園長ブログ

生きる力

2012/07/02

子どもが育つ上で生きる力を育むことが大切だといわれます。生きる力とは何でしょうか。どうすればそれを育むことができるのでしょうか。誰かが教えてあげるものなのでしょうか。たくさん教えれば、その力がつくのでしょうか。

子どもは環境を通して育ってゆきます。自ら環境に関わることによって育ってゆくので、思う存分いろいろなことに興味関心を持ち探求心を持って関わることのできる環境を用意し、自ら育ってゆくことを応援してあげると良いのだと思います。しっかりと寄り添いながら、時には誘ってみたりすることも必要かもしれませんし、励ますことも必要でしょう。

ところで、生きているのは人間だけではありません。自然の中で様々な動植物がそれぞれの役割を果たしながら生きています。誰かに教えられるわけでもなく、まるでそうすることを知っていたかのように成長してゆくのです。その根源にはしっかりとした生命力があるのです。

少し前のことです。お寺に行くと、一本の木の幹が横たわっていました。仕方なく伐採しなくてはならなかったもみじの木だということです。太いところで直径20センチくらい、長さ3メートル弱といったところでしょうか。どうしようもなくて伐採したそうですが、なにかに使うつもりで置いてあったようです。

それから数日して、そのもみじの木の近くを通ることがありました。ふと見ると、そのもみじのところどころから緑の葉が出ているのです。根も枝も何もない一本の棒になった幹から葉が芽吹いているのです。その生命力のすごさにとても驚きました。

その後もお寺に行ったときに、もみじはどうなっただろうと思って見てみると、葉は大きくなり、数も増えていました。もちろん幹が水に浸してあったわけではありません。そんな姿を見たお寺の方もそのまま放っておくのは忍びないと思われたようで、70センチくらいの長さで4本に切りわけて、水につけておくことになりました。ちょうど、切り分けて水につけるところを見ることができたこともあって、それからそのもみじがどうなってゆくのだろうととても気になりました。

夏越の祓

2012/07/01

7月になりました。今年も半分過ぎてしまいました。早いですね。今年取り組もうと目標にしていたことの半分くらいはできたのでしょうか?そう考えると、結構不安になります。できたことはできたことで、できなかったことはこれから一生懸命取り組むようにしましょうか。

6月の30日には、各地の神社で夏越の祓という行事が行われます。茅の輪をくぐったり、人形に息を吐きかけたり、からだをなでたりして罪穢れを移したりして、半年間の穢れを祓うというものです。
日々の生活の中で、あまりよくないことをやめようとしているけどやめられなかったり、ついつい様々な穢れにまみれてしまいます。精神的な部分だけではありません。なによりも病気をせず、元気に過ごせることが大切です。1年の折り返し地点でもう一度自分自身をふり返って、ていねいに生きることが大切なのでしょう。

園の近くに由岐神社という神社があり、茅の輪がしつらえられていました。残念ながら当日はお参りできませんでしたが、6月30日に参拝して、茅の輪をくぐり、罪汚れを祓ってもらうと茅をお守りとして授けてくださいます。

  茅の輪

この日には「水無月」というお菓子をいただきます。三角形をした外郎生地のうえに小豆がのったお菓子で、小豆には魔除けの意味があり、三角形の外郎は氷を表しているそうです。氷室から取り出した氷が宮中に献上され暑気払いに食されたのをお菓子に表したそうです。

罪穢れを祓い、水無月を食べて暑気払い。でも水無月の食べ過ぎには注意しなくてはなりませんね。

   水無月

おおきくなってね おいもさん

2012/06/30

春に植えたおいもの苗は元気に育っているのか、どれくらい大きくなったのか、畑に見に行ったら、ずいぶん育っている姿を見て子どもたちは喜んでいました。せっかくなので、みんなで水をあげようということになり、園から持ってきたじょうろを交代で使って水をあげました。

2〜3回水をあげたら、土遊びの方がおもしろくなって、土遊びに興じている子もいました。この畑の土はさらさらしているにもかかわらず、握ると弾力がある感じがして、保育園の周辺では味わえない手触りです。そんな触感を楽しみながら、畑の隅に山を作っています。そうかと思えば、何人かの子どもたちは、何度もじょうろで水を汲んではおいもにかけてあげることを繰り返しています。40分以上続ける子もいました。いつまでも続きそうだったので、もうそろそろ終わりにしようかと声をかけようとしていたときです。女の子が、水を入れたじょうろの水の入れ口にいきなり口をつけるので、まさか飲むの?なんて思っていると、次の瞬間、水の出口から水がピューと噴水のように吹き上がりました。どうやら水を飲もうとしたのではなく、息を吹き込んでいたようです。大人がやって見せたのか、本人が気付いたのかよくはわかりませんが、それがおもしろかったようで、何度もやっていました。彼女は水と空気の圧力について学んでいたのですよね。

噴水だよ! 圧力の実験に取り組む


ずいぶん畑で遊んだので、「おいもさんおおきくなってね」と声をかけて畑を後にして、琵琶湖岸に移動して少し遊ぶことにしました。
暑いくらいの気温に、真っ青な空、目の前に広がる広大な琵琶湖、水遊びが始まらない方が不思議です。普段なら水遊びがエスカレートしてびしょ濡れになってしまうのですが今回は、最初から琵琶湖に入るつもりだったようです。

服を脱いで、体操して、少しずつ琵琶湖に入りますが、まだ少し水が冷たいのでしょう、子どもたちはキャーキャーいいながら遊んでいました。そのうち水の冷たさに慣れたのか、遊びがおもしろ過ぎたのか、気にせず水を掛け合ったり走ったりして遊んでいました。そのうち保育士が、子どもたちを一人ずつ放り投げることを始めると、何度も放り投げられることを楽しんでいます。

たのしすぎー !!

実は水辺にたどり着くまでには子どもたちは少し気をつけないといけないことがありました。それは少し前の大雨の影響でしょう、様々な物が浜辺に打ち上げられているのです。その中にヒシの実がいくつか混じっていました。ヒシの実は忍者が追っ手から逃げるときに蒔いて逃げたといわれるくらいで、鋭い針のようなとげが何本も出ていて踏むととても痛い思いをしなくてはなりません。

子どもたちがけがをしては大変なので、浜辺に続く細い道を作っては上げましたが、いつどこにヒシの実が落ちているかわからないので、保育士が実物を見せて、これを踏んだら大変なことになると説明していました。子どもはちゃんとそれを聞いていて、踏んづけていたい思いをする子はいなかったばかりか、落ちている実を「危ないから拾ってきた」など他の人の安全にも目を向けられるようになりました。

そんな風にして、鞍馬では味わえない自然を満喫できた一日でした。

おいも、どうなったかな?

2012/06/29

春に植えたおいもはどうなったかなー?

見に行ってみようか!

おいもの葉はずいぶん繁っていました

ということで、滋賀県の農家の方にお世話になって、植えたおいもの苗がどうなったか、4・5歳児が守山の畑まで見に行くことになりました。
梅雨のまっただ中なので、雨が降ってもしようがない、おいもが元気かどうか、どれくらい大きくなっているのか、見ることができれば良い、ということでみんなでバスに乗って出かけることにしました。

今朝は梅雨とは思えないくらいの快晴。気温は30度を超えるという予報ながら、朝はとてもさわやかな風が吹き絶好のお出かけ日和です。

    力を合わせて運びます

4・5歳児以外も今日はおべんとうdayということで、おべんとうを持ってそれぞれ出かける予定です。とっても良いお天気に子どもたちの心は晴れ晴れうきうき、そんな気持ちが伝わってきます。

当園では、夏場を除くほぼ毎月1回おべんとうdayという日を設けていて、お家の人に作ってもらったおべんとうを持って来る日があります。お天気が良ければ、昼食のために園に帰ってくる必要が無いのでおべんとうを持って遠出ができます。雨で、保育園でお弁当を食べるのもまたいいものです。

水をもらっていきいきしたおいもの葉っぱ

9時15分ころに園を出発して10時ころ畑に到着、早速おいもの様子を見に行くと、葉っぱが大きく育っていました。「植えに来たときのこと覚えてる」「うん、めっちゃちっちゃかったなー!」と応えてくれる子がいました。今日は天気が良く、土も乾いていたので、水をあげることにしました。園から持って来たじょうろを交代で使って、水を運んではかけていました。

おっとりさんの女の子がいます。その子が畝の間を歩いているとき、バランスを崩して、畝に手をついてしまいました。しばらくしゃがみ込んでいたのでどうしたのかと思って近づいてみると、その子は「痛かった?ごめんね」と言いながら自分が手をついたところにあったおいもの葉をなでていました。その姿を見たとき、この子は本当においもと話をしているのかもしれないと感じ、その子の中に広がっている優しい心の世界の一端に触れたような気がしました。ゆっくりしていて、いつも一番後からみんなについて行っている子です。だからこそこんなにゆったりした、優しい心が持てるのかもしれない。この子のこういうところこそ大切にしてあげたいな。と感じました。

