園長ブログ

鞍馬の火まつり2013 4

2013/10/25

火まつりでの女性の役割は、もちろん家の中だけではありません。おまつりの進行に女性が大切な役割を担っているところがたくさんあります。

おまつりが進んでゆくなか、要所要所で太鼓を打ち、鐘が鳴らされますが、この太鼓や鐘をならすのも今は女性が行っていらっしゃいます。元々は女性でもできる役だったのが、今は女性の役割になっているとも聞きました。太鼓にもいろいろあるそうで、太鼓の役割によっては男性しか打つ事ができないこともあるそうです。太鼓一つをとっても複雑なしきたりがあるようです。

そして、由岐社、八所社の二基の神輿が渡御する際には、綱方といって神輿の後ろについた綱を引く役割があります。これは、山の上から神輿を担いで降ろすときに、勢いがつきすぎないよう後ろから引くブレーキのような役割を果たしていたそうです。この綱方も女性が行い。綱方をして神輿の綱を引くと安産だといわれるそうです。

鞍馬の皆さんは男性も女性も火まつりにかける想いは特別なものああるようで、その想いの深さや熱さは私には想像できないくらいです。

そんな皆さんの熱い想いとともにおまつりが進み、山門前の石段に松明が立てられます。多少の火傷なんてなんのその。立てられた松明から振ってくる火の粉をものともせず、「サイレヤサイリョウ」の大合唱が夜空を焦がす炎と共に山間に響き渡り、熱い想いはますます熱く、おまつりはクライマックスへと向かってゆきます。

よくわかっていないのに勝手なことを書くなと、お叱りを受けそうですが、本当にすごいおまつりだと思います。

鞍馬の火まつり2013 3

2013/10/24

火まつりは、準備がいろいろと大変だということを紹介しました。私も自分が経験しているわけではないのであまり偉そうなことを言える立場ではないのですが、見聞きすることからそう思うのです。そして、松明を作ったりするのは男性の役割ですが、このおまつりは、女性の果たす役割が大きいと思います。

おまつりの時は、各家々で親戚や知人など、様々な方を招かれます。お客様をもてなすためにいろいろな料理を作るそうですが、おまつりの定番といえば、鯖寿司、栗赤飯、巻寿司でしょうか。これらを手作りされるお家も多いようです。お寺の職員さんにかなり高齢の女性がいらっしゃいますが、その方に聞いたところ、おまつりのために栗の入った赤飯を8升炊くとおっしゃっていました。

私も少しお裾分けをいただいたのですが、入っている栗がとても甘くておいしいのです。どうしたら栗が甘くなるのか聞いてみたら、栗を剥いてから天日で少し干すのだと教えてくださいました。栗は鬼皮も渋皮も剥くのが大変だろうと思ったので、8升のおこわ(赤飯)を作るのに、どれくらいの栗を使うのか聞いたところ、なんと10キログラムの栗を使うと教えてくださいました。更に驚くことに10キログラムの栗をすべて剥いて干したのだとおっしゃるのです。

私には想像もできない根気のいる仕事です。それくらい心を込めて作ってくださるのですから、おいしいはずです。また、鯖寿司は京都のおまつりでは定番ですが、これも鯖のしめかた、寿司飯の作り方など各家に伝わる味があるようです。それだけ聞いても大変そうなのに、おまつりのための準備はまだまだたくさんありそうです。

とても大変そうですが、鞍馬の女性の多くがこれは自分の役割だと自負を持って行っていらっしゃると思います。

料理を作るのは女性の役割だと決めつけているわけではありません。念のため。

鞍馬の火まつり2013 2

2013/10/23

いつも思うのですが、鞍馬の火まつりは大変なおまつりだと思います。どんなことでも準備が必要ですが、このおまつりはその年のお祭りが終わった次の日から翌年のお祭りの準備が始まると言われるくらいです。

火まつりで使われる松明ひとつとっても、まず材料を用意することが難しいのです。松明は、柴を束ねて、そのまん中に心棒になる丸太を打ち込んで形成し、表面を木羽とよばれる薄くはいだ板で覆ってその上から藤の蔓を巻き付けてし固定します。松明に使う材料の柴は必要量を集めるのが大変になってきているので、今はまとめて手に入れて必要分を各家に配っていらっしゃるそうです。

