園長ブログ

しあわせ 2

2013/08/26

国の発展を測るために、経済的な指標であるGNPやGDPだけを基準にするのは片手落ちだ。なぜなら、人々が望むものは突き詰めれば「しあわせ」なのだから。しあわせは経済的(物質的)な豊かさだけでは計ることができない。もちろん衣食住が足りて生活できることは基本的なこととして大切だが、最低限の物質的豊かさに加えて、家族や地域社会のきずな、人と自然の調和、国民が共有できる歴史、文明、文化がしあわせであるために大切なことだ。という考えのもとブータンの第4代ジグミ・シンゲ・ワンチュク国王が国の繁栄の指標としてGNPやGDPにかわる「GNH」を提唱しました。

確かにGNHやGDPの値が高くても、自殺者やうつの人が多い国もあります。ですから、GNPやGDPの高さだけが、その国の国民の幸福度を表しているとは言えないでしょう。

しかし、しあわせというどちらかというと個人的な感覚を計ることは難しくはないのかなと思ってしまいますが、そこは、先日紹介した、4つの柱と9つの領域があります。この9つの領域がとても幅広く全体的にとらえられています。心理的幸福という個人の主観的幸福度や自分の時間の使い方という個人的なものからコミュニティーの活性化や文化の多様性、そして生態学的な多様性(環境)というところまで、非常に幅広くとらえられていることがわかります。
ブータンでは2年ごとに9つの領域にわたる指標に基づいた調査が行われ、その結果が政策の決定に活かされることはもちろん、政策がGNHの目的にかなっているかどうかを審査し、政策の評価と統合を行っているのだそうです。
このGNHの考え方はブータンの憲法にも明示されていて、それに基づいて政策決定が為されているのです。

GNHという理念があり、その理念に基づいて、現状を把握する方法を考え、改善点があれば、GNHの理念によって政策を立案してゆくのだそうです。

いつも理念にかえって考えることの大切さを改めて思いました。

しあわせ 1

2013/08/25

国民総幸福量(Gross National Happiness, GNH)ということばがあります。これは国民全体の幸福度を示す尺度です。国民総生産(Gross National Product, GNP)が「一定期間に国民によって新しく生産された商品やサービスの付加価値の総計」であり、国内総生産(Gross Domestic Product、GDP)は、「一定期間内に国内で産み出された付加価値の総額」で、両方ともその国の経済的な豊かさを計る指標です。この物質的な豊かさをお金という尺度で測るのに対して、GNHは、精神面での豊かさを「値」として、国民の幸福度を測ろうとするものです。

1970年台にブータン王国の国王ジグミ・シンゲ・ワンチュクは、国家の問題が経済成長だけに特化されることを心配し、ブータンで優先するべきなのはGNPやGDPではなくGNHだと決めました。そして、国の発展の度合いをGNHで測ることを提唱したといいます。

この考えの基本には、人間社会の発展とは、物質的な発展と精神的な発展が共存し、互いに補い合って強化していったときに起こるものだという考え方があります。

このGNHはそれまでブータンでは伝統的だった価値観をわかりやすく整理したもので、
1. 公正で公平な社会経済の発達
2. 文化的、精神的な遺産の保存、促進
3. 環境保護
4. しっかりとした統治
というGNHの4つの柱のもとに
1. 心理的幸福
2. 健康
3. 教育
4. 文化
5. 環境
6. コミュニティー
7. 良い統治
8. 生活水準
9. 自分の時間の使い方
の9つの分野にわたって、「家族は互いに助け合っているか」「睡眠時間」「植林したか」「医療機関までの距離」など72の指標があるそうです。
人々のしあわせを見える化するということなのですね。

お地蔵さまの持ち物

2013/08/24

5歳児たちがお地蔵さまのおみぬぐいをしている様子を先生から聞きました。子どもたちからは「お地蔵さんが『ありがと』うって言ったはるのが聞こえる」「目をきれいにしてあげたら、お地蔵さまの目がだんだん開いてきた。」「明日もお地蔵さまをきれいにしてあげたい。」などのことばが聞かれたそうです。微笑ましくなります。

