園長ブログ

ことば 〜指差し〜

2012/09/30

赤ちゃんは、ことばを獲得する前段階として非言語によるコミュニケーションを行っています。お母さんや養育者が赤ちゃんの働きかけに対して、適切に応答することによって、心が通じ合うとでもいうのか、体験を共有する、経験を分かち合うようなコミュニケーションの段階があります。赤ちゃんとお母さんや養育者の2人の関係で成り立つコミュニケーションが2項関係といえます。

生後8ヶ月から12ヶ月くらいになると、赤ちゃんはお母さんが何かに注意を向けること、こころが意図をもっていることを理解します。ですから、赤ちゃんが未知の場面や状況を理解するために、お母さんの表情を見る社会的参照などがあらわれます。

つまり、赤ちゃんはお母さんとの2項関係を介して外の世界を知ることをします。赤ちゃん・お母さんの二項関係から、赤ちゃん・お母さん・ものの三項関係で世界を理解するようになります。ものを見せる、渡すなどの行動も見られますし、共同注意(joint attention)も行われるようになります。共同注意とは、自分と他の人が一緒に同じものを見ていて、お互いにそれを知っている状態です。一緒に見ている。共に同じものを見ている状態です。
指差しは、この共同注意です。お母さんが、赤ちゃんの前で、絵本を指差した時に赤ちゃんがお母さんの指差した絵本に視線を移せば、お母さんが指をさしているその先には、何かお母さんの意図するものがあるというとを理解しているということです。

反対に赤ちゃんが指差しをする場合、指を指した先の何かを他のものと区別して、他者に示そうという意図が赤ちゃんにあります。好きなおもちゃを指差してとって欲しいと言わんばかりにしている指差しは欲求の指差しといわれます。また、たとえば、好きなテレビ番組が始まって、まるで「見て!見て!」といっているかのような指差しをすることがありますが、これ叙述の指差しというようです。
欲求の指差しは、お母さんの存在を理解はしていますが、指差した対象をお母さんと共有しようという意図はあまりなさそうです。
叙述の指差しの場合は、要求を伝えるだけではなく、指差したものをお母さんに知らせたい、対象を相手と共有したいとう意図をもった指差しだと言えます。

赤ちゃんが話し出す前にも、様々な段階で、様々な方法を用いて、自らコミュニケーションをとろうとしていることを、改めて学ぶことができました。

ことば 〜コミニュケーション2〜

2012/09/29

ことばの発達にはことばをことばとして聞くこと、ことばとしての音声を発する能力に加えてコミュニケーションをとろうとすることが必要ということを前回は書くつもりでした。ところが、コミュニケーションには「伝える」という意味と「共有する」「共感する」という意味があることを知って、共有、共感があってはじめて伝わるのだということが中心になってしまいました。

コミュニケーションが成立するには、相手との間で何かの概念や気分、価値観が共有される、共感することが必要なのですが、コミュニケーションには、表情、身振り、手振りなど言語を使わないものから、音声言語、書字言語や楽譜など記号を使ったものまで様々な方法があります。この順にコミュニケーションをとり合う人の距離が近くから遠くになってゆきますし、同時に共有的要素が強いコミュニケーションから伝達的要素が強いものになってゆきます。そして、当然のことながら、距離が遠く伝達性の高いものの方が記号性が高くなってゆきます。

表情、身振り手振りなどは、距離が近く共有生が高いのですが、文法があるわけではなく、伝達性は高くありません。一方、楽譜や数学の記号などは一つ一つの記号が何を表すかという概念を共有していれば、意味は通じ、伝達できます。言語を使ったコミュニケーションはこの間にあるのですが、対面して話をすることから、文書で伝えるなど様々です。

どうも、私はコミュニケーションということを「伝える」ということだけだと勘違いしていたようです。もちろん発信はしないと共有も共感もできませんが、相手の心と自分の心の間に通い合える道が開通しないことには、伝わらないのです。特に、理念や価値観などは共感、共有なしには伝わらないと思います。