大人はどうしても、みんなと一緒にできることが良いとか、早いことが良いなどと思いがちです。
子どもが否定的に見えるときとはどんなときでしょう。
みんなと同じようにできないとき
行動の理由がわからないとき
だそうです。否定的に見ないようにするためには、みんなと同じようにさせることに重点を置きすぎなければ良いのです。行動の理由がわからないときは、そっとその子の心に寄り添えば良いのです。
それが、保育士の専門性であり、保育の質に繋がるものなのです。

園のまわりの自然

2012/06/28

      アジサイの花

季節が進み、緑が茂ってまわりの自然の様子も変わってきました。身近な園庭では、アジサイ、ガクアジサイ、ビョウヤナギ(未央柳)の花が咲きだしています。

園の近くの石垣にはユキノシタの白く小さな花がたくさん咲いています。ひとつひとつの花はとても小さく可憐なのですが、たくさん集まると毛足の長い白いじゅうたんをしきつめたようになっています。

少し前にはグミの実がたくさんできたので、赤く色づくのを待っていたら、いつの間にか実がなくなっていました。どうしたのかと思ったら、少し前に猿が来て食べてしまったのとのことでした。

     ビョウヤナギ

園庭にあるので、ちょうど摘んで食べることができると楽しみにしていたのですが、残念です。

食べられたといえば、0・1歳児担当の保育士がプランターにキュウリを植えて育てています。一時元気がないと思っていたら、うどんこ病にかかっていたようでした。たまたまいらした農家の方にアドバイスを頂いて土を替えて、薄めた酢で消毒すると良い教えてもらって、元気を取り戻したのですが、実がある程度大きくなると、いつのまにかなくなってしまうのです。収穫したのかと思って聴いてみると、そうではないというので、

      ユキノシタ

夜の間に何者かにやられているのだと思います。

園庭にあるびわの木にもたくさん実が付いて、保育士がそのうちのいくつかに袋をかけて大切にしていたのですが、日が変わるたびに実が減ってゆくことが続いています。木の下には皮と種だけをきれいに残して食べたあとがあり、何者かが夜の間に食べているのだと思います。ハクビシンの仕業だという人もいますが、定かではありません。

人間の思うようにならないのが自然なのかもしれません。

 

   何者かにかじられた琵琶

  皮と種だけ残して食べられた琵琶

聴くこと・話すこと

2012/06/27

いろいろな人が一緒に何かをしようと思うと、コミュニケーションが欠かせません。伝えたつもりが伝わっていない。わかってもらっているはずだと思っていてもわかってもらえてなかった。少しことばを足すことでわかりあえることが、一言足りないために誤解につながるといったことが少なからずあります。
わかり合うためには、相手の話を自分のことのように聴くことと、自分の想いを伝えるときに、どうすれば相手に伝わるかをよく考え、心を尽くして伝えることが大切です。いつもそれを意識していないと、ついぞんざいになってしまうことがあります。

ですから、敢えて心を開いて話し合う機会を設けることも必要なのです。先日、知り合いの会社の皆様にご来園いただいて、そんな研修に取り組みました。総勢22人が丸く輪になって座り話をします。まずは自己紹介ですが、みんな緊張気味なのでまずはアイスブレイク。場が少し和んだところで、「理念のために実践していること」などいくつかのテーマに沿ってひとりずつ話をしてゆきます。その後、3人から4人の小さなグループに分かれてさらに話し合いました。全員で話したときはなかなかことばが出なかった人も、小さなグループで他のメンバーが心を傾けて聴いてくれているという安心感のなかでは、心を開いて話すことができたようです。途中何度かメンバーチェンジをして話し合うことで、話も弾みました。あっという間に時間が経ち、終了予定時間を過ぎてしまいましたが、まだまだ話したそうな人もたくさんいました。

最後にもう一度全員で丸くなって、研修の感想を話し合いました。その中で、悩みが解決したわけではないけれど、「話しができて嬉しかった」「心が軽くなった」という感想をたくさん聞くことができました。

自分の話を丸ごと受けとめてくれる人がいると思うと、心を開いて話をすることができる。そうすると、相手の話も丸ごと受けとめようとする。そんな連鎖反応が起これば、いろいろな話しができて気持ちを分かり合うことができるのです。
また、いつもの職員だけではなく、異なる立場の人がいらして頂いたおかげで気分が変わり、皆さんがしっかりと受けとめる姿勢を示してくださったからこそ、さらに心を開くことができたのだと思います。

