園長ブログ

防災センター

2011/10/26

災害が起こったときに被害を最小限に抑えるため、災害時に必要な防災知識や行動を「見る、聴く、触れる、感じる」などの体験を通じて学ぶことのできる施設、京都市市民防災センターが京都市南区にあります。

4歳児と5歳児が、この市民防災センターに行って、地震の揺れ、台風の風、火災現場からの避難を体験してきました。防災センターに到着した子どもたちは少々緊張気味ながらも係の人の説明をしっかりと聞きます。センター利用時の約束として「お・は・し」の約束がありますが、「お・は・し」ってなにかわかりますか。と聞かれ、私が少し考えていたら、子どもは「押さない・走らない・静かにする」と即座に答えていたのには感心しました。

       震度7

まずは地震体験、震度3から7の揺れを体験できる部屋に入ります。前室で部屋が様々な強さで揺れる様子を見て、地震が起こったらまず自分の身体を守る。特に頭を守るために机の下に入ることを聞いた後、5人ずつくらいで体験します。このときに一番強い震度7を体験したい人、中くらいの揺れの震度5を体験したい人、弱い揺れの震度3を体験したい人と3つの選択肢から、子どもたちが自分で選べるようになっていました。私たちが普段の保育で行っている選択制と同じです。あらかじめ自分の目でどのくらいの揺れかを見て、子どもたちが自分で選んで決める。そうしないと強い揺れでも平気な子もいれば弱い揺れでも怖いと思う子もいるので、「5歳児は強い揺れ」などと大人が一律に決めるのはおかしいですよね。子どもはちゃんと自分で判断して強さを選んで体験していました。事前に説明を聞き、どうなるかを知って体験しているので、遊園地の乗り物にでも乗った気分になって楽しみすぎていた子もいたかもしれませんが・・・

     風速32メートル

次は台風の風体験です。これも風速32メートル、22メートル、15メートルから選びます。地震の震度7を体験してみるという子は多かったのですが、32メートルの風を選ぶ子は少なく、22メートルもほとんどいなくて、多くの子が15メートルを選んでいました。私も子どもたちと15メートルを体験しましたが、体験時間が長いこともあって結構強く感じます。よく32メートルを体験したものだと思いました。台風は地震と違っていつ来るのか、どれくらいの強さなのかなどがわかるので、できるだけ情報を集めることと、不必要に外に出ないことなどを学んでいました。

最後に煙の充満した建物から脱出する体験です。暗くて煙の充満したところを誘導灯を頼りにドアを開けたり、炎をよけたりして出口に向かいます。普段園の避難訓練で口にハンカチをあてること、姿勢を低くすることの意味が体験を通して理解できたようです。初めて宿泊するホテルなどでは事前に避難経路を確認しておくことで、パニックに陥る危険性が低くすることも学んでいました。子どもたちはどの体験にも真剣に取り組み、それぞれに得たものは大きかったことと思います。

全ての体験が終わる頃にはお昼を過ぎていたので、梅小路公園まで移動してお弁当にしました。曇り空で風が強く少し寒かったものの、前日に作ったてるてる坊主のおかげか、心配していた雨に降られることもなく、お弁当を食べた後は、遊具などで思いっきり遊んで帰ってきました。

鞍馬の火祭り3

2011/10/25

    少しこつがつかめたかな

鞍馬街道を行き来する松明の数も増え、大人のかつぐ大松明も動き始めます。大松明は、甲斐性松明(かいしょまつ)といわれ、長さは4メートル、重さは100キログラムを超えます。中学生がかついでいた小ぶりのものでも70〜80キログラムはあるそうです。昔の人はよく肩に荷物を担いで運びましたが、今は肩に何かを担ぐ機会はあまりありません。特に中学生は普段そんな経験はほとんどしませんから、大きくて重い松明をかつぐのはずいぶん大変なようです。最初はかつぎ方がわからず四苦八苦していますが、大人にアドバイスしてもらったり、自分で工夫したりするうちに少しずつこつが飲み込めてくるのだと思います。それも自分でかつぎたいという気持ちがあってこそできるのです。また、3人くらいで松明をかつぎますが、皆の息が合わないとなかなかうまくいきません。肩に乗せる角度やその角度を得るためのそれぞれの身体の向き、先端を持つ人が上手く松明の角度を調整して、後ろの2人の負担が均等になるようにしてあげないと大変です。それぞれがこつをつかみ、その上にチームワークがあってこそ上手く行くのでしょうね。私が見ていた中学生も最初は苦労していましたが、後半になってくるとずいぶん楽にかつげるようになったようです。

      鉾

     立ち並ぶ松明

鞍馬には古くから七仲間という代々受け継がれている住民組織があり、祭祀を掌握しています。この仲間に鉾があり、鉾を先頭に松明が進みんで各仲間が所定の場所で他の仲間と合流する諸礼という儀式を行った後、御神輿のある山門前に進みます。そのときには石段に燃えさかる松明が何本もたちならび、壮観です。見ている方は壮観ですが、松明を支えている方は大変です。重い松明を立てて支えているだけでもむずかしいのに、頭の上から火の粉や燃えている柴が降ってくるのですから。

立ち並ぶ松明が徐々に一カ所に集められ、大きな炎となる頃に注連が切られてお祭りは御神輿の渡御へとうつってゆきます。この御神輿が石段を下りる際に御神輿をかつぐための棒の前方に若者が足を開いてぶら下がる「チョッペン」という儀式があり、鞍馬の成人式の名残だと言われています。また、御神輿が階段を下りる際に御神輿の後ろにつけた綱を持つ綱方という役があり、女性がその役を担います。

御神輿の渡御

御神輿が町中を渡御して御旅所に安置されて、この日のお祭りはフィナーレを迎えるころには日付が変わっています。

祭りの中にいると、鞍馬の人々にとって火祭りがとても特別なものであるのがよくわかります。火祭りの後に登園してきた年長の男の子は背中にやけどをしていました。「松明でやけどしたん?」ときくと、誇らしげに「うん!」と答えていました。その笑顔は、よくぞ聞いてくれたという満足と自信に満ちあふれていました。

 

鞍馬の火祭り2

2011/10/24

昼間、京都市内では時代祭が、夜は鞍馬で火祭りが行われるというのに、天気予報は雨、時間によっては激しく降るという予報でした。時代祭は早々に順延が決まりましたが、火祭りはよほどのことがない限り雨が降っても行われます。昼間は曇っていて時々薄日がさすまずますの天気だったのですが、午後4時頃に突然大きな雷鳴と共に土砂降りの雨、その後も雨が続きました。この雨で火祭り見物の方も少なくなり、翌日の新聞には8000人とありました。それでも狭い山里にたくさんの人が集まるので、混雑は必至です。火祭り保存会をはじめ関係者の皆様も警察の方々も事故防止に苦慮していらっしゃるようです。

  みんなに手伝ってもらって

     子どもの松明

午後6時「神事ぶれ」とよばれる祭りの始まりを知らせる「神事にまいらっしゃーれ」の声を合図に各家のエジ(かがり火)に火が灯され、子ども用の「トックリ」とよばれる松明を持った子どもたちが鞍馬街道を行き来します。生まれたばかりの小さな赤ちゃんにも松明を作って家族の人がそれを持ち、赤ちゃんをだっこしてその後をついて歩いています。赤ちゃんもちゃんと松明を用意してもらってお祭りに参加しているのです。お父さんや家族の人々と松明を担いで「サイレーやサイリョー」とかけ声をかけながら歩いている園児何人かに出会いました。時間がたつにつれて、徐々に大きな松明も点灯されます。

中学生にもなると、一人前に装束を着けて松明をぎます。松明をかつぐ正装姿は、頭に向こうはちまき、肩から腕にかけて被う船頭籠手をつけ、松明の重さから肩を守る肩当てをつけ、締め込みにさがりという力士のような姿、背中には難を転じるという意味で、南天の小枝を締め込みにはさみ、足には黒足袋と武者草履をはき、脚絆をつけるというものです。小さな子どもは、前垂れとよばれる化粧まわしのようなものをつけ、美しい柄の長襦袢を羽織ります。衣装一つとっても珍しいお祭りです。

    がんばる中学生

     大人の大きな松明

鞍馬の火祭り

2011/10/23

鞍馬の火祭りが行われました。鞍馬火祭りは、鞍馬の氏神様である由岐神社の例祭で、毎年10月22日に行われています。

天慶3年(940)に御所にお祀りされていた由岐大明神を、世の平安を祈って御所の北方にある鞍馬に遷宮され、その行列は、手には松明を持ち、道中にかがり火を焚き矛を先頭に進みました。この儀式と由岐明神の霊験を後世に伝え守ってきたのが鞍馬の住民であり、鞍馬の火祭りの起源だといわれています。

由岐神社は、園から参道を5分ほど登ったところにあります。10月22日の朝9時から由岐神社で神幸祭が行われ、由岐明神と八所明神のご神体が二基の神輿にお移りになります。その御神輿が鞍馬寺山門前までおりてこられるのですが、園児たちは毎年その様子を見学していています。結構時間がかかるのですが、子どもたちは興味をもって見ています。

おみこしさんが来はったよ!

園児の中でも鞍馬に縁のある園児は、火祭りに参加するなどお祭りがより身近なので、お祭り当日は楽しみでしょうがないのでしょう。朝から気もそぞろ、どこか落ち着かない様子です。「もう、おみこしさんおりていかはった?」「はよ見に行こ!」としきりに御神輿を気にしていました。

鞍馬の人たちにとって火祭りは特別な意味を持ちます。鞍馬の1年は13ヶ月、祭礼を迎えるために1ヶ月分多く働いて準備をするといわれるほど、鞍馬の人々の火祭りに対する思い入れは並大抵ではありません。その年の祭が終わったら、次日から翌年の祭の準備が始まるともいわれています。確かに準備はとても大変そうで、特に松明を作るための材料である柴を確保するのが大変なようで、山林を借り受けて柴を育てる取り組みをされていますし、松明を結ぶ藤の蔓(根)も、いつもどこかに藤がないかと気にかけていると聞いたことがあります。

火祭り保存会の皆さんを中心に鞍馬の人々の熱い思いと、努力があってこそ初めて成り立つお祭りなのです。ですから、小さな頃からその様子を見聞きし、経験することが、伝統を継承してゆくためには大切なことなのかと思います。

伝統や文化の継承という意味からも、地域の乳幼児が集まる保育園が地域で果たす役割ということも考える必要があります。

 

 

遠足

2011/10/22

2歳児3歳児が待ちに待った、動物園への遠足の日がやってきました。みんなの作ったてるてる坊主のおかげか、お天気は朝から申し分の無い快晴。9時にはみんなそろって、バスに乗り込みいざ出発。このバスに乗るというのも子どもたちの楽しみのひとつです。子どもたちが積み木で作っていた動物園にも駐車場があってバスが駐まっていました。

行き先の京都市動物園は東京の上野動物園に次いで古く、明治36年に開園しました。市民の寄付など、市民の手によってつくられた動物園です。以前ブログに書いた小学校もそうですが、京都は室町時代からの町衆の流れか、市民の力が強いようです。新京都市動物園構想が平成21年に策定され、平成27年までの7年間でリニューアルが行われている最中です。

新京都市動物園構想の展示コンセプトのひとつに「動物を間近で観察できる」があります。昭和30年に開設された「おとぎのくに」というエリアがあり、家畜を近くで見たり、ウサギやモルモットに触れる体験が行われていましたが、そのエリアが今回の施設整備では「いのちの尊さ、いのちのつながり」をテーマに2.5倍の広さになり、見学者が自由に柵を開けて中に入ってヤギやヒツジなどにふれあえるようになっていました。ヤギが人の通る通路の上にかけられた橋を渡って反対側へ行けるような、ヤギの高いところに登りたがる習性を知る展示の工夫もされていました。当日は残念ながらヤギは橋を渡っていませんでしたが、『三匹のやぎのがらがらどん』の絵本を思い出します。

  ちょっとこわいな・・・

  こんにちは!やぎさん!

最初、子どもたちはちょっとおっかなびっくりヤギに触れていましたが、慣れてくるとかわいいといって、背中や頭をなでていました。ヤギがおしっこをしているのをじっと見ていたり、近くで寝ていたヒツジとさわり比べて感触の違いを感じている探求心旺盛な子もいました。ずいぶん長い時間ヤギやヒツジとふれあっていましたが、ずっとそこにいるわけにもいかないので、ゾウやカバなど子どもたちが見たがっていた動物を見に行きます。

おしっこしてるよ

園内を歩くのですが、他の保育園、幼稚園や小学校からもたくさんの子どもたちが見学に来ていて、うっかりすると迷子になりそうです。当園では、あまり手をつないで二列になって行進するような歩き方はしないので、混雑している中でも、ゆるやかなひとかたまりになって移動していました。私は内心、誰かが迷子になるのではないかと心配していましたが、子どもたちはよくわかっていて、バラバラに突拍子もないところに行ってしまうような子はいませんでした。もちろん保育士たちが見ていないようでしっかり見ているということもあるのですが、子どもたちがお友達や先生が見えるところにいた方が良いとわかっているからそれができるのだと思います。

ゾウをゆっくり見ていたい子、隣にいるハクチョウに興味を持ってそっちが見たい子、いろいろなのですから少しくらい離れても全く問題ありません。

子どもたちがちゃんと自分たちのことをわかり、今どうするのが良いのかわきまえている。自立と自律が少しずつできてきているのかなと、ちょっとうれしくなりました。

動物園

2011/10/21

2歳児と3歳児が遠足で動物園に行くことになりました。担任の保育士たちが、1ヶ月くらい前に「遠足は動物園に行きます」と子どもたちに発表したものですから、それは大変です。その日から「明日、動物園に行くの?」「今日、行くの?」「バスで行くの?」と、いろいろな子が会うたびに聞いてきます。行事の時などに職員が着るおそろいのトレーナーがあるのですが、たまたま私がそれを着ていただけで、「今日、動物園に行くの?」と尋ねられたくらいです。「園長があの服を着ているから、今日はきっと動物園に行くんだ!」そう思ったのでしょう。子どもの観察力には驚かされます。

「いつ動物園に行くの?」何度聞かれたかわかりません。その度に「まだずいぶん先だよ」と答えていた私は、内心「少し発表するのが早かったんじゃないの?」と思っていました。でも、そこには子どもたちの期待感を高めるという保育士たちの狙いがあったのです。

遠足の行き先を決める際には「動物に興味を持っている子が多い」という子どもたちの姿から考え、行き先を動物園に決定しました。興味を持っている子はもちろん、そうでない子も巻き込んでみんなが期待感を高めることで、より遠足の意義が深まり、こどもたちの満足度も増すと考えたのです。ですから、保育の中で動物園の歌を歌う、動物園を思い起こすような内容の絵本をを読むなどしていました。

     積み木の動物園

大人が「これって楽しそうじゃない!?」というきっかけを作ってあげ、それが子どもたちの興味に合っていたときには、展開は早いものです。あっという間に子どもたちの遊びに動物園に関するものが増えてきました。園庭ではバスに乗って動物園に行くと言いながら遊んでいたり、積み木で動物園を作ったりと様々です。子どもの姿から考えれば、環境を整え、少しきっかけを作ってあげるだけで、子どもが主体的に動き出します。子どもが自らやりたいと思って主体的に動いたときのパワーにはすごいものがあります。

保育士たちはさらに、下見の様子を子どもたちに話すとともに、写真や絵にしていました。子どもたちの期待感が更に高まったことは言うまでもありません。

 

 

 

 

 

 

ただひとつだけ心配なことがありました。それは、お天気です。「ここまで、盛り上がっていてもし雨が降ったらどうする?」と聞くと「多少の雨なら、レインコートを着て行きます。」答えたのは保育士ですが、子どもたちの気持ちを代弁していたのだと思います。だって、てるてる坊主まで作っていたのですから。

