園長ブログ

こころ 5

2012/10/20

指差しは、ことばのはじまりといわれますが、指差しは赤ちゃんにとってどんな意味があるのでしょう。
こんな実験が紹介されていました。赤ちゃんが指差しをした時に大人が4種類の反応で答えます。
赤ちゃんんの顔と赤ちゃんが指差している対象の両方を見る
赤ちゃんの顔だけ見る
対象だけ見る
無視する
大人がこの4種類のうちどの反応をした時に赤ちゃんが指差しをやめるのかを調べます。赤ちゃんは自分の欲求が満たされれば指差しをやめるはずなので、赤ちゃんが何を求めているのかがわかるというわけです。

結果は、赤ちゃんんの顔と赤ちゃんが指差している対象の両方を見た時が指差しをやめる率が有意に高かったそうです。このとから、赤ちゃんは大人と一緒に対象物について話がしたい、もちろんことばは使えませんが「あれ、おもしろそうだね!」と言いたいのかもしれません。共同注意、コミュニケーションをとりたがっているということです。この誰かとコミュニケーションを取りたいという思いや意欲がことばにつながってゆくということなのだと思います。

赤ちゃんは、生まれた時から人の顔に反応します。生後4日で、お母さんを見分けることができるのです。still face experimentでもわかるようにように、表情にもとても敏感です。9ヶ月頃に3項関係の世界が開け、共同注意を行うようになって指差しがはじまるのです。他者とのコミュニケーションのためになされているようです。

このことだけを見ても、赤ちゃんはなにもわからないだけの存在ではなく、豊かな心の世界を持っていて自ら主体的に生きているのだということが、わかります。

赤ちゃんの豊かな心の世界を想像させるような別の実験も紹介されていました。
12ヶ月から18ヶ月の赤ちゃんが、2人の大人と飛行機と自動車のおもちゃで遊んでいます。しばらくすると、1人の大人Bさんが中座してどこかへ行ってしまいます。その間に新しいおもちゃ、例えば積み木が増えます。Bさんが戻ってきて「いいなー」というと、赤ちゃんは新しく増えた積木を、Bさんにわたそうとするそうです。Bさんが中座している間に積み木という新しいおもちゃが増えた。戻ってきたBさんがそのことに気づいたという文脈から、Bさんに新しく増えた積木を手渡すということをしているのです。Bさんが積み木を欲しがっているのだろうと思っているのでしょう。他者が何を思っているのか、心を想像しているのですね。

こころ 4

2012/10/19

生まれたばかりの赤ちゃんでも、お母さんの顔と他の人の顔を見分けることができるくらい、顔に注意を向けます。そして、2カ月頃には表情の変化にも敏感になります。9カ月頃には顔を見て、表情から他者の心を知ろうとします。この9カ月頃というのは、前にも書いたように2項関係から3項関係へと世界が広がってゆく時期なのです。赤ちゃんは、自分とお母さん(他者)という2人の関係から、お母さん(他者)を介して外界を知ろうとします。自分ーお母さんという関係から、自分ーお母さんー外界という世界に移ってゆくようになります。お母さんがどこを見ているか、お母さんの視線を通してお母さんの意図や、何を考えているかがわかるようになるのです。ボールと積み木があって、お母さんがボールを見ていると、視線がボールに注がれているのを見て、お母さんはボールが欲しいんだなとわかるようになるのです。このことは社会性の発達にとってとても重要なことなのだそうです。いわゆる共同注意です。

同じものを見るという意味での共同注意にはいろいろな段階があるそうです。

生態学的共同注意は6カ月くらいから現れ、他者が顔を動かすなどして対象を見る。その対象が赤ちゃんの視野の内にあるばあいには、共同注意することができます。

9カ月頃には他者の顔の動きや目の動きを見て、その方向に何があるのかと視線を合わせようとします。幾何学的共同注意といい自発的に共同注意を行っています。他者の視線を意識して同じ方向を見たときに、何もない場合はもう一度相手の視線を確認しようとするそうです。何かあると予期をして見てみたら「何もないけど…」といったかんじでしょうか。

