどきおとなの笑い声や大きな声も聞こえてきます。何が起こっているのだろうと思い、窓から園庭を見ると年長児と保育士がプールで遊んでいます。そういえば、この夏最後のプール遊びをするって言っていました。他の子はもうお昼ご飯の準備にいったのでしょう。年長児だけが思いっきり遊んでいます。

お水 かけてあげるね!

何をしているのだろうとしばらく見ていると、子どもたちがかわるがわるプールの中に座った保育士の頭から肩から水をかけています。そのたびに保育士は「ひえー」「つめたーい」と叫んでいます。ペットボトルで水をかける子や、大きなバケツになみなみと水を運んできて一気に頭からかけている子もいました。その子どもたちのいきいきした顔といったら・・・見ているこちらまで楽しくなってきます。近くのデスクで仕事をしていた主任に「ちょっと見て」と声をかけたくらいです。

当園では、基本的には子どもが主体的に遊び、大人はその姿をそっと見守る立場でいるので、大人が大きな声を出して指示をしたり、何かをさせたりすることは少ないのです。もし、大人の大きな声が聞こえるとしたら、楽しすぎて大きな声になっているか、笑っている声です。

この日はみんなで楽しく遊んだ夏の日の思い出にしたかったのか、ただ単に大人も遊びたかったのか・・・

降りそそぐ夏の日差し、飛び散る水しぶき、子どもも大人もはじける笑顔、このキラキラとした空気感、全員が心の底から楽しみ、いきいきと輝いているとってもステキな時間でした。

あまり楽しそうなので園庭に出てみると、子どもたちが「園長先生こんなんできるようになったで」と水に潜ったり、背泳ぎをしたり、いろいろと見せてくれます。「へー!すごいなー」といって見ていました。

すると、どこからともなくビートのきいた威勢の良い音楽が聞こえてきて、子どもたちも保育士もプールの中や周りで踊り始めました。音のする方を見てみると、2階の窓からこちらを見てニヤニヤしている年中児と保育士の姿が、どうやらこの曲は、近づいてきた運動会で踊る曲のようです。楽しそうにプール遊びをしている年長児を見て、「この曲聞かせたら踊り始めるかな」などと相談して、やってみたのだと思います。この作戦に乗せられ、プール遊びをしていた年長児も思わず身体が動いてしまった。といった感じでしょうか。

運動会の練習ですから先生の言うとおりにしなさい!といって練習するよりも、こんなに遊び心いっぱいでダンスの曲に親しむ、すべてを遊びの中で楽しむ。子どもたちのやってみたい!に自然につながる。とってもステキだと思いました。

思わず踊り出してしまいました

お盆明け

2011/08/26

お盆休み明け。まだ小さいクラスの子どもたちは、長い休みを挟むと「お母さ〜ん!!」

と登園時に離れるのが辛かったり、ふとお家のことを思い出して涙がぽろり、、、。

さて、どんな一日が始まるかな!??と思っていたら、「しぇんしぇ〜〜」ピタ〜ッ。と

抱きつきにきてくれた女の子がいました。お母さんに聞くと、休み中も「保育園は〜?

と聞いていました!」との事。その後泣いて登園してきた友達には、の〜。ね〜。と自分

の話せる言葉で精一杯声をかけてくれていました。そこで泣いていた友達にも笑顔が!!

思わずこちらも笑みがこぼれてしまうひとときでした。その後も子どもたちがそれぞれの

あいさつで「おはよう!」「久しぶり!」と言い合っているよう 。。。012歳。そんな

小さななかまが保育園を楽しみに来てくれる!!今日はどんな一日にする〜!?こちらも

胸がわくわくしてきた一日の始まりでした。

 

地蔵盆 3

2011/08/25

8月24日、鞍馬の各町内でも地蔵盆が行われました。それぞれの町内に伝統的に伝わる方法でお地蔵様をおまつりし、いろいろな催し物も行われます。午前中に園の年長児たちが近くの町内のお地蔵様にお参りに行きました。般若心経とお地蔵様のご真言を唱えてきたそうです。私は同行しませんでしたが、大きな声で唱えている姿が目に浮かびます。

各町内ではそれぞれに工夫を凝らして時間ごとに、たこやき、焼きとうもろこし、かき氷、大人用に生ビールなどの食べ物の提供をはじめ、福引き、ビンゴゲーム、金魚すくい、大学生サークルによる人形劇などをされているところもあります。そして夕方には地蔵寺のご住職によるお参りがあり、数珠繰りをされているところもあります。普通、子どもたちは自分の所属する町内で楽しむそうですが、鞍馬では各町で少しずつ催し物の時間がずらしてあり、子どもたちは各町内を巡っていろいろな催し物や飲食を楽しんでいます。

鞍馬地区にとって少子高齢化は大きな問題です。小学校の児童数も減少し、地域をあげて対策に取り組んでいらっしゃいます。ですから、普段は子どもの姿はあまり見ないのですが、地蔵盆にはたくさんの子どもたちが参加しています。親戚の子どもさんなどが地蔵盆を楽しむために集まっていらっしゃるのだそうです。

子どもたちが賑やかに楽しそうにしているのを見て、せめてこの半分でも鞍馬にいてくれると良いのにと思ってしまいました。

すべての命が光り輝く

2011/08/25

私はこの鞍馬山が大好きです。鞍馬山に一歩足を踏み入れると木々や葉が太陽の光に照らされてキラキラと輝いている。ふと耳を澄ますと虫や鳥の鳴き声が聞こえてきます。今の時期だと雨が降る前にはヒグラシが鳴き始め雨がやみ、またお天気になるとアブラゼミ、クマゼミが一声に鳴き始める。人間だけでなく鳥や虫すべてのものには命があって、その命のつながりや大切さに気付かされます。鞍馬山保育園の子どもたちは常に散歩先でいろんな虫と出会い五感を使って体いっぱいで感じる事ができる環境にいられるので、とても幸せだなぁと思います。この小さな時期に経験し体感した事は大きくなっても繋がっていくと信じています。

地蔵盆のお参りを行いました

2011/08/24

8月23日地蔵盆のお参りを行いました。

直前まで降っていた雨もあがり、年長児、年中児は川上地蔵尊までお参りに行きました。

保育園前の童形六体地蔵尊には全園児でお参りできました。

鞍馬寺の外郭団体である京都くらま会の皆様には様々にご協力いただき、ありがとうございました。当日もお忙しい中お参りいただきありがとうございます。

保護者の方をはじめ、お寺のご信徒もお参りいただき、ありがとうございました。

園舎の2階で、子どもたちを中心に、みんなで一つの輪になってお数珠繰りができて良かったと思います。

これからも、どうぞよろしくお願いします。

人を思う

2011/08/24

ある日の給食時、一人の仲間が食べ辛そうにしていました。どうやら喉が痛いのかのみ込めない様子。結局少しのご飯と、おつゆだけで彼は「ごちそうさま」をしました。

その後ひと遊びしてお昼寝。

そしておやつの時間。私はその彼とおやつを一緒にできず、「どうなったかなぁ」と心配しながら少し遅れてランチルームへ。そしてその彼に目をやると、お皿は空っぽ??あら?っと思っていると、その彼の向かいに座っていた1つ大きい仲間が私に向かって、彼「全部食べはったで~」私「見ていてくれたん?」彼「うん、だって先生いなかったから」ですって…

その場には別の保育士はいたのですが、私がいなかったので、その1つ大きな仲間は、1つ小さい仲間に気持ちをむけて見守ってくれていました。そして何も言わなくても私が気にしている事に気づき、教えてくれました。

