園長ブログ

でも・・・

2013/08/16

学童保育の担当者たちが青空クッキングを行うにあたり、活発に意見を交わし会いながら、楽しそうに話し合ったり準備をしている姿が印象的でした。話し合っている時点からいろいろなところから様々なアイデアが出てきます。そんなときは、少しくらいネガティブな要素が立ちはだかっても、それを逆に良いことに変えてゆく雰囲気になります。

話し合いをすると、楽しく、アイデアがたくさん出てくる話し合いと、そうではない話し合いがあります。意見を聞いても誰も何も言わない。アイデアも全く出てこない。ただただ思い空気が簿を支配するだけという場面に遭遇することってあります。そんな話し合いは気が重いし、疲れます。どうして、こうなってしまうのでしょうか。

その理由の一つに「否定」があると思います。誰かがアイデアを出すと、それは危ないから無理。衛生管理ができない。などなど、まず「否定」が先行する話し合いでは、活発な意見交換は難しいと思います。

そんなことはわかっているつもりだし、できるだけ、他の人の意見を肯定的にとらえ、尊重しようとしながら聞いているつもり・・・私もそうです。

以前こんなゲームをしたことがあります。参加者が丸くなって座り、誰かひとりが、何かアイデアを出す。そうしたら、となりの人がまず「いいですね!」と言ってそのアイデアを受け、そのアイデアに自分のアイデアを付け加える。また、次の人が同じようにするというゲームです。例えば、最初の人が、「今度温泉に行きたいですね」といったら次の人が「いいですね」と受けて、「温泉なら有馬温泉が良いですね」と自分のアイデアを加える。次の人が、「いいですね。」「有馬温泉に行ったら、神戸の町にも行きたいですね。」といった具合で進めてゆきます。ルールは必ず「いいですね」と誰かの意見に賛成すること。そして、絶対に言ってはいけないことばが、「でも」です。

このゲームをやってみて、すぐに「でも」と言ってしまって、流れを止めてしまう自分がいるのに気付きました。否定をしている意識はないのに、つい口癖のように「でも」と言ってしまいます。「でも」と言わないことがすべてではありませんし、違う意見を述べてはいけないというのではありませんが、無意識のうちに自分の考えを優先させたいという感情が働いてしまうのかなと考えさせられました。

青空クッキングの準備

2013/08/15

青空クッキングで、ご飯の炊き比べをしようという企画が持ち上がり、実際に試してみることになりました。土鍋や、ガラスのふたがついたステンレスの鍋、カセットコンロなど必要なものをスタッフがそれぞれに持ち寄って、仕事が終わってから実験開始です。

どうするとおいしく炊けるのか、炊き方をあらかじめ調べ、土鍋とステンレスでは火加減が違うことなどを確認して、実際に子どもたちが行うにはどうするとやりやすいか。子どもたちの「やってみたい」気持ちを刺激し、活動が盛り上がるためにはどんな方法やことばがけが必要か。野外だと風があるが、カセットコンロはどれくらい風の影響を受けるのかなど、実際にやってみながら話し合っていました。

同時に火をつけてステンレス鍋の方が早く沸騰するとか、土鍋は保温力が高から、一旦沸騰すれば、火力はあまり強くなくてよいとか、30〜40分くらいして、土鍋でもステンレスの鍋でもご飯が炊きあがりました。お焦げを作ってみたい誘惑に駆られましたが、お焦げができると、微妙な味がわからないかもしれないと、結構シビアです。そして炊飯器のほうもちょうど炊きあがりました。

いよいよ三種類を食べ比べてみます。少し口に含んで味の違いを感じようとみんな一生懸命です。しかし、お米の照りや、噛んだときの硬さが少し違うくらいで、どのご飯もおいしいのです。なんとか味の違いを見つけようと少しずつ食べ比べていたら、いつの間にか結構な量を食べていました。

そうして、ご飯の味をしっかりと感じようと、舌先や口の中、そして噛んでいるご飯に意識を集中して食べると、ご飯そのものの美味しさに改めて気がつきました。よーく味わいながら食べると、ご飯がとても甘くておいしいのです。普段、おかずと一緒に食べているときは、ご飯自体の味を意識することは少ないかもしれませんが、こうしてご飯の味に集中して食べると、「ご飯ってなんておいしいんだろう」と、感激すら覚えます。炊き方の違いで味が違うかどうか見分けるのは難しとしても、ご飯自体の美味しさに子どもたちが気付いてくれたら嬉しいね。といいながら、試食会は終了しました。

夜の9時近くになっているというのに、ああでもないこうでもないといいながら、スタッフのみんなはとても楽しそうで、なかなか帰ろうとしません。どうしたら、子どもたちが驚くかな?喜ぶかな?というわくわく感いっぱいで、時間を忘れて取り組めることも、とっても大切なことだと思います。

青空クッキングをしよう!

