園長ブログ

のど飴

2013/07/07

のど飴ってよく買いますか?私は声を使う前にはよく使っています。最近、のど飴を買おうとお店に行くと、たくさんの種類があって、どれを選べばよいのかわからなくなってしまいますが、この「のど飴」を最初に創ったのがカンロ株式会社です。

カンロは大正元年(1912)に宮本製菓所として、山口県で創業し、昭和30年(1955)に隠し味に醤油を加えたカンロ飴を発売、カンロ飴のヒットをきっかけに、社名をカンロ株式会社に改称、昭和56年(1981)菓子食品分野で初の「のど飴」を発売、飴を中心とした菓子を製造しています。

企業理念として次のことを掲げています。

社是
つくる 創意と工夫で新しい価値を創る。
おもう 社会と共生し人々の幸せを想う。
つなぐ 志をつなぎ、喜びをつなぎ、心をつなぐ。

使命
消費者に「美味しさ・楽しさ・健康」を提供する

この、カンロから「ボイスケアのど飴」というのど飴が発売されました。

出張で函館に行った帰りの機内で、ボイスケアのど飴の開発ストーリーを紹介した番組が放映されていて、見入ってしまいました。

開発のきっかけは、いろいろな種類ののど飴があってわかりにくくなっている。もう一度のど飴の原点に返って、のど飴らしいのど飴を開発しよう。という企画会議での提案から始まったそうです。

まず考えたのは、「のど飴をよくなめる人はどんな人だろう」ということだそうです。その答えを探るのに、インターネット上にたくさんあるブログを検索すると「のど飴」ということばと一緒に使われていることばが「声」「話」だったといいます。そこから、声を使う人はどんな人?と考えた結果、歌手、アナウンサー、俳優、声優、先生などが、のどを使うことが多く、声を大切にする人。という答えにたどり着き、「声を大切にする人が必要とするようなのど飴」を創ることに決めたそうです。

のど飴の原点にかえるという発想、つまり、そもそも、のど飴は「何のためにあるのか」「誰のためにあるのか」というところをしっかりと見据え、「創意と工夫で新しい価値を創る。」「社会と共生し人々の幸せを想う。」といった社是に照らして考えたのだろうと想像します。

私たちは、日常に流されて気がついたら原点から遠ざかっていたということがよくあります。「そもそも、保育って何?」「子どもの最善の利益とは?」という原点をふりかえることを忘れず、園の理念から考えて保育を進めてゆきたいと考えます。

縄文時代 3

2013/07/06

函館市縄文文化交流センターの展示室、北海道初の国宝である中空土偶が、暗い展示室に浮かび上がるように立っていました。この土偶は1975年に地元の主婦が農作業中に発見したもので、出土した南茅部の「茅」と、中空土偶の「空」をとって「茅空(かっくう)」という愛称がつけられています。高さ42センチメートル、幅20センチメートル、重さ1.75キログラムで、中空土偶としては国内最大級だそうです。

どこか愛嬌がありながら精悍な顔立ちと斜め上に向けた目線は、永遠のいのちのめぐりを見つめているように感じられました。腕はありませんが、身体に施された文様はとても緻密で繊細なものです。粘土でこの文様を再現しなさいと言われても、私にはできないと思います。そればかりではありません。土偶は一旦完全な形で作成されたあと、儀式に使われる際に壊されるそうですが、あらかじめどこが壊れるようにするか決めておいて、その部分の粘土を薄くするなどの工夫をして、壊すときにはそこから壊せるように計算して創られているという説明を聞きました。北海道の土偶は墓から出てきているそうなので、なにか死と再生に関する意味を持っていたのだと思われます。縄文の人々は人間も自然の一部であり、自然の巡りのなかで活かされている実感とともに、いのちの巡りをみつめていたのでしょうか。

足形付土板というものが、土偶の近くに展示されていました。これは文様をつけた粘土板に子どもの足形を押し付けたもので、裏面に手型がついたものもあります。約6,500年前の墓から出土したということです。亡くなった子どもの足形や手型を粘土板に写し取り、焼き固めて作ったようですが、焼きが甘く脆いことから、囲炉裏などで簡易に焼いたものだそうです。これを住居内に吊して亡くなった子どもを偲んでいたようです。足形付土板は大人の墓から出てきているので、おそらくはその子の親が亡くなったときにその墓に埋納されたのだろうと解説にはありました。

粘土板のうえの小さな足形から、そこにいた子どもの姿がリアルに想像され、よく園で子どもの手型や足形をとっているのを思い出しました。そうして子どもの姿が想像できると、亡くなった子どもの足形をとる親の哀しみや、我が子を思う心が伝わってきました。また、その親が亡くなったときに子どもの足形付土板を墓に入れた、その気持ちがとてもわかるような気がします。何千年もの時を超えて私たちのいのちは繋がっているこことが胸に迫ってきました。

縄文時代 2

2013/07/05

函館市縄文文化交流センターの展示をとおして、自然と共に生きてきた縄文時代の人々が豊かな生活を送っていたことを感じました。他に印象的だったのは、漆です。中国で約6,200年前の漆器が発見されてから、漆の使用は中国からはじまり、日本に伝わったと考えられていましたが、函館の垣ノ島遺跡から出土した漆の装飾品が年代測定の結果、約9,000年前、縄文時代前期のものであることが確認されたので、それまでの説ではなく、日本では独自に漆の加工が行われていたことがわかったそうです。漆を糸に染みこませた装飾品や、漆を塗った土器なども見つかっており、その頃の技術の高さが伺えます。英語で漆のことをlacquerといいますが、japanともいいます。垣ノ島遺跡からの漆器の出土は漆の面目躍如といったところでしょうか。

また、ヒスイを用いた勾玉が展示されていましたが、このヒスイは新潟の糸魚川でとれたものであり、縄文時代の人々が広い範囲で交易していたことを示すものなのだそうです。その他にも天然のアスファルトが石鏃などの接着剤として使われていたことがわかっているそうです。交易も技術もかなりレベルが高かったようです。

なんだか縄文時代の人々のすごさを感じさせられます。狩猟採集が中心の生活ではありますが、だからこそ自然に寄り添い、自然の声を聞き、それに従って生活していたからなのかと思ってしまいます。

縄文時代 1

2013/07/04

函館市縄文文化交流センターには南茅部縄文遺跡群を中心として、函館市の縄文遺跡から出土した遺物が展示されています。こんなにたくさんの縄文時代の遺跡が函館にあり、しかも約9,000年前(縄文早期)から2,000年前(縄文晩期)までの縄文時代の長い期間にわたる遺跡群があったことは知りませんでした。展示室にはそれらの遺跡から出土した土器や石器・骨角器など様々な道具がそれがどのように使われたかがよくわかるように展示されています。石槍や石斧、石鏃などの石器や釣り針などがたくさん展示してありました。石器をよく見ているととても繊細で美しい造形で、どのようにして創ったのだろうと思ってしまいます。

これらの道具と共にサケ・タラ・マグロなどの魚類、ウニ・カキ・オットセイ・クジラといった海産物や,クリ・クルミ・トチ・ブドウといった植物の種子など当時の食生活をうかがわせるものが出土しているそうです。縄文の人々は季節ごとに豊かなめぐみをもたらす自然に寄り添い、そのめぐみを生活に活かすための様々な技術や道具を生み出していった。「自然を観察することから得られた知恵が縄文文化を支える源となった。」と解説されていました。

続いて展示されていた大船遺跡の大規模集落の竪穴式住居の遺構についての解説には驚きました。大船遺跡は縄文時代中期(約5,400~4,100年前)を中心とした大規模な集落跡ですが、竪穴式住居の遺構の大きさは想像以上です。深さが2.4メートルもあり、具体的な面積はわかりませんでしたが、かなり広いのです。柱を立てたであろう穴が10ほどあり、ちょっとしたビルの基礎工事という感じです。これほど大きな建物を建てる技術があったのです。

縄文時代の人々は、想像していた以上に豊かな生活を送っていたようです。そしてそれは、自然のめぐりをよく観察、理解し、自然に寄り添って生きてきたことにありそうです。自然から遠ざかってしまった私たちが、見習うところがあるのかもしれません。

函館市縄文文化交流センター

2013/07/03

先日、函館に行く機会がありました。この時期の京都は蒸し暑いことが多いのですが、北海道はさわやかです。朝夕などは気温が13度ほどで、肌寒いくらいでした。函館空港に着いたときには、さわやかだな。と感じたくらいですが、大阪に着いてからは蒸し暑さがとても気になって、家に帰ってから「蒸し暑いね」と言ったら、「今日は涼しいよ」と返って来ました。自分に都合の良いことにはすぐに慣れて、不快なことは気になってしまうのでしょうか。勝手なものです。

仕事が終わって、帰りの飛行機まで少し時間があったので、函館市縄文文化交流センターを訪れました。函館市縄文文化交流センターは、2011年10月に開館した道の駅を併設する博物館で、南茅部縄文遺跡群を中心に、函館市の縄文遺跡から出土した様々な土器や石器などの遺物を数多く展示しています。

両側に緑が続く国道278号線のバイパス尾礼部道路を走っていると突然、コンクリート打ち放しの要塞のような建物が現れますが、建物は高くないので威圧感は感じさせません。打ち放しコンクリートは無機質な印象を与えますが、曲線を多用した造形がやわらかさを加えていますし、近づいて見ると、型枠の組み方を工夫して壁面に微妙な凹凸がつけてあって、平面的になりがちな面に変化をもたせています。いろいろと考えて作ってあるのだと思いました。

建物に入ってみると、エントランスは実は2階で、受付をはさんで道の駅の部分と体験学習室に分かれていて、展示スペースは1階になっています。体験学習室では随時、ミニチュア土器づくり、縄文ペンダントづくり、土器の拓本とりなど、様々な体験を受け付けています。小学生の男の子が真剣に縄文ペンダントづくりをしていて、楽しそうでやってみたくなりましたが、体験をしている時間はなかったので諦めました。

1階の展示室に行ってみると、かなり暗めの照明とスポットライトを使って土器をはじめとした展示物が、浮かび上がるようなライティングであったり、展示ケースの中では多数の石刃が美しくならべて展示してあったり、壁面を覆うように土器が展示してあったりと、展示も工夫が為されていたように思いました。

赤ちゃん学会 18

2013/07/02

「構成論的発達科学」の当事者研究により、一つの仮説が立てられていると聞きました。それは当事者自身の研究や報告により、対人関係など社会性の障害以前に知覚や運動に関することに原因があるのではないかという知見に基づいた仮説です。当事者の体験に基づいた研究から得られた「情報のまとめ上げ困難が根本的な特性であり、そこから知覚・運動レベルの問題や対人関係での困難が統一的に説明できる。」という仮説です。身体の自己紹介のまとめ上げという言い方をされている研究者もいらっしゃいました。

例えば、親しい人の顔は目や鼻や口といったパーツの寄せ集めで見るとわかるが、全体像だとわからないといったことや、空腹感の感じ方に特徴がある。
声を発するのが不得意なのは、音声感覚の身体的フィードバックが乏しいために、うまく声が出せない、声を出すのが不安になる。
雑踏の中で話している目の前の人の声が聞き取れないのは、他の音が飛び交っていても、会話の相手の話に意識を集中すると、他の音は気にならなくなるのに、他のすべての音も同じボリュームで聞こえるなどして相手の声が聞き取りにくくなるから。そういうときに相手の喉に指を当てると折り聞き取りやすくなる人もいるそうです。

身体から入ってくる情報を、まとめ上げるのが困難だから様々な困り感が出てしまう。このまとめ上げ困難説を検証し修正してゆくことと同時に、当事者に本当に必要な支援方法を開発することで当事者の困り感を少なくしてゆくという研究なのです。

シンポジウムを聞きましたが、私の能力では理解するのが難しく、正確に伝える事ができていないとおもいます。しかし、とても興味深く聞くことができましたし、知れば知るほどエキサイティングな研究だと感じました。この研究の成果によって、一人でも多くの困っている方が、いきいきと生活できる日が来ることを祈らずにいられませんでした。

日本赤ちゃん学会第13回学術集会というほんとうにすばらしい機会に巡り会えたことを感謝しています。

赤ちゃん学会 17

2013/07/01

構成論的発達科学には当事者研究というカテゴリーがあります。障害があると言われる人の体験などの記述によって、障害者の立場から障害を理解しようというのだと思います。

例えば、自閉症は社会性の障害とか、心の理論の障害が共通しているのではないかということがよくいわれます。ところが、自閉症の人たちのコミュニティーがあって、互いにコミュニケーションをとり、共に活動していらっしゃいます。このことは社会性を表しているのではないか。こう考えると「社会性の障害」という言い方は、自閉症の特徴を本質的に言い表しているわけではないように思えます。社会性に先立つ身体感覚の多様性に注目すべきだ。同じ身体感覚を持つ人たちのオルタナティブな社会もある。と演者はおっしゃっていました。

その人のいろいろなことの感じ方や身体感覚にそれぞれの特徴があるということです。そういえば、自閉症の人の中には音にとても敏感で音が大きく聞こえてしまうので、少し大きな音がすると、とても我慢できなくなって耳を押さえてしまう。とか、私たちは、何かを見るときには注意を向けたいものだけに集中して見て、その他のものには余り注意を向けないようにして見ているのですが、自閉症の人の中には視界に入る全てのものが、同じ質感で見えてしまう人もいるそうです。以前、自閉症の人が書いた手記を読んでいたときに、「みんなどうして南の島なんかに行きたがるのか理解できない」とありました。その方は暑さに敏感で、より暑さを感じてしまうのです。このように、まずひとり一人が持つ様々な身体感覚の違いを認識する必要がありそうです。

私たちはどうしても自分の見方、感じ方と同じように他の人も見たり聞いたり感じたりしていると思いがちです。その見え方、聞こえ方、感じ方が人によって異なり、その違いが小さい人もいれば大きい人もいるのです。

ただそれを当事者の特質とするだけでなく、それを理解してどう支援するのか。何が当事者のハピネスやウエルビーイングに繋がるのか。その視点が大切なのではないのでしょうか。

赤ちゃん学会 16

2013/06/30

構成論的発達科学では、医学、心理学、脳神経科学などの人間学から得られる胎児期からの発達に関するデータと、発達障害者自身による当事者研究から明らかになること、そこから導き出される仮説に基づいて、ロボティクスや情報学がモデルを構築し、モデルから得られたシミュレーション結果を人間学と発達障害の当事者が評価検証するという方法で進められることは紹介しました。

構成論的発達科学の研究テーマのひとつは「人の心はいかにして発生し発達するのか」です。人の心の大きな特徴として社会性があります。ホモサピエンスは社会を構成するという戦略をとることで生き残り、現在のように繁栄してきました。社会的認知の基盤は自分と他を知ること、つまり自他認知であり、胎児期からの身体感覚や運動統合についての研究を深めることが大切なのだそうです。構成論の手法を用いて発達モデルを作ってゆく研究が進められています。また、知性を創ることによってその仕組みを理解し原初から解明し発達する知性の根源を探ることも視野に入っているようです。

発達障害が急増していますが、発達障害といわれる人の半数は原因不明なのだそうです。今までは発達障害が起こる要因としては遺伝的な要因が大きいと考えられていましたが、最近では胎児期からの身体と環境との相互作用が重要な意味を持っているのではないかということがわかってきているそうです。ですから、胎内環境も含めた発達初期の環境と発達障害の関係を研究する必要があるのです。しかし、胎児を直接研究することは困難なことなので、胎児の筋骨格モデルや感覚受容器の分布モデル、子宮内環境モデルをつくり、シミュレートすることで研究しようとしているそうです。
発達の連続性ということが大切なのはわかりますが、生まれてからではなく、胎児のころから見てゆく必要があるのですね。

赤ちゃんはお母さんのお腹の中にいるときから自発的に動き、自ら環境に働きかけ身体感覚を統合してゆくことで発達してゆく。それが社会性の発達に繋がっているのではないかと考えられています。そうであるなら、生まれてからも自ら動き、自発的に環境に働きかけることで子どもは育ってゆくことがますます重要になってくるということです。子どもが自発的に環境に関わること、主体性が最も大切なことなのです。

赤ちゃん学会 15

2013/06/29

5月25日26日の2日間にわたって福岡で行われた日本赤ちゃん学会第13回学術集会、最終日午後からのシンポジウムに参加することができました。

シンポジウムのタイトルは「構成(論)的発達科学の新展開」タイトルを見ただけでも難しそうです。構成論とは対象を理解するために、分析するという方法ではなく、「システムを作って動かすことにより理解する」という方法です。

人の心はいかにして発生し発達するのか?発達障害はなぜ起こるのか?という謎の解明は胎児の研究が必要だという見方が近年強まっているそうです。しかし、胎児を研究するためには今までの方法ではいろいろな意味で困難が伴います。そこで、胎児からの発達をモデル化しシミュレーションにより解釈することで、発達の根本原理を究明しようという研究です。さらにそのシミュレーションによって環境の要因による変化を明らかにすることで、発達障害の新たな理解を得ると共に、適切な診断や本当の意味での支援法を考えてゆく。そのために構成論の分野としてはロボット工学や情報学のロボティックス、人間学としては、医学、心理学、脳神経学など、それに加えて当事者研究の分野が学際的に連携してゆく、世界的にも先進的な取り組みなのだそうです。

私たちが聞いても理解できないことが多いのかもしれませんが、「人の心はいかにして発生し発達するのか?」「発達障害はなぜ起こるのか?」というテーマはとても興味のあるところですし、深く知りたいところでもあります。

理解するのはなかなか難しかったのですが、シンポジウムに参加させていただいた感想を伝えることができればと思います。

演出

2013/06/28

バレエ「ドン・キホーテ」は、全3幕5場プロロー付という構成になっています。プロローグでは、騎士の武勇伝を読みすぎたドンキホーテが自分が物語の主人公になったと思い込み、サンチョパンサを連れて旅に出るシーンです。ドンキホーテが物語の世界に入り込み自分が騎士だと勘違いする感じが良く表されていますし、サンチョパンサのちょっとコミカルな動きも楽しく感じます。

プロローグに続く第1幕は、バルセロナの町の広場でいろいろな人が陽気に騒いでいるシーンからはじまりますが、幕が開くとそこにはたくさんの人がいるところがとても華やかさを感じさせてくれます。宿屋の看板娘キトリとその恋人である床屋のバジル、キトリをお金持ちの貴族ガマーシュに嫁がせたいキトリの父ロレンツォ、貴族ガマーシュ。そんな人たちがやりとりをしているところに登場するドンキホーテとサンチョパンサ。進んでゆくストーリーとそれを表現する踊りはもちろんすばらしものです。しかし、私が興味を持ったのは、舞台の両脇にいる町の人々が思い思いにいろいろなことをしているところです。二人で楽しそうに話している人、飲み物を飲んでいる人、コックさん、いろいろな人がいるのですが、それぞれに動いている姿から、町の広場という感じが伝わってきます。第2幕の居酒屋のシーンでも、ウエイターを呼んで飲み物を注文している人がいたりします。いろいろなところでいろいろな人がいろいろなことをしているので、どこを見て良いかわからなくなるのですが、こういった人たちが何をしているのかを見るのが好きです。舞台の中央で繰り広げられる物語の展開や美しい踊りがすばらしいことは言うまでもありません。ですから余計にどこを見て良いのかわからなくなります。

会場で販売されていたパンフレットを読んでいたらそんなことが書いてありました。
クラッシックバレエの基礎を築いたといわれるマリウス・ブティパが、「ドン・キホーテ」のバレエを創作したそうですが、後にアレクサンドル・ゴルスキーが舞台を自然にいきいきと見せるために演出に工夫を凝らしたようです。ゴルスキーの演出で最も優れているのが群舞だといわれているそうですが、「ゴルスキーは群舞のひとり一人にそれぞれの動きと目的意識を与え、シンメトリーではない生きた舞台を目指した」そうです。ゴルスキーの狙ったところに興味を惹かれた私でした。

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