聴くことと話すことがありますが、まず大切なのはしっかり聴くことだと思います。そこからはじまれば、話しやすくなっても来るのではないでしょうか。子どもだってまずは丸ごと受けとめるっていいますものね。

せっかく、嬉しい体験をしたのです。これからは、普段からお互いにこういう姿勢で話し合いができるようにしてゆきたいと思います。だって、こんなに楽しい気持ちになれるなら研修の時だけにとどめてしまってはもったいないし、いつも一人ひとりが聞くとき話すときにはに意識するようになれると良いと思います。

研修を手伝ってくださった会社の皆様にはいくら感謝しても感謝しきれません。ありがとうございました。

チームの基本

2012/06/26

当園の職員と、知り合いの会社の皆さん、総勢22人で行った研修、いろいろな学びや気づきがありました。

みんな人と人の関わりのなかで生きています。保育園であれ、会社であれ、組織など人が集まり一緒に何かをするところでは、人と人の間のことがいろいろと問題になってきます。べつに組織に限ることではありません。人間が生きてゆくためには、他の人との関わりは必然です。ヒトは社会を作って生きてゆくように進化してきたので、あたりまえのことです。だからこそ、そこが大切なところなのです。

前にも書きましたが、人は一人ひとり異なる存在です。そんなこといわれなくてもわかっています。でも、どうしても相手も自分と同じように考えているという前提で話をしがちです。そうすると相手の想いとのにずれが生じ、それを放っておくとどんどん距離が開き、溝が深まり、壁が高くなってゆきます。だからこそ、そうならないための努力が必要なのです。同じ理念のもとで活動するチームの間には必ずその努力が必要です。

その手段は「ことば」しかないように思います。テレパシーでも使えるか、相手の心が読めるのなら別ですが、それはできそうにありません。話をするときには、どうすれば相手に伝えたいことが伝わりやすいかをよく考え、丁寧に伝える必要がありますし、話を聴くときは、耳だけではなく心を傾けて聴くことをしなくてはなりません。

ひとつのことばでさえ、人によって解釈が違うのですから、そこから始める必要があると思います。私にとっての「やさしさ」と他の人にとっての「やさしさ」は微妙に違うはずです。

話すことと、聞くことをお互いに丁寧にすること。それが最近職員間で少し不足していたかもしれません。なんとなく伝わらない感、わかってもらえない感が漂っていました。
今年度は職員のチームワークを高めることを大きな目標にしているのですが、少し逆戻りしていたようです。

おもいやり

2012/06/25

先日、職員全員が参加しての研修を行い、保育がが終わった夕方から夜遅くまで熱心にとりくみました。知り合いの会社の方々が、わざわざ東京から大勢でご来園くださり、研修を手伝ってくださいました。

私たちのために遠くから大勢で来ていただくのだから、皆が心を尽くして迎えるようにしたいという想いから、2人の職員が担当してどうおもてなしすると良いのか、忙しいなか時間を割いていろいろと考えてくれました。おもてなしといってもそんなに特別なことができるわけでもなく、どうすれば良いのかずいぶん考えていたようです。そして、少しでもみんなの心が和むようにと花を用意したり、リラックスして研修できるようにと会議用の机に暖かい色のテーブルクロスを敷いてドリンクバーをしつらえ様々な飲み物やお菓子を用意してくれました。そして、担当者任せにするのではなく全員が気持ちを運ぶようにしたいと、一人の職員がパウンドケーキを焼いたものをみんながひとつずつラッピングしました。

そうして皆さんを迎えたのですが、いらしてくださった皆さんも、天然酵母で作った手作りパンをその日の朝から焼いてきてくださったり、甘麹という甘酒の元のようなものを作って持って来てくださいました。甘麹をご持参いただいた豆乳に入れると、砂糖を全く使っていないにもかかわらず、やさしい甘さの飲み物ができあがります。また、これを小さなカップに入れて冷凍すると、さわやかなデザートになります。それらのものを手間暇かけて作り、東京から新幹線に乗って持って来て頂いたと思うととても心が温かくなりました。

相手のことを想い、どうしたら喜んでもらえるのかと考えること、相手の気持ちに心を運ぶこと、「おもいやり」です。おもいやりはお互いの心を温かくします。それは特別な場合ではなく普段の生活のなかでこそ大切にしたいことです。

