園長ブログ

炉開き

2012/11/09

先日、茶道のお稽古がありました。私たちの先生は、9月10月には、「お茶箱」と言って、お茶碗やお棗、お茶杓をはじめ様々な道具一式をひとつの箱に入れたものを使ったお点前を教えてくださいます。この小さな箱を持ってゆけば、ピクニック気分で手軽に野外でお茶を楽しむことができます。春や秋の季候の良い季節にはそんな趣向も楽しいかもしれません。このお茶箱のお点前にもいろいろあって、様々な道具を使うのですが、これが小さいながら扱いや所作も含めてとてもよく考えられていて、楽しいお稽古のひとつです。

ところが、このところ仕事が立て込んでいて、お茶箱のお点前は、あまりできませんでした。もちろんいつでもできるので、先生にお願いして教えていただけは良いので、また、やってみようと思います。

そして、冬には少しお点前が変わります。夏の間(5月ごろから10月ごろまで)は風炉といって、炭火を入れてお釜をかける道具でお湯を沸かしてお茶を点てますが、11月頃からは炉といって畳を切って床下につくった小さな囲炉裏に炭を入れ、お釜をかける方法を用います。冬は寒いから少しでもお客様に火が近い方が良いからだということも聞いたことがあります。

炉は夏の間は使わないので、畳の下に隠れています。ですから、炉を使えるようにするには畳を敷き換えて、半畳の大きさですからほぼ正方形の畳の隅を切った畳を入れます。四畳半ですから、部屋の周りを四畳の畳が取り巻いて、まん中に半畳が入るという形です。

本来であれば、深く掘り込んだ炉の中に、手間暇をかけてきれいにした灰を入れ、五徳を据えて炭を入れてお釜をかけます。もちろん炭の入れ方にも炭手前という作法があります。

そうして、炉を使い始めることを炉開きといいます。炉開きは「茶人の正月」といわれるくらい大切で、おめでたいことなのです。ですから、お正月に「あけましておめでとうございます。」とご挨拶するように、「炉開きおめでとうございます」とあいさつすると教えていただきました。

そうして、お稽古を始めるのですが、しばらく行わないお手前だと、忘れてしまっていたりするのですが、簡単な薄茶のお点前はあまり間違えることもなく、行えたのでほっとしました。おいしいお菓子が食べたい一心でしているお稽古でも、積み重ねれば少しはできるようになるのですね。

文化の伝承 2

2012/11/08

鞍馬小学校の柔道教室の子どもたちを10年近く見ていると、高学年になると責任感が出てくるのか、やる気が出てくるのか、練習にも真剣味が増してきます。最初のころはそうでもなかったのですが、一生懸命練習する子が多かった年代以降はそんな傾向が続いています。「やるときはやる!」といった気分を一緒に練習している子どもたち全員が感じているのでしょう。それは高学年が、時にはきつい練習も積極的に行っている姿を見ているからです。いろいろな人と一緒に過ごすことで、刺激し合ったり学び合ったりできるのです。そういう文化が伝承されてゆくのです。

そんな中で、昨年度卒業した男の子、Tくんが中学に行ってもどうしても柔道を続けたいと思っていたのですが、その子が通っている中学校には柔道部がないので、指導者の紹介で町の道場に通い始めました。ほぼ毎夜練習に通って一生懸命練習しているそうです。

先日、小学校の柔道の指導者が「Tくんが試合ですごいきれいな一本勝ちをしたよ!」と興奮気味に伝えてくださいました。試合の応援に行かれたそうですが、小学校時代に柔道を教えてきた指導者はさぞ嬉しいことでしょう。少しだけサポートをしていた私でもその話しを聞いてとても嬉しく思いました。

そんなTくんが、時間のあるときには小学校柔道教室に来て後輩達を教えてくれているそうです。高学年の指導はほぼTくんに任しているのだと指導者が話してくださいました。後輩達もTくんの話しをよく聞いて練習しているそうです。

先日の試合にもTくんは小学生達の応援と指導に来てくれていました。立っている姿はすっかり柔道家、頼もしい限りです。試合がはじまる前や要所要所で、小学生達に的確なアドバイスをしてくれていました。小学生も真剣に話し聞いてうなずいていたので、アドバイスが心に届いたのだと思います。