18カ月頃になると、空間表象的共同注意というそうですが、赤ちゃんは自分の後ろ側など、視野の外のものに対しても向きなおるなどして共同注意をすることが可能になるそうです。他者の視線を読んで、あっちに何かあるはずと、それが自分の後ろでもふり返って見ることができるのです。自分の後ろにあるなにかを他者が見ていると想像しているのです。

そして、幾何学的共同注意ができるようになる9カ月頃から「指さし」がはじまります。実はこの指さしの前に「指立て」ということを行うそうです。赤ちゃんが指立てをしている写真と、指さしをしている写真を女性に見せると、指立てをしている写真をかわいらしいと感じる人が多いようです。赤ちゃんにはどういう意図があるのでしょうか。赤ちゃんが、指さしをしたときに、一緒にそっちを向きたくなるよう大人に心の準備をさせているのでしょうか。

こころ 3

2012/10/18

still face experiment(無表情実験)では、それまで表情豊かにほほえみ合って遊んでくれていたお母さんが、無表情になったとたんに赤ちゃんは、全力を尽くしてといっても良いくらい、いろいろな方法を使ってお母さんの表情を引き出そうとします。コミュニケーションをとろうとします。実験に参加していたのは1歳くらいの赤ちゃんで、まだことばを使うことはできませんが、ことば以外を使ってコミュニケーションをとろうとしています。一方的にではなく、相互に作用し合うことを望んでいるのです。積極的に外界とつながりたいと思っているのです。この実験は、YouTubeでstill face experimentと検索すると動画を見ることができます。

同じ実験を、人間と、人間とそっくりに作られたアンドロイドで行って比較して行ったところ、相手がアンドロイドの場合、無表情になったときに、表情を取り戻させようとする赤ちゃんの行動は、相手が人間のときほどには高まらなかった。と京都大学文学研究科心理学研究室の板倉昭二教授はおっしゃっていました。赤ちゃんには人間とアンドロイドの違いがちゃんとわかっているのです。

赤ちゃんは、相手が自分の働きかけに対して反応し、コミュニケーションを取ってくれる相手か否かを、表情から見極めています。また、相手の表情を読むことで、相手の心を読む、文脈を理解するなど状況を読むことにつながるのです。

そのためには、相手の表情はとても重要な情報源です。表情を読み取るためには、顔に注意を向けている必要があります。生後すぐから顔のような模様を好んで見るそうです。生後4日でも、知らない人よりお母さんの顔を好んで見るという例もあるそうです。

視線を記録することができる装置を使って、アニメを見ているときにどこを見ているのかを調べると、やはり顔をよく見るそうです。特に9ヶ月以降になると、特に顔に注目するそうです。相手の顔を見て表情を見て、相手が何を思っているのだろう?ということを考えているのです。ことばを獲得する以前にです。

社会を作って生きるという生き残り戦略を選択した人間に、生まれたときから備わっている人と関わるための能力なのだと思います。

ふしぎなおみやげ

2012/10/17

食文化を次世代に継承してゆくというか、昔から伝わってきたものに今の時代の価値を添えて次世代に継承してゆく必要があります。そのためにも食育が必要です。また、食育は子どもたちが今と将来を健康に幸せに生きてゆくためにも必要なことです。

何を美味しいと感じるのか、味覚は幼い頃の経験が大切だと思います。初めて口にするものの印象が、好き嫌いにつながったりします。だからこそ、園児達には美味しいものを食べて欲しいのです。

最初は食べられなくてもみんなが、おいしいね!といって食べているのを見聞きしているうちに食べられるようになることもあります。逆に、「食べなさい!」と強制的に食べさされたものは、嫌なイメージを伴って自分からは食べなくなることもあります。みんなで美味しく、楽しく食事を頂きたいものです。

