園長ブログ

おとまり保育 〜 キャンプファイヤー 〜

2013/07/27

おとまり保育での子どもたちの大きな楽しみの一つは、キャンプファイヤーです。あらかじめ自分のローソクを作ってたのしみを増やしました。キャンプファイヤーの火をもらって自作のろうそくに火を灯すのです。

お化け屋敷、お風呂、食事に続いてキャンプファイヤーです。自作のローソクを持って、少し離れたところにある運動場へ行くと、空にはとても美しい月がかかっています。満月には少し早いのですが、月の光がとても明るく、昼間とは全く違う雰囲気に子どもたちは何かを感じていたにちがいありません。

キャンプファイヤーを始めるのに、あらかじめ井方に組んだ薪に点火しようと先生がポケットを探ります。
そして「あー!マッチを持って来るのを忘れた!どうして火をつけよう?」ということばから、ストーリーが始まります。「えー!どうするの?」と不安げな子どもたち。「どうしよ?」と困った声で聞き返す先生。子どもたちもいろいろ考えますが、なかなか良いアイデアが浮かんで来ません。そうしているうちに誰かが「火の神様にお願いしたら!」と言い出します。「それ、良い考えかもしれない」とその意見を採り上げる先生、「でも、どうやって火の神様を呼ぶの?」「とにかく大きな声で火の神様を呼んでみよう」子どもたちの中で話が進み、火の神様を呼んでみました。

「火のかみさまー!」何も変化はありません。

「声が小さいのかな?もっと大きな声で呼んでみよう」

「火のかみさまー!!」まだ何も起こりません。

「心を込めて、もう1回呼んでみよう」と声を振り絞って火の神様を呼びます。

すると、突然空から大きな声が降って来ました。「だれだ!わたしを呼ぶのはー」

子どもたちは響き渡る声に驚きます。中には怖くなる子もいましたが、火をもらってキャンプファイヤーをしたいという気持ちが強いのか、泣き出したりはしません。

「鞍馬山保育園のゆりぐみです」と子どもたち。

「それで、わたしになんの用かな」と火の神様。

「キャンプファイヤーの火をくださーい」と子どもたちはお願いします。

怖くて大きな声を出せない子もいますが、それでも心から一生懸命にお願いする子どもたち。火の神様から火をもらうことはできたのでしょうか・・・

おとまり保育 〜たのしみ〜

2013/07/26

おとまり保育で子どもたちが露天風呂を楽しんだことを紹介しましたが、楽しみはこれだけではありません。

みんなで、何かをして夕食後を楽しもうという意見をもとに話し合い、そこで決まったのがお化け屋敷だそうです。2グループに分かれ、グループごとに思い思いのお化けを作りながら、お化け屋敷を構成していったそうです。2グループに分かれたのは、1つのグループがお化けになっておどかす役をし、もう一方がお客さんになるためです。ですから、おとまり保育当日まで、もう一方のグループではどんなお化けを作っているのかお互いには知りませんでした。

どんなお化けを作ろうかと、グループのメンバーで話し合って決め、何を使ってどう作るかも意見を出し合って決めていったと聞きました。もちろん先生にアドバイスを求めたこともあったでしょう。

何かを行うために、先ずは様々なアイデアを出し合って、構想を練る。プランができあがったらそれを形にするために、自分は何ができるのか、できないところは誰のどんな力をどう活かすかを考えて頼み、任せる。みんなで何かを作り上げるプロセスを子どもたちは感覚でわかっているように思います。そして自分が何によって目的に貢献できるかも知っているのではないでしょうか。

ちょうちんお化けの中が光った方が良いというアイデアを形にするため、中に入れるために小さなライトを家からもってくる。ろくろっくびがそれらしく見えるためにはどうしたら良いかと考え、ダンボールなどをうまく使って表現する。ゾンビは床を這っていたほうが怖いだろうと考えてそうする。どうやってお客さんを怖がらせようかと、とてもよく考えていたことが伝わってきました。

当日、お風呂脳トラブルで多少時間が早まったお化け屋敷のオープンにあわせて見に行ってみると、思いがけないところにじっと立っているので、ドキッとさせられたお化け役の子がいました。

みんなが心と力を合わせれば、楽しいし、色んな事ができるということを子どもたちは知っているのかと思ってしまいます。

おとまり保育 〜露天風呂〜

2013/07/25

おとまり保育の楽しみはもちろん食事だけではありません。みんなでどうやって楽しむかも、話し合ったり考えたようです。おとまり保育全体が子どもたちにとって特別な2日間なのですが。そのなかでも特にスペシャルな時間といえば、夕方からお布団に入るまでの時間ではないでしょうか。先生が子どもたちに「おとまり保育で何が一番楽しかった?」と尋ねたところ、この時間帯の活動を楽しいと感じていた子が多かったようです。

準備から片付けまでの多くを自分たちで行った夕食も楽しい時間ですし、みんなで入るお風呂も特別です。といっても園にお風呂があるわけではありません。先生が事前に子どもたちに「お風呂はどうする」と尋ねると、これもいろいろな意見が出たそうです。近くにある「くらま温泉」(最近人気の入浴施設です)にみんなで行こうという意見があったり、簡易シャワーを使うという子もいました。最終的には普段使っているプールにお湯をはり、露天風呂にしてみんなで入ろうという案に落ち着いたようです。

普段のプール遊びでは、鞍馬の水は冷たいので少しお湯を足している程度ですが、このときばかりは給湯器をフル稼動させる必要があります。ところが、お湯を一気に出し過ぎたからか、ガスメーターがガス漏れと勘違いして、お湯がストップ。私たちでは復旧できなくなってしまい、業者さんを呼ぶことに。しかし、業者さんが到着するまでは1時間以上かかります。(田舎の不便なところです)

「お風呂が・・・」と、職員は一瞬青ざめましたが、機転の利く先生が何人かいて、園舎の反対側のシャワールームならガスの系統が違うのでお湯が出るはず。ホースを延長してそこからお湯を引こうということになりました。そう決まったら、早いもので、ホースをつなぐことができる蛇口に取り替えるなど様々な工夫をして給湯成功。業者さんが来てくださるまでなんとかつなぎました。みんなが心を合わせ力を合わせることで、何とかピンチは乗り越えられました。

ようやく、お湯がたまった露天風呂に入った子どもたち。この時期にしては湿度が低くさわやかな空気に包まれながら、少しトーンの落ちた青い空を眺めながら入る露天風呂は気持ちいいに違いありません。私も思わず入りたくなりました。あまりの気持ちよさに興奮気味の子どもたちはキャーキャーはしゃいでいます。その中で、Sくんは「せっかく気持ちいいお風呂なんだから、静かに入ろうよ。ほら、静かにして!セミの声が聞こえる。セミもきもちいい〜」って言ってるよ。そのことばに他の子どもたちも耳を澄ませてセミの声に聞き入っていました。

Sくんのひとことにとても心が和み、黄昏の柔らかな光に包まれたその場が、更にやわらかさを増したように感じたのは私だけではなかったはずです。

おとまり保育〜まねる〜

2013/07/24

「子どもが自分で生活する」ことをテーマに行ったおとまり保育、夕食の支度は買い物から調理、そして自分の使った食器を洗うことまで、できる限りを子どもたちが行いました。夕食の調理ではにんじんやじゃがいも、たまねぎの皮を剥き切っていましたが、みんなとても真剣に取り組んでいます。中にはとても慣れた手つきで包丁を使う子もいます。きっと家でも家族で調理をしているのでしょう。

子どもは、まねをする事で学んでゆきます。様々な動作はもちろんそうですし、心もまねをする事で育まれるのです。ですから、子どもにこうなってほしいと思うのなら、何かを教え込むよりもまず大人がそのことに真剣に取り組むことが必要です。その姿が自然と子どもの心に映り込んでゆくのです。子どもにテレビばかり見ないで本を読みなさいというのなら、大人も本を読むべきです。しかも真剣に楽しそうに。

子どもたちは食べ終わった後の食器を洗うことにも一生懸命でした。もちろん動きがぎこちなかったり、上手ではなかったり、時間がかかったりしますが、そのことに一生懸命取り組もうとする姿勢が大切なのです。子どもたちははとても真剣にに取り組んでいました。