中学に行っても柔道を続けたいと思って道場に通い、練習の合間を見つけて後輩達の指導に来てくれる。そんなTくんの姿を見ていて、「一生懸命に練習する」という文化が伝承されてきて、Tくんで開花したようでとても嬉しくなりました。

文化の伝承

2012/11/07

鞍馬小学校柔道教室の子どもたちが参加した柔道の試合を応援に行きました。柔道教室の指導者はいつも子どもたちに「強い相手と試合をすれば負けるのは当然だが、そこで自分の心に負けるな。投げられても良いから、必ず自分が練習した技をかけなさい。負けたらどうしよう。投げられたら怖い。という自分の弱い心と戦いなさい。」と指導されています。

子どもたちは、「そうはいっても、怖い」という思いに負けたり、ついつい気の入らない練習や態度になってしまうこともあります。しかし、学年が上がってくると、自分から「やろう!」という気持ちが強く持てるようになるのでしょう。練習にも真剣みが増して、かなりハードな練習に涙を流しながらでも、逃げ出さずに取り組むようになります。そうなってくると、試合で強い相手に当たって、実力が出し切れなかった時などは悔し涙が流れたります。

もちろん、強い意志を持って取り組めることもあれば、くじけてしまうこともあります。そんな自分を乗り越えたり、つらくても頑張る楽しさを子どもたちが少しでも感じてくれると良いのでしょう。

そんな「やる気」になった高学年の真剣に取り組む姿を見ることが低学年の子どもたちの刺激になっているようです。低学年のうちはまだまだできないことが多くても、高学年になったときには、それができるようになっているのです。まさに文化が伝承されてゆくのです。

保育も同じです。年齢の違う子どもたちが一緒に過ごし、いろいろな人との関わる機会があった方が発達が豊かになるのです。子どもは必要に応じて相手を選んでいます。何かをしてほしいときはずっと発達が上の子、年上の子に頼みますし、まねをしながら学ぶときは時は自分より少し発達が進んだ子を見て学び、遊ぶときには同じくらいの発達の子と遊ぶのです。人という環境を自分で選んでいるのです。

学年が同じ子どもたちとしか接する機会がなければ、子どもの発達の機会はごく限られたものになってしまいます。(大人は管理しやすいかもしれませんが)だからこそ、いろいろな年齢の子が一緒に生活してゆくこと、こどもが関わる相手を自分で選べる環境が必要なのです。

いろいろな子どもたちが一緒にいることが大切なのと同じように、大人という人的環境も子どもが選べる方が良いのです。大人も子どもも、合う人合わない人がいます。思いっきり遊びたいときは、思いっきり一緒に遊ぶことが得意な大人と遊ぶのがおもしろいでしょうし、くじけそうになった時にはなぐさめてくれる大人がいることが大切です。

同学年を集めたクラスに担任1人ということにこだわってしまうと、発達の機会を著しく減らしてしまうのです。

学童柔道大会

2012/11/06

京都府柔道連盟主催の第52回京都市学童柔道大会という大会が行われ、鞍馬小学校柔道教室の子どもたちが、大会に参加しました。私も以前は水曜日と土曜日に子どもたちの練習のお手伝いをしていましたが、今はとてもその時間はないので、せめて試合だけでもと思い応援に行ってきました。

午前中は学年ごとの個人戦です。しばらく見ない間に子どもたちの柔道は随分上達していました。しかし、試合となるとメンタルな部分が大きく関わってきます。強い相手に対しても果敢に攻めることは、勇気や心の強さがないとできません。

例え勝敗がどうであっても、どれだけ責められるか、自分より圧倒的に強いとわかっている相手に対して、どれだけ自分から技をかけることができるか。鞍馬小学校柔道教室で求められるのはその部分です。指導者は、いつも口癖のようにそのことを子どもたちに言って聞かせています。

でもやっぱり、子どもたちだって試合となると緊張もするし、思いっきり投げられたらどうしようという怖さもあります。そんな不安から及び腰になってしまって、自分の力が出し切れない子もいます。不安に打ち勝って積極的に技をかけている子もいました。勝敗でいえば白星の数は少なくはなかったのですが、どちらかというと、力が出し切れていない感じでした。