久しぶりに訪ねてきてくれた高校時代の友人との会話でフランスの文化や食の話になり、そこから食育に連想が広がりました。

       ジャム

その友人が、おみやげにと、手作りのジャムとケーキを持参してくれました。
ところが、どちらも一見不思議な感じです。ジャムはたぶんイチジクだと思うのですが、キュウリの輪切りに見えるものが入っています。きゅうりかな?そんなはずはないな。と思って口にしてみると柑橘系の味がします。酸橘でしょうか。はじめは不思議な感じでしたが、どこか癖になる味で、早くも大きな瓶の半分以上食べてしまいました。

ジャムよりも不思議なのはケーキの方です。「バナナが入っているから早めに食べてね。」

       ケーキ

と言われていたので、どこにバナナが入っているのだろうと探しましたが、見ただけではなかなかわかりません。食べてみると様々な素材が入り交じった何とも複雑な味で、癖になりそうです。バナナだけはこれかなと検討がつきました。その他は、上にのっているクルミ以外は何が入っているのかよくわかりません。今、我が家では、このケーキに何が入っているのかでちょっとした論争が起こっています。これは何かな?と少しずつ食べながら、これはイチジクじゃない?これは、柑橘系の味がする。オレンジピールかな?レモンかも?この草の茎みたいなのは何かな?ハーブかな。いったい何種類のものが入っているのだろうとみんな頭の中は、?だらけです。

      ケーキ

一度友人に正解を尋ねてみようと思っています。

とても複雑で深い味わいのジャムとケーキそして、家族の会話の話題提供をしてくれた友人に感謝です。

フランスの食育

2012/10/16

フランスは文化を大切にする国であり、食文化についても例外ではないと思っていましたし、今もそれがしっかりと守られていると思っていましたが若い世代を中心に変化が起こってきていることを聞いてちょっと驚きました。

しかし、そんな状況が放置されているわけではなく、昨日も紹介したようにフランスでは2001年に栄養健康国家計画を策定しました。日本で食育基本法の成立は平成17年(2005年)なので、フランスでは早くから食育に取り組んでいるのです。

在日フランス大使館のホームページにあるフランスの食育政策には、「正しい食習慣を教える」として、栄養や食習慣について子どもが最初に食習慣を身につける幼稚園や小学校から取り組まれており、食事時間の規則正しさ、献立の構成、食生活における有益・有害な行動について取り上げるようにカリキュラムで定められていることが書かれていました。その中で興味深かったのが味覚教育です。味覚教育については次のようにあります。(以下引用)

味の違いを判別し、味の感覚を話す能力は、学び、培うものである。学校は味覚の発達において、重要な役割を担っている。学校は文化遺産である料理の価値や、味と栄養の両面で質の高い食品などを教えることも目的としている。
学校や関係機関は全スタッフを挙げて、こうした教育方法に取り組んでいる。味覚教育活動は授業や様々な活動を通して、時には外部の有資格者の協力を得て行われる。例えば、毎年10月に開催される味覚週間では、料理の専門家が実際に教室に来て、プロの情熱や技を伝えている。

料理を文化遺産ととらえていることが共感できます。もちろん日本の食育基本法にも食文化の継承が謳われています。日本食と日本の食文化は世界中でその価値が認められています。農水省は2011年に日本食文化世界遺産化プロジェクトを立ち上げて世界遺産無形文化遺産登録を目指しています。フランス美食術は既に社会的慣習として登録されているそうです。

食育は、保育の一環として食事を提供している保育園では行いやすいと思います。特に五感のうちの味覚は、食事の場面でもっとも経験しやすい感覚です。当園でもそこのところをもっと深めてゆこうと思います。

食文化

2012/10/15

高校時代の友人が訪ねてきてくれて、文化の話になり、それぞれの国や地域にしかない文化を継承し発展させてゆくことが大切だという思いを強くしました。

友人はフランスで美術の勉強をしていた時期が長いそうで、ご主人もフランスの方です。

フランスの文化と言えば、芸術が一番に思い浮かびますが、私は食文化ということが気になりました。友人夫婦はフランス料理という、食に関わるお仕事をされているので、フランスでの食文化について尋ねてみました。