コミュニケーションそのものについての話になってしまいましたが、赤ちゃんも積極的にコミュニケーションをとろうとしています。もちろんおなかが空いた、眠いなどの生理的欲求をお母さんや養育者に伝える必要があります。赤ちゃんが自発的に声を出したり体を動かしたりしてお母さんに働きかけます。このときにお母さんが赤ちゃんの感情や行動に応じてそれを解釈することで、二項情緒的関係が成立します。赤ちゃんが、お母さんに働きかけ、お母さんが赤ちゃんの働きかけに応答し解釈することで、赤ちゃんとお母さんが同じ体験を分かち合っているという気持ち、情緒的共鳴が生まれます。
そして、もう少し大きくなると他者の注意や意図を理解してコミュニケーションをとるようになります。他者の注意を理解し、心が意図を持っていることを理解して、自ら意図を持ってコミュニケーションをとるようになります。
お母さんとの関係のなかで物をとらえる三項関係へと広がってゆくのです。この二項関係から、三項関係への広がりがことばの発達と関係がるようです。

ことば 〜コミュニケーション 1〜

2012/09/28

赤ちゃんがことばを聞き、聞き分けるようになりながら、音を発することに始まって、クーイング、喃語からことばを話すようになります。そこにコミュニケーションの発達ということが必要になってきます。

コミュニケーションを辞書で引いてみると、
人間が互いに意思・感情・思考を伝達し合うこと。言語・文字その他視覚・聴覚に訴える身振り・表情・声などの手段によって行う。(大辞林 第三版)

「伝達」「意思の疎通」という意味が、最初に出てきます。英和辞典の中には「心の通い合い」「交流」という語で訳しているものもあります。(ウィズダム英和辞典)

コミュニケーションの語源は、ラテン語のcommunis ( 共通の) communio(交わり、共に 、一致)+ munitare(舗装する、通行可能にする)だそうです。(ウィキペディア「コミュニケーション」)

つまり、共通に交わり共に一致する、共有、共感することによって、はじめて心が通じ合い伝達ができるのです。人と人の間のコミュニケーションでは、伝達するためには共感することが必要なのです。

このことを知って、腑に落ちたことがあります。こちらから一方的に「ああしない!こうしなさい!」「それはダメ!これはダメ!と相手に押し付けても、相手がそう思わなくては、それに共感しなくてはただの一方通行なので、相互に「通行可能」になったわけではありません。もし、力で強制的にそうさせたら、共感なんてできるはずもありません。伝えよう伝えようと力を入れれば入れるほど、強制になり内容を理解しようとしないか、反発を招いてしまうので、伝わるはずがありません。

子どもが良い例です。子どもの望ましくない行動を叱るだけでは、子どもはまた同じことをしてしまいます。それは「自分のしたことで誰かが困るんだ。もうしないでおこう。」と自ら納得したわけではなく、ただ、叱られるのが怖くて、その場では「もうしない。」といっているだけだからです。

◯◯先生は保育が上手だ。あの先生なら子どもたちがよく話を聞く。でも◯◯先生がお休みで、△△先生が保育を担当したら、子どもたちがなかなか話を聞いてくれない。といったことがいわれることがあります。◯◯先生が子どもとの信頼関係をしっかりと築くことができていて、△△先生にまだそれができていないなら、それもわからないではありません。しかし、本当に育って欲しい子どもの力は「話を聞こう」と思って話を聞くことができる力です。子どもにそこが育っていれば、△△先生が話をしても、子どもたちは聞こうとするはずです。もしかしたら子どもたちは◯◯先生に叱られるのが怖いから静かにしているだけかもしれません。
子どもをまとめたり、指示通りに動かすことのできる保育者が、良い保育者だと思われがちですが、果たして本当にそうなのでしょうか。外から見ただけで判断しないほうがよさそうです。