午後は男子団体戦が行われました。人数が少なく、先鋒なしの4人で戦いました。
このときの子どもたちの姿は、午前中とはまるで人が違ったかのように積極的です。指導者が魔法でもかけたのかと思うほど、どの子もどんどん自分から技をかけてゆきます。しかも、全員が攻めの姿勢です。応援する方も自然と熱が入ります。結果としては負けてしまいましたが、とても良い内容の試合をしていました。「みんなのためにも負けられない」と思ったのか、「何とかしよう!」と思ったのかもしれません。そんな姿を見ていて、子どもたちが全力で戦っているというのが伝わってきて心を動かされました。子どもたちは、全力を出してやりきった満足感や充実感を感じていたのでしょう。試合が終わって、一列に並んだ子どもたちの背中が大きく見えました。

おたのしみ会 3

2012/11/05

   やきいも担当のお父さん方

おたのしみ会でもう一つ忘れてはならないコーナーがありました。それは焼きいも屋さんです。参加してくださったお父さん方にお願いして、焼きいもを焼いていただきました。

昨年度お子さんが卒園されたお父さんが行ってくださった方法で、園庭に深さ30センチくらい畳1枚分くらいの大きさの穴を掘り、その中で用意した薪をどんどん燃やします。

そうしているあいだにおいもを新聞紙でくるみ、それを水で濡らしてさらにアルミホイルで包みます。ただ、参加者が130名くらいになるので、1人おいもを半分食べたとしても65個は必要です。

    おいしそうに焼けました

さつまいもに加えてじゃがいもも焼いたので、かなりの数のいもを包まなくてはなりません。これは小学生が活躍してくれました。

そして、ある程度薪が燃え、熾火ができたらおいもを入れてじっくりと焼きます。といっても火床が大きいので、近づくとかなり熱くてお父さん方が交代しながら力を合わせてやきいもを焼いてくださっていました。やきいもコーナーが暖かかったのは、火のせいだけではなかったと思います。

お店やコーナーではありませんが、オープニングではお参りやあいさつをしたあとみんなで参加するゲームを楽しみました。

   ゆったりとした時間が流れます

私は残念ながらオープニングには参加できなかったのですが、後から楽しそうな様子を聞きました。実行委員の保護者の進行で、イントロあてクイズなどを行ってくださりとても盛り上がったそうです。

私は今回のおたのしみ会には直接関わることはできませんでしたが、実行委員のみなさんを中心に、綿密な計画を立て、みんなで力を合わせて一生懸命に取り組んでくださっている様子がとてもステキだと感じました。そして保護者の底力というのか意外な一面というのか、それぞれに得意なところを持っていらっしゃるので、そこをいかんなく発揮していただける場面がたくさんあると良いと思いました。

子どもが、今を最もよく生きるという目的のために、周りの大人がそれぞれの得意技で貢献する。みんなが一番大切な目的を見失うことなく、いつもそれを見つめて力を合わせてゆけると良いと思います。

保護者の皆様ありがとうございました。

お楽しみ会 2

2012/11/04

お楽しみ会のコーナーはまだまだあります。保護者と一緒に参加していただくことになっているので、お父さんやお母さんと各コーナーを回ります。お店の店員さん役やコーナーの担当は前半と後半で交代するので、店員さんもお客さんも両方経験できます。

  さかながうまく釣れるかな?

1階の一番奥の0歳児が使っている部屋には大きな池が出現、中にはおさかなが泳いでいます。もちろん紙で作った魚ですが、それをうまく釣り上げるとおさかなには景品がくっついていて、夜店の金魚釣りといった感じです。磁石で簡単にくっつくものとクリップを引っかけて釣り上げるものの2種類の難易度があって、子どもたちが挑戦していました。

秋祭りのおみこしを作ろうコーナーは、コーナーに来た人がダンボール製のおみこしに思い思いの飾り付けをしてゆきます。みんながそれぞれに飾り付けるので、最後がどうなるのか誰にもわかりません。

  思い思いに飾り付けたおみこし

親子で作って遊ぼうのコーナーでは、おみこしが出るときにみんなでたたく太鼓をつくりました。プラスティックでできた植木鉢を胴にして、ビニールシートの皮をロープで張ってゆきます。これはかなり難易度が高いので、必然的に保護者の方に作っていただくことになり、一生懸命とりくんでいらっしゃるお父さんお母さんの姿が印象的でした。子どもたちはできあがった太鼓に飾り付けをします。

そして、飲食コーナーでは、給食のメニューの一品、大根おろしと野菜がたくさん入った「おろし汁」を担当になった親子がサーブします。

 かなり大きめの小学生用の太鼓

「おろし汁」をもらって室内でも、園庭でも食べることができます。汁物だけではおなかがすくので、各家庭から自分の食べる分のおにぎりを持って来て頂いて、おにぎりと、おろし汁がお昼ご飯です。ちょうど給食の試食も兼ねられます。

おたのしみ会 1(10月27日分)

2012/11/03

おたのしみ会という行事を行いました。子どもたちをまん中に保育園にかかわるみんなが楽しく過ごすために、保護者の有志と保育士が実行委員会を結成して、企画から準備、当日の進行や様々な段取りまで行いました。目標は「参加者がそれぞれに楽しむこと」です。子どもはもちろん、実行委員として頑張ってくださった保護者、仕事が忙しくて実行委員はできなかったけど当日にお手伝いいただく保護者、当日参加してくださる保護者、そして職員も楽しく過ごします。それぞれがそれぞれのできるやり方で参加し、協力する行事です。

夏前から保護者の実行委員を募集して話し合い、全保護者にアンケートを取って、何度もミーティングを重ねて企画を練っていただきました。その結果、秋祭りをイメージした様々なお店やコーナーがあって、何かを作ったりゲームをしたり飲食できるスペースがあったり、やきいもも作ろうということになりました。

どんなお店をオープンさせようか?実行委員がアンケートをもとに相談して決めてくださったのが、大型迷路、おもちゃのさかなつり、おみこし作り、たいこ作りでした。

   カラフルなテントウムシ

テントウムシのおなかには名前

学童保育の小学生は、自分たちで紙粘土を使って作った様々な色のテントウムシのマグネットを景品にした、くじびきのお店を出していました。くじを引くと、カラフルなテントウムシのうちの1つがもらえるというものです。どの色のテントウムシがもらえるのかはお楽しみです。

    保育室が迷路に

大型迷路は、2階の幼児室にダンボールで迷路を作るという趣向です。ただのダンボールの壁が立っているだけではおもしろくないので、あらかじめ、子どもたちが保育の時間を使って自由に絵を描きました。大きなダンボールに好きに描いて良いということで、子どもたちはホントに自由に楽しそうに描いていました。表現するってこういうことなのだろうと思います。もちろん保護者の方も描いてくださいました。みんなで作った迷路にはブラックライトに照らされて、怪しく輝くお化けもいました。

企画もさることながら、準備がかなり大変なのですが、実行委員を中心とした保護者の有志が連日のように来園して準備を進めてくださいました。その手際の良いことと、皆様のパワーには驚きました。

ご協力いただいた保護者の皆様お忙しいところありがとうございました。

秋のみのり

2012/11/03

    畑に残った黒豆

秋が深まってきました。山の木々の葉も少しずつ色づきはじめています。雨が降るたびに季節が進み、今朝の気温は6度。もう冬といっても良い気温です。これからは様々な自然が冬支度をはじめ、その変化が私たちを楽しませてくれることと思います。

保育園の畑も様子が変わりました。まるでジャングルのようだった畑も、大豆以外の植物はほとんど影を潜めて目立たなくなりました。もちろんシロバナサクラタデ?など他の植物を少し刈り込んだこともありますが、その他の草もみごとにかさがひくくなり、大豆だけが元気に繁っています。その大豆も、葉が黄色くなり、

    軒下につるした大豆

豆のサヤも茶色になってきたので、思い切って収穫しました。園庭の軒下につるして、乾かしています。乾いたものは子どもたちが、中の豆を取り出してくれました。小さいもの、大きく育ったものなど様々です。ちゃんと大豆の色になって形も丸くなっています。ついこの間まで枝豆で食べていたのに、あっという間に大豆に変身してしまいました。当たり前のことなのですが、自然って不思議です。収穫できた大豆は来年、畑に蒔く種を残して、何とかして子どもたちと美味しく食べようと思います。どう調理すると、大豆の味を活かして美味しく食べられるのでしょう・・・悩んでみようと思います。

    こんにちは、おまめさん

収穫したのは普通の大豆で、黒豆はまだ青々として繁っています。サヤはまあるくふくらんで、黒豆くん達がなかで大きく育っていることが外から見てもわかります。まだ、葉もサヤも青いのでもうしばらくは畑にいてもらおうと思っています。黒豆を収穫するのも楽しみです。