子どもたちに接するとき、この子は今何を求めているのかなと一人ひとり違う子どもの心に想いを運ぶこと、それができて初めて保育ができるのです。子どもの心を想い、子どもの心に寄り添うことが保育のはずです。決して大人が子どもたちをひとくくりにして動かそうとすることではないのです。
思いやりは、いつも自分自身がそう生きていないと発揮できないと思います。小手先ではない、自分の生きる姿勢こそが保育なのですね。

研修を手伝ってくださる皆様をお迎えすることを通して、改めてそのことを重く受けとめ、心に刻み自分自身を大いに反省する機会になりました。

くらまお楽しみ交流会

2012/06/24

 小学生と手をつないで入場です

鞍馬小学校の皆さんから招待を受けて、5歳児の子どもたちが小学校を訪れました。「鞍馬お楽しみ交流会」と銘打って小学生と5歳児が楽しく過ごすという企画で、どんなことをするのかその内容は小学生達が考えてくたそうです。

雨が降るなか電車に乗っていきました。貴船口駅から小学校に行くまでの間の鞍馬川に橋がかかっていて、雨で増水した川が水しぶきを上げ激しく流れているのが見えます。子どもたちは「すごい水が流れてる」「なんかこわいな」といいながら濁流を見ていました。

小学校に着くと小学生達は体育館で待っていてくれていて、

    ゲームを楽しみます

体育館入り口から小学生と手をつないで入場、対面して座り、自分お名前と好きなことをそれぞれにいう自己紹介から始めます。私は内心、園児達は恥ずかしくてうまく言えるのだろうかと少し心配していました。でも、すぐにそんな心配は必要ないことがわかりました。多少緊張はしているものの、みんなはっきりしっかり自己紹介していました。

できるかな・・・なんて思ってしまってごめんなさい。

その後一緒に歌を歌ったり、ゲームをしたりすると、

    うたもうたいます

子どもたちはすぐに打ち解けて楽しそうに遊んでいました。楽しい時間はあっという間に過ぎ、まだまだこれから楽しく遊びたいと思った頃には終了の時間です。

短い時間でしたが、園に帰っていつもより少し遅い昼食をとりながら、子どもたちにどうだったと聞いてみると、とても楽しかった!また行きたい!という答えが返って来ました。

小学生の皆さん、ありがとうございました。

寄り添う

2012/06/23

子どもが向精神薬の投与を受けるケースの増加に伴い、副作用に苦しむ子どもも増えているというショッキングな内容のテレビ番組について書きました。

落ち着いて座っていられない、授業に集中できないという理由から学校のアドバイスなどにより、精神科を受診し向精神薬の投与を受けることが多いといいます。

発達障害やうつ病の早期発見早期治療通いという考え方が浸透してきていることで、学校から医療に繋がりやすくなってきたそうです。もちろん早く気がつき早く適切に対応した方が良いケースもあるのですが、中には不必要な投薬を受けて副作用に苦しむケースもあるそうです。

なぜ、学校から医療に繋がりやすくなってきたのかとのキャスターの問いかけに、
コメンテーターの 精神科医 石川憲彦 さんは2つの理由を挙げていらっしゃいました。

発達障害ということばが広がると、親も先生も医者も見逃してはいけないという意識が広がってしまう。善意から早く治療をした方が本人のためにも良いと思うようになってしまうということ。

昔だったら、元気が良い、個性的、チャンス、おもしろいと見た子どもの行動を問題行動だととらえてしまうようになってきた。個性的でそれを活かそうということが少なくなってきた。先生にもその余裕がなくなってきている。

そして、この10年でこうした傾向が強まっているということでした。

また、一方で、薬に頼らず、子どもたちにじっくり向き合うことで問題を解決してゆこうという取り組みが教師や医師の間で広がっているそうです。

その子の行動だけを責めないで、その子の気持ちはどうなんだろう。子どもの気持ちに寄り添いながら考える事が大切だというアドバイスを学校の先生方が精神科の医師から受けていらっしゃいました。問題行動の背景に何があるのか子どもの気持ちにより添いながら考える事が大事なのだそうです。

向精神薬を長期間服用してきたことをやめて、周りの大人が気持ちを受けとめることで回復に向かったケースも紹介されていましたが、ご家族の皆様のご苦労は並大抵のものではなさそうでした。向精神薬の服用を減らしてゆく過程で見られる離脱症状はとの戦いはご本人もご家族も大変だったようですが、子どもさんの苦しみを受けとめ見守ることを実践されてきたご家族のことが紹介されていました。

子どもたちにとって本当に大切なものとは何なのでしょう・・・

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