友人のご主人によると、この20年でフランスの食はずいぶんと変わったそうです。具体的に挙げておられたのが、若い世代を中心に食事中にコーラなどの甘い飲料を良く飲むようになったということです。食事中に甘い飲み物を飲むと食べ物の味が台無しになるように思います。

フランスといえば、昼食でもワインを飲みながら食事をするというイメージがあったので、ワインは飲まないのですか?と尋ねたら、以前は大学のカフェテリアでもランチの時間にワインが出されていたし、みんな飲んでいたが今ではコーラなどにとって代わられているとおっしゃっていました。ワインを飲まなくてはならないというわけではありませんが、そんなところにも嗜好の変化が現れているのかもしれません。

その他ファーストフード店の進出に加え、共働きの夫婦が増えて家庭で料理を作る機会が以前より減ったことも食文化を変化させる要因ではないかとのことでした。子どもの味覚も変わってきているのではないでしょうか。

そんな話を聞いて、フランスでも食育政策がとられているはずだと思って調べてみたら、在日フランス大使館のホームページに「フランスの食育政策」というページがあり、そこには「フランスの学校では、幅広い種類の食品を摂取する必要性を説明し、味を発見する機会を増やしながら、栄養と味覚に関する知識と認識を高めるべく、子どもたちに教育を施している。」とあります。食育が進められているのです。
その文書によると1990年代から肥満が急増すると同時に肥満の低年齢化が進んでいて、肥満児の割合は1980年の5%から16%に増加したとされています。とくに恵まれない層ではその傾向が顕著で、恵まれない層の子どもの25パーセントが肥満だそうです。

友人のご主人は甘い飲み物や、ファーストフードをたくさん取るようになって、肥満が増えたのだと分析していらっしゃいました。

どこの国でも、食の営みが危機に瀕しているようです。

文化

2012/10/14

寒くなりました。10月13日の京都の最低気温は10.7度で今秋最も冷え込み、ハナミズキが色づきを増した。という記事が京都新聞にありました。急に、ほんとに急に寒くなりました。夜などは暖房が欲しくなります。10月も中旬となり、鞍馬の火祭りも近づいてきたのですから当然かもしれません。火祭りにはこたつを出すというのが鞍馬では定番です。夜は寒いのですが、日中は青空がとても美しく、爽やかな風が吹き過ぎてゆきます。

そんなさわやかな秋晴れの日に、高校で一緒だった友人が訪ねてきてくれました。高校卒業以来なので、30年以上会っていないことになります。10月に京都に行くので尋ねようと思っている。という手紙をいただいていたのでした。彼女は卒業後、美術の勉強をするためにしばらくパリに留学していて、今は松山でフランス人のご主人とフランス料理店を経営しているそうです。今回はご主人と、ご主人のお母さんの3人で訪ねてきてくれたのです。

お寺を案内しながら話していて、京都は伝統と文化が残っているからとても魅力があるという友人のことばから、文化の話になりました。フランスは文化をとても大切にしている国だと聞いたことがあったので、尋ねてみたらこんな話しをしてくれました。芸術を志す人がフランスに行くのには理由があるというのです。フランスは国の政策として、世界中から優秀な芸術家を招聘して芸術活動を支援するとともにその芸術家が生徒に教えることを進めているそうです。一流の芸術家の教えを受けるために世界中から芸術を志す人が集まってくるのです。芸術を発展させるのみならず、芸術が社会や経済の発展に寄与するような政策がとられていて、こういった考え方はフランスが古くからとってきた方針だそうです。

お金がないからという理由で、芸術活動など文化的なものへの補助金が「無駄」だといってカットしようとするどこかの国とは大違いです。長い歴史の上に培われてきた文化は一度途絶えると復活がとても難しと思います。その国や地域の文化はその国や地域にしかありません。それを強みとして戦略的に活かすことを考えた方が長い目で見れば得策のように思います。