子どもたちが興味をもったお地蔵さまの持ち物、六体のお地蔵さまは次のようなものを持っていらっしゃいます。

柄香炉といって香炉に持ち手がついていて、持ち運ぶことができる香炉があり、その柄香炉を持っていらっしゃるお地蔵さま。左手に数珠を持っていらっしゃるお地蔵さま。合掌していらっしゃるお地蔵さま。幢幡といって仏様や菩薩様を荘厳し供養するための幡を持っていらっしゃるお地蔵さま。意の如く願いを叶えてくれる宝の珠とも言われ、仏様の教えの象徴とも、お地蔵さま自体を表すとも言われる如意宝珠を持っていらっしゃるお地蔵さま。錫杖と宝珠をもっていらっしゃるお地蔵さまがいらっしゃいます。錫杖は杖の先に金属の輪がついていて、振ると音がする仏具で、もともと修行僧が山野を歩く際に獣を避けるために用いたと言われています。山に入るときに、熊よけに鈴をつけるようなものでしょうか。金属の部分だけを短い柄につけ、これを振りながらお経を唱えたりすることもあります。

この中からどれだけの実物を子どもたちに見せてあげることができるでしょうか。

  柄香炉を持ったお地蔵さま

  数珠を持ったお地蔵さま

  合掌しているお地蔵さま

  幢幡を持ったお地蔵さま

  宝珠を持ったお地蔵さま

  錫杖を持ったお地蔵さま

子どもの興味

2013/08/23

地蔵盆を前に、童形六体地蔵尊のおみぬぐいをした5歳児たち。石像についた汚れや苔を小さなブラシで丁寧に落としていました。ずいぶんと時間をかけて丁寧にしていたようで、お昼ご飯の時間になってしまったので、まだ続けたかったけれども仕方なく終わったという感じでした。

おみぬぐいを終えて園庭に戻ってきた5歳児たちが、声をそろえて「園長先生」と呼ぶので、お地蔵さまがきれいになったから見てほしいというのかと思いながら園庭に行ってみると、6体のお地蔵さまがいろいろなものを持っているようだけれども、何を持っているのか教えてほしいというのです。

どうやら、おみぬぐいをして近くでよく見てみると、普段拝んでいるだけでは気付かない細部に気付き、興味を持ったようです。普段は前垂れをつけていらっしゃるのを取り外したので、よく見えたこともあると思いますが、いろいろなことに興味、関心を持てるところがこどもたちのステキなところです。

子ども 「これは何?」
園 長 「柄香炉といって、良い香りのするお香を焚くものだよ。」
子ども 「このお地蔵さまは何を持っているの」
園 長 「なんだと思う。」
子ども 「お数珠!」
園 長 「そうだね。」
子ども 「この桃みたいなのは何?」
園 長 「それは宝珠って言って、宝の珠っていう意味なんだよ。」

子どもの質問は尽きることがありません。
子どもの興味関心がどんどん広がるにはどう答えると良いのか?よく考えて言葉を返した方が良いのですが、ついつい説明ばかりしようとしてしまいます。

ことばで説明しましたが、伝えるのは難しいこともあるので、実物があるものは実物を持って来て見せてあげようと思います。

お地蔵さまのおみぬぐい

2013/08/22

8月後半になると地蔵盆がやってきます。地蔵盆については前にも取り上げたので、詳しくは書きませんが、8月24日を中心に行われるお地蔵さまをまつる行事です。
町内や辻ごとに祀られたお地蔵さまが、宿(会場)となる家に祀られ、その前でお参りや、数珠繰りをしたり、子ども向けのイベントや福引きなどが行われます。

園では8月23日に地蔵盆のお参りをします。お寺の参道を少し上がると、牛若丸がいたといわれる東光坊跡の前に、牛若丸の守り本尊だったともいわれる川上地蔵尊がいらっしゃいます。このお地蔵さまもお散歩の時によく拝んでいるので、地蔵盆にはみんなでお参りしています。

また、園の前には童形六体地蔵尊というお地蔵さまがいらして、子どもたちを見守ってくださっています。子どもたちは毎日お地蔵さまの前で手をあわせ、登園時には「お地蔵さまおはようございます」降園時には「お地蔵さまさようなら」とお地蔵さまを拝んでいます。ですから、地蔵盆には童形六体地蔵尊にもお参りします。

地蔵盆を前にして5歳児たちが童形六体地蔵尊のお身ぬぐいをしていました。石像なので水をかけて、たわしで洗いますが、「たわしだと大きすぎて細かなところまできれいにならないからもっと小さなブラシが良い」という意見が出たらしく、子どもたちは歯ブラシを一本ずつ持って、お地蔵さまのお身体をきれいにしていました。参加していた子どもたちは、おもしろかったのか、全員1時間以上もの長い時間とても一生懸命に取り組んでいました。中には「毎日お身ぬぐいしたい」という子どももいたそうです。

子どもたちが頑張ったので、お地蔵さまはとてもスッキリと美しくなられました。卒園児の保護者が毎年奉納してくださる前垂れ(よだれかけ)を新しく掛け替えたら、さらにさわやかな雰囲気になりました。