  遠足の日は晴れますように

畑で遊ぶ

2011/10/20

稲刈りが一通り終わった子は、もう1人の保育士と畑に生い茂った草を引き抜いたり、ひとりでに生えてきて畑を占拠してしまった瓜を収穫したりと大忙しです。

     重いから気をつけて

畑は園庭の一段高いところにあって、自然農法に取り組んでいます。と言いたいところですが、実際の所は全く面倒が見られていなくて、雑草と呼ばれる草たちが生い茂っています。ジャングルと呼ばれています。そのジャングルのなかにカボチャがゴロっとできていたり、夏にはメロンやスイカがころがっていました。あまりにも草の生え方がひどいので取ることにしたようで、子どもたちが草を引き抜いていました。みんなでどんどん抜いていったのですが、最後にとても大きくて太い、まるで小さな木のようなのが残りました。1人の子が引っ張るのですが、なかなか抜けないので、「おーい!みんな手伝って」と声をかけると他の子が集まってきて、手伝い始めました。どうするのかと思って見ていると、他の枝や幹の別の部分をもって引っ張るのではなく、2番目の子は幹を持っている子の腰を持って、3番目の子は2番目の子の腰をひっぱるという、絵本の『おおきなかぶ』のようになりました。保育士も、「AちゃんがSくんをひっぱって、をMちゃんがAちゃんをひっぱって・・・ うんとこしょ!どっこいしょ!」と声をかけるものですから、子どもたちも張り切って力いっぱい引っ張ります。1度引っ張るごとにだんだん列が長くなって、何度か挑戦しますが、まだまだ草はぬけません。「先生も手伝って!」の応援要請に保育士が少し手伝って根っこをゆるめた後にもういちどみんなで引っ張ると、今度は見事に抜けました。「やったー!」とみんなうれしそうです。

 うんとこしょ!どっこいしょ!

畑の草ひとつとることでも、これだけ楽しめてしまう、子どもの遊び心はたいしたものです。「遊びをせんとや生まれけむ」といいますが、子どもの仕事は遊ぶことです。遊びを通してこそ発達するのです。

年齢を重ねてゆくと苦しいこと辛いことの方が多くなるのか、心が堅くなってしまいがちですが、苦しいこと辛いことも、「遊び心」という調味料を使って、そのままで美味しくいただいてしまうことができる。そんな心の力を養いたいものです。

稲刈り

2011/10/19

畑の側に畳一枚ほどの小さな田んぼをつくって、稲を育てていました。ほとんど世話できなかったにもかかわらず、夏にはあざやかな緑色の葉の間から瑞穂が伸びて花が咲き、花の後にはちゃんと実が実りました。中にはカメムシの被害にあって白くなってしまった穂もありましたが、稲の力には感心させられます。
先日、そろそろ収穫しても良いだろうということで、5歳児と4歳児が、1人1束をはさみで切り取るという方法で稲刈りをしました。一通り説明を聞いたあとで、いざやるとなると、どういう順番で刈り取るのか、子どもたちは少し揉めていましたが、背の順、名簿順などいろいろな案を出し話し合いお互いに相談していました。以前はこういう場面で揉め続けて保育士が決めたりすることが多かったのですが、近頃はずいぶん話し合って自分たちで解決できるようになってきたと思います。

全員が刈っても半分近く残っていたので、どうするのかなと思っていたら、保育士が「もう1回やりたい人はどうぞ」といって子どもが自分で決められるように声がけしました。すると、もう1回やりたい子が何人か集まってきて、残った稲を順に刈っていました。
無事に収穫が済んで、今は園舎の軒先につり下げて乾かしています。乾燥したら脱穀してもみを取る作業が待っています。

植えたのは少しですし、収穫できたのはもっと少なく、実際にお米として食べられるのは本当にわずかだと思います。食べられるほどあるかどうかはわかりませんが、食べる段階になって子どもは何を思うのでしょう。稲作を通して、何を感じるのでしょう。子どもたちがどんな感想を持つのか、楽しみでもあり、怖くもあります。

毎日お参りをしている2階の祭壇の前に、収穫したばかりの稲穂がお供えしてありました。子どもたちが言い出したのか、保育士がだまって備えてくれたのか、それは聞いていませんが、その心配りをとてもうれしく感じました。

 

 

おたんじょうびおめでとう!