今の日本の都市はどこへ行っても同じように見えて、町並みからその町の特徴がなくなってしまっている。京都はそうならないで欲しいと、友人は言っていました。

確かにヨーロッパに行くと、美しい町並みが保存されています。通りからみると古い建物だなと思っても一歩中に入ると、最新の設備が整い、をれが古い意匠と調和するように作られています。全部立て替えた方が簡単だしコストもかからないはずですが、手間や費用をかけてでも古い外観を残す努力がなされています。町並みを大切にする意識が高いのがわかります。

もちろんヨーロッパの建物は石造りが多いのに対して、日本の家は木と紙でできているので、保存という意味では同じようにはゆかないかもしれませんが、文化を継承するという意識を持って工夫をすれば、何か方法があるように思います。金銭的価値には変えられない貴重な文化がコストという理由だけで消えてゆくのは、大きな損失だと思います。

こころ 2

2012/10/13

人間とは何か?を探求する比較認知発達科学では、チンパンジーを初めとした他の霊長類とヒトを比較して研究するそうです。

あるグループを知るには、そのグループを外側から眺める視点が不可欠です。内側だけから見ているとわからないことがたくさんあります。人間というグループについて知るために、他の霊長類と同じところ、違うところを調べるのです。

そして、赤ちゃんを研究することによって、人間の発達的起源をさぐり、子育て、教育環境をどう整えるとよいのか。赤ちゃん自身はどのように世界を認識しているのか。とう問題を考えようというのです。そのときに赤ちゃんは大人のミニチュアではなく、赤ちゃんは赤ちゃんなりの存在であるということを忘れてはならないのです。

ところで、赤ちゃんは、大人のようにことばをつかうことができないので、聞き取り調査のようなことはできません。ですから、赤ちゃんを観察することで研究するしかないそうです。観察も、最近はテクノロジーの発達により、様々な方法があるそうです。前にも書いた馴化と脱馴化を観察する方法やおしゃぶりを吸う回数と強さを測り、その変化により、赤ちゃんが刺激に対して反応しているかどうかを知る方法の他にも、赤ちゃんの視線を指標とする方法もあります。赤ちゃんがどこをどれくらい見ているのかを記録できて、好選注視法というそうです。他には心拍数や脳波を測ったりMRIが使われることもあるそうです。

still face experimentという実験が紹介されていました。赤ちゃんがお母さんと向き合って楽しく遊んでいるとき、お母さんは表情ゆたかに赤ちゃんに赤ちゃんと関わっています。次に突然お母さんが無表情になり、その状態を1分間続けます。その後また普通に表情豊かに関わると赤ちゃんはどう反応するかという実験です。お母さんが表情豊かに関わっているときは、赤ちゃんも楽しそうにお母さんと遊びます。ところがお母さんが無表情になったとたん、赤ちゃんはなんとかしてお母さんの反応を引き出そうとします。ほほえんでみたり、両手を前に出したり、甲高い声で叫んでみたり、ついに泣き出してしまいます。そして、お母さんが元の通り表情を取り戻すと、赤ちゃんもすぐに笑顔に戻ります。このときに、赤ちゃんの顔の温度変化をみると、お母さんが無表情になったとたんに顔の表面温度が下がるそうです。赤ちゃんはちゃんと表情を読み取ってコミュニケーションを取ろうとしているのです。

この実験をお母さんの代わりに人間と見間違うくらい精密にできたアンドロイドでも試したら、相手がアンドロイドでは、相手が無表情になった時に表情を引き出そうとする赤ちゃんの行動は人間の時よりも少なかったそうです。赤ちゃんは人間とアンドロイドを見分けているのですね。

こころ 1

2012/10/12

こころって不思議だと思いませんか。いろいろな刺激に様々に反応し、いつもコロコロ動いてとらえどころがありません。放っておくと、いろんなことがどんどんこころにうかんできて、それがどんどん展開されていって、際限なくいろいろなことにとらわれていってしまいます。喜怒哀楽、特に怒りや悲しみなど強い刺激にはすぐに反応してどんどん妄想がふくらんでしまいます。

