園長ブログ

ハーモニー

2013/12/14

ひとり1人の今を、しっかりと理解し、その人にとって楽しく取り組める課題は何かを提供する、そういう環境を構成することで、その人が、「やってみたい!」という積極的な気持ちをもって課題に取り組めるようにすることが、上達への近道ですし、発達を促すのに最も有効な方法です。

みんなで一緒に一つのことに取り組むこともとても大切なことだと思います。様々なレベルの人が自分の持てる力を活かしてみんなに貢献するということです。ギターサロンでは、必ず何人かでセッションを行うことは、何度も紹介しました。ギターが上手な人はその人なりのテクニックで、下手な人は下手なりに、ベースの人はベースの課題で、それぞれに一つの曲をみんなで演奏することに貢献するのです。これってチームです。みんなが同じことを同じようにできるはずがありませんし、そうしようとするのは全くもって無駄で無意味です。

みんなひとり1人が違うからこそ良いのです。何かが得意な人は、自分の得意なことでチームの目的に貢献すれば良いのです。全員が同じことを同じようにできる集団と、それぞれの個性が活かし合える集団とでは、後者の方が集団としての力が強いのです。だから、競争させるのではなく協調できる事が重要視されるのです。

様々な要素が営業成績などに直結する企業では、早くからそういうことに気付き、どうやれば、メンバーひとり1人が自分の力を発揮して、チームのために貢献できるかという課題に取り組んでいます。教育や保育の世界は、変革をしなくてもなんとなくうまく行っているように見えるので、わざわざリスクを冒して変革しようという空気にはなりにくいのだと聞いたことがあります。必ずしもそうだとは思いませんが、担任王国といわれるように「自分のクラス」という意識があまりにも強い先生がいたり、皆が同じことを同じようにやらなくてはならないという考えが強すぎると、組織全体の力は弱いものになってしまいます。

ひとり1人が異なるからと言って、それぞれが相手のことを考えないで自分勝手なことばかりやってしまったら、バラバラになってしまいます。そこには共通の目標が必要になってきます。ギターサロンなら「一つの曲をみんなで演奏する」です。一つの目標に向かってひとり1人が自分の力を発揮できると、そこには側らしいハーモニーが生まれます。

それぞれ

2013/12/13

ありのままの自分で参加していいんだよという肩肘張らない気楽さ。認められている感じ。自分のレベルに合わせた適切な課題の提示、そして、みんなで一緒にひとつのことに取り組む楽しさが、ただのレッスンではない、ギターサロンの楽しさの理由なのかと思いますが、これって子どもが育つことと似ています。

大人、特に先生と呼ばれる人たちは、「5歳ならこれくらいはできるはず」と、5歳児という目標を設定して、その目標に届いていないところを何とか伸ばそうとしがちです。足りないところを埋めるようなイメージでしょうか。でもあまりそうすると、子どもはできない自分、目標に届かない自分というネガティブな自己イメージを持ちがちです。それが、子ども自分から、「あれがしたいけれどもここにはそれができない自分がいる。でも何とかできるようになりたい!できる自分にしたい!」という強い気持ちが子どもにあれば良いのですが、「これくらいはしなさい。」「5歳なのにこんな事もできないの?」という気持ちで接すると子どもたちは自信をなくしてしまい、持っている力を発揮できなくなってしまいます。年齢や性別、しょうがいの有無といったことだけで子どもを判断するのではなく、その子の今をしっかりと見て、個性や発達の偏り、得意なこと苦手なことをしっかり把握して、その子にとって今必要なことは何かを考えなくてはならないのです。

初めてギターを触る私に、「練習初日の人の課題はこれだから、できるように練習しなさい。みんなこれを同じようにやっているの!」と課題を与えられたら、あまり楽しく取り組めそうにありません。それよりは、この人は、コードは押さえられるんだな。でも、次のコードに移るのに時間がかかるんだな。と私の現状をとらえたうえで、それなら、4拍子の1拍目だけを弾いて後の3拍の間に次のコードの準備をしてみれば?そして、それができるようになったら、4拍子全てを弾いて、素早く次のコードに移れるように練習してみたら?と示してもらった方が、できない自分を意識しすぎずに取り組めそうな気がします。