夕食のハヤシライスを食べ終わった後に、先生が「みんなが食べ終わった後のお皿はきれいかな。園長先生のお皿を見て。」と子どもたちに声をかけていました。私は食事をした後に食器ができるだけきれいになるよう心がけていて、園で子どもたちと昼食をとるときも、食べ終わった後の食器に少しお茶を入れてきれいにするようにしています。そのことを知っていた先生が、子どもたちに、きれいに食べることの大切さを伝えようと、私のお皿を引き合いに出したのでした。食べ終わった後のお皿がきれいなら、食器も洗いやすいし、水も汚さない。なによりも、食べ物のいのちに感謝していただくということが伝えたかったようです。私のお皿を見た子どもたちは自分のお皿もきれいにしようと工夫していました。お皿に残ったハヤシライスのルーをスプーンできれいに集めて食べたり、私がお茶を使ってきれいにしているのを知っていて、まねをしている子もいました。先生が声をかけてくれたので、子どもたちが気付いて取り組んでくれたのです。きっと子どもの心に「食べ物に感謝する」というメッセージは届いたと思います。

おとまり保育〜食事〜

2013/07/23

自分たちで話し合っておとまり保育の夕食にはハヤシライスを作ると決めた5歳児たち、材料には何が必要かも話し合ったそうです。たまねぎ、お肉、にんじん、じゃがいも、いろいろな野菜が候補に挙がりました。結局いろいろなものを入れようと言うことで、材料はほとんどカレーと同じ、味はデミグラスソースというハヤシライスに決まりました。ブロッコリーという意見がでて、賛否が分かれたそうですが、ブロッコリーは単体で茹でて食べたい人はお皿に盛りつけたハヤシライスの上に飾る。食べたくない人は食べない。という選択制にしようということで解決。

先生は子どもたちの思いが広がるようにと、できるだけ時間を取って話し合ったり、食材の絵を描いたり工夫していたようです。ですから、食べることに限らず子どもたちの期待は小さな胸一杯に膨らんでいました。

食材も決まり、おとまり保育の当日、子どもたちは朝から食材の買い出しに行きました。といっても、近くにお店はないので、20分くらい電車に乗って、園に食材を納品してくださっているお店に行きました。近くにパン屋さんがあるので、翌日の朝食に使うパンも買いに行きました。

パンと言えば、朝食も子どもたちが作れるように、でも余り手間がかかりすぎないようにと、メニューにはホットドッグを選んでいました。何種類かの具材を調理の先生が用意し、その具材を子どもたちが選んで、自分でホットドッグ用のパンに入れ、アルミホイルで包んで温めます。

温めるのにも子どもたちが関われると良いということから、事前に子どもたちがオーブンを自作しました。といっても、そんなに難しいものではありません。ダンボール箱の内側にアルミホイルを貼り、外側をきれいに飾っただけです。この内側にアルミホイルを貼ったダンボール箱の上の方にホットドッグをのせるための針金を取り付け、下から炭火で温めるのです。そんなので温まるの?と思いましたが、意外と火力が強く、パンの外側がさくっとするくらいになります。この方法を教えてくれた調理の先生はピザも焼けるといっていました。この手作りオーブンを使い、キャンプ気分を味わいながら園庭での朝食となりました。

おとまり保育 〜話し合って決める〜

2013/07/22

今年も5歳児たちが、待ちに待ったお泊まり保育の日がやってきました。いつもより大きい荷物を持って、うれしさと少しばかりの不安を胸に登園してくる子どもたち。今年もおとまり保育の目的は、「子どもたちが自分で生活すること」です。もちろん普段から何でも自分たちでやっている5歳児たちですが、普段保育園で食べる機会がない夕食づくりの仕事があります。

今年も夕食のメニューは事前に子どもたちが話し合ってハヤシライスに決めたようです。ところが、子どもたちの夕食メニュー決定会議はハヤシライス賛成派と反対派に別れて紛糾したようで、なかなかメニューが決まらなかったようですが、先生も子どもたちが話し合って決めることを信じて、できるだけ口出しをせずに待っていたそうです。そうしたら、いつの間にかハヤシライス反対派が歩み寄ってくれて、無事にメニューが決まったと言っていました。こう書くと「ハヤシライスはいやだ」と言っていた子が渋々同意させられたように感じられるかもしれませんが、そうではないようです。賛成派と反対派がお互いに譲らず、硬直状態が続くので、このまま決まらなかったらどうしようかと先生も心配していたようですが、しばらく時間が経つと反対派が積極的に歩み寄ってくれたのだと言っていました。