例えば、誰かに嫌なことを言われたとします。カチンときて、その場で言い返しても言い返さなくても、こころにそのことが残り、そこから「そういえばこのあいだも、あんなこと言われたな」「きっとあいつは俺のことが嫌いなんだ」とか「あいつはひどいやつだ」などと思い込んで、心の中に勝手に「ひどいやつ」という「あいつ」像を造って、何か理屈をつけては、心の中に作った「ひどいあいつ」を攻撃したりします。ところが実際にその人と話してみると、悪い人じゃなかったりします。こんなふうに心はとらえどころがないし、コントロールしにくいものです。このコントロールがしっかりできるとよいのでしょうけれど・・・

ところで、赤ちゃんはいつごろからこころが働き出すのでしょう。赤ちゃんのこころにつての講義を聴く機会がありました。京都大学文学研究科心理学研究室乳幼児発達研究グループの板倉昭二教授が講師です。先生の研究は比較認知発達科学という分野だそうです。比較認知発達科学とは、乳幼児期の子どもの発達、親子関係、家族関係、や子育てなどの在り方を、霊長類と比較して、認知発達の視点から分析する学問で、「人間とは何か」を考えることが大きな目的のひとつです。人間の本質を考える学問と言えます。

板倉先生のご研究は、ロボットの研究者とも協力し合い、ヒトとヒト以外の動物、主にチンパンジーなどの霊長類の乳児の発達を比較することからはじめ、そのチンパンジーなどの霊長類やヒトを対象とした研究から得た知見を理論化してロボットに実装することによってその理論を検証するというユニークな方法をとっていらっしゃると伺いました。

講義を聴く前からわくわくしていたのは私だけでしょうか・・・

心 和む

2012/10/11

季節がどんどん進んでゆきます。朝夕は肌寒いくらいになってきました。日が落ちると気温は16度くらいまで下がっています。まだまだ寒いという気温ではないのですが、ついこの間まで、暑いくらいの日もあったので、急に気温が下がると寒く感じてしまいます。ラジオのパーソナリティが「年々春と秋が短くなっているように思う」と言っていました。確かに、春にしても秋にしても良い季候の時期が短くなっているようにも思います。

自然は季節の移り変わりを映しています。カシの木にはまだ小さなドングリがたくさん着いていますし、ときどき、ムササビが落とすのか、枝に着いたままのドングリが落ちていることがあります。お寺の参道には、カヤの実がたくさん落ちていて良い香りがしています。アケビの実も薄紫色になって割れ、種が見えていました。この種をくるんでいるゼリー状の部分が不思議な甘さなんです。子どもの頃によく食べました。食べられそうなものばかりですみません。昨日おいも掘りに行ったら、ススキの穂が美しく風になびいていました。

先日、昼食にしようと、園児達の間に空いた席はないかと探していたら、各テーブルにかわいらしい花が飾ってあるのに気がつきました。前々から昼食の時間が少し賑やかすぎると感じていたので、子どもたちがゆったりとした気持ちで、ゆっくりと食事を頂くためにはどうすれば良いのだろうということを考えていました。

その方法のひとつとして各テーブルにテーブルクロスを敷いて、花を飾りたいと思っていました。しかし、なかなか実現できなかったのですが、ふと見るとかわいらしい花が、食卓の雰囲気をやわらかくしてくれています。

どうしたのかと聞いたら、3歳児たちが、散歩に行って少し摘んできたそうです。園庭の花壇や、近くに生えている草花なので、決して派手ではありませんが、ネコジャラシが入っていたりして素朴で優しい感じがします。子どもたちも花を意識しているようです。

花を摘んでくる子どもたちも、友達からありがとうといわれるのが嬉しいのか、良く気をつけています。自分のしたことで誰かが喜んでくれることは、基本的な喜びです。そんな喜びをたくさん味わって欲しいものです。私もとても嬉しく思いました。

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