そして、柴よりも難しいのが、藤の蔓を入手するとだといいます。どんな藤の蔓でも良いわけではなく、やわらかくて粘りのある藤で、地中に埋まっている物のみを使うそうです。ですから、鞍馬の人は藤にはとても敏感です。特に花が咲く春の終わりから初夏にかけてはころにはどこに藤があるのかを見定めておいて、蔓を探しに行くと聞いたこともあります。滋賀県や丹波の方まで探しに行く人もあるそうです。この藤がないと松明が作れないのですから仕方ありません。

その年のまつりが終わった翌日から翌年の祭が始まっているというのは、決して大げさなことではないようです。

鞍馬の火まつり 2013 1

2013/10/22

今年も鞍馬の火まつりの季節がやってきました。10月22日、昼間は京都市内で時代祭が行われています。今年の火まつりはずいぶん暖かな日になりました。10月に入っても暑い日が続き、台風26号が通り過ぎてから急に気温が下がりましたが、まだまだ暖かい日が続いています。鞍馬では火まつりにはこたつを出すといわれているくらいですが、今のところそれほどでもありません。

午後6時まつりのはじまりを知らせる神事ぶれを合図に、各家の前に置かれたかがりに火が灯されて、まつりが始まります。最初は子どもたちの担ぐ小さな松明が「サイレヤサイリョウ」の声と共に鞍馬街道を練り歩き、次第に大きな松明に火が灯されます。使われる松明は500本を超えるそうです。鉾が山門前で出会った後、長さ3.5メートル重さ100キロ以上もある松明が階段に立ち並び全ての松明が燃えて、注連が切られた後、由岐社、八所社の二基の神輿が出て鞍馬街道を渡御し御旅所に入って一連の祭儀が終わるのは午前1時近くです。この10月22日の夜に行われている一般的に言われる「火まつり」は神幸祭といいますが、10月16日夜には宵宮祭、22日朝からは例祭が行われ、夜には神幸祭が行われるのです。そして、23日は朝から還幸祭が行われるのです。

とても勇壮で、鞍馬の人々の心意気というのか、熱い想いが伝わってくるおまつりです。そんなおまつりを一目見たいと見学に来た人は6,000人ほどで、昨年よりは少し少なかったようです。急峻な山にはさまれた狭い村にそれだけたくさんの人が集まれば、安全確保だけでも大変です。京都府警から300名あまりの警察官が警備にあたっておられましたし、火を使うおまつりなので、左京消防署からも40名近くの消防官が地元の消防団20名と警戒にあたっていらっしゃいました。多くの方々がおまつりのために力を尽くしていらっしゃるのです。

十三夜

2013/10/21

夕方、空を見上げると、まあるい月が山の端から顔をのぞかせていました。くっきりとした月ではなく、少しかすんだようなやわらかな感じがとても美しかったので、思わず写真を撮りました。

満月かなと思って調べてみたら、十三夜の月だと知りました。中秋の名月は旧暦8月15日の月を愛でますが、旧暦9月13日の月は十三夜の月といって、中秋の名月の次に美しいとも言われています。また、中秋の名月(十五夜の月)を見て、十三夜の月を見ないことを片見月といって良くないこととされているそうです。地方によっては十五夜の月と十三夜の月は同じところで見ないといけないといわれることもあったり、十三夜の夜の天気によって,翌年の農作の豊凶を占うという風習もあるそうです。いろいろな風習が伝わっているものです。

また、十五夜は芋名月といわれるのに対して十三夜は栗名月、豆名月と言われるそうです。収穫時期の違いなのでしょうか。秋の収穫を感謝して月にお供えをする風習があるのでしょう。想像すると昔は月と暦は深く関わっていたので、月が農耕で重要なタイミングを教えてくれたのかもしれません。その月に感謝をするのは自然な気がします。

また、東日本を中心に十日夜(とおかんや)といって旧暦の10月10日に行われる収穫際もあるそうです。これは、稲刈りの後、田んぼの神様が山へ帰る日だとされていて、お餅をついて食べることもあるそうです。このときはお月見がメインではないそうですが、十五夜、十三夜、十日夜と月を愛でる、収穫に感謝する行事があるのは、季節の移り変わりや、収穫など、自然の猛威にさらされながらも、そのめぐみを享受して生きてきた日本人の感性なのかもしれません。

今年は新暦の11月12日が旧暦の10月10日にあたるそうです。十日夜の月を眺めてみようかと思います。月は、なぜか気になります。

おいもほり 2013 2

2013/10/20

     手伝って上げるね!

おいもほりに行って子どもたちが自分で土を掘っていもを掘り出すことは、こうやって書いたり、口で言うと簡単に掘れそうにおもいますが、これも実際に体験してみないとどんなものかはわかりません。畑の土はやわらかくさらさらしていますが、素手で掘ってゆくのは大人でもけっこう大変で、一株掘り出すにはかなり根気が必要です。私はひとり一株でも自分で掘れれば良いかなと思っていたのですが、5歳児のIちゃんは、最初から最後まで、時間にすると1時間以上、ずっと自分の手でいもを掘り起こしていました。

     集中力!

「頑張ってるね!」と声をかけようとしましたが、それもはばかれるくらい真剣に取り組んでいます。一心不乱ということばがぴったりの姿です。こういうときに、声をかけたくなることがありますが、子どもが集中して取り組んでいるときには、できるだけ邪魔をしない方が良いのです。大人はついつい自分の都合で声をかけたり、手伝おうとしたり、自分が思うように子どもを動かそうとしたりするのですが、子どもが自分のやりたいことを見つけて一所懸命にとりくんでいるときには、少し離れてそっと見守るのが一番です。その時の子どもの顔のステキさといったら、他にたとえるものがないくらいです。

とても心の優しいIちゃんは、自分の分を後まわしにしても、困っているお友達を手伝ってあげてもいました。ときどきおともだちの代わりに全てやってあげたくなり、自分がやってしまうこともあるのですが、このときは、その子が自分でできるようにと考えていたようで、少しずつ手伝ってあげていました。

子どもたちはみんなとても楽しそうにしていたので、先生の配慮でお弁当を少し遅らせて畑で過ごす時間たっぷりとりました。いもを掘り終えた子どもたちは、畑の土で遊びます。とてもきめの細かいさらさらした土なので、肌触りが心地よく、適度に粘りけもあってお団子もできます。土遊びに夢中になっている子もいれば、虫などの生き物を探して遊ぶ子もいます。ほとんどの子が、いもを掘り終わりったり、飽きてしまって他のことをして遊ぶなか、Iちゃんは最後までいもを掘っていました。

おいもほりが終わり、靴を履き替えようと脱いだIちゃんの長靴からは、土がいっぱい出てきました。靴下についた土がテカテカ光るほどに汚れています。それが気付かないほど夢中になって掘っていたのですね。その集中力には感心しました。

おいもほり 2013 1

2013/10/19

   おいもをたくさんとってね

子どもたちがおいもほりに行く前に、いもの蔓や葉を刈る作業を体験したら思ったより大変で、次の日は背中や足が筋肉痛になってしまいました。いつも蔓を刈るのをお願いしてしまっていますが、自分が実際に体験してみることでどんな作業なのかよくわかります。作業が終わる頃には台風は通り過ぎ、温帯低気圧に変わったようで、雨も止んで日差しが降り注いできました。どうやら次の日のおいもほりは、良い天気になりそうです。

          

      一緒にやろう!