ことば 〜音声〜

2012/09/27

言語を獲得するためには、音を聞くこと聞き分けることが必要です。そして、その能力は1歳までには母語に特徴的な子音を知覚することができるようになっています。ですから、子どものことばの発達には、生まれてからどんなことばを聞いているかが重要になってくる。環境が大きな影響を与えるのです。

ことばを使う上では聞くことに加えて音を出すことが必要になってきます。赤ちゃんは生まれてすぐに産声をあげます。それからも泣き声、呼吸に伴う音、ゲップなど、様々な音を出しています。

2ヶ月ごろから4ヶ月ごろまでは、クーイングと呼ばれる母音をつかった音を出し、4ヶ月ごろになるとのどのや口の中の形が変わって音が共鳴する空間ができるため、声帯で作られた音がのどや口の中で共鳴するようになるので、笑い声も立てるようになります。笑うことは手足を動かすという全身運動をともなって、息を短く区切って出すなど、息を調節する練習をしているようです。全身の運動が相互に関係しあって、発語できるようになってくるのです。

こうして声が出るようになると、声を使って遊ぶようになります。これはもちろんただ遊んでいるだけではなく、次の発達のための準備をしているのです。こうして喉や口の形ができてくると、徐々に子音が出せるようになり、5ヶ月ごろには過渡期の喃語が現れはじめ、7ヶ月ごろに手の動きと笑いが連携するようになると喃語が現れ、8ヶ月ごろには、基準喃語といわれるものが確立してきます。

そして、10ヶ月ごろには、1音節の長さが大人のそれに近いなどの特徴を持ったことばを話すための前段階のような喃語が現れます。
そして、1歳前後から意味のあることばを話すようになるのです。

赤ちゃんは、自分の発達に合わせて、音を聞き分けること、全身を使い懸命に努力をして、(赤ちゃんがそう思っているかどうかはわかりませんが)言語を獲得していくのですね。

ことば 〜聞く〜

2012/09/26

人がことばを獲得するためには生得的な言語獲得能力に加えて、養育環境が大きな意味を持つことが様々な研究から立証されてきていることを、小椋たみ子 帝塚山大学教授の講義で知りました。

では、話すために必要になってくる能力とはどんな能力でしょう。まずは、音を聞くこと、聞き分けることがあります。音声知覚の発達というそうです。連続して変化する音声を単語として切り分けて聞くことができなければ、ことばとして知覚することはできません。この単語の切り出しができるようになるのは生後7ヶ月から8ヶ月だそうです。

赤ちゃんが聞き分けているかどうかを知るための実験方法が面白いと思いました。赤ちゃんは、おしゃぶりをくわえるとおしゃぶりを吸います。このおしゃぶりにセンサーを取り付け、赤ちゃんの吸う回数と強さを計ります。赤ちゃんにある刺激を与えると(この場合は音ですが)おしゃぶりを吸う力が強くなったり回数が増えたりするようです。同じ音を聞き続けてゆくとだんだんその刺激に慣れてきて、おしゃぶりを吸う強さや回数が減ってきます。これを馴化といいます。そこで、違う音を聞かせると、またおしゃぶりを吸う強さや回数が増加します。これを脱馴化といいます。この方法を使うと赤ちゃんが音の違いを聞き分けているのかいないのかがわかります。

また、生後6ヶ月から8ヶ月くらいの赤ちゃんは、多くの音の弁別ができるそうです。母語がどんな母語であろうとも聞き分ける能力を備えているということです。ところが10ヶ月、11ヶ月ごろになってくると、母語に特徴的な音は聞き分けることができますが、母語以外の言語に特徴的な音は聞き分けることが難しくなってくるのです。

例えば、私たち日本人は英語のLとRの聞き分けが苦手です。アメリカ人の赤ちゃんと日本人の赤ちゃんを比べると、6ヶ月から8ヶ月くらいでは日米の赤ちゃんでは英語のLとRの聞き分けに差はないそうですが、10ヶ月、11ヶ月ごろになってくると、アメリカ人の赤ちゃんは70パーセントくらい聞き分けるそうですが、日本人は60パーセントと差が出てくるそうです。

つまり、赤ちゃんは1歳くらいまでにはちゃんと音の区別ができるようになっているのです。しかも母語に特徴的な音とそうでない音では聞き分けに差が出てくるということです。それは普段聞いている言語を使う準備をすると同時に、それ以外のものは切り捨てているということです。

ここでも、環境が子どもの言語発達に与える影響の大きさがわかります。

ことば 2

2012/09/25

ことばの獲得について書きましたが、わかりにくいのでもう一度整理しようと思います。人はどうやってことばを獲得するのかということに対して、言語学者のノーム・チョムスキーの唱えた説は、人は生まれながらにして言語獲得装置と呼べる能力を持っていて、子どもがことば(言語データ)に接すると、ここが働いて、母語を獲得することができる。そして、が言語獲得装置には普遍文法と呼ばれる、すべての言語に共通した規則体系をもっているので、あらゆる言語を獲得することができるというものです。

言語データという刺激を得られれば、人は言語を獲得できる能力を持っているということです。
これに対して、その子自身に内在する能力に、周囲からの様々な働きかけ(教育的働きかけ)があってはじめて、ことばが発達するのだという説があります。つまり、生得的な能力だけではなく発達してゆく過程での周囲の環境が言語の獲得には必要だという立場です。

ルーマニアではチャウシェスク政権による人口増加政によりたくさんの子どもが生まれましたが、貧困のため多くの子どもが劣悪な環境の孤児院で、ただ機械的に授乳をされる状態で過ごさざるを得ない状況にあったそうです。政権崩壊後、そうした孤児たちのために。里親に預けられるなどの様々な救済策が取られました。

この時に行われた調査では、生後15ヶ月くらいまでに孤児院から里親に引き取られた子どもたちは、2歳くらいにはことばの発達の遅れは見られなくなりましたが、2歳以降に里親に預けられた子には、ことばの発達に遅れが見られるケースが多かったようです。

もし、言語の獲得が生得的な能力にだけよるものであれば、この差は生まれてこないことになります。
このような研究から、ことばの獲得に果たす生育環境の影響が大きいという説が有力になっているそうです。

ことばは人との関わりのなかで生まれてくるものなので、あらゆる感覚が統合されることで育つ。ことばの発達にも環境が大きく関わってくるのです。

ことば

2012/09/24

前にもこのブログで、ことばについて少し触れたことがありました。以前、外国語に接する機会があったことから「ことばとはなんだろう」という疑問を持っていたのです。

最近、ことばに関する講義を聞く機会がありました。しかも、言語獲得や言語発達についてです。講師は帝塚山大学教授 小椋たみ子先生です。

言語(ことば)は人間だけが獲得できる進化の過程での最高の産物であり、その役割は、コミュニケーションの手段、思考の主要な手段や様式、自己のの行為や活動の調整、自己表現の手段、自我の形成に関わるということがあげられていました。

この中で特に興味を持ったのが、自我の形成にことばが深く関わっているというとです。もちろん、思考の手段や様式という側面を持っているのですから、自我の形成と関係があることは想像できそうですが、バイリンガルの人は、どちらかの言語が優勢でないと自我が不安定になるとのことでした。ことばは精神的な発達にとって大切だということが再確認できました。

また、言語獲得についての説明の中では、言語学者チョムスキーの言語獲得モデルをあげて、人はもともと生得的に持っている能力である言語獲得装置によって言語を獲得している。つまり、すべての言語に共通した基礎体系である言語獲得装置というものをあたかも身体の中のひとつの器官のように私たちがもっていて、そこに、大人の会話などのことばによる刺激が入ってくることによって、すべての言語の基本となるような「普遍文法」が聞こえてくることばを分析、規則化、体系化して、日本語、英語などその社会に固有の言語を獲得してゆくという説が紹介されました。

それに対して、心理学の立場からは、人にプログラムされた生得能力が育ってゆくうえで大切なのは「教育的な働きかけ」という環境だと主張がされているそうです。

言語獲得装置が、聞こえてくることばから、生理的な能力として言語を獲得してゆくという立場と、発達をしてゆく能力に、教育的な働きかけという環境が加わってはじめて言語が獲得されるという立場があるということを知りました。

収穫 2

2012/09/23

 まだ小さいながらも立派なナスです

畑に実りの季節がやってきたことをお知らせしています。トウモロコシは食べ時を逃してしまいましたが、トマトは今、実が熟してきています。煮込み料理に適しているサンマルッアーノという品種をたくさん植えています。もちろん生のままで食べても、さわやかな酸味が広がり、おいしいです。

一方、ナスは前にも紹介したとおり、一旦は存亡の危機にさらされましたが、なんとか復活して育ちました。決して背が高く大きく育ったわけではありませんが、無事に花を咲かせて、小さな実もつけていました。それが順調に大きくなってきています。最初にできたお兄ちゃんナスの上の方には小さな弟が、そしてその上の方には花がついていました。みんな元気に大きくなってくれることを願っています。今年は種をとることを一番に考えたいので、種をとる実を残した上で、他にも実ができればいただこうかと思っています。

一番の出来は大豆と黒豆です。畑一面に種を撒いておいたのが、

   えだまめ おいしそうでしょ


ほとんど大きく育って枝豆がついています。たくさんついているのもあれば、少ないのもあります。大豆は黒豆より成長が早いのか、豆が大きくなっているものもたくさんあります。それに比べて黒豆は、まだ豆が小さいものが多ようです。どれを枝豆で食べて、どれを完熟するまで残しておくと良いのかわからないのですが、たくさんあるので、三分の一くらいを子どもたちと一緒に収穫しました。黒豆がもう少し育ったら、また、いただこうと思います。

畑に入った子どもたちは、あまりにも草が茂っているのに少し驚いていましたが、すぐに慣れて、作物の様子を興味深げに見ていました。どこに何があってどう育っているのかを一通り説明したあと、私が切り取った枝豆を一人一株ずつ園庭に運んで、枝から豆を外してくれました。大きめのザルに八分目になるくらい、たくさん収穫できました。虫に食べられているものも少しはありましたが、とても美味しそうです。その日は時間がなかったので、次の日に茹でてみんなで食べました。噛むと柔らかな甘みが広がります。とてもしっかりした味であっという間に全部食べてしまいました。

大豆のあいだに群生している植物が何という名前なのか気になったので、植物図鑑で調べてみました。シロバナサクラタデかなと思います。

収穫 1

2012/09/22

  芽が出てしまったトウモロコシ

ずっと気にながらも畑のことを何もしていない日々が続いてしまいました。畑をみると作物以外の植物がとても大きくなり、頑張って伸びていた大豆もあまり見えなくなっています。草をかき分けて畑に入ってみるといろいろな変化があります。

[トウモロコシは少し前から茎が枯れてきていたので早く収穫した方が良いな。と思っていたのですが、実も茶色くなってしまっていました。もちろん食べるには完全に遅すぎます。種が取れればいいと思って、実を茎から外して皮をむいてみると、5センチくらいの長さの小さなトウモロコシが顔を出しました。実が入りきっていなくて、

    テラスで乾かしています

先の方はヤングコーンのようです。実が数個しかついていないのもありましたし、腐っていたものもありました。すこし湿った感じのものをむいてみたら、なんと既に発芽しているものもありました。それは畑に返して、種になりそうなものを乾燥させるために、テラスの天井から吊り下げました。次のシーズンにうまく芽が出ることを願って、しばらくおやすみなさいです。

トマトはずいぶん実が大きくなっていますし、数もいくつかあります。中には赤くなっているのもありました。ただ、完熟といった感じではなく、黄色いところが少し残っていたりします。支柱を立てていなかったせいで地面にくっついてしまっていたので、少し早そうでしたがいくつか収穫しました。美味しそうなので、早く食べてみたかったのですが、まずは種取りです。普段トマトを食べている時は、種のことはあまり気にかけていませんが、いざ種をとろうと思うとなかなか大変です。種の周りについているゼリー状の部分と種を分けるのが、結構手間がかかります。茶こしに入れて丁寧に洗いました。。

       まだ青いトマト

トマトの種って小さいんだなと改めて思いました。よく見てみると小さな種も一つずつ大きさや形が違います。同じお母さんトマトから生まれても、みんな違うのですね。

植えたのは、サンマルッアーノという種類だそうで、比較的酸味が強く、パスタソースなど煮込み料理に使うと上品で美味しくなると、苗を提供してくださった農家の方から聞きました。たくさんとれたらそうして食べてみようと思います。

センチコガネ

2012/09/21

今の時期は少なくなりましたが、夏のあいだよく目にする虫がいます。緑色っぽく見えるもの、赤っぽいもの、褐色系のもの、見る角度によって違った色に見えるのもいます。どれも、金属のようにピカピカと光っています。センチコガネやオオセンチコガネという名前の体長2センチくらいの甲虫です。残念ながら私にはセンチコガネとオオセンチコガネの差があまりよくわからないので、ここではセンチコガネとしておきます。

この虫は、主に動物の糞を餌にしています。いわゆるフンコロガシの仲間です。近年夏になるとこのセンチコガネをたくさん見かけるのは、この辺りに鹿が増えたことで餌が増えたからでしょうか。

ピカピカ光ってきれいなので、時々子どもたちが捕まえてきます。時々というのは、あまりにもたくさんいるので、子どもたちも見飽きているのです。もちろん、触ったあとは手を洗っていますので、ご心配なく。

このセンチコガネですが、不思議に思っていることがあります。土の上を歩いている姿よりもコンクリートのうえで仰向けにひっくりかえって、足をバタバタ動かしている姿をよく見るのです。その姿が目立つので、いつもひっくりかえっているなと思ってしまうのかもしれませんが、本当によく見かけます。しばらく見ていても、いっこうに起き上がれそうにありません。まあるい背中のせいで短い足が地面に届かないのです。羽根を広げるなどすると起き上がれるのかもしれませんが、そんなことをしているところを見ません。

もしかすると、一度ひっくり返ると二度と起き上がれないのかもしれません。仰向けのまま動かなくなっていまっている姿もよく見ます。一度ひっくり返ると起き上がれないというのはかなり危機的状況なはずです。それなのにどうして起き上がれにのでしょう。

仰向けになってもがいている姿を見て、ひとつ考えついたのが、コンクリートなど平らなところで起き上がれなくなっているということです。短い足でも引っかかるところがあれば、起き上がれるのです。自然界では平らなところはほとんどないでしょうから、たとえひっくり返ったとしても、命に関わるほどのことにはならないでしょう。人間が作った平面の上でひっくり返ってしまうと、大変なことになるのです。

そう思うと、センチコガネに少し申し訳ない気持ちになってしまいます。ですから平らなところでひっくり返ってもがいているセンチコガネを見ると、平ではないところに移動させたくなります。そうすれば、起き上がれることもあるからです。

ただ、あまり長い時間ひっくり返ったままでいると、体内のバランスが崩れて起き上がってもまたすぐにひっくりかえってしまうのだ、ということを聞いたことがあります。確かめたわけではありませんので、なんとも言えませんが、人間の営みによっていろいろな影響が出るものだなとものだなと思いました。

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