園長ブログ

手作り

2011/08/27

地蔵盆には子どもたちがいろいろなものをいただきます。それは、お地蔵様にお供えしたお下がりとしていただくのですが、子どもたちの好きそうなものをお供えして、こどもたちに配ることが多いようです。ですから、地蔵盆が終わると、たいていお菓子がいっぱいになります。

園の地蔵盆にも保護者やお寺のご信徒はじめ、様々な方からお供え物をいただき、お参りが終わると園児や当日参加した小学生に分けています。園の地蔵盆をご支援頂いている「くらま会」というお寺の外郭団体があり、以前はその会からもお菓子をたくさん頂いていました。お菓子ばかりよりも子どもに合ったおもちゃや保育で使えるものが良いという意見が保育士から出て、数年前から保育士が子どもと遊びたいと思う物を選んで、くらま会様にご協力いただくという形になりました。もちろん一人ひとりの興味にあったものを用意することができると良いのですが、それは無理なので、クラスごとに用意しています。

今年、3歳4歳5歳は、竹でできた水鉄砲、なわとび、お手玉を、0歳1歳2歳には、保育士が手作りをしました。0歳1歳の子どもには、キルティングの布で作ったお弁当箱にフェルト製のおにぎりやおかずが入ったお弁当箱、2歳にはお散歩に持ってゆくことができる布製のポシェットです。子どもたちがお昼寝をしている間や、手の空いた保育士が時間をやりくりして少しずつ作ったようです。当園は園児数が少ないといっても、0歳と1歳が7名2歳が11名ですからかなりの手間です。毎日子どもと生活し、よく見つめているからこそできることなのだと思います。

地蔵盆が終わると子どもたちはいったん家に持って帰り、また園に持ってきて使います。

今から1歳児が布製のお弁当箱で楽しそうに遊んでいる姿が目に浮かびます。

おべんとう持って、どこ行こ?

2歳児のポシェット レンコンを使って子どもたちがスタンピングしました

最後のプールあそび

2011/08/26

朝から用事を済ませて、11時過ぎに園に行くと園庭がとても賑やかです。子どもたちの楽しそうな歓声に混じって、ときどきおとなの笑い声や大きな声も聞こえてきます。何が起こっているのだろうと思い、窓から園庭を見ると年長児と保育士がプールで遊んでいます。そういえば、この夏最後のプール遊びをするって言っていました。他の子はもうお昼ご飯の準備にいったのでしょう。年長児だけが思いっきり遊んでいます。

お水 かけてあげるね!

何をしているのだろうとしばらく見ていると、子どもたちがかわるがわるプールの中に座った保育士の頭から肩から水をかけています。そのたびに保育士は「ひえー」「つめたーい」と叫んでいます。ペットボトルで水をかける子や、大きなバケツになみなみと水を運んできて一気に頭からかけている子もいました。その子どもたちのいきいきした顔といったら・・・見ているこちらまで楽しくなってきます。近くのデスクで仕事をしていた主任に「ちょっと見て」と声をかけたくらいです。

当園では、基本的には子どもが主体的に遊び、大人はその姿をそっと見守る立場でいるので、大人が大きな声を出して指示をしたり、何かをさせたりすることは少ないのです。もし、大人の大きな声が聞こえるとしたら、楽しすぎて大きな声になっているか、笑っている声です。

この日はみんなで楽しく遊んだ夏の日の思い出にしたかったのか、ただ単に大人も遊びたかったのか・・・

降りそそぐ夏の日差し、飛び散る水しぶき、子どもも大人もはじける笑顔、このキラキラとした空気感、全員が心の底から楽しみ、いきいきと輝いているとってもステキな時間でした。

あまり楽しそうなので園庭に出てみると、子どもたちが「園長先生こんなんできるようになったで」と水に潜ったり、背泳ぎをしたり、いろいろと見せてくれます。「へー!すごいなー」といって見ていました。

すると、どこからともなくビートのきいた威勢の良い音楽が聞こえてきて、子どもたちも保育士もプールの中や周りで踊り始めました。音のする方を見てみると、2階の窓からこちらを見てニヤニヤしている年中児と保育士の姿が、どうやらこの曲は、近づいてきた運動会で踊る曲のようです。楽しそうにプール遊びをしている年長児を見て、「この曲聞かせたら踊り始めるかな」などと相談して、やってみたのだと思います。この作戦に乗せられ、プール遊びをしていた年長児も思わず身体が動いてしまった。といった感じでしょうか。

運動会の練習ですから先生の言うとおりにしなさい!といって練習するよりも、こんなに遊び心いっぱいでダンスの曲に親しむ、すべてを遊びの中で楽しむ。子どもたちのやってみたい!に自然につながる。とってもステキだと思いました。

思わず踊り出してしまいました

地蔵盆 3

2011/08/25

8月24日、鞍馬の各町内でも地蔵盆が行われました。それぞれの町内に伝統的に伝わる方法でお地蔵様をおまつりし、いろいろな催し物も行われます。午前中に園の年長児たちが近くの町内のお地蔵様にお参りに行きました。般若心経とお地蔵様のご真言を唱えてきたそうです。私は同行しませんでしたが、大きな声で唱えている姿が目に浮かびます。

各町内ではそれぞれに工夫を凝らして時間ごとに、たこやき、焼きとうもろこし、かき氷、大人用に生ビールなどの食べ物の提供をはじめ、福引き、ビンゴゲーム、金魚すくい、大学生サークルによる人形劇などをされているところもあります。そして夕方には地蔵寺のご住職によるお参りがあり、数珠繰りをされているところもあります。普通、子どもたちは自分の所属する町内で楽しむそうですが、鞍馬では各町で少しずつ催し物の時間がずらしてあり、子どもたちは各町内を巡っていろいろな催し物や飲食を楽しんでいます。

鞍馬地区にとって少子高齢化は大きな問題です。小学校の児童数も減少し、地域をあげて対策に取り組んでいらっしゃいます。ですから、普段は子どもの姿はあまり見ないのですが、地蔵盆にはたくさんの子どもたちが参加しています。親戚の子どもさんなどが地蔵盆を楽しむために集まっていらっしゃるのだそうです。

子どもたちが賑やかに楽しそうにしているのを見て、せめてこの半分でも鞍馬にいてくれると良いのにと思ってしまいました。

地蔵盆 2

2011/08/24

地蔵盆のお参りをしました。この時期にしては珍しく雨模様。

川上地蔵堂でお参り

最初は園から200メートルくらい山を登ったところにある川上地蔵尊にお参りします。川上地蔵尊は牛若丸の守り本尊といわれ、牛若丸ががいたと伝えられる東光坊跡の前にあります。園を出発する少し前、激しい雨が降ってきました。このままでは行けないかなと思っていたら、出発直前になって雨が上がり4歳児5歳児がお参りに行きました。

次は園に戻り全園児で童形六体地蔵尊にお参り、いつも地蔵盆を支えてくださる方々や保護者も加わってのお参りです。

最後は園舎の2階でもう一度お参りをした後に数珠繰りをします。みんなで一つの輪になって、お地蔵様の真言を唱えながら大きな数珠を隣に送るようにして回す(繰る)のです。

童形六体地蔵尊にお参り

お参りでは般若心経を3回も唱えたにもかかわらず、子どもたちは一生懸命お唱えしていましたし、数珠繰りも随分時間がかかるのですが、「オン カカカ ビサンマエイ ソワカ」と元気にお地蔵様の真言を唱えながら、数珠を回していました。

前にも書いたようにお地蔵様は、すべての衆生をお救いくださいます。子どもたちにも「お地蔵様はいろんな姿に変身して困っている人を助けてくださるんだよ。」と説明しました。

しかし、助けてくださるってどういうことなのでしょう。お参りがすべて終わって片付けをしている間に考えてしまいました。

みんなで輪になって数珠繰り

生きてゆく上ではいろいろなことが起こってきます。どうしようもなく辛いこと悲しいこと、自分自身の力ではどうしようもないこと。お地蔵様はそんな目に遭わないように、そんなことが来ないようにしてくださるのでしょうか。そうかもしれません。転んだときにけがをしないように、けがをしても大けがにならないように、そっと手をさしのべてくださるのかもしれません。

それでも、つらいことや悲しいこと苦しいことはやってきます。それを乗り越えるのは、やっぱり自分自身です。お地蔵様が代わりに乗り越えてくださるわけではありませんし、他の誰かでもありません。乗り越えるのは自分自身しかないのです。その力、心の力と言っても良いかもしれませんし、気づく力といっても良いかもしれません。お地蔵様はそれを与えてくださるのではないのでしょうか。

その姿勢は、ああしなさい!こうしなさい!あれはだめ!これもだめ!と自分の考えを押しつけたり、急がせたりせず、そっと、じっと、その人が気づき自分から変わるのを見守ってくださっているイメージのような気がします。

お地蔵様は様々なお姿になって救ってくださいます。子どもたちにもそう説明しました。それは、救う人に合わせること、別のことばで言えば、その人の個性を尊重するということなのではないでしょうか。

ついつい、自分の考えが一番正しくて、他の人をそれに従わせたくなる。自分の正しい(と思い込んでいる)考えに従わないヤツはダメだ!と思ってしまう。そんな欲にとらわれ、それがかなわないといって、自ら苦しみを作ってその苦しみの奈落に自分で落ちてしまいがちです。

苦しむのも自分、苦しみから救われるのも自分なのでしょうね・・・

苦しみや怒りの心にもってゆかれてしまわないように、自分の心を律してゆきたいと思います。

 

地蔵盆 1

2011/08/23

お地蔵様は地蔵菩薩といい、修行をして仏様になれるのだけれども、苦しむ衆生を助けるという誓願を立て、釈迦牟尼仏入滅後、弥勒仏ご出現になるまでの長い間、様々な姿になって衆生を済度されているのです。六体でいらっしゃるお姿は、生死を繰り返す六つの迷いの世界である六道(地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人道、天道)のそれぞれを救ってくださるということを表しています。

お地蔵様を講讃する法会は古くから行われていて、特に7月24日(旧暦)には子どもたちが辻ごと(町内ごと)にいらっしゃるお地蔵様を祭る地蔵盆として行われていました。今は、8月24日(新暦)や、その前後の休日に行われていることが多く、京都では町内ごとに行われています。鞍馬でも地蔵寺をはじめ各町内で行われ、子どもたちが順番にお地蔵様を巡っています。普段は小さな祠などにいらっしゃるお地蔵様がこの日は祭壇に祀られ、その前で子どもたちがゲームや福引きを楽しんだり、数珠繰りをするなかでお地蔵様にご縁を結ぶのです。

園では各町内の地蔵盆と重ならないように1日早い23日にお参りをしています。おみぬぐいをして美しくなっていただいたお地蔵様に真新しいよだれかけをかけ、お供え物を供えてお参りします。お供えは保護者の皆様はじめ、地域の方々やお寺のご信徒、多くの方々からたくさんいただきます。

お地蔵様のよだれかけは、毎年地蔵盆前と年末に卒園児の保護者が手作りしてくださっています。夏はレースをあしらうなど涼しげな工夫がしてあったりして、心を尽くしてくださっているのがよく感じられます。もう15年以上も欠かさずに続けてくださっていますが、なかなかできることではありません。

お地蔵様がご縁の結び目となっていただいて、子どもたちを中心にいろいろな人々が様々に繋がり、一緒にお参りをする。そういったせっかくのつながりの機会が、もっと子どもたちが実感できる形に、いろいろな人たちと実際にふれあい共に何かをする機会にならないものか、何か良いアイデアはないかと考えています。

おみぬぐいが済み、新しいよだれかけをかけた童形六体地蔵尊

あまい香り

2011/08/22

8月初めのある日、車を運転していると携帯電話が鳴ったので交通量の少ない脇道に車を止めました。電話を終えて何気なく窓の外を見ると、田んぼの向こうに比叡山が見えます。そのあたりは近年宅地化が進んできたところで、田んぼや畑と住宅が混在している地域です。

比叡山から吹き下ろしてくるのか、とても涼しい風が車の中を通り過ぎ、目の前には夏の日差しに稲の緑がかがやいています。

とっても気持ちよかったので、車の窓を全部開けてしばらく風に揺れる稲を見ていました。風が息をするのにあわせて稲の波がこちらに打ち寄せ、まるで風が見えるようです。

田んぼを渡った風が通り抜けていったとき、とても香ばしくどことなく甘い香りで車の中が満たされました。何の香りだろうと思いながら、田んぼをよーく見てみると、かがやく稲の葉の間に稲穂が、その先にはかわいらしい稲の花がたくさん咲いているのです。甘く香ばしい香りは稲の花と葉の香りだったのでしょう。

美しい稲の緑、わたってくるさわやかな風、その風が運んでくる香り…

元気に育って花をつけ、まさに実を結ぼうとしている稲。その溌剌としたいのちの輝きが感じられ、とても満ち足りた、うれしく、優しい気持ちになりました。

園で育てている稲も花をつけました

おみぬぐい

2011/08/21

園の入口に童形六体地蔵尊(どうぎょうろくたいじぞうそん)というお地蔵様がいらっしゃいます。子どもたちは毎朝登園時におはようございますと手を合わせ、帰るときにはさようならと頭を下げています。いつも子どもたちを守ってくださっているお地蔵様です。毎年8月23日の地蔵盆のお参りを前にして、子どもたちがお地蔵様のおみぬぐいをしており、今年も年長の子どもたちが汗を流しました。

童形六体地蔵尊は鞍馬寺開創1200年記念事業の一環として昭和61丙寅年の本尊ご開帳の年に刻まれ寄進されたものです。大きな石に子どもの姿をした六体のお地蔵様が刻まれています。

 童形六体地蔵尊

おみぬぐいは、このお地蔵様のおすがたを清めます。屋外の石像なのでたわしを使いますが、衣紋や顔などの細かな部分は歯ブラシなども使います。その歯ブラシでお地蔵様の口をゴシゴシしている女の子がいました。歯磨きをしているつもりなの?と思いながら見ていると、その子と目が合ってニッコリ!きっとそうだったのでしょう。

濡れた石の上に登って洗うので、私などは滑って転ばないかということが気になって、ついつい「滑るから気をつけてね!」と言いそうになってしまうのですが、保育士はさすがです。そんなことは事前に説明していて、子どもたちが洗い始めると「滑るよ」「危ないよ」などと言うこともなく子どもたちの様子を見ていました。本当に危ないときや必要なときには、しっかり守ろうとしていたのでしょう。子どもを丸ごと信じていないとできないことです。

子どもたちはといえば、水がかかっただの、もっとまじめにやれ、だのもめたりすることもありますが、「私はこのお地蔵さんを洗うから、あなたはとなりを洗ってね。」「顔はきれいになったから今度は足を洗おうか。」「ホースを持ってる人、水かけて。」などと力を合わせながら一時間ほど頑張っていました。おかげでお地蔵様は美しくなり、子どもたちも満足げでした。

夕方、園を出るときにお地蔵様を拝んでみるとお地蔵様の美しさに少しムラがあります。そりゃ子どもたちだけではできない部分があって当然です。たまたま一人の保育士が帰るところだったので、私が「大人がもう一度仕上げをした方がいいね。」というと、その保育士は「子どもたちが洗っているあいだに、大人が少し手伝うことができると一番良いんですよね。」といいます。大人が一緒にやれば、子どもには難しいところをさりげなくフォローできて、より美しくなるので子どもたちの達成感も倍増するというのです。なるほど、より美しくなっていれば達成感も違います。子どもたちの気持ちをちゃんと考えてくれていることにうれしくなりました。

みんなで一緒に力を合わせて

きれいになーれ!

いのちのめぐり

2011/08/20

園の近くを歩いていると、地面でなにやら虫が動いていました。何の虫だろうと思って近づいてみると、アブのようですが頭が二つあるように見えます。頭が二つあるアブ?まさか?と思って、さらに近づきよーく見てみるとなんと細長いアブのような虫が、別の大きなアブを抱きかかえるようにして捕まえていたのでした。もっと近づくと、少し警戒したのか近くの石垣に飛び移りました。

これはおもしろいと思い携帯電話のカメラで撮影を試みますが、ピントが合わなかったり画角が悪かったりでうまく撮ることができません。かなり近づいてようやく何枚か撮影できたのでしばらく見ていましたが、あまり動く様子もなくじっとしています。どうやら獲物が重すぎて素早く飛ぶことができないようです。

捕まえている方のアブが細長い口を獲物の首筋(というのでしょうか?)に突き立てています。捕まっている方は時々痙攣するように動くだけです。しばらく見ていましたが、あまり変化がないのでその場を離れました。

後で調べてみると捕まえていたのは、どうやらサキグロムシヒキというアブの仲間のようですし、捕まっていたのはヤマトアブというアブです。調べたところによるとこのサキグロムシヒキは、どう猛なスズメバチや自分よりずっと身体の大きな他の虫を捕まえるそうです。

厳しいようですが、自然はみんなそうです。植物が芽を出し成長し、花をつけ実を結ぶ。それを食べる虫がいて、その虫を食べる鳥などの動物がいて、さらにそれを食べる動物がいて・・・学校で習った食物連鎖です。そして枯れた植物や動物の死骸はキノコなどの菌類のはたらきによって土に還ってゆきます。森のお掃除担当だそうです。そして、豊かな土からまた新しいいのちが芽生える。「いのちのめぐり」です。この「いのちのめぐり」がちゃんと行われているところが豊かな自然のあるところだという話しを聞いたのを思い出します。

みんなそれぞれに自分の役割を果たしているからこそ、全体がうまくめぐるのですね。

そんなことを考えていた次の日、園のデスクの上にサキグロムシヒキがいました。こんどはどんな獲物を狙っているのでしょう。

つかまえた!もうはなさないぞ!

バレーボール

2011/08/19

先日、高校生のバレーボールの試合を観戦しました。全国私立高等学校男女バレーボール選手権大会(通称さくらVOLLEY)が、8月13日から16日にかけて町田市立総合体育館のほか13会場で開催されたのです。男女各80校が出場する大きな大会で、4月に開催されるはずだったのですが、震災の影響で開催が8月に延期されのです。京都から出場している男子チーム4校のうちの1校の応援に行きました。

感心したのは、応援していた高校の保護者の熱心さです。京都から大勢の人が何泊もして、とても暑い体育館の中で熱心に応援されていました。

さて、試合ですが、1セット目は順調に得点を重ねて楽勝です。しかし2セット目は接戦でした。ピンチや大切なときにちいさなミスが出て相手に得点を許したり、ここというときに得点できなかったりしていました。なんとか2セット目も競り勝ってその試合は勝ちました。私はバレーボールのことはよくわからないのですが、技術的なものは当然としてもその上にチームワークと精神的な部分が大切なのだろうな。と試合を見ていて感じました。

たまたま購入した大会パンフレットに大会委員長の中村四郎さんという方が書いていらっしゃった記事の中に師弟関係と立場の相違ということがありました。

昔の職人は弟子に技術を教えなかったので、教えてもらえない弟子たちは「見て学ぶ」「技術を盗む」「自分で考える」ということをした。しかし今は先生が教え、生徒が教えられるという「教える立場」と「教えられる立場」がはっきりした師弟関係になってしまった。といった内容です。ここで強調されていたのは、教える方が偉くて教えられる方は何事においても下というのはちがう。という立場の違いが人間の違いではないことでした。私が感じたのは、昔の職人さんの教え方、学び方です。あえて教えないことで学ぶ方の「何とかして技術を身につけたい」という意欲を喚起し、見て、盗んで、考えるという、学び手の積極的な態度を引き出すことをしていたのでしょう。もちろん言葉で丁寧に伝えることも大切ですが、一から百まで説明してしまったら学ぶ側は全て受け身になってしまい積極的な態度は身につかないのかもしれません。子どもたちに学ぶ機会を提供する私たち保育者も気をつけないといけないことだと思います。