翌日、きれいに晴れあがり、美しい青空の下でのおいもほりになりました。土の中のいもを最初から子どもたちが手で掘り出すのは大変なので、大人があらかじめスコップを使って少し掘り起こしておきます。しかし、子どもによっては大人に手伝ってもらわずに自分の手で掘り起こしたい子もいます。その子達のためにいくつかは掘り起こさないでおきます。「大人に手伝ってもらわずに掘ってみたい人は挑戦してください。」というと何人かが取り組んでいました。前日の雨で、少し土が硬くなっているので、子どもたちには無理かなとも思いましたが、最初から無理と決めつけてはおもしろくないので、子どもたちに任せたら頑張っていました。

少し掘って、いもが見えると引き抜けるかと思って引っ張ってみる子もいますが、そう簡単には抜けません。いもの全体が見えるくらいまで土を掘らないとうまく取り出せないのです。いもが大きければ深く掘らなくてはならず、30センチ以上掘ることもあります。ですから、やり始めたものの途中で諦めてしまう子もいます。あきらめそうになっている子でも少し励ましたり、友だちに手伝ってもらうように促したり、大人が少し手伝ったりして、掘り起こせると、また次に挑戦する姿がみられます。
そんなときでも、すぐに大人が手伝うのではなく、友だちに手伝ってもらうように促すことで、子ども同士の関わりの機会を増やすことが大切です。

収穫前 2

2013/10/18

おいもほりの前に、どうにかして蔓を刈り取っておく必要があり、台風が接近して雨が降っているにもかかわらずお寺の職員さんも巻き込んで、畑に行きました。

6つ畝に繁った蔓をどうやって刈り取るかしばらく考えましたが、お寺の職員さんの発案で、葉と蔓をめくるようにしていも入っている上のところで切り離し、巻き取るように転がしてゆくことにしました。畝に直角に5人が一列に並んで、それぞれ目の前の畝に生えている蔓を、切っては巻き切っては巻いてゆくという感じです。その要領は頭では理解できるのですが、まず私にはいもが入っているのはどこなのかを見つけるのが大変でした。蔓が集まっているところがそうなのですが、それを見定めるのに少し慣れが必要でした。それがわかれば、いものすぐ上で蔓を切り、切ったら巻き取るというようにしてゆけば良いだけです。頭でわかっているのと、実際に行うのとでは大違いです。5人が雨の中一列に並んで、地面に張り付いた緑のカーペットを少しずつはがしては巻き取っているようなイメージです。

カッパを着て作業をしましたが、日本海を通る台風に向かって吹き込む南風が蒸し暑さを運んでくるので汗が止まりません。カッパの外も中もびしょ濡れ状態です。そのうえ、切り取った蔓と葉を転がすようにまるめるのは結構力がいるのです。遅くなると他の人がやりにくくなると思うと、すこし焦る気持ちも加わって、つい余分な力が入ります。そうして、一定の区間を刈り取ったら次の区間と、何度かに分けて刈り取りました。欲張って一度に長い区間を苅ると、巻き取るように転がすのが重くて大変なのです。そうやって、5人で頑張ったら一時間強で全て刈り取ることができました。

その畑では農薬や化学肥料を使わずに作物を育てていらっしゃるので、いろいろな生き物がいます。芋の蔓を刈り取るとその中に隠れていた生き物が慌てて動き出します。いろいろな虫がいましたが、10匹以上のアマガエルが一度にぴょんぴょん飛び跳ねて逃げてゆく姿は子どもたちに見せてあげたいと思いました。

いつもは、畑の方にお願いしているおいもの蔓の刈り取りですが、実際に自分でやってみるとその大変さがよくわかります。こんなに大変なことをしていただいていたのだと思うと、感謝の気持ちがより強くなります。ありがたいことです。様々な人に支えられているにもかかわらず、ついつい感謝の気持ちが薄れてしまって、不平不満ばかりを口にする。自分だけは正しくて、あの人が悪いこの人が悪いと全て人のせいにする。そんな罠に自分が陥っていないか、いつも自分をふりかえっている必要があります。

きれいに刈り取ることができました

収穫前 1

2013/10/17

滋賀県守山市にいらっしゃるお寺のご信徒が、毎年ご厚意で子どもたちのために、さつまいもの畑を作ってくださっています。以前はいもほりにだけ行っていたのですが、ただ掘るだけよりは、自分で植えた方がさつまいもの変化もわかるし、収穫の時の想いも違うのではないかと考え、春に苗を植えに行くようになりました。そのうち、植えて収穫するだけよりも、成長の過程も見られた方が良いという先生方の意見で、この2〜3年は、夏頃に水をやりに行くこともしています。

