園長ブログ

まねる

2011/11/25

保育園では昼食をいただいた後、お昼寝するまでの間には少し時間があり、その間に4・5歳児の掃除当番の子どもたちが、ランチルームを掃除します。机やイスを片付けて、食べこぼしがあれば小さなほうきとちりとりで掃き集め、ぞうきんがけをします。子どもたちはずいぶん手際よくできるようになりました。机は倒して足を折りたたみ所定の位置に運びます。これは5歳児が担当しています。結構重いので自分の足をはさんだりけがをしないかと少し心配になりますが、二人で息を合わせてうまくやっています。ぞうきんがけも年度当初に比べたら、ずいぶん上手になりました。ぞうきんがうまく絞れず、床をびしょびしょにしていた子も今ではきれいに拭いています。

子どもたちは、良いことでも、好ましくないことでも何でもすぐに身につけるものです。どこからそれを学ぶのでしょう。周りにいる大人や子どもからそれを学ぶのです。よく知られているように学ぶということばには「まねてする。ならって行う。」という意味があります。いつも悪いところを注意されてばかりいたら人の悪いところばかり見るようになります。やさしい気持ちで接してもらった子は優しい気持ちを持てるようになります。お母さんが料理をしている姿を見て、おままごとで料理をつくります。子どもの口調が、近くで接している保育士の口調に似てきます。ですから、子どもたちにこうして欲しいこうなって欲しいと思えば、ガミガミ言ってそうさせるのではなく、自分自身がそうするしかないのです。今、口から出そうになっていることば、行っていること、行い方、もしかしたら気持ちの持ち方まで、「これって子どもに真似をされてもよい態度や言葉づかいかな」ことばにする前、行動にする前に自分自身を振り返りたいと思います。

保育園の玄関前にいらっしゃる童形六体地蔵尊のそばにこんなことばが書かれています。

子どもはみんなほとけの子

子どもは天からの預かりもの

子どもは親の心をうつす鏡

紅葉

2011/11/24

急に気温が低くなり、日の出の前の気温が4度くらいになりました。寒くなったと感じます。今年は特に11月が暖かかったので余計に寒さを感じます。

ぐっと冷え込んだおかげで、木々の紅葉が美しくなりました。木によっては色づく前に枯れて落葉してしまったものもありますが、美しく色づいている木もたくさんあります。1本の木でも緑のまま残っている部分、黄色くなった部分、赤くなった部分に分かれていたりします。山を見ても筆で様々な色を置いたような美しさです。大きな木が色づくと、辺りが赤や黄色につつまれて、その空間全体がはなやかな雰囲気になります。そんな美しさや雰囲気を求め、たくさんの方が鞍馬にいらっしゃいます。自然の美しさは、人を魅了するのですね。

どうして紅葉するのでしょう?そのメカニズムはある程度わかっているようです。緑色の葉に含まれる葉緑素が分解される。葉の付け根に離層というのができて、水分や葉で作られた養分が枝との間で行き来しなくなり、葉にたまった糖分などが化学変化を起こしてアントシアニンやカロテノイドなど赤や黄色に見える物質を作り出すからだそうです。

でも、なぜ紅葉するのでしょう。なんのために紅葉するのでしょうか。紅葉は木にとってどんな意味があるのでしょうか、それとも意味はないのでしょうか。このことはあまりよくわかっていないようです。

子どもは、大人が当たり前と思っていることに疑問を持って質問してきます。その質問がとても本質をついていたり、ユニークな視点だったりします。子どもがこんな質問をしてきたときは、ごまかしたりしないで、一緒に考えたいものです。答えがわかっていてもすぐに答えずに、できるだけ子どもが自分で答えにたどり着けるように支えたり一緒に調べたりすると大人も楽しいと思います。いろいろなことに疑問を持つという子どもの姿勢を大人も見習うべきだと思います。あたりまえと思っていることをもう一度見直したいものです。

ムクノキ 子どもたちも

2011/11/23

組み立て途中の砂場枠

子どもたちを見守っていたムクノキが姿を変え、役割を変えて子どもたちの砂場になったこと、そうなるまでには多くの人が関わってくださったことを紹介してきました。園児の中にも積極的に興味を示して関わってくれた子もいました。保護者に手伝ってもらって本格的に砂場を掘る前日、保育士が試し堀りをしていると、興味を持って集まってきたのは5歳児のRくんとSくん。一緒にやりたくてしょうがない様子。子ども用のスコップを持ってきて掘り始めました。石混じりの土はとても掘りにくく、子ども用のスコップでは歯が立たないとわかると保育士が使っていたスコップを借りてやってみます。私は怪我をしないかと少し心配しながら見ていましたが、保育士はじっと見守るだけで、必要最小限の声がけにとどめています。

みんなで土を掘ります

子どもたちは意外と器用にスコップを使い、たまには足も使って上手に掘ります。最初は二人とも大きなスコップが使いたくて、お互いに貸してほしいと言い合っていましたが、そのうち役割分担ができ、ひとりがスコップを使って石を掘り起こすと、もう一人がうまく取り出していました。大人が何も言わなくても子どもたちはちゃんと考え、話し合ってやっているのですね。Sくんはお母さんがお迎えにいらしてもまだまだやりたそうで、お母さんもしばらく待っていてくださいましたが、興味は尽きないようです。

竹酢液を枠に塗ります

子どもがやりたいことに取り組んでいるときの集中力はものすごいものがあります。それはその子の発達にとって何かしら意味のあることだからなのです。もちろん子どもひとりひとり、そのときどきに興味の対象が異なります。(同じ時もあります)ですから、その子が今興味のあることを選べる環境を用意しておく必要があるのです。それぞれに異なる一人ひとりを大切にしたいからです。

砂場づくり当日、参加予定のなかったSくんとお母さんが来園してくださいました。Sくんのやりたい!をお母さんが大切にしてくださったのです。なんだか嬉しくなりました。

大人がたくさん動いている中で、家族の方々と一緒に参加してくれた子どもたちに保育士はいろいろな仕事を任せていました。子どもたちがいきいきとその仕事に取り組んでいたのはいうまでもありません。

砂が入って完成

 

ムクノキ みんなの力

2011/11/22

仕方なく切ってしまわなくてはならなかったムクノキの幹、しばらくはそのまま園庭で遊具の一つになっていました。そして次には砂場の枠へと姿を変えて子どもたちを楽しませてくれることになりました。ムクノキもいろいろな役割を果たし、そのいのちを輝かせてくれたのではないかと思います。

そうなるまでには、いろいろな人が関わってくださいました。木を切ってくださった方、大工さん、お寺のