園長ブログ

大切にすべきこと

2012/08/01

研修でさまざまな睡眠障害のケースを通じて、子どもたちの睡眠が危機に瀕している実体を知ると、どうしてこうなってしまったのだろうと考えてしまいました。

生活が夜型になってはいますが、夜遅い時間に子どもを連れて出かけるのは、やめようと思えばやめることができます。しかし、お父さんの帰宅が毎日夜遅くなり、朝は早く出勤しなくてはならず、休みも少ないとなると子どもと接する時間がなくなってしまいます。お父さんが帰ってくるまで、子どもが起きて待っていたり、寝ている子どもを起こして、お風呂に入れたり、スキンシップを持ったりしてしまうでしょう。しかし、それは、子どもが睡眠のリズムを確立しようとしているところを、大人が邪魔してしまうことになります。これが慢性的な睡眠不足になると、子どもの発達に大きな禍根を残すことになってしまいます。

研修の講師を務めてくださっていた三池輝久先生は、こういった子どもを治療されているそうです。午前中に光を浴びることであったり、投薬することもあるとおっしゃっていました。まさに治療です。治療には家族全員の協力が必要で、お父さんが夜遅くなる仕事をやめて、家族全員で早く寝るよう努力されたご家族もあったと聞きました。これができる家庭はまだ良い方なのかもしれません。そうしようと思ってもできず、大変な思いをされている家族もあるのではないでしょうか。

こんなことを聞いたことがあります。1990年以降、いわゆるバブルの崩壊により景気が低迷したとき、日本の企業はリストラと称して従業員数を減らしました。その分ひとり当たりの仕事の量は増え、夜遅くまで残業しないとならなくなってしまったということです。

家族とのコミュニケーションどころか、子どもの顔を見ることさえままならない状況に追い込まれたお父さんがたくさんいらっしゃるのだと思います。家族が家族の形態を為さず、子どもの発達を犠牲にしてまで働かなくてはならない状況になってしまったのです。そのうえ、格差と貧困が問題になっています。子どもたちの育ちが危機に瀕しているのです。そして、そこまでして働いた成果は、市場という怪物に呑み込まれてしまっているのです。子どもたちが育たない社会に未来などあるはずがありません。今、何が大切なのか、皆がしっかりと考える必要があるのではないでしょうか。

睡眠の危機

2012/07/31

研修に参加して聞いた睡眠の話しから、健全に眠ることの大切さを改めて感じました。「脳を創り、脳の働きを育て、脳を守る」といわれ、脳の働きと大きく関わっている大切な睡眠、発達期にある子どもたちの大切な睡眠が危機に瀕しています。

3歳以下の子どもたちが1日に何時間寝るかを国ごとに調べた結果があり、日本は11時間半強で世界でも群を抜いて短くなっています。データとしてあがっていた17の国の中では最短です。一番長いニュージーランドの13時間15分くらいと比べると、一日あたり100分くらいも短いのです。最短が日本で、次にインド、韓国、台湾と続いています。逆に睡眠時間が長い方から並べるとニュージーランド、オーストラリア、UKと続いています。地域性や、人種、文化による差も多少はあるかもしれませんが、100分の差は大きいと思います。日本の子どもたちは睡眠不足の状態に陥ってきていると言えます。

睡眠の発達は、新生児は2〜3時間おきに起きるものの1日中眠っているような状態ですが、4〜6か月くらいになると、少しずつ昼夜の区別が出てきて、1歳頃には昼夜のリズムに同調するようになってきます。1〜2歳になると、夜寝ると朝まで目を覚まさないで眠ることができるようになります。これは体内時計が地球の24時間リズムに同調するようになってくるからです。3〜4歳には夜の基本的睡眠時間は10時間くらい、1〜2時間のおひるねをして1日の睡眠時間は11〜12時間、昼寝が少しずつなくなって、学童期には8.5〜10.5時間の睡眠時間になります。