そのさつまいもが育っていよいよ収穫の時期がやってきました。ところが、蔓や葉っぱが残っているとおいもが掘れないので、事前に蔓を刈り取っておかなくてはなりません。本当は蔓や葉が覆い繁っている姿を一度子どもたちが見てから子どもたちの目の前で刈り取ってから、おいも掘りをさせてあげたいのですが、それは時間的に少し難しいので、事前に苅っています。正確には、畑を作ってくださっている方が事前に刈り取ってくださっています。ところが今年はその方のご都合が悪く、私たち職員が前日までに畑に行って刈り取ることになりました。ところが、園の職員がそんなにたくさん畑に行くことはできません。そこで、お寺の職員さんに手伝っていただき、おいもほりの前日に蔓を刈りに行くことにしました。ところが予定していた日は、台風24号(ダナス)が近畿地方に接近してきていました。しかし次の日の天気予報は晴、子どもたちがおいもを掘りに来るので、蔓を刈り取りに行かないわけにはゆきません。雨の中の作業覚悟で、畑に出向きました。琵琶湖大橋辺りでは車のフロントガラスにたたきつけるように雨が降ってきます。お寺の職員さんにも申し訳ないと思いましたがやるしかありません。畑に到着しても時折激しく雨が降ってきます。「芋の蔓を刈りに来ました」と畑の方に電話したら、「こんな日に来るとは思ってなかった」と驚かれました。畑では子どもたちの植えたさつまいもの蔓や葉がとても勢いよく育っていました。いよいよ刈り取りです。

良く繁ったいも畑

引声阿弥陀経

2013/10/16

大原の勝林院開創一千年慶讃法要において、一座の法要を奉修させていただきました。今回修したのは、「引声阿弥陀経」です。「いんぜいあみだきょう」と読みます。

阿弥陀経は、極楽浄土の様子を説いたお経で、良く唱えられているお経のひとつです。阿弥陀経は天台宗では漢音で読まれ、浄土宗などでは呉音で読まれることが多いようです。漢音は7、8世紀、遣唐使や留学僧らによってもたらされた唐の首都長安の発音で、呉音は漢音導入以前に日本に定着していた発音です。例えば数字の「一」は漢音では「イツ」と読み、呉音では「イチ」と読みます。お経の最初に良く出てくる「如是我聞」は漢音では「じょ し が ぶん」呉音では「にょ ぜ が もん」です。宗派によって読み方は異なりますが、普段はある程度の速さでテンポ良く読むことが多いようです。

「引声阿弥陀経」は阿弥陀経の一文字一文字に長くゆるやかな曲節(音用)がついていて、文字通り声を引くように唱えます。阿弥陀経は「如是我聞」から始まりますが、仏の唱え方で唱えると「如」の一文字を唱えるのに1秒足らずですが、引声阿弥陀経では「如」の一文字を唱えるだけでも50秒近くかかります。どれくらい長いかわかっていただけると思います。ですから、お経の全文を唱えることはできません。法要で唱えるのは「阿弥陀経」だけではなく、「四奉請」、「甲念仏」、「乙念仏」などがあり、全てに曲節(音用)がついていて、全部唱えるととても長くなるので、時間に合わせて省略することが多いのです。

天台の声明は慈覚大師円仁が中国から伝えましたが、この「引声阿弥陀経」は五台山から伝えられました。五台山は、中国山西省東北部の五台県の標高3,058mの山で東台、南台、西台、北台、中台の5つの主な峰があります。古くから文殊菩薩の聖地として信仰を集めており、たくさんのお寺があります。

「引声阿弥陀経」は魚山でも「五箇の大曲」の一つといわれる秘曲で、そのおおらかでゆったりとした旋律は慈覚大師が将来した頃の姿を残しているといわれています。
そのおおらかな旋律が堂内に響き渡り、阿弥陀仏に見守られながら声明を唱えているととても落ち着いた気持ちになりました。

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