年齢も性別も発達も個性もひとりひとり異なる子どもにいつも一斉に同じことをさせようと言うことに無理があると思います。子ども1人ずつの今をとらえて、認め、伸びることを信じて120パーセントの環境を用意することが大切です。この子の今は何か、興味はどう広がるかなど、心を尽くして考え、環境を用意することが、専門性のはずです。「5歳だからこれをやりなさい。」とやらせるだけなら、それは誰にでもできることです。そこに専門性は必要ありません。

楽しい理由

2013/12/12

和田直樹さんのギターサロン。せっかくみんなで集まったんだから、みんなでセッションしよう!が一番の目的の「新感覚ギターレッスン」です。ひとりでこつこつ練習するのも良いのですが、それをやるためには、ギターが弾きたいというモチベーションが高くないと難しいと思います。

ところが、私のようにどんなことをするのだろう?いきなりセッションってどんな感じなのだろう?初めてでも本当にできるの?という気持でで参加しても、少しはできるものです。というより、弾けるようになりたい、一緒に演奏してくれる人に合わせられるようにしなくては!という思いからか、その時間だけも一所懸命に練習しようとします。実際、私も休憩時間にも練習していました。左手の指先は痛くてしびれてくるし、弦を押さえることすら満足にできないのに、「指先が痛い!」といいながらも練習していました。

「なぜだろう?」と後からふりかえって考えてみると、まずセッションは緊張しますが、ほどよい緊張感が、練習しようという気持ちを引き出してくれることもあります。何よりも、だれかと一緒に一つの曲を演奏したり、終わり方を考えて合わせたり、心を合わせて一つのことに取り組むことが楽しいのです。たとえ終わり方だけでもきれいに合えば気持ちが良いものです。

もうひとつは、今のままの自分で良いということです。全く初めての人は、その人ができる精一杯をやって参加すれば良いのです。私のように1小節4拍のうち、最初の1拍しか音を出さないのに次のコードが準備できないほど下手でも楽しめました。どうしても練習というと、髙い目標を設定して、がんばってそれに取り組むイメージですし、目標に届かない自分、できない自分を意識してしまいがちです。今のレベルでいいから、今の自分のままで参加して、自分の精一杯をやって、セッションの中で一つの役割を果たせば良いというスタンスだと、肩の力を抜いて気楽に楽しみながら参加できます。

だれかと一緒に一つのことに取り組むことのうれしさ楽しさ、そして、自分ができる範囲で参加すればいいんだよ。という感じで、目標に到達できない自分といったネガティブな自己イメージを持たなくても良いところが、楽しさの理由なのかな?と思いました。

あわせる

2013/12/11

いよいよギターサロンの始まりです。全くギターが弾けない私にはとうてい無理だろうと思っていたのですが、課題曲を弾くために必要なコードを教えていただいて練習をしたら、少しだけ弾くことができるようになりました。ただ、コードが変わるときに時間がかかって、リズムが乱れてしまいます。リズムが乱れると、セッションができなくなるのでがんばりましたが、そう簡単にできるようになるはずもありません。

それでも10分ほど練習したら、すぐにセッションです。最初はギターとベース、ウクレレとギターなど2人でペアになり、みんなの前に出て一緒に弾きました。私には講師の先生が合わせてくださいました。2人で同じように弾くのですが、楽譜だけ見ていないで相手と合わせるようにと先生のアドバイスがあります。しかし、私にはそんな余裕はありません。とにかく遅れないように弦を押さえるのに精一杯です。

一通りみんなの演奏が終わったら、それぞれに先生からアドバイスをもらって少し練習します。そしてまたまた2人でセッションです。今度は2人で合わせるのはもちろんですが、どんなふうに終わるか相談して2人でタイミングを合わせて同じ終わり方をするというのが課題です。演奏中も、お互いに顔を見たり、アイコンタクトでタイミングを合わせながら演奏することを要求されます。超初心者の私でもです。しかし、どうしても指の位置を確認しながら、次のコードに移るので、タイミングが遅れ、リズムが乱れてしまいます。アイコンタクトなんて余裕は全くありません。相手はそんな私を待って、うまく合わせてくれました。最後に終わり方を合わせて終わるはずですが、どんなタイミングで終われば良いのかわからず、勝手にジャン!って終わってしまったら、先生に「勝手に終わっちゃダメ!」と注意されました。

ギターをうまく弾くことができなくても先生は何も言いませんが、相手のことを考えて、気持ちを合わせようとしないと、ダメ出しされます。先生のそのことばで、はたと気付きました。相手はさっき下手な私に合わせて、待ってくれたのに、最後に終わるときには勝手に終わってしまった私がそこにいるではありませんか。なんて自分勝手なんでしょう。そう思ったら、とても恥ずかしくなりました。

ギターサロン

2013/12/10

ギターサロンに参加した先生に、その様子を聞いていたら、ちょっと体験してみたくなりました。ちょうど、和田直樹さんが関西にいらっしゃる機会があったので、時間を取っていただいて、和田直樹ギターサロンin鞍馬を開催することになりました。先ずは身近なメンバーで集まってやってみようと、園の職員に声を掛け参加者を募り、男性保育士2人とその友人、あとは私の家族が参加しました。

男性保育士2人は、普段保育でギターを使ってもいますし、音楽の仕事をした経験がある人もいるので、ギターはとても上手です。一方、私の家族は、若い頃にギターを弾いていて、これを機にウクレレを始めると意気込んでいる妻と、ギターに興味を持ち始めた次男、そのときたまたま家にいただけでギターには触ったことがない長男、そして親につきあわされた三男と、音楽がとても苦手で楽器はまったく弾けない私です。中学高校の頃、ギターを弾いていた友人を見よう見まねで、やってみようかと思いましたが、すぐに挫折してしまった思い出があります。音楽が苦手な超初心者の私が参加したらどうなるのだろう?という興味もありましたし、「みんなでセッション」ってどんな感じになるのだろう?という期待もあり、早くその日がこないかと待ち遠しい思いでした。

いよいよ当日、みんなで集まって自己紹介をした後、先生が課題曲を紹介してくださいました。曲はベン・E・キングの「スタンドバイミー」。私の好きな曲の一つです。私は知らなかったのですが、実はこの曲は、G、Em、C、Dの4つのコードで一応弾けてしまうので、初心者でも比較的容易に挑戦することができます。楽器はアコースティックギターが3人、エレキギターが1人、ベースが1人、ウクレレが2人という楽器の構成ですし、アコースティックギターに挑戦した私と、たまたまそこにあったウクレレをやった長男は全く初めての超初心者です。これだけ、いろいろな条件があるなかで、和田直樹ギターサロンin鞍馬はどう展開していったのでしょうか。

自分の役割

2013/12/09

新感覚ギターレッスン!ということで行われている和田直樹ギターサロン。みんなで集まる目的は「みんなでセッションする」ことです。一度に10名くらいの人が集まって行うそうです。この話を聞いて、いろいろなレベルの人がいるのにセッションができるのかな?と思いました。しかも、ギターに触れるのが全く初めての人から上級者まで、楽器もギター、ウクレレ、ベースなどで参加することができるのだそうです。ますますセッションできるのかと思ってしまいます。

そこで、ギターサロンに参加した当園の先生に詳しく聞いてみると、初心者は初心者なりに、上級者上級者なりに、自分自身のレベルでセッションに参加するのだと説明してくれました。、みんなで一つの曲を練習しますが、練習の内容は、それぞれ異なります。自分ができるところの少し先の課題であったり、挑戦してみたい弾き方を練習してセッションに参加するのです。参加者ひとり1人が自分に最も適した課題を見つけられるように和田直樹さんがアドバイスしてくれます。そうして自分の課題を見つけたら、それぞれに少し練習していきなりセッションをするのだそうです。

参加者それぞれがアドバイスをもらって課題をみつけ、自ら練習する。そのために講師は、参加者のレベルを見極め、やりたいことを聞き取り、本人の課題を明確にしてくださいます。子どもひとり1人の発達を理解して環境を用意するのに似ています。

そして、セッションをするためには、初心者といえども、アドバイスをもらって自分で見つけた自分の課題に一所懸命に取り組まなくてはなりません。もちろん完璧にできる必要はないのですが、みんなで一つのものを作り上げるために、自分の役割を果たしきれるように努力する必要があります。

もう一つ大切なのは、自分だけができれば良いのではないということです。相手がいるので、相手のことを考え、相手と呼吸を合わせる、気持ちを合わせるという努力をしないといけないのです。初心者は自分ができないからと上級者に甘えてはセッションになりませんし、上級者は自分ができるからと言って1人で突っ走っては、セッションになりません。相手のことを考え、思いやる。チームで仕事をする上でも、保育をする上でも大切なことだと思います。