2013/08/14

学童保育に遊びに来ている小学生が何を経験するのか。映画の他にスタッフが考えたのが、青空クッキングです。アイデア出しの段階で、野外で料理といってすぐに思い浮かんだのが「飯ごう炊さん」でした。もちろん飯ごう炊さん以外にも屋外で簡単にできておいしい料理はたくさんあると思いますが、先ずは主食であるご飯を調理することにしました。

ところが、かまどを作り薪を燃やして飯ごうでご飯を炊くというのは、かなり特殊なことです。非日常性を楽しむならそれも良いのですが、今回は、子どもたちの日常からあまり離れることなく、家庭に普通にあるものを使ってご飯を炊くのが良いのではないかということになりました。しかし、炊飯器で炊くだけではおもしろくないので、電気炊飯器の他に、ステンレスの鍋、土鍋をつかって子どもたちとご飯を炊いてみてはいかがか。それをするなら、使う器具によって味が違うのか、あまり変わらないのか食べ比べをしてみようということになりました。いろいろな意見が出て、アイデアがどんどん膨らんでゆきます。こういう話し合いって楽しいものです。炊飯器がなくてもご飯がおいしく炊けることを子どもが知って、家に帰って「今日は私がお鍋でご飯を炊いてあげる」なんてやってくれるとおもしろいという意見。ご飯の味を比べるならおかずはない方が良い。おにぎりが食べやすくて良いのではないか。塩を入れ加減で味が左右されるので、ご飯だけをそのまま食べる方が良い。などとスタッフが話し合っていました。

そんなことで青空クッキングの大まかな方向性が決まりました。
本番で、うまく炊きあがらないなんてことになったら、味の比較どころではないし、子どもたちに失礼なので、事前に試してみようと担当スタッフが仕事が終わってから集まってご飯を炊いてみることにしたようでした。

宇宙

2013/08/13

ペルセウス座流星群は、すい星から放出されたちりが、地球の大気圏に入り、高温になって光るものだそうです。12日の夜から13日未明にかけて条件が良ければ1時間に50個くらいの流星が見られるかもしれないと、報道されていたので、10時頃からしばらく見ていたらとても大きな流星を3〜4回見る事ができました。赤っぽい流星が山の端をかすめるようにスーッと流れ、後には煙のような尾を引いているのも見えます。こんなに大きな流星はあまり見たことがありません。

そう思っていたら突然ムササビの鳴き声が聞こえたので、声のする方を見てみると、私の目の前のかなり近くをムササビが飛んでゆきました。ムササビが飛ぶのは時々見ますが、これほど近くで見たのは初めてで、ちょっと興奮してしまいました。近くで見てもやっぱり座布団が飛んでいるように見えてしまいます。流星にムササビ、いろんなものが飛んだ夜でした。

もしかしたら、今夜も流星が見られるかな。そんな思いで10時過ぎに外に出てみました。石畳の上にごろんと横になって星空を見上げます。昼間の太陽に温められた石がほのかに暖かく、ほほを撫でて流れてゆくひんやりした風とあいまって、とても気持ちが良いものです。しばらく空を見ていると少しずつ目が慣れてきて、星の数がどんどん増えてゆきます。天頂には天の川をまたいではくちょう座、夏の大三角形などが見えます。12日のような大きな流星は見えませんでしたが、そうやって、吸い込まれそうになりながら星空を眺めていると、人間同士のいろいろな問題がとてもちっぽけに思えてきました。よく言われることですが、どこまでも広がる星空を見ていると本当にそんな気がします。大きな大きな宇宙の中の小さな小さな私たち、あれが違う、これが違う、これが正しく、それは間違いなんてもっともっと小さなことなのでしょうね。

プレゼンテーション

2013/08/12

猛暑が続いています。8月12日の京都の最高気温は37.3度でした。鞍馬でも30度を超える時間帯があったと思います。ところが昨日までとは打って変わってずいぶん過ごしやすかったのは、湿度が50%、時には45%くらいになっていたからです。気温は高いにもかかわらず、とてもさわやかで、昨日までの蒸し暑さがうそのようです。そして夜になると、一段と暑さを感じなくなりました。ペルセウス座流星群の出現が、12日深夜から13日未明にかけてピークを迎えるといわれていたので、外に出て観察していたら肌寒くなってきて、あわてて長袖を着ました。それでも涼しかったくらいです。これほど変化が激しいと身体がついて行かなくなりそうですが、過ごしやすくなってありがたいことです。

学童保育を行っているめぐみ精舎も日中とても快適でした。そんな快適な部屋で、映画鑑賞会が行われました。前にも紹介したようにあらかじめ提示されていた3つの候補から実際に観る映画1つを選ばなくてはなりません。当日参加していた子どもたちは8名でしたが、最初は見事に3つのグループに分かれ、あれが観たい、これが観たい、それはイヤだと言い合っていましたが、そのうち候補は2つに絞られたようです。ところが5人対3人に分かれて、どちらを観るのかなかなか決まりません。

そこで、担当者の提案で、お互いにプレゼンテーションをして相手を説得てみることになりました。与えられた時間は3分。その時間ををうまく使って、自分たちが観たい映画のおもしろさを相手に訴えます。作戦タイムに誰がどうプレゼンするのかを考えます。5人のグループは、1人36秒ずつ話すという作戦をたて、低学年の子から順番に自分の意見を述べていました。学年が上がってくると、自分の見たい映画のどこがおもしろそうか。そして対立候補の映画はどこがつまらなさそうかなど、スタッフが作った情報量の少ないチラシから想像して、なかなか説得力のあるプレゼンテーションをしていました。

お互いにプレゼンテーションをしたあとは全員が投票しましたが、結局プレゼンテーションで気持ちがかわった子はいなかったようで、5人のグループが推す「あらしの夜に」を鑑賞することに決まりました。映画が始まると反対意見の子も含め全員がとても真剣に見入っていました。

自分の意見を表明し、相手の賛同を得るようにするにはどうすればよいか?そんなことに挑戦する機会がもっとあると良いかもしれません。

夏休み

2013/08/11

夏休みが始まって、小学生が毎日学童保育に遊びにきています。多い時には20名近く、少ない時でも7〜8名が来訪し、それぞれに思い思いの時間を過ごしています。基本的に小学生たちは、1日に決まった時間に勉強と掃除はしますが、それ以外は自由に過ごしています。かといって、いつも好き勝手に遊んでいるわけではありません。スタッフが子どもたちが選ぶことのできるメニューを用意していることが多いですし、スタッフが企画する行事もあります。お寺から自然に詳しい方がいらしてくださった時には、ネイチャーウォークと称して自然観察に出かけたり、山の中にある朽木を崩してその中はどうなっているか調べていました。朽木を調べに行きたい子は行くし、部屋に残って他のことをしたい子はそれをしているといった具合に選ぶこともあります。

また、参加者全員でお寺に上がり、写経会の道場で一文字ずつ書写することができる般若心経一巻をみんなで書き上げることもしました。そして後日行われた写経会の結願法要にお参りして、自分たちの書写したお経にお供えをしました。また、日をおいて、写経が埋納された経塚の一部を巡拝することもしました。

こうして時々、全員参加で行う行事もあります。先に紹介したのは、写経をキーワードに3回シリーズで行われたものです。すべてに参加した子は、それなりに写経会のいろいろな要素を体験しています。

 映画のチラシ(学童保育スタッフ作)

スタッフの企画する行事はまだまだあります。
映画鑑賞会もその一つです。スタッフ自身が見たい、子どもと一緒に見たい映画を3本選びました。そして、スタッフそれぞれが独自の発想で選んだ映画のチラシを作成して、公開日の1週間ほど前から掲示しています。子どもたちは、そのチラシからどんな映画なのか想像したり話し合ったりしながら、映画鑑賞会の当日に投票して、見る映画を決定するという仕組みです。チラシを作る大人もそれぞれに楽しんで工夫を凝らしていましたし、チラシを見た子どもたちも、どんな映画なんだろうと想像力を働かせていました。