今の子どもたちの睡眠の問題は、睡眠不足の慢性化と蓄積で、それが体内時計を破壊し、様々なリズムが崩れてしまいます。このリズムの乱れが、今増えているという発達障害や、自閉症と深く関わっていることがわかってきたようです。ADHDと診断された子どもの25パーセントに睡眠障害があるという調査結果もあるそうです。

社会生活が夜型にシフトしてきて、お父さんは夜遅くまで残業、夜中でも昼間のように明るい商業施設が至る所にあって小さなこどもが平気でそういうところで過ごしている状況が、子どもにとって良いはずはありません。夜中に小さなこどもを連れてのコンビニ、お風呂に入れる、寝ている子を起こして遊ぶ、居酒屋に連れて行くなど子どもの夜更かしは脳の発達にとって有害であり、もってのほかだと、講師の先生はおっしゃっていました。

一番問題なのは慢性的な睡眠不足で、何日も眠らないことより危険なのだそうです。慢性的な睡眠不足が記銘・記憶を司る海馬の発達を抑制する。体内時計を破壊し生体リズムが乱れ、疲労感が強く日常生活にメリハリがなくなる。その結果脳の働きのバランスが崩れて、幼児期では機能の落差が大きいと発達障害的症状が現れ、学童期以降では、朝起きられず、学習困難、疲労感が強く不登校状態となるそうです。

大切さはわかっているつもりなのに、ついつい不規則になりがちな睡眠をもう一度見直した方が良さそうです。

眠り

2012/07/30

早寝早起きして、25時間周期の人間の体内時計をしっかりと24時間周期の地球時計に合わせることで睡眠リズムが形成されます。どうして毎日体内時計をリセットしてリズムを合わせるような複雑なメカニズムになっているのでしょう。体内時計はいつも正確に25時間ではなく誤差が生じます。その誤差を調整するために朝の光を浴びることで、リズムをリセットしているのだそうです。

ところで私たちはどうして寝るのでしょう。身体を休めるためでしょうか。先日受けた研修の講師 兵庫県子どもの睡眠と発達医療センターの三池輝久氏は、「睡眠の役割は、脳を創り、脳の働きを育て、脳を守るためだ」とおっしゃっていました。

新生児期の睡眠の50パーセントはレム睡眠だそうです。レム睡眠はactive sleepともいわれ、脳は活発に活動しています。このレム睡眠の間に新たな体験を脳が学習記憶するために神経回路網を構築しているのです。これが、脳を創るということだそうです。

脳には海馬といわれる、タツノオトシゴに似た形の部分があり、記憶を司る働きをしていますが、この海馬は眠っている間に働く知識工場だそうです。眠っている間に、経験したことを何度も再生して確かめて知識を作り、昨日までの知識と合わせて、より高度な知識を作る。そうして知識を確立しています。この海馬が最もよく働くのが、午後10時から午前2時で、成長ホルモンもこの時間に良く出るそうです。これが脳を育てるということです。

そして、脳内の神経細胞ニューロンの接合部分に信号を伝達するシナプスという部分があり、グルタミン酸などの化学物質を使って情報を伝達しています。しかし、グルタミン酸が多くなりすぎると、ニューロンが自らを殺すアポトーシスが起こる原因となります。眠っている間に、この余分な神経伝達物質が取り除かれるのですが、これが脳を守るということなのだそうです。

眠るということの重要性、特に乳幼児期の良質の眠りが大切なことを再認識しました。講師が「眠りは生命力そのもの」とおっしゃっていたのが納得できます。

リズム

2012/07/29

ネムノキが葉を閉じて眠るようになる就眠運動はなぜ起こるのか、どうやら詳しいことはわからないようですが、単純に明暗だけがその要因ではないようです。調べてみると、生物時計によって制御された24時間周期の運動だとありました。気をつけてみていると、午後6時頃にはネムノキノ葉は全て閉じて、眠ったようになっていました。

眠りといえば、先日ある研修で、睡眠について学ぶ機会がありました。ヒトの生活全てにリズムがあります。おおむね1日を周期とする概日リズム(サーカディアンリズム)はよく知られています。その他にも数十分から数時間の周期のウルトラディアンリズズム、約半日周期のサーカセメディアンリズムなどのリズムがあるそうです。

人間の生物時計(体内時計)は25時間周期になっているそうです。外の世界の様子がわからない部屋で自由に過ごすと、起きる、寝るのが1日1時間ずつ遅れ、約2週間で昼夜逆転したといいます。普通の環境では朝起きて太陽の光を浴びることで、この25時間周期の体内時計をリセットし、地球の24時間周期に合わせているといわれています。どうして、人間の体内時計のリズムは25時間なのかはよくわからないようです。地球に住むことが前提なので、24時間になっていれば、わざわざリセットする必要がなさそうなものなのに、不思議ですね。きっと、まだ私たちが気付かない意味があるのでしょう。

サーカセメディアンリズムは、皆さん経験があると思いますが、お昼ご飯を食べた後に眠くなるあれです。いわゆるおひるねの時間です。この眠気に従って少し昼寝をすることで、脳を休めることができるので、午後の活動がしっかりとできるのだそうです。そういえば私自身も、昼食後どうしようもなく眠いときは、15分以内で寝ることがあります。実際そうすると、眠りそうになりなるのを我慢しながら仕事をしているよりも、起きてからずっと効率よく仕事をすることができます。机に突っ伏していても、少し脳を休めているだけで、決してサボっているわけではありませんので・・・

眠りにはレム睡眠(Rapid eye movement sleep)とノンレム睡眠があることはよく知られています。レム睡眠は眠っているのに眼球が良く動き、身体は動かなくても脳は活動していて、神経発生、シナプス活動、情緒的及び神経発達、学習や記銘・記憶形の支援的な役割を果たしている眠りです。ノンレム睡眠は眼球が動かず脳が休んでいる眠りで、起きてからの恒常性のバランスを復元する役割を果たす眠りです。このレム睡眠とノンレム睡眠が起こる90分から110分のリズムをウルトラディアンリズムというそうです。また、新生児が昼夜に関係なく2〜3時間ごとに目を覚ます眠りも、ウルトラディアンリズムというそうです。

人間も含め、生物はいろいろなリズムで生きているのですね。

ネムノキ 2

2012/07/28

ネムノキの花が咲き、当園途中にたくさんの花を拾ってきていた子どもたち、良いにおいがするとか、ふわふわしているとか、いろいろに表現しながら、「先生あげる」と持って来てくれました。ネムノキについて、興味をもっているときにその興味をもっと深めてくれればとの思いから、夜になると眠るように葉を閉じるところを見せてあげようと思いました。

そこで、午前中に枝の先の方を少し頂いて、小さな瓶に活けて箱に入れて暗くしてみました。昼食後子どもたちが見られると良いと思っていましたが、箱を開けてみたら少し葉が閉じ気味ながら、あまり違いはありません。子どもたちがおひるねから起きて来る頃まで暗いところに置いてみましたが、どうも葉が閉じる様子はありません。一晩暗いままにしておいて翌朝ならどうだろうと考え、朝に見てみたのですが、見たときには既に葉は開いていました。夜の間に閉じたのかどうか、確認しなかったのも悪かったのですが、どうも単純に明るさだけで葉を閉じているようではないようです。人間のように生活のリズムを持っているのかもしれません。

暗いところに置いて、葉が閉じている状態から、明るいところに出すと、葉が開くところを見られると良いという私の浅はかな企みは、見事失敗しました。自然はそんなに単純ではないようです。