話を聞いて、男性保育士が、「まさに保育です!」と言っていた意味が少しわかったように思いました。

セッション

2013/12/08

ある日、男性保育士の1人が「あれは、保育ですよ!」「ひとり1人の力を見極め、その人の力の120パーセントの課題に取り組むんです!そして、みんながお互いのことを考え、自分のできる範囲で精一杯頑張り、力を合わせて一つの曲を演奏するんです!」と興奮気味に話してくれました。最初はなんの話かと思いましたが、ギターのことだとわかるにはそんなに時間はかかりませんでした。彼の知り合いが開催しているギターサロンに参加した感想を伝えてくれたのでした。

ギターサロンというのは、ギターのレッスンのようですが、普通のレッスンとはちょっと違うようです。主宰しているのは和田直樹さんという若くて世界的に活躍しているギタリストです。「和田直樹ギターサロン」で検索すると、ブログやPVで詳しいプロフィールやギターサロンについて知ることができます。

何がレッスンと違うのでしょう。私の浅い理解の範囲で説明してみましょう。レッスンというと、先生がいて、課題曲があって、先生に教えてもらってギターを弾いて、練習を重ねて、また教えてもらって、練習するといったイメージです。もちろん自分のレベルに合わせて指導していただけるので、そういう意味では良いのでしょうけれど、レッスンというと、私などはどうしても一生懸命練習するというイメージばかりが先行してしまいます。知識や技術が、先生から生徒に教え込まれるというイメージです。

ところが、この和田直樹ギターサロンは、その一番の目的が、「みんなでセッションする」ことなのだそうです。つまりひとりで練習して技術を磨くことが一番の目的ではないのです。「せっかくみんなで集まっているんだから、みんなで一つの曲を演奏しよう!」なのです。確かに練習は自分ひとりでできますが、セッションはひとりではできません。

でも、ひとことで「みんなでセッション」といっても、その場には様々なレベルの人がいます。そう簡単にセッションできるのでしょうか?

徘徊模擬訓練 2

2013/12/07

徘徊模擬訓練の一番のポイントは、徘徊しているかもしれない人にどのように声をかけるかです。急に後ろから声をかけたり、複数の人で取り囲むようにしたり、早口で追い立てるように話したりすると、驚いてしまうことがあるので、近づくのは1人で前から、散歩途中に挨拶するように、あくまでも自然に声を掛けることが大切です。できるだけ不安を与えないようにする必要があるのです。そのためにも、例えば、自分より背の低い人であれば、相手の目線まで姿勢を低くするとか、穏やかにゆっくり話すとか、子どもに対するときと同じような接し方をするのが良いようです。声のかけ方を学ぶのに、福祉施設の方が寸劇でわかりやすく説明してくださいました。2人で演じてくださったのですが、リアルな部分もあり、少しおもしろくしてある部分もあり、とてもわかりやすく楽しめました。あとは話を受けとめてあげて、その人の希望に添うように、かつ危険がないよう自宅に帰れるように考えるのですが、全部自分で解決しようとしてしまうのではなく、様々なところに助けを求めることが大切だと聞きました。警察、消防、行政、地域包括支援センターなど様々な機関とその役割、連絡方法をを知っている、こういうときに役に立ちます。

一通り学んだ後は、いよいよ実践です。北と南の2コースに分かれて行われました。徘徊者役の人が、決まったコースを歩くので、私たちのようにあらかじめ予習した人たちが、声を掛けるのです。実際に声を掛けるのは少しどぎまぎするものです。予習をしたばかりで、訓練だとわかっていても、どぎまぎするのですから、本当にそういう人に出会ったときにちゃんと声が掛けられるのか不安になりました。私たちはあらかじめ訓練だと知っていますが、コンビニエンスストアで買い物中の人や、畑仕事をしている人など見ず知らずの人に、徘徊者役の人が「家に帰りたいんやけど、家がどこかわからへんねん。」といった声がけをするというシュチュエーションもあります。多くの人が、親切に対応してくださったと聞きました。もちろんそうでもないケースももちろんあります。歩きながら、ご自宅の玄関を掃いていらっしゃる方に、徘徊者役の人が「自分の家がわからない」と声を掛けられたときに、掃除をしていた方がとても怪訝そうな顔をされたこともありました。それはそうかもしれません。何も知らなかったら、変なおじさんが変なことを言っていると思うかもしれません。だからこそ、認知症や徘徊ということをできるだけ多くの方がよく知っていると良いのでしょう。そういったことも今回の訓練の目的の一つだったのですから。