季節のうつろい

2013/08/10

立秋とはいうものの、毎日厳しい暑さが続きます。鞍馬では気温はそれほど高くならず、エアコンのない園舎でも1階なら30度を超えることはあまりありありません。

ところが、このところ湿度がとても高のです。常に80%くらいの湿度で、ときには90%近くになることがあります。学童保育で使っているめぐみ精舎には時計に附属しているデジタル湿度計が、計測不能に陥ったのか「HI」という表示になったそうです。まるで雨期の熱帯の島のような気候です。

少しくらい気温が高くても湿度が低いとそれほど過ごしにくいとは思わないのですが、湿度の高いのはちょっと困ります。ちょうど梅雨の終わり頃、例年の京都でいえば祇園祭の山鉾巡行の頃がこんな感じで、いたるところカビだらけになるのですが、今年は梅雨が早く明けた分、今頃こんな気候になっているのでしょうか。気候までどこか変です。

それでも、子どもたちは毎日水遊びをして、昼食後にはシャワーを浴びて、暑さに負けることなく元気に過ごしています。

暑さは続きますが園の周りの自然も、秋に向けて少しずつ移り変わってきました。いつの間にかネムノキが花をつけていますし、畑に行く途中、何気なく栗の木を見たら、早くも緑色のイガを枝の先にたくさんつけています。去年は花が咲いているのをみつけて、いつごろ実がなるのかと思っていましたが、今年は花が咲いたことにも気がつきませんでした。

時間は流れ、自然は移り変わってゆきます。忙しさに流されて、そういったことに心を運ぶことを忘れてしまうと、本当に大切にしないといけないことが見えなくなってしまうことがあります。心に余裕を持って、自然の移り変わりに気持ちを運ぶ、またそのことが心に余裕を与えてくれる。そんなことを大切にしてゆきたいと思います。

緊急地震速報

2013/08/09

携帯電話から突然聞き慣れない警報音が鳴り響きました。8月8日午後4時56分のことです。何事かと思って確認してみると、緊急地震速報が発令されていました。私はプライベートで大阪に行った帰りに京阪電車の駅にいたのですが、とっさにどうして良いかわからなくなりました。とにかく安全を確保しなくてはと思い。ホームの窓ガラスや、頭上に落下してきそうなものがあるところからは離れましたが、それ以上どうしようもありません。しばらく身構えていましたが、一向に揺れがこないので、それほど大きな地震ではなかったか、誤報だと思いました。ホームには何人かの人がいましたが、みんな落ち着いたというかあまり気にしていない様子でした。しばらくして、緊急地震速報を受信したため電車が止まっているという放送がありましたが、周りの人たちは我関せずといった感じでした。5分ほどして、電車は動きだし、乗ろうとしていた電車が数分遅れでホームに入ってきたので乗りました。

車内では「緊急地震速報を受信したため、電車の運行を止めました。お急ぎの所ご迷惑をおかけして大変申し訳ありません」というアナウンスが、何度も何度も流れていました。もちろん停車する駅で乗降する乗客がいるので、それぞれに伝えようと思えば、何度もアナウンスするしかないのはわかりますが、何度も聞いているうちに、それほど謝らなくても良いのではないかという気になってきました。乗客の安全を考えて電車を止めるという措置をとったのに、それほどまでに謝らなくても・・・と思ったのです。鉄道会社の誠意なのだと思いますが、そうして、何度も謝らないと、苦情を言う人が出てくるのでしょうか?もしそうだとしたら、少し悲しいように思います。地震は不可抗力ですし、いつ起こるかわかりません。緊急地震双方の発令に合わせて、電車を止めるという判断は、事故を予防する。つまり乗客の安全を守ろうと努力した鉄道会社の判断なのですから、多少遅れてもしょうがないと思うのですが、そう思わない人が多いのでしょうか?

