子どもは怖くて怖くてしょうがないのに、大人は笑いながら泣いている子どもの頭を獅子に差し出す。大人の気持ちとしては、「どうぞこの子が、元気で上部に育ちますように!この子に良いことがありますように!」という祈りの気持ちで獅子に子どもの頭を噛んでもらうようにするのですが、子どもにしてみれば、なんで?なんで?となるのではないでしょうか。
自分を守ってくれるはずの親が、恐ろしい獅子に自分の頭を噛ませるように仕向けている。この矛盾に子どもはその時はパニックになるかもしれません。表面的には矛盾しそうなことが同時に起こっている。その矛盾を経験すると、いつかその時のことをふり返ったときに、親の深い愛情に気づく事ができ、それに気づいたときに腑に落ちるのかもしれません。
やりたいけれどもできない。「〜〜だけれども、〜〜だ!」を乗り越えることが発達だともいわれます。もしそうだとしたら、一見、矛盾する事柄を自分自身の中でどう整合性をつけるのか。「あー!あれは親の深い愛情でつながっていた行為なんだなー」と気づくのは、ずっと後になってからだと思いますが、そこを通過することが、そのことを気づくための布石になっているのではないでしょうか。