大人だったら物別れに終わりそうですが、子どもは素直なのか、いつの間にか気持ちを合わすことができるようです。それもお互いに納得してのことです。もちろんその前段階としては徹底的に意見を交わし合う、戦わせることはしています。子どもは優柔不断なのではないかという意見もあるかもしれませんが、そういうわけではないように思います。子どもは刷り込みが少なく、我欲にこだわることがなく、心がやわらかいのだと思います。

喜び

2013/07/21

他人の喜びを自分のことのように感じ、他人の喜びのために何かしたいと思う。そういった視点が、今の経済学には欠けていると、大阪大学大学院経済学研究科教授で、経済思想史が専門の堂目卓夫氏はいいます。個人の喜びは、手にしたモノやカネからのみ生じ、相手の喜びに共感して得られる喜びは考慮されないのが今の経済学なのだそうです。

このような世界では「何のために働くのか」という問いには、「対価として支払われるモノやカネのためという答えしか返ってこないだろう。そして、「他人の悲しみや苦しみを和らげ、喜びを増すため」という答えは、綺麗事か偽善と見なされるだろう。しかし現実の世界では、他人の笑顔や感謝の言葉は、すべての人の「働きがい」や「生きがい」になっているはずである。(2013年6月3日京都新聞夕刊「現代のことば」より)

もちろん、労働の対価として支払われるモノやカネも大切ではありますが、それこそが絶対の目的ではないはずです。「誰かの喜んでくださる顔が見たいから」「ありがとうと言ってもらって嬉しいから」という喜びがあってこそ、働くことが楽しくなるし、もっと誰かに喜んでもらいたいと思えるようになるのではないでしょうか。この喜びと喜びが響き合うところに共感が生まれる。共感の喜びを表す形としてモノやカネが行き来する。モノやカネは「うれしい」「ありがとう」をはこぶメッセンジャーなのかもしれません。

「経済」の意味は「経世済民」、すなわち、「民を苦しみから救い、世を治めること」である。本当に重要なのは、モノやカネの総量ではなく、それらを取り巻く人間関係であり、相互の共感によって和らげられる苦しみや悲しみの総量、そして増幅される喜びの総量である。(2013年6月3日京都新聞夕刊「現代のことば」より)と堂目氏もいっています。

ついつい、目の前に見える現象ばかりに目を奪われ、本当に大切なことが見えなくなりがちです。だからこそ、自らの「ことば」「行動」そして「想い」にいつも注意を払い、何のためにそれをしようとしているのか、どういう意味で言うのか、なぜそう思うのか、平静な心で見つめる必要がありそうです。

喜びのために

2013/07/20

自分の興味関心のあることについては、妬みの気持ちが起こることが多いようですが、そうでない場合は妬みの気持ちが起こることは少ないようです。例えば、特に親しいわけでもない他人の結婚式に参列するのとお葬式に参列するのでは、どちらを選びますか。と尋ねられたら、多くの人が結婚式と答えるのではないでしょうか。私たちはたとえ他人であっても、だれかの悲しみや嘆きに触れるお葬式よりも、喜びや祝福を感じられる結婚式に参列したいと思うのです。なぜなら、私たちには、人の気持ちを自分の気持ちのように感じる、つまり共感する能力があるからです。この共感によって人の悲しみを自分のもののように感じるし、反対に他人の喜びを自分の喜びとする事ができるからです。そこに妬みの感情が強く働くことがなければ・・・

誰かの喜びを自分の喜びとする事ができれば、ひとりで生きるよりも何倍も喜びを感じることができるし、悲しみを何分の一かに減らすこともできます。ですから、自分だけでなく他人の悲しみや苦しみが減り、喜びが増えることを喜びと感じ、そこに自分も貢献したくなるのです。前にこのブログで取り上げた、ボイスケアのど飴の開発も、開発チームの「声を使う人に喜んでもらいたい」という強い思いがあったからこそ、何度も挫折しそうになりながらも完成したのでした。

