園長ブログ

心の壁

2014/03/14

小学生たちがダンボールを使って作っていた隠れ家、秘密基地でしたが、男子と女子がまん中に壁を作ってお互いのスペースを主張するなど、ちょっとした対立に発展してしまいました。その時の様子について、小学生たちの指導にあたっている指導員さんからこんな話を聞きました。

一旦壁を作ると、男子のスペース、女子のスペースをきっちりと区切らなくてはならないという意識にとらわれる。そのためには、区切るための壁がしっかりしていなくてはならない。しかし、ダンボールの壁はそれほどしっかりしているわけではない。きっちり分けておきたいのに、分けるための壁がしっかりしていない。この壁がなんとかならないか。そんな子どもたちの壁への執着ともいえるものが状況を悪化させていたように思う。

この話を聞いて、自分をふり返りました。何でもかんでもきっちり決めて、きっちりしなくてはいけない。そればかりが強くなりすぎると、きっちり分けること、決めること自体が目的になってしまって、なんのためにそれをするのかがかすんでしまう。もちろん、いい加減にやれば良いというのではありませんが、目の前の現象ばかりに目も心も奪われて、本質を見失っていないだろうかと。

ところがある日、何かの拍子に壁が全部倒れてしまい、いっそのこと壁を取り払ってしまおうということになったそうです。そうして、いままでこだわっていた壁がなくなってしまったことで、執着する対象がなくなった。執着する対象がなくなったら、子どもたちの心が穏やかになり、心の壁も取り払われたようだ。とも聞きました。

子どもたちの秘密基地にできた男女間の壁に止まらない話です。私たちも、いろいろなことに執着してしまうからこそ、そこに苦しみが生まれるのです。「これは私のもの!」「絶対にこうでなければならない!」「私が正しい!」そんな執着が、心をゆがめ、曇らせ、真実を見えなくしてしまいます。心に壁を作り、対立する。そこに生まれるのは苦しみしかありません。

壁があったときには、お互いのスペースにゴミを投げ入れたりしていたのに、壁がなくなったら、みんなで、全体をきれいにするようになり、男女が対立することもなくなったのだそうです。

ダンボールの壁

2014/03/13

ダンボールを使って、隠れ家というか秘密基地を作っていためぐみ精舎に通ってきている小学生達のことを紹介しています。

子どもは狭い空間が好きです。どこか落ち着くのでしょう。洋画で目にしたことがありますが、子ども部屋に小さなテントのように布を吊して、子どもがその中で遊んでいました。どこか囲まれるような包まれるような狭い空間に身を置くと安心するのかもしれません。また、自分たちの自由になる空間があることで満足できるのかもしれません。

自分自身が子どもの頃をふり返ってみても、そういう空間を作っていたように思います。私の場合は室内というより、友だちと一緒に山の中に入って、木の枝や葉っぱを使って、秘密基地を作っていましたし、それがエスカレートして空き地に小さな小屋を建てようと、材料を集めたりしたことを思い出します。結局、小屋はできませんでしたが、自分たちだけの空間を求めていたのです。

秘密基地作りは、狭い空間で安心したい。落ち着きたい。という子どもの希望、大人から離れて、仲間の関係性を強める、自立のために子どもが必要としていることといった意味があるのです。ですから、大人はあまり手出し口出ししない方が良いのでしょう。

小学生達が過ごしているめぐみ精舎の部屋は大きな一部屋で、今のところ空間をしきるものが少ないので、子どもたちにとっては落ち着かないのかもしれません。そこで、ダンボールを使った、隠れ家作りが始まったのでした。その中で、子どもたちは限られた材料や道具をシェアしあうとともに、アイデアを出し合い、意見を交換しあって、秘密基地の改修を重ねていました。