子どもたちの、お地蔵さまが美しくなってくださるのが嬉しいという気持ちと、もう20年近くにわたって毎年地蔵盆前とお正月前に、手作りの前垂れ(よだれかけ)を奉納してくださる保護者のお気持ち、その他多くの方々のお気持ちが合わさって、お地蔵さまはいつもより輝いていらっしゃいます。

ご飯と向き合う

2013/08/21

学童保育に来ている小学生達は、活動の後にはいつも「ふりかえり」といって、その日の活動をふりかえって感想などを書いています。今回は青空クッキング特別バージョンの様式が発行されていて、どのご飯がおいしかったかが書けるようになっていました。そこに書かれたことを読んでいると、子どもたちはそれぞれにいろいろなことを感じて、それをちゃんと文章で表現しようとしていることがわかります。全体としては、「クッキングが楽しかった。」「ご飯を炊くのは結構難しいということがわかった。」といった感想が多かったのですが、停電などで電気炊飯器が使えなくても、ガスコンロが使えたらご飯が炊けることがわかった。という感想もありました。

味に関しては、それぞれの好みにもよりますし、水加減など微妙な違いはあったと思うので、正確にに比較することはできないとは思いますが、「なめらかなあじわい」という表現をする子がいたり、「ごはんはあまい」とご飯そのもののおいしさに気がつく子がいて、炊飯を深められたと思います。

私自身の味に対する感想は、炊飯器で炊いたご飯は、少しかためながらいつもの味といったところです。土鍋は風の影響で熱が均等に伝わりにくかったのか、ほんの少しだけ芯が残った部分がありましたが、それ以外は少し柔らかめで、おいしく炊けていました。ステンレスの鍋はかなり柔らかめの炊きあがりでしたが、お米の甘い香りが最も感じられ、甘さも感じやすかったと思いました。

普段何気なく食べているご飯ですが、自分で丁寧に洗米して炊くとことを通して、お米がご飯になることを経験する。そして、炊飯方法によって味が異なるのか?という疑問の答えを見つけるために味に意識を集中して食べる。このようにご飯と向き合うことで、ご飯の美味しさを改めて感じることができたのだと思います。

子どもたちそれぞれに楽しく充実した活動だったのではないかと思っています。

青空クッキング 2

2013/08/20

学童保育に来ている子どもたちと、何かしら作って食べよう!というスタッフの意見から出発し、先ずは主食のご飯を炊くことをしっかりとやってみたい。それなら、炊飯器任せではなくって、お鍋や土鍋などを使って炊飯する経験ができると良いという願いから企画された青空クッキング。子どもたちはどの工程もとても丁寧に行い、ご飯が炊きあがりました。

保護者の皆様にはあらかじめどんな目的で何を行うのか説明して、空のおべんとう箱を持って来てくださいとお願いしていたのですが、本当にご飯だけを子どもが食べるのだろうかと心配されたのか、「本当に空のお弁当箱だけで良いのですか」と何度も確認された保護者もいらしたそうです。

正直なところスタッフも、白米だけで他のものが何も無いのも少し食べにくいかもしれないと考え、鞍馬の名物である山椒と細かく刻んだ昆布をつかった佃煮(木ノ芽煮と呼ばれることが多い)も少し用意しておきました。

そして、いよいよお昼ご飯の時間です。炊飯器、ステンレス鍋、土鍋と並べて、子どもたちが持参した空のお弁当箱に自分でご飯をよそって食べ比べていました。硬さや歯触り、味はもちろん、見た目や香りなどもしっかりと比べています。みんな味の違いを感じようと真剣そのものです。もちろんどれがおいしいかは好みによって違います。

炊飯器で3合、ステンレス鍋、土鍋で4合ずつ炊いた11合のご飯はあっという間になくなってしまいました。参加した子どもの人数が13名とスタッフが2人、プラス私だったのですが、大人はほんの一口ずつしか食べられないくらいに子どもたちはよく食べていました。もちろんおかずがなかったこともありますが、その分ご飯の美味しさを存分に感じていたようです。途中から、用意していた山椒と昆布の佃煮を出したので、それも食べていましたが、ご飯だけでもおいしく全部いただけたのではないかと思います。
それにしても、子どもたちの食べっぷりには圧倒されました。一人平均8勺は食べている計算になります。結構大きなお弁当箱にたくさん入れて食べていた1年生もいて、おなかが痛くなったりしないだろうかとちょっと心配したくらいです。

青空クッキング 1

2013/08/19

夏休みを利用して学童保育に来ている小学生たちの青空クッキングが行われました。朝からなんだかわくわくしていたのは、私だけだったのかもしれませんが、今日は朝から小学生達と過ごすことにしました。