思惑通りに事は運びませんでしたが、ネムノキノ枝を見せて、「何か知ってる?」と聞くと、ちゃんと「ネムノキ」と答えてくれました。なぜ「ネムノキっていうか知ってる?」の質問には「夜になると寝るから」と答えます。そのことはちゃんと知っていました。それならなおさら、子どもたちと一緒に葉が閉じたネムノキを見てみたいものです。もう少し挑戦を続けてみようと思います。

ネムノキ

2012/07/27

少し前からネムノキが花を咲かせています。子どもたちが通園してくる道にも大きな木があり、道ばたに花がたくさん落ちていました。白からピンクへのグラデーションが美しく、ふわふわとやさしい感触の細い毛で作った刷毛のような花です。正確にはあの細い毛のような部分は雄しべだそうで、花弁はその付け根あたりにあり、花が咲くと先に雄しべが伸びて後にめしべが伸びてくるそうです。

子どもたちが落ちていた花をたくさん拾ってきて、いくつか私にくれました。鼻を近づけてみると、くだもののようなとても甘い香りがします。薄い色の花と甘い香りにスズメガが近づいて来て花粉を運ぶので、花は夜に咲くと言われていますが、昼間も咲いているように見えます。開き始めるのが夕方だということなのかもしれません。甘い香りはしますが、実際に密がある花は限られているそうです。全ての花に蜜を持たなくても、効率よくスズメガに花粉を運ばせるネムノキノ戦略なのでしょう。うまくできているものだと感心します。

どの種も遺伝子を残すために様々な戦略を立てて他の動植物の力を借り、時には利用して、うまく支え合って生きているのです。人間のように考えてそうしているわけではないのに、そういう進化を遂げさせる要因は何なのか、不思議に思えてしまいます。いろいろな戦略をとる種がいて、たまたま生き延びるのに成功した種が残っているということなのでしょうか。

社会を作るという戦略をとることによって進化してきた人間は、切り札のはずの「社会を作る」ことが危うくなってきているようにに感じてしまいます。このままで良いのでしょうか。

ネムノキの名前の由来はやはりその葉にあるようです。夜になると葉を閉じて眠るような姿になります。夕方薄暗くなってからネムノキを見てみると葉が閉じて眠ったようになっています。この眠っている姿を子どもたちが見て、不思議だと思ったり、なにかを感じてくれると良いと願い、子どもたちが見られるようにするにはどうするか考えてみようと思います。

信じて見守る

2012/07/26

作物を育てるにあたってあまり手を加えず、できるだけ自然に任せて育てる方法をとることにしました。

無精な私でも取り組むことができそうだから・・・ではありません。

様々な作物が、できるだけ自然な環境において、他の作物や作物以外の植物、動物などとの自然な関わりの中で育って欲しいと考えたからです。ですから、土も耕しませんし、水もやりません。雑草と呼ばれる草が生えても引き抜かず、背が高くなるようなら少し切るくらいです。だから、畑に行っても何もすることがありません。

実際いろいろ手をかけなければならないとなると、ちょっと難しいように思います。「結局、無精なだけじゃないか。」という声が聞こえてきそうですね。でも、しっかり育って欲しいと思って毎日畑に行っても何もすることがないのは少し寂しいものです。つい、何か手を出したくなり、それを我慢するのが大変です。

そんな感じですから、時には作物がピンチに立たされることがあります。6月も終わりの頃、植えた直後からあまり元気のなかった2株の茄子が、1株は全ての葉がしおれて腐ったようになってしまい、もう一株も葉が一枚ずつ黄色くなって落ちてゆきます。この茄子くん達はこの土地には合わなかったのかな、残念だけれどもしようがないなとあきらめていました。

そのうえ、7月7日のお泊まり保育の日に畑に行ったら、それまで順調に育って60センチくらいの背の高さになっていたトウモロコシの半分以上が倒れているのです。強い雨のせいだったのでしょうか、原因はよくわかりませんが、斜めに倒れています。これは起こしてあげた方が良いと思って起こしてみますがすぐに倒れます。根の周りに土を盛ろうかと思いましたが、うまくゆきません。支柱を立てて支えようとも思ったのですが簡単にはできませんでしたし、そうした方が良いのかどうかもわからなかったので、「頑張れよ!とうもろこしくん!」と声をかけるだけで、そのままにしました。