ところが、前回も書いたように、どういう理由か男女で空間を二分して対立が始まってしまいました。小学生の頃って、女子なんか!男子なんか!と言い合って対立することが良くあるように思います。ダンボールで壁を作って、「入るな」だとか「どっちが狭い」だとか言い合っていたようです。ダンボールだけで作った壁ですし、しっかり立っているはずもなく、ゆがんだり、倒れたりします。そのことがまた煩わしさの一因になって、お互いの対立を深める原因になっていたのかもしれません。

対立

2014/03/12

小学生達が作っていた隠れ家に屋根を作ることを提案してみたら、私が作りたくなって、ついつい出しゃばってしまいましたが、その後は子どもたちがいろいろと工夫して作っていました。

シートのようなものがあれば、屋根を大きくしたり、様々な装飾に使えるかもしれない。と思いついて、園にあったシートのロールを持って来ると、子どもたちは早速、好きな大きさに切って使い出しまします。

大まかな形ができると、子どもたちはダンボールの隠れ家に入って寝そべったり、本を読んだり、遊んだりしています。

屋根の上から掛けたビニールのシートは、銀色とブルーの縞模様で少しだけ光を通すので、そのシートのどことなく水中にいるような気分になるのでしょう。誰かが「水族館みたいや。」と言い出したのをきっかけに、想像が膨らんだようで、魚を作って貼り付けたり吊り下げていました。

そんなこんなで、楽しく作って、楽しく遊んでいた隠れ家なのですが、いつの頃からか、男子と女子が別れて遊ぶようになったようです。男の子の部屋と女の子の部屋ができて、お互いに許可がなければ入れないとか、男子は入るな!なんてことになってきたのです。

お互いに作った男子室女子室の間の壁の隙間からゴミを投げ込んだり、壁が倒れてきたと言っては押し戻したり、時々小さな対立が起こっていったようです。

隠れ家

2014/03/11

昨年の秋、学童保育に来ている子どもたちが、ダンボールを使って何やら作っていました。私の姿を見ると、「大きなダンボールない?たくさん欲しいんやけど。」というので、何をするのか聞いてみると、どうやらダンボールを使って自分たちの隠れ家を作りたかったようです。そういうことならと、いろいろなところから大きめのダンボールを集めてきたら、喜んでああでもないこうでもないと試行錯誤しながら作っていました。
私は、しばらくその場を離れて仕事をしていたのですが、子どもたちの隠れ家がどうなったのか、気になってしょうがないので様子を見に行ってみました。

ダンボールを使った壁は随分とできていて、絵を描くなど、装飾もしていました。子どもたちは屋根を作ることは考えていなかったのか、最初から作らないつもりだったのかはわかりませんが、屋根を作ろうとはしていないようでした。屋根があったら面白そうだと思ったので、「屋根は作らないの?」と聞いてみたら、作りたいという思いはあるものの、どうやって作るのが良いのか、アイデアが浮かばないようでした。

天井にフックをつけられるようにしてあったことを思い出したので、天井から吊り下げて屋根を作ってはどうかと子どもたちに提案してみました。そうなると私自身の中で屋根のイメージが出来上がってしまい、自分がやってみたくなってしまいます。ダンボールの強度を増す為に細い角材で補強して、紐で天井から吊り下げてみると、なんとか屋根らしくなりました。子どもたちは喜んでいましたが、どうすれば、子どもたちが相談しあって自分たちで形にできるかをもっと考えて、それなりのことばがけやアプローチをすればよかったと、反省しました。一つ作って、もう一つ分の材料を用意しておいたら、子どもたちは自分たちで作っていました。

お役に立つ

2014/03/10

3月も中旬になったというのに、まるで真冬に逆戻りしたかのような寒さです。先日の朝の気温は氷点下4度。最近では真冬でも時々しか経験しない気温です。昨夜から降り続いた雪が木々を真っ白にしてしまいました。朝日があたると、とても美しくキラキラと輝いていました。