また、チーム内の選手でも、上手な選手、中くらいの選手、余り上手でない選手、3年生から1年生までいる方が良いということを、上手な3年生ばかりのチームが予選落ちしたことを例に説明されています。上手な同学年ばかりだと、みんながエースになり、キャプテンになって「俺が俺が」のやる気十分が却って混乱を招き、やる気が焦りに変わり、罵り合いになって我慢する人がいない最も弱いチームに変身してしまったというのです。

まさにチームワーク、役割分担だと思いました。一つのチームの中にはいろいろな人がいた方が良いのでしょう。多様性です。そしてそれぞれの違いを互いに認め合い、かばい合い、助け合ってそれぞれの立場でそれぞれの責任を果たすことなのです。それはバレーボールだけではなく、人が集まって一つの目標に向かって進む組織には必ず必要なことです。

白熱する試合 暑いなかみんな頑張っています

応援にも熱が入ります

消火訓練

2011/08/18

園では毎月、園児と職員が避難訓練を行っています。火災や地震の発生を想定して園児を避難誘導する、火災の場合は消防署へ通報する、初期消火に当たる、などです。子どもたちは、何故そうするのかということをきちんと説明するとよく理解していて、スムーズに行動できます。

8月17日、左京消防署鞍馬出張所の皆様にご指導いただいて、鞍馬寺の自衛消防隊と合同で消火訓練を行いました。子どもたち対象というよりも、職員が消火器や屋外消火栓の使い方を訓練することが中心でした。

消火器を使ってみました

訓練用の消火器を使い、想定した火元に向けて消火液(訓練用は水)を噴出させる訓練です。消火器を火元近くに運び、安全ピンを外し、ホースを火元に向けて、水をかける。言葉にすると簡単そうですし、実際に簡単なことなのですが、慌てたり緊張したりすると、まさかという失敗をしてしまうものです。だからこそ定期的に訓練を行い、いざというときに対処できるようにしておくことが必要なのでしょう。

例えば火元付近に到着する前に安全ピンを抜いてしまうと移動中に誤って消火液を出してしまい、いざ火元についたときには消火液がなくなっているということがあるようです。職員は消火器の使用方法はよくわかっていますが、子どもたちに教えるという形で自分自身も復習をしました。子どもたちは一度聞くとよく理解していて、先生と一緒に火元に向かってうまく水をかけていました。

もう一つは、屋外消火栓の使い方です。保育園の近くに屋外消火栓があるので、いざというときに使えるようにと訓練をしました。こちらは消火器と違って一人では操作できないので、筒先を持つ人、それを支える人、水を出す人の3人1組になった連携が必要です。ホースを伸ばす、筒先や消火栓とホースを接続する、放水するということをしなくてはなりません。こちらはあまり経験がないので、少し戸惑いながらもみんなうまく放水していました。実際に放水するとかなりの水圧のため、しっかりと筒先を持っているのが大変なこと、支える人との交代も含めた連係が大切なことが経験できたのではないでしょうか。

こういった訓練は、意識の上でもついつい二の次になりがちで、どちらかといえば面倒なのでやりたくない。あまり積極的ではない。といったことが多いようですが、職員のみんなは真剣に取り組んみ、なかには楽しそうに訓練している人もいて「子どものいのちの輝きのために、子どもの命を守る」という姿勢が伝わってきました。その気持ちが伝わったのでしょう、かなり長い時間でしたが子どもたちも真剣に訓練の様子に見入っていました。

消火栓の放水を見る園児

消火栓の放水 結構力がいります

スクロール