集まって来た子どもたちは、10時まで夏休みの宿題などをしたあと、今日一日どう過ごすのか、みんなで予定を立てます。いつもは、子どもたちが何をするか話し合って決めていますが、今日は青空クッキング。みんなでご飯を炊くので、何をどんな手順で行うのかスタッフから説明がありました。ステンレスのお鍋チームと土鍋チームに分かれ、お米4合を計って、とぐところからスタートしました。どの子もみんなおとなしいので、あまり乗り気ではないのかと思ったのですが、いざ始まってみるととても真剣に取り組んでいます。

どのチームも丁寧にお米をとぎ終わったら、30分ほど水に浸します。そのあと水を切ったお米をもう一度カップで計り直します。30分水に浸した4合のお米は5合半くらいになっていました。子どもたちは水を含んで膨らむのはわかっていたけれど、そんなに増えるとは思っていなかったようで、ずいぶん感心していました。同量の5合半の水と一緒にそれぞれのお鍋に入れていよいよ火にかけます。

炊飯器はスタッフが担当していました、土鍋とステンレス鍋では火加減がすこし異なることに注意しながら、約40分で炊飯完了。ステンレス鍋の方はガラスのふたのものを用意したので、ご飯が炊きあがってゆく様子がよく見えます。ご飯を炊くことをこれほど丁寧にしたことはない子が多かったようで、どの子もとても興味をもって取り組んでいました。

聴く

2013/08/18

相手の話を一生懸命に聞くこと。話を丸ごと受けとめることってなかなか難しいことです。

「きく」ということばには「聞」と「聴」の漢字を使います。「聞」は音が耳に届いて聞こえる自然に聞こえてくるといった使い方をされることが多いのに対して、「聴」は注意深く耳を傾けてきく、耳と目と心を使って積極的にきくというように使われることが多いようです。耳でその人の言っていることを聴き、目で姿勢や表情、仕草などに注意を払い、心でことばの背景にある相手の心に共感する。ということが聴くということです。

こうして、深く聴くことを傾聴といいます。まさに耳も目も心も傾けて相手受けとめながら話を聞くのですね。この傾聴がしっかりできると、相手の話を自分の価値観だけで判断して聞き流したり、あなたは間違っていると勝手に決めつけたりしないで、話を聞くことができます。そうすると、そこに新たな発見があったり、相手の意外な一面が感じられたりする事もありますし、何よりも傾聴してもらえると、話している人は受けとめてもらって安心できるという感覚を持つことができます。

ついつい自分の価値観が最も正しいと思い込み、そこだけで判断して、相手の話を傾聴することを忘れがちになります。自分が正しいと思い込んで相手の話を聴こうとしなくなることもあります。話をする時には気をつけたいことです。しかし、傾聴するためには、かなり意識して聴かなくてはなりませんし、聴き方のスキルも必要です。その根本にあるのは、相手を認めようとする気持ち、この人の言っていることには何か意味があるのだろうと積極的に受けとめようとする姿勢です。これは、そう意識して聴く練習を重ねないとなかなかできるものではありません。

その意識を忘れることなく、日々実践してゆきたいと思います。

聞くこと

2013/08/17

誰かの話を否定することなく聞くことが意外と難しいということを書きましたが、話し合いの中で異なる意見や反対する意見を述べてはいけない、と言っているのではありません。まず、誰かの話を聞くという最初の段階で、否定してしまわないことが大切だと言いたいのです。つまり、話をしっかりと聞く、ただただ聞くということ。ことばを変えれば、相手の話を全力ですべて受けとめるということです。

例えば、話し出すと話が長くなる人がいます。その人が話し出すと「あー!またこの人の長い話が始まった。いつになったら終わるのだろう。」などと思いながら、聞いていることってありませんか。もしくは自分と違う意見を持っていいる人が話し出すと、しっかりと最後まで相手の意見を受けとめるのではなく、「また、こんなことを言っている。どう言えばわかるのかな。」と次に自分が何を言おうかと考えていることってありませんか。ときには人の話を途中で遮って、一方的に自分の意見を述べる人もいます。話を遮らないにしても、「この人の話早く終わらないかな。」「次になんて言おうかな。」なんて考えていたら、そっちの方に意識が行ってしまって、相手の話を一生懸命に丸ごと聞くことなんかできっこありません。

誰かが話しているときに、いつも全力で相手の話を受けとめようとしているでしょうか。そうふり返って見ると、私は自信を持って「はい」と答えることはできません。ついつい他のことを考えていたり、自分の勝手な解釈をしようとしたりしてしまっている自分に気づくことがしばしばあります。

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