2011/10/18

月曜日の朝、登園途中の3歳児Kくんと一緒に園に向かっていると、同じように登園途中の5歳児Sくんが「Kくんおたんじょうびおめでとう!」といいながら駆け寄ってきて、一輪のシュウメイギクと折り紙で作ったプレゼント、誕生カードを渡しました。いきなりプレゼントをわたされたKくんは、最初キョトンとしていましたが「Kくんは土曜日がお誕生日だっていってたから、Sくんが覚えてくれててプレゼントくれたんやんか」というと、Kくんの顔がパーッと明るくなって、ちょっと恥ずかしそうに小さな声で「ありがとう」と言っていました。Sくんもうれしそうにニコニコ笑っています。周りにいた大人も思わずニコニコ。

誕生カードには、かわいらしいバースディケーキの絵が描かれており、折り紙も丁寧に折ってあります。土曜日にその日がKくんの誕生日だと知ったSくんは、それを覚えていて、週末にカードとプレゼントを作ったのでしょう。シュウメイギクは「朝家を出るときに庭に咲いていたのを取ってきたんです」と保護者がおっしゃっていました。

土曜日にともだちの誕生日を知ってプレゼントをあげようと思い、家に帰ってから作った。月曜日の朝それを渡そうと家を出たら、庭にきれいな花が咲いていたので、これもあげようと思って取ってきた。そんなSくんのあったかくやさしい気持ちの動きが想像できて、こちらの気持ちもほんわかと温かく、うれしくなりました。

誰かを思う気持ち、誰かに喜んでほしいという気持ちを子どもたちはたくさん持っているのです。そんな優しさやうれしさで心が満たされて育ってほしいと願います。そして、みんなのやさしい気持ち、うれしい気持ちが響き合い、高まってゆく。大人も子どももみんながハッピーを感じられて、心が温かくなる。いつもそうありたいですね。

ジョロウグモ

2011/10/17

この季節になると、大きなクモの巣があちらこちらで見られるようになります。巣のまん中では大きく色鮮やかなクモが獲物が掛かるのをじっと待っています。ジョロウグモです。

黄色と黒のまだら模様の足、黄色とくすんだ青緑色の模様がある背中、お腹には赤い部分もあり、かなり派手な姿です。秋の日差しを浴びて巣のまん中でどっしりと構える姿は、秋の女王といったところでしょうか。でも意外と臆病なのか、息を吹きかけたりするとすぐに逃げてゆきます。女王といいましたが、この大きくて派手な色のは雌なのです。雄は1/3くらいの大きさしかなく目立たない存在です。巣のまん中に大きな雌がいて、少し離れたところに雄がいるというところをよく目にします。雄は正面から雌に近づくと食べられてしまうので、交尾のためには背後から雌に近づくとか、交尾が終わると雌に食べられてしまうとかいわれています。

ジョロウグモは巣も立派で、直径が1メートル以上はあります。巣を作っている糸が黄色っぽいのか、光の当たり方によっては金色に輝いて見えることがあります。

先日、屋外で行われた式典に参加していたときのことです。少し離れたところにジョロウグモが大きな巣を掛けていたのが私の立っているところからよく見えました。黄金色に輝いていて、美しいなと思ってみていると、何がしたかったのか、巣のまん中にいたクモがどんどん上の方に登っていくのです。しばらく見ていると網の端までたどり着いたかと思うと、コロコロっと巣の上を転がりながら、下に落ちてしまいました。なんだかその様子がおかしくて、おかしくて、吹き出しそうになったのですが笑うわけにもゆかず、じっとこらえていました。そんなときほど笑いがこみ上げてきて、笑いを我慢するのに一苦労でした。

しばらくしてもクモは登ってこなかったのですが、その後どうなったのでしょう。クモの世界にもおっちょこちょいなのがいるんですね。

 

スクロール