人の気持ちに気づき、思いやる事ができるって「ステキ」ですね。

地蔵盆 2

2011/08/24

地蔵盆のお参りをしました。この時期にしては珍しく雨模様。

川上地蔵堂でお参り

最初は園から200メートルくらい山を登ったところにある川上地蔵尊にお参りします。川上地蔵尊は牛若丸の守り本尊といわれ、牛若丸ががいたと伝えられる東光坊跡の前にあります。園を出発する少し前、激しい雨が降ってきました。このままでは行けないかなと思っていたら、出発直前になって雨が上がり4歳児5歳児がお参りに行きました。

次は園に戻り全園児で童形六体地蔵尊にお参り、いつも地蔵盆を支えてくださる方々や保護者も加わってのお参りです。

最後は園舎の2階でもう一度お参りをした後に数珠繰りをします。みんなで一つの輪になって、お地蔵様の真言を唱えながら大きな数珠を隣に送るようにして回す(繰る)のです。

童形六体地蔵尊にお参り

お参りでは般若心経を3回も唱えたにもかかわらず、子どもたちは一生懸命お唱えしていましたし、数珠繰りも随分時間がかかるのですが、「オン カカカ ビサンマエイ ソワカ」と元気にお地蔵様の真言を唱えながら、数珠を回していました。

前にも書いたようにお地蔵様は、すべての衆生をお救いくださいます。子どもたちにも「お地蔵様はいろんな姿に変身して困っている人を助けてくださるんだよ。」と説明しました。

しかし、助けてくださるってどういうことなのでしょう。お参りがすべて終わって片付けをしている間に考えてしまいました。

みんなで輪になって数珠繰り

生きてゆく上ではいろいろなことが起こってきます。どうしようもなく辛いこと悲しいこと、自分自身の力ではどうしようもないこと。お地蔵様はそんな目に遭わないように、そんなことが来ないようにしてくださるのでしょうか。そうかもしれません。転んだときにけがをしないように、けがをしても大けがにならないように、そっと手をさしのべてくださるのかもしれません。

それでも、つらいことや悲しいこと苦しいことはやってきます。それを乗り越えるのは、やっぱり自分自身です。お地蔵様が代わりに乗り越えてくださるわけではありませんし、他の誰かでもありません。乗り越えるのは自分自身しかないのです。その力、心の力と言っても良いかもしれませんし、気づく力といっても良いかもしれません。お地蔵様はそれを与えてくださるのではないのでしょうか。

その姿勢は、ああしなさい!こうしなさい!あれはだめ!これもだめ!と自分の考えを押しつけたり、急がせたりせず、そっと、じっと、その人が気づき自分から変わるのを見守ってくださっているイメージのような気がします。

お地蔵様は様々なお姿になって救ってくださいます。子どもたちにもそう説明しました。それは、救う人に合わせること、別のことばで言えば、その人の個性を尊重するということなのではないでしょうか。

ついつい、自分の考えが一番正しくて、他の人をそれに従わせたくなる。自分の正しい(と思い込んでいる)考えに従わないヤツはダメだ!と思ってしまう。そんな欲にとらわれ、それがかなわないといって、自ら苦しみを作ってその苦しみの奈落に自分で落ちてしまいがちです。

苦しむのも自分、苦しみから救われるのも自分なのでしょうね・・・

苦しみや怒りの心にもってゆかれてしまわないように、自分の心を律してゆきたいと思います。

 

地蔵盆 1

2011/08/23

お地蔵様は地蔵菩薩といい、修行をして仏様になれるのだけれども、苦しむ衆生を助けるという誓願を立て、釈迦牟尼仏入滅後、弥勒仏ご出現になるまでの長い間、様々な姿になって衆生を済度されているのです。六体でいらっしゃるお姿は、生死を繰り返す六つの迷いの世界である六道(地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人道、天道)のそれぞれを救ってくださるということを表しています。