誰かの喜びのために自分も役に立ちたい。誰でもそんな気持ちを持っています。子どもたちが持っているそんな気持ちを発揮できる機会を増やしたいと思います。
夜回り先生として有名な水谷修氏が、苦しんでいる子どもたちが立ち直るための最初の一歩が、だれかに「ありがとう」といってもらう経験をすることだとおっしゃっていたように記憶しています。

妬みと憧れ

2013/07/19

ところで、子どもに妬みのような感情はあるのでしょうか。調査研究したわけではないのではっきりとは言えませんが、園で子どもたちを見ていると妬みというよりもあこがれの気持ち方がずっとずっと大きいように思います。

妬むとは、他人が自分よりすぐれている状態をうらやましく思って憎む。というように、憎む気持ちが多少なりとも入っていますが、あこがれるは、理想とする物事や人物に強く心が引かれることです。

そういえば、あこがれを漢字で書くと「憧れ」、りっしんべんに童です。童の心があこがれなのでしょう。大人になっていろいろのことを刷り込まれて素直さがなくなり、素直にあこがれることができず、憎しみの心が入ってしまうと、妬みになってしまうのかもしれません。

子どもたちは「○○くんはさかあがりができて、かっこいいなー!ぼくも○○くんみたいにさかあがりができるようになりたい!」と素直に思って、一所懸命に練習して、そのうちできるようになります。「できるようになりたい!」「だから練習する」とても素直でシンプルですよね。この素直さを大切にしたいと思いますし、見習いたいとも思います。

ときには、「どうせ、ぼくはできないから」と諦めたようなことをいう子もありますが、本当はできるようになりたいのです。子どもが「できるようになりたい」という自分の気持ちを確かめられるようにことばを添えてあげたり、必要としているところは手伝う、そして勇気づけることができると良いと思います。

できるできないの結果だけを大人が評価すると、子どもも結果だけを気にするようになり、本当に大切なのはプロセスのはずです。「できるようになりたいから努力する」という気持ちで努力を続ける子どもの姿を、大人が素直に喜べると良いと思います。

しかし大人は、どうしても結果だけをとらえ、しかも他の子どもと比べて良い悪いという評価をしてしまいがちです。これを続けていると、子どもは自分よりできる子に対して憧れるのではなく、妬んでしまうようになるのではないでしょうか。子どもの素直さが伸びるようなお手伝いができると良いと思います。

妬みと思いやり

2013/07/18

妬みの感情が起こる場合というのは、自分にとって関連や関心の高い分野において、優れたものや特性を他人がもっているときで、自分も手に入れたいとか、その人がそれを失えば良いのになどと思ってしまいますが、他人がもっているものがいくら優れていても自分にとって興味や関心のないものであれば、妬みはあまり生じません。自分にとって価値があるものは、自分が生きてゆく上で必要なもののはずなので、そこにより価値の高いものを求めるのは自然なことなのかもしれません。

妬みに関係する脳の部位に前部帯状回という部分があるそうですが、前部帯状回は同時に相手の心を理解しようとすること、同情や誰かのために何かをする利他的なこと、共感などにも関係しているともいわれます。

また、前部帯状回は、物事の順序にこだわたり、たとえそれが無意味だとわかっていても、これをやらなくてはならないといった観念に駆られるなどの強迫性、つまり「こだわり」と関係しているともいわれており、前部帯状回の活性が適切な刺激がないにもかかわらず過剰に高まると脅迫障害のような症状が起こるそうです。

前部帯状回は脳内のいろいろな部分からの情報を統合して行動の意欲や動機づけ、感情に関する情報処理の優先度を設定する役割を持ち、いろいろな脳の領域と相互に関わって、認知や行動に関わる機能や記憶に関係しているともいわれています。

私たちは、ついつい妬みと、人の心を思いやったり、共感することは対立概念だと考えがちですし、時歳そういう側面もあるのですが、生きてゆく上で必要な心の動きを様々な形で表出させるという観点からすれば、それほど大きな違いはないのかもしれません。

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