都市化された、人工物ばかりの中で暮らしていると、何でも人のせいにしてしまうようになる。と何かに書いてあったのを思い出しました。

山の中を歩いていて、木の根につまづいて転んでも、「しょうがない」と思えるのに、人が作った階段で滑って転ぶと、滑り止めがしていない設置者が悪いと、人のせいにしてしまうことが多いというのです。もちろんみんながみんなそんなわけではありませんが、そんな傾向が強いのかもしれませんね。

何度も謝罪する車内放送を聞いていてそんなことを思いました。

にんじん

2013/08/08

耕すこともせず、全くといって良いほど手を加えていない自然のままの畑、その畑に種を蒔いただけで、ほとんど世話をしていないトウモロコシが小さな実をつけてくれました。世話と言えば、他の草が伸びすぎた時は少し草を刈ることと、元気に育ってね。と声をかけたくらいです。実は小さいですし、中の粒もまばらにしか入っていなかったりしますが、自分の力で育ったトウモロコシは生で食べてもとても味が濃く甘く感じました。種を取るために、少し残しておこうと思います。

花を咲かせていたにんじんはどうなったのかと探してみると、草の間でまだ何輪かの花を咲かせていました。花を咲かせなかった他のにんじんはどうなったのか探しました。背が高くなった草の間にあるひょろ長いにんじんの葉を探すのは大変ですが、目印に立てておいた棒が役に立ちました。葉っぱは元気に伸びています。地面の下ではにんじんはできているのかとても気になったので、一つ掘ってみました。草をかき分けながら、少しずつ土を取り除くと、小さなにんじんが顔を出しました。まわりを優しく掘って取り出すと、直径3センチくらい長さ10センチにも満たない小さなにんじんが出てきました。
トウモロコシと同様、そこに居合わせた子どもたちとじっくり観察したあと土をきれいに洗い落として、みんなで少しずつかじることにしました。なにせ小さいので、ほんの少しずつしかかじることができませんが、子どもたちは前歯をうまく使ってかじります。私も少し分けてもらいましたが、かなり濃くて癖のある味ですが、子どもたちはぼくもわたしもといってどんどん食べます。かなり癖がある味なのによくここまで食べるなと思うくらいでした。子どもたちには本当の美味しさがわかるのかもしれません。

前にも書きましたが、このにんじんは、私が蒔き時を間違えて、初冬に種を蒔いてしまい、発芽しないかと思っていたのが、初夏に何株かが発芽しているのを見つけてとてもうれしかったにんじんです。それが収穫できてうれしさもひとしおです。花が咲いた株からうまく種が採れると良いなと思っています。

トマトとトウモロコシ

2013/08/07

少し見ない間に畑の様子がずいぶんと変わっていました。大豆や黒豆は順調に大きくなっているようです。7月15日頃に蒔いた大豆もまだまだ小さいのですが、葉も増えてきました。

そういえば、他の草に負けそうになっていたトマトはとうなったのでしょうか。草をかき分けて探したら、いましたいました。草に埋もれそうになりながらも頑張って枝葉を伸ばしています。たしかもう一株トマトがあったと思って探してみたら、こちらも見つけました。草のあいだに隠れるように立っています。よく見ると先の方がちぎれたようになっていたので、もしかしたら、フェンスのすき間から外に出てしまって鹿に食べられたのかもしれません。葉っぱが一枚になっても元気を出して大きくなってほしいものです。少し離れたところに植えたサンマルッァーノという種類のトマトも一株だけが育っています。こちらも無事に実をつけてくれることを祈らずにはいられません。少しでも種を取りたいと思います。

    実をつけたトウモロコシ

トウモロコシも種を蒔いたまま、間引きもせず、実がついても摘果もしないで放っておいたので、小さい実がいくつかできていました。去年はそのままにしすぎて、茎についたまま発芽していたのもあったので、今年は3つくらい収穫してみました。近くにいた子どもに、先生の所に持って行って一緒に皮を剥いてみれば、と渡すと急いで持って行って中身を取り出していました。皮を剥いてみると、長さ10センチくらいの小さなトウモロコシが顔を出しましたが、トウモロコシの粒は半分くらいしかついていません。実がついたときに一つを残して摘果し、雄花が咲いたときにもう少し受粉を促すようにしてあげれば良かったのでしょう。

   採れたてのトウモロコシ

申し訳程度にしか実の入っていないものもありました。

それでも、子どもたちは生のまま一粒一粒大切そうに味わって食べていました。私も一粒分けてもらいました。生なので口に入れるとほんの少し青臭さはありますが、噛んでみると甘さが広がります。1歳の子どもも喜んで食べていました。

ほんの少しの収量しかありませんが、一粒一粒大切に味わって食べるという意味ではそれも良いのかもしれません。自然の、本当に人の手をほとんど加えていない自然のおいしさを味わうことができました。

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