徘徊模擬訓練 1

2013/12/06

オランダは教育の面でも、認知症のケアなど介護の場面でもひとり1人を大切に、それぞれに違うことを大切に、できる限りそれぞれの希望を尊重する形で行われているように感じました。そう思ったときに、「日本人はすぐに協力しあい、助け合う」とオランダの方が感激していらしたのを思いだし、日本人の私たちはご先祖さまから受け継いできたすばらしい性質を持っているのだから、もっとそれを発揮すれば、協調、協力、融和などをベースにした新しい社会を築くことができるのではないかと、発想が広がってしまいました。今の子どもたちが大人になって、そういう社会を築いて、世界をリードしてほしいと思います。それにしても、人間は争うことをやめられないのでしょうか・・・

認知症について調べていたら、オランダの認知症施策を知り、イメージが広がりましたが、元々は認知症について考えていたのでした。というのは、11月に市原地区で、市原、静原、鞍馬の3地区合同で、徘徊模擬訓練というのが行われたからです。もしかしたら、徘徊しているのかな。何か困っているのかな。と思うような人を見かけたときに、私たちはどうするか、それを実際に行って体験しようというプログラムです。徘徊する役の人が、町を歩いているところに声をかけたり、家に帰れるようなことを考えてあげたり、関係機関に繋いだりと、いろいろな対応方法があることを学び、実際にやってみるという訓練です。市原地域包括支援センターが中心となって、市原、静原、鞍馬の社会福祉協議会などの人々が集まり、事前に何度か会議や勉強会をを重ねてから、当日を迎えたそうです。

当日は、まずもう一度認知症について基礎から学びます。ちょうどそれは認知症サポーター講習も兼ねていて、地域の皆さんも参加して学んでいらっしゃいました。どうやら児童館に来ている子どもたちも参加していたようで、後ろの方の席には子どもたちが陣取っていました。中には当園の卒園生もいて、私を見つけては「こんなとで、何してんの?」と声をかけてくれました。「何って、みんなと同じように勉強してるんだよ。」とありきたりの答えしか返せませんでしたが、そんなところで卒園生が一生懸命やっている姿に出会うのは嬉しいものです。

世界のリーダー

2013/12/05

オランダの方がおっしゃった「日本の人は協力、協調する」ということから、私たち日本人がもともと持っている協力する力や協調する能力に改めて気付くことができました。協力、協調とは少し違うかもしれませんが、震災の時でも略奪などが起こらなかったと世界中のメディアで取り上げられていました。地震、かみなり、火事、おやじではありませんが、日本はもともと地震、台風、大雪などの自然災害が多い国です。その自然災害が多い国で農耕を営んで暮らしていたことで、日本の文化の根底には、耐え忍ぶ力や、他の人と協力すること、助け合うことが醸成されてきたのかもしれません。ですから、私たちは協力する、助け合うという社会を構成するためにとても大切な遺伝子を持っているはずです。ただ、この協力、協調する能力が間違った方向に発揮されると滅私奉公的な考えや、全体主義に流されやすくなってしまうのかもしれません。そうならないように注意しながら協力、協調する力を、ひとり1人が幸せになることができる社会の発展のために活かせると良いと思います。

そのためにも、子どもたちが幸せでなくてはならないのです。「子どもが現在を最も良く生き、望ましい未来をつくり出す力の基礎を培うために」(保育所保育指針)保育は行われなければならないのです。子どもがひとりの人間として大切にされ、信頼され、幸せに育つからこそ、子どもの心に、人を信じて、大切にすることが生まれてくるのです。もともと、私たち日本人が持っている協調、協力するという良いところが存分に発揮されるように子どもが育つことを考えれば、より良い社会、望ましい未来が近づくのではないでしょうか。

日本の文化を大切にしながら、少子高齢化をはじめとした現代の社会の現状を踏まえて、どんな保育を行うのが良いのか、既存の固定概念を取り払い、原点にかえって考えたいものです。
子どもたちが幸せに育ち、大人になった時には、世界中のみんなが幸せになれることを積極的に考え、進めるリーダーになることを祈らずにはいられません。

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