お泊まり保育が終わった後の7月9日と10日、出張で東京に行っているあいだもトウモロコシは大丈夫なのかな、茄子は可哀想なことをしたな、と気になってしょうがありません。出張から帰った翌日、トウモロコシを支柱で支えてやろうと畑に行ってみたら、倒れていたトウモロコシはみんなちゃんと起き上がっていました。その時の嬉しかったこと。思わず、「頑張ったな!とうもろこしくん!良かった、良かった」とトウモロコシに声をかけていました。

茄子はどうなっただろうかと思って見に行ったら、1株はしおれた葉の下から小さな新しい葉がいくつも出ていましたし、もう1株は落ちた葉に変わって元気な葉が大きくなっています。もうダメかと思った茄子も、自分の力で復活していたのです。こちらは嬉しいというより驚いてしまいました。

自然の力のすごさを感じてしまうと同時に、「この子たちはきっと大丈夫」とまるごと信じて見守ることの大切さを、茄子やトウモロコシから教えてもらったように思いました。

  しおれてしまった茄子の葉

   茄子くん見事に復活

 倒れてしまったトウモロコシ

  自分の力で起き上がりました

畑から学ぶ

2012/07/25

野菜を育てるだけでもそこからいろいろなことを学ぶことができます。畑といっても、様々な形態があり、作物を育てる方法があること。種にも自然に作物が育って実を結ぶことでできる種と、人間が改変を加えて作った種があるり、交配でも今はバイオテクノロジーを使って、自然の状態では交雑することのない品種同士をかけあわせることで作られていることなどなど、たどってゆけば、とても奥が深いようです。

私が知らなかっただけかもしれませんが、私たちがあまり気がつかないところで、新しい品種といって一代限りの不自然な種が作られ、その種からとれる作物を食べているのです。そして、そういう品種を育てるためには大量の化学肥料と農薬が必要でそれを使うことによって肝心の土が硬くなって死んでしまうそうです。

実は土の中には膨大な種類の生物が生息しています。山の土を少しとって紙の上に置いてよく見るとそこには目に見えるだけでも様々な虫がいます。土の表面にいて、人間が見ることができる虫だけでもそうなのですから、土壌の深いところまでの菌類をはじめ人間の目に見えないものまでを考えたら、多種多様な生き物がいるのだと思います。足下の土の中に生き物の宇宙が広がっていると言っても良いかもしれません。

土の中の多種多様な生き物がお互いに自らの役割を果たし、助け合うことで、いのちを育むと同時に、いのち尽きたものを土に還すことをしています。こうしたいのちの巡りがあることが自然なのでしょう。

そんな土の中の宇宙にいらなくなったものをどんどん捨てることはやめた方がよいのかもしれません。星新一さんのショートショートに「おーい でてこーい」というのがありました。ある日地面に穴があいているのが見つかり、何を入れてもいっぱいにならないので、どんどんごみを捨てていたら、後で自分たちの捨てたごみが空から降ってきたという話しだったと思います。話しがそれました。

均質な作物を工業製品のように大量に作り出すことは、一時的には収量が上がり利益も増えるかもしれませんが、長い目で見れば、肝心のいのちの巡りを断ち切って土の下の宇宙を破壊し、結局は破綻してしまうのです。

どうも目に見えるものごとだけを短期的なスパンで、見てしまいがちな気がします。目に見えないところを含め、長い時間のスパンでものごとを考える必要がありそうです。

育つ力

2012/07/24

食育としての栽培活動はもちろんですが、作物を育てることで「いのち」のめぐりを感じて欲しいと思って始めた種作りがいろいろなことを教えてくれています。

一般に流通している種や、作物は交配を繰り返して、商品として都合の良い性質ばかりを詰め込んで、人間が作ったものであり、ほとんど種が取れないということを知りました。考えてみると、とても不自然な気がします。生物は自分の遺伝子をつないでゆこううとするので、子孫を残す戦略をとるのが自然なはずなのに、それとは全く逆になってしまっているのです。これで良いのでしょうか?