ひとつだけ実をつけたナスは種を取ろうと思って、そのままにしてあります。これ以上大きくなるわけでもなく、外観はあまり変わらずに相変わらずぶら下がっています。少し前に花を咲かせていましたが、さすがにこの季節には実を結ぶことはないと思います。

    来年芽が出るかな

トマトは、まだ青い実もいくつかあって、徐々に熟してきています。2つ3つと少しずつ収穫できるので、調理員さんにお願いして、どこかで使ってもらうようにしています。

見る 4(10月26日分)

2012/11/02

顔情報を処理するためのプロセスがあるそうです。まずは一次処理、顔を見つけるプロセスです。そういえば、普段でもいろいろなものを見ている中で顔に見える物ってたくさんあります。丸い形が目、鼻、口のように並んでいるだけで顔に見えたりします。私たちは無意識のうちにいろいろなものに顔を見つけようとしているかもしれません。このどこか顔みたいと思って見ることが、この一次処理にあたるのだと思います。

そして、holistic processingといって顔を顔として顔全体でとらえることが必要というか、顔は全体として見るようになっています。

こんなことをしてみると、私たちは顔を部分ではなく、全体としてとらえているのだと言うことがよくわかるそうです。

2人の有名人、AさんとBさんの顔写真を鼻の辺りで上下に切り分けて、Aさんの上半分(目の部分)とBさんの下半分(口の部分)をくっつけます。AさんとBさんの顔を上半分と下半分で合成するのです。Aさんの目の部分とBさんの口の部分を少しずらしてく置くと、Aさんの目だ、Bさんの口だとわかるのですが、鼻や輪郭など合わせて、ひとつの顔にしてしまうと、全く別の人の顔に見えてしまい、ずらして置いたときほどAさんの目、Bさんの口だとはわかりにくくなります。

このことは、顔を認識するときは、全体として見ているということです。それぞれの部分ではなく、全体として認識するのが、顔認識の特徴だということがわかります。

そうして、顔を全体と把握した上で、違う人の顔が違う顔だと認識するのだそうです。

私たちにとって顔を見ることが、他のものを見ることと異なるということは、全く考えてもいなかっただけに、山口真美 中央大学教授の講義の内容はとても新鮮で、興味を持ちました。

非日常 6

2012/11/02

病院では、入院中の患者さんが快適に入院生活を送り治療に専念できるように看護師さんは、担当の患者さんのところを回るたびに、患者さんの病状をチェックすると同時にいろいろな要望を聞き、その都度丁寧にそのニーズに応えていらっしゃいました。引き継ぎや情報共有がしっかりできているのでしょう。他の看護師さんもちゃんとそれに対応してくださいます。例えば、私が前日に明日10時に外出したいと許可を申請すると、治療に問題がなければ、朝の点滴の開始時刻を少し早めるように配慮してくださいます。そしてその情報がちゃんと引きつがれ、早い時間に点滴を開始してくださいました。もちろん、名前など同じことを何度も聞かれることもあります。しかしそれは、間違いを少なくするための仕組みなのだと思います。

入院中、看護師さんには本当に良くしていただきました。看護師さんも漢字は違いますが「看護(みまもる)」ひとです。患者さんが自分の力で治癒してゆくために、必要なところは助け看護(みまも)ってくださいます。最終的には病は、その人が、その人の心と体が自分の力で治してゆくのです。

保育も同じだと思います。子どもが自ら育ってゆくのです。子どもの自ら育ってゆく力を信じて見守ることが必要です。看護師は英語で“nurse”ですが、保育士も“nurse”と訳されることがあります。“child care person”とも訳されます。

もともと“nurse”はラテン語が語源だそうですが、現在使われている「病人を看護する」というよりも、「子どもを養育する」という意味で使われることが多かったようです。英語の“nurture”(育てる、養育する、促進する、助長する)という語も同じ系列の語です。

看護師さんが患者さんを看護(みまもる)ように、保育者も子どもを見守(みまもる)のですね。ことばが共通するように、役割にも共通性があるのだと思います。

保育者は子どもが自ら育つことを促すことがその主な仕事なのです。病気になった人が自分の治癒力で治ってゆくことを看護ると同様、保育者は子どもが自ら育つことを信じて見守る必要があるのです。そのことを忘れることなく、さらなる向上を目指して仕組みを見直し、改善点があれば、どんどん良くしてゆきたいと思います。

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