私たちの心も、本来はキラキラと輝いて美しいのだと思いますが、貪りや、瞋り、愚かさによって表面が曇り薄汚れてゆきます。懺悔によってその汚れを取り除いてゆけば良いのだと思いますが、知らないうちに曇りが増して汚れがたまってゆくので、常に懺悔する必要があります。本来の素直な自分の心が、貪りや瞋り、愚かさによって汚れ、謙虚さや感謝の気持ちが薄らぎ、何もわからないのに何でもわかったような気になって傲慢に、わがままになってゆくのかもしれません。

わかった気になって傲慢になっている自分に気付かず、いい気になっていると、神仏が「いい加減にしなさい!」といって知らせてくださいます。たいていは、ショックなことだったり、痛い目にあうことが多いのです。そんな神仏からのメッセージを最近受け取ることがありました。

かなりショックで落ち込みましたが、そのときにしみじみと感じたことが、多くの方々に支えられているということです。職員の皆さんも全力で支えてくださいましたし、保護者の皆さんも、たくさんの方が心配して励ましたり勇気づけてくださいました。

多くの方々がこれほどまでに支えてくださっているのに、自分はどれほど皆様のお役に立つことができているのだろうと、ふり返らずにはいられませんでした。

まだまだお役に立つ事なんてできていない。そんな思いが広がります。皆様のお役に立てるように、どれだけ心を尽くし、力を尽くすことができるのか、いつも謙虚に自分自身をふり返ることを忘れずに努力しなくては、皆様のご恩に報いることはできません。
これほどまでにすばらしいご縁をいただいていることに感謝せずにはいられません。

懺悔(さんげ)

2014/03/09

私(たち)は意識しなくても意識していても、多かれ少なかれ、何かしら罪を犯しながら生きています。だからこそ、いつもいつも、心から「ごめんなさい」の気持ちを忘れないようにしたいものです。ことばを代えれば、いつも懺悔(さんげ)から始まる。罪ばかり犯してしまっている自分を省みて、「ごめんなさい」から始めることを忘れずにいたいと思います。それは、いつも至らない自分だということを意識に留めて、わかった気になって、思い上がっていないかを確認することでもあります。謙虚に謹み深く生きているかを常に省みるということです。ふりかえると、まったくそうできていない自分がいることに気付きます。何回懺悔しても、また罪を犯してしまう。そしてまた懺悔する。その繰り返しなのかもしれません。しかし、懺悔をしなければ罪はどんどん深まってゆきそうです。

勤行や法要で唱える懺悔文(さんげもん)というのがあります。

(偈文)
我昔所造諸悪業

皆由無始貪瞋癡

従身語意之所生

一切我今皆懺悔

(意味)
私は、昔からたくさんの悪い業を作ってきました。
ずっとずっと昔から、貪り(欲望)と瞋り(いかり)と愚痴(愚かさ)により、
身体と言葉と心によって作ってきたものです。
私は今、それらの全てを懺悔します。

心の深いところでこの文を噛みしめて感じ、心の底からそう思って懺悔しても、犯してしまった深い罪はなかなか消えそうにありません。懺悔し続けるしかありません。

クスミリンゴガイ

2014/03/08

    クスミリンゴガイ

子どもたちが琵琶湖岸で見つけた比較的大きな巻き貝の貝殻、なんていう名前の貝なのかわからなかったので、琵琶湖博物館で聞くことにしました。質問コーナーで専門の先生が教えてくださったのは、クスミリンゴガイという貝だということです。

クスミリンゴガイはジャンボタニシとも呼ばれるそうですが、タニシとは別の種類なのだそうです。南アメリカのラプラタ川周辺が原産です。エスカルゴのように食用にしようと輸入、養殖されたけれども、需要が少なく、ビジネスは成り立たず、養殖場から逃げたり、廃棄されたクスミリンゴガイは野生化して分布を広げているそうです。

  真剣に説明を聞く子どもたち


ただ住み着いただけなら良いのですが、稲に食害をするので害虫になっています。こういった話はよく聞きますが、そのたびに人間って勝手だという思いを強くします。輸入していらなくなったら廃棄、外来種は天敵が少なかったり、繁殖力が強かったりして、生態系に影響を及ぼす。そうすると害を為すといって駆除の対象にされる。こういう類いの話を聞くたびにどこか身勝手な気がしてしょうがないのです。

クスミリンゴガイは、水陸両棲で水中でえら呼吸ができるうえに、肺呼吸もできるそうです。ですからいろいろなところに移動してひろがってゆくし駆除もしにくいと聞きました。また、年に10回から30回も産卵し、1回に200個から700個も卵を産みます。その卵の写真を見せていただいたのですが、とてもあざやかなピンク色で、毒々しさすら感じてしまいます。この卵を食する天敵もいないので、多くの卵がかえるのですから増えるのはあたりまえです。

水生植物を食べますが、稲の幼苗、柔ら合い時期のれんこんなどの農作物を食べるので害虫と言われるのです。もちろんキャベツやレタスなどの野菜も食べますし、時には死んだ魚を食べたり、共食いすることもあるそうです。説明してくださった先生は「何でも食べる」とおっしゃっていました。水面に逆さまになって浮かんで、身体を広げて、水面に浮かんだ餌を集めて食べたりもするそうです。

ひとりの子どもが、「どうして貝殻は割れているのですか」と質問していましたが、ザリガニやイタチ、その他の動物に食べられることがあるので、その時に割れたのではないかと先生はおっしゃっていました。

いろいろと説明してくださる先生のお話を、子どもたちは真剣に聞き入っていましたし、一緒に行った保育士の先生も、私もとても興味深く、時々質問もしながら聞かせていただきました。とても良い経験ができたと思います。

貝殻

2014/03/07

琵琶湖博物館に遠足に行った5歳児たちは、琵琶湖を中心とした淡水魚の水族展示を存分に楽しみました。もっと時間があれば、もっと楽しめたと思います。比較的暖かな日和だったので、琵琶湖の近くでおべんとうをいただきました。

おべんとうを食べ終わってから、しばらくのあいだ芝生の上で遊び、斜面を転がったり、つくしを見つけたりしていましたが、突然1人が、「これなに?」と何かを見つけたようでした。見てみると、拳くらいはありそうな巻き貝の貝殻です。そんな大きな巻き貝の貝殻を琵琶湖周辺で見たことはなかったので、おもちゃか何か人工物かと思いました。よく見てみると、貝殻が割れた断面などは本物の貝殻のようです。これなんの貝殻かな?とみんなで不思議がっていたら、「こっちにもある」「あっちにも転がってる。」と3つ〜4つの貝殻を見つけました。ますます不思議になって、なんだろうと思案していたら、「琵琶湖博物館で聞いてみたら?」と提案してくれる子がいました。確かに良い考えです。淡水で暮らす生物の研究者、専門家が大勢いらっしゃるのですから、聞かない手はありません。もちろん琵琶湖博物館の図書館で図鑑を使って調べるという方法もありましたが、子どもたちは専門家に聞くという方法を思いついたようです。

そうと決まれば、早速博物館にもどります。もともと午後も見学をする予定だったので、その前にこの貝について尋ねてみることにしたのです。博物館の図書館には質問コーナーというコーナーがあり、質問できるようになっていました。今まで何度も訪れていますが、ここで質問するというのは初めての経験です。質問コーナーを訪れたときは、どなたもいらっしゃらなかったのですが、すぐにもどってこられた担当の方を待ちかねた子どもたちが、「これなんですか?」と貝殻を見せると、貝がご専門の方を呼んでくださいました。立派な白いおひげを湛えたまるで仙人のような先生が、その貝を一目見て、「これは、スクミリンゴガイですね。」とおっしゃいました。スクミリンゴガイ、聞いたことのない名前です。

お別れ遠足 2014

2014/03/06

   なにを話しているのかな?