作物の育て方にしても、いろいろな方法があるものです。きれいに土を耕して種を蒔き、水をやって芽が出たら、肥料をやったり、虫がつかないようにしたり、他の草が生えてきたら草取りをしたり、とたくさん手をかけてあげなくてはならない。たくさんのことをやってあげないといけないというイメージを持っていました。

しかし、今挑戦している自然農法は、作物が自然に育つのに任せるので、世話はほとんどしません。植えるときも畑を耕すことはせずに、水はけのための溝を少し切るだけです。栽培中も水はやりませんし、雑草と言われる他の草も引き抜くことはありません。もちろん肥料もあげませんし、消毒もしません。まさに自然に育つのに任せるのです。言い換えれば作物が自分で育ってゆく事を信じて、見守るしかありません。水をやってしまうとずっと水をやり続けないといけなくなるそうです。手をかけると、ずっと手をかけ続けなくてはならなくなるそうです。

できることといえば、毎日、畑に行って作物たちに「おはよう!今日も元気?」「大きく育つんだよ!」と励ますことくらいです。たまにすることといえば、他の草が大きくなりすぎたら少し背を低くしたり、トマトが地を這っていたら、支柱を立てたりくらいのことでしょうか。

それなのに、畑に様子を見に行くと、どうしてもなにかしてしまいそうになります。何かお世話をしたくなってしまいます。そうです!作物が求めているかどうか。それが作物にとって、作物が自分の力で育つのにとって、大きなつながりまですべてを見据えたうえで最良のことなのかを考えることもせずに、自分のやりたいと思う心に流されて何かをしたくなってしまうのです。

「余計なお世話」をしたくなる、自分のわがままな心に打ち勝つのが大変です。

2012/07/23

  苗を植え付ける前の畑

畑で野菜を育てることに挑戦していますが、まず今年は種を取ることが目的です。種が取れたら来年植えて、また種を取ります。そうして3世代くらい繰り返していると、だんだんとその土地の作物になってくるそうです。様々な条件が植物の発育に影響しますが、それは場所によって違うはずです。土壌はもちろん気温の変化や雨の降り方、日照から、どんな虫がいるのかまで、あらゆることが土地によって違うはずなので、世代を重ねると、その土地の特性に応じた植物になってゆくのだと思います。そうして何年かすると、鞍馬山保育園の種になるので、それを絶やすことなく育てるのです。

トウモロコシを植えてみました

考えてみれば昔はそうして、毎年種を取って翌年も植え、また種を取ることをずっと繰り返してきたのです。そうして、先人がずっと作物のいのちを受け継いで来たのですね。特に大豆は1年を超えると発芽はしなくなるそうなので、毎年植えないと絶えてしまうと聞きました。

でも、種を取るだけではつまらないですよね。やはり少しは食べたいと思います。

さて、何種類かの作物を植えましたが、大豆は畑の至る所に植えました。

ちょっと元気のない茄子

マメ科の植物は空気中の窒素をとりこみ、植物が肥料として利用できる科学的形態に変えます。これを窒素固定というそうです。正確には大豆と共生する根粒菌が働いているようです。大豆を植えることで土壌が肥沃になるのだそうです。
また、大豆とトマトは交互にトマト、大豆、トマト、大豆と植えました。トマトは水が多すぎることを嫌いますが、大豆は水を吸収しやすいそうです。植物はお互いに助け合うのですね。他に植えたのは、トウモロコシと茄子です。元気に大きくなってくれると良いと思います。

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