お地蔵様を講讃する法会は古くから行われていて、特に7月24日(旧暦)には子どもたちが辻ごと(町内ごと)にいらっしゃるお地蔵様を祭る地蔵盆として行われていました。今は、8月24日(新暦)や、その前後の休日に行われていることが多く、京都では町内ごとに行われています。鞍馬でも地蔵寺をはじめ各町内で行われ、子どもたちが順番にお地蔵様を巡っています。普段は小さな祠などにいらっしゃるお地蔵様がこの日は祭壇に祀られ、その前で子どもたちがゲームや福引きを楽しんだり、数珠繰りをするなかでお地蔵様にご縁を結ぶのです。

園では各町内の地蔵盆と重ならないように1日早い23日にお参りをしています。おみぬぐいをして美しくなっていただいたお地蔵様に真新しいよだれかけをかけ、お供え物を供えてお参りします。お供えは保護者の皆様はじめ、地域の方々やお寺のご信徒、多くの方々からたくさんいただきます。

お地蔵様のよだれかけは、毎年地蔵盆前と年末に卒園児の保護者が手作りしてくださっています。夏はレースをあしらうなど涼しげな工夫がしてあったりして、心を尽くしてくださっているのがよく感じられます。もう15年以上も欠かさずに続けてくださっていますが、なかなかできることではありません。

お地蔵様がご縁の結び目となっていただいて、子どもたちを中心にいろいろな人々が様々に繋がり、一緒にお参りをする。そういったせっかくのつながりの機会が、もっと子どもたちが実感できる形に、いろいろな人たちと実際にふれあい共に何かをする機会にならないものか、何か良いアイデアはないかと考えています。

おみぬぐいが済み、新しいよだれかけをかけた童形六体地蔵尊

スチコンさんと昆布さん

2011/08/23

給食室にスチコンさん(スチームコンベクションオーブン)がはいったよ。
これがなかなかの物でしてね。今までお出しを取った後の昆布さんは、生ゴミ処理機で乾燥され、畑のメロン、プランターのトマトやオクラ、花壇のお花の肥料になっていましたね。
だけどこのスチコンさんのおかげで、昆布の甘煮ができたんです。
給食の時、ご飯の横につけてもらって、不思議そうだった子ども 達。
しばらくすると「食べている」「食べている」、皆々食べているんです。
「おかわり」、ご飯かな…?いやいや昆布のおかわりでした。
昆布さん、昆布さんの命全部いただいてもらって良かったね。昆布さんのミネラルは、体の中でとっても大切な働きをしてくれているんだよね。
これからも子ども達の健康のため、スチコンさん、昆布さんよろしくね。

あまい香り

2011/08/22

8月初めのある日、車を運転していると携帯電話が鳴ったので交通量の少ない脇道に車を止めました。電話を終えて何気なく窓の外を見ると、田んぼの向こうに比叡山が見えます。そのあたりは近年宅地化が進んできたところで、田んぼや畑と住宅が混在している地域です。

比叡山から吹き下ろしてくるのか、とても涼しい風が車の中を通り過ぎ、目の前には夏の日差しに稲の緑がかがやいています。

とっても気持ちよかったので、車の窓を全部開けてしばらく風に揺れる稲を見ていました。風が息をするのにあわせて稲の波がこちらに打ち寄せ、まるで風が見えるようです。

田んぼを渡った風が通り抜けていったとき、とても香ばしくどことなく甘い香りで車の中が満たされました。何の香りだろうと思いながら、田んぼをよーく見てみると、かがやく稲の葉の間に稲穂が、その先にはかわいらしい稲の花がたくさん咲いているのです。甘く香ばしい香りは稲の花と葉の香りだったのでしょう。

美しい稲の緑、わたってくるさわやかな風、その風が運んでくる香り…

元気に育って花をつけ、まさに実を結ぼうとしている稲。その溌剌としたいのちの輝きが感じられ、とても満ち足りた、うれしく、優しい気持ちになりました。

園で育てている稲も花をつけました

スクロール