毎年、3月になると5歳児が卒園前のお別れ遠足に出かけます。毎年、滋賀県の琵琶湖博物館を訪れていて、今年もみんなで出かけました。琵琶湖博物館については、前にも書いたので詳しくは書きませんが、1階の淡水魚の水族館で、子どもたちはビワコナマズの大きさに驚いたり、ビワマスの群れが美しい模様を描いて泳いでいるのをじっと見つめていたり、魚がこちらに向かって口をぱくぱくさせているのを見て、「何か話しているよ。なんて言っているのかなー?」とイメージを膨らませたり、カイツブリが鳥なのに上手に水中を泳ぐのを長い時間じっくり見ていました。

   きれいに並んで泳いでいるね!


子どもたちはそれぞれ興味のあることが少しずつ違うので、みんなで一つの水槽を一斉に見る事もあれば、それぞれの興味に従って、ある程度の幅の中で自由に興味のあるものを見学していました。あまりにじっくりと見すぎて、お弁当の時間が遅くなってしまったくらいです。

前日は少し寒かったのですが、当日はお天気にも恵まれ、戸外でじっとしていると少し寒いものの、

   鳥なのに、上手に泳ぐね!


琵琶湖岸の芝生の上でお弁当を広げました。みんな、手作りの弁当を見せ合いながら、おいしく楽しく、いただくことができました。子どもたちのお弁当のかわいらしいこと。お母さん方の子どもに喜んで食べてほしいという願いが伝わってきます。それにしても、最近のお弁当はとても凝ったものが多くて驚きます。お弁当を持って出かけたときには、子どもたちが自分のお弁当を見せてくれるのが楽しみです。                                                                                      

オオサンショウウオって大きいんだね。

左右

2014/03/05

男雛女雛の左右は良く話題にされます。ひな祭りの日にラジオでも取り上げられていました。前回も書いたように、有職と呼ばれるひな人形は男雛が向かって右女雛が向かって左に飾られますが、それは昭和天皇の即位の礼の時に、西洋式に倣って天皇が向かって左、皇后が向かって右に立たれたれました。そのときに関東地方を中心に男雛、女雛の並び方が変わったようです。ところが、天皇が向かって左、皇后が向かって右の西洋式の並び方になったのは明治時代だともいわれています。文明開化の時代の中でいろいろなことが西洋化したのかもしれません。

上座、下座というのは良くないのでしょうけれども、向かって右が上座ということはあるようです。ひな人形でも左大臣、右大臣がありますが、ひな人形では老人の姿をしている左大臣は天皇の左手側(向かって右側)に飾り、右大臣るのが一般的なようです。そういえば、お寺で行われる法要でも、本尊に向かって右側に法臈の長い、つまり先輩の僧侶が座ることが多いです。

「左近の桜、右近の橘」といいますが、御所紫宸殿の左近の桜は、南を向いて建物の東側、建物の中にいらっしゃるであろう天皇の左手側に植えられ、右近の橘は西側、天皇の右手側に植えられています。ひな人形でも桜が向かって右、橘が向かって右に飾られる方が多いのではないでしょうか。

ですから、関東式といわれる、男雛が向かって左、女雛が向かって右の飾り方は、男雛女雛の位置だけが違っていて、他のならびは変わっていないようです。

左右を決めているのは、中国の陰陽説によるとも言われています。陰陽説は、全ての成り立ち陰と陽とは互いに対立する属性を持った二つの気であり、万物の生成消滅といった変化はこの二つの気によって起こるとされています。太陽は陽、月は陰、天は陽、地は陰、性別で言えば男性は陽女性は陰、左右で言えば左が陽、右が陰なのだそうです。それも関係ありそうです。

いろいろなことは、時代とともに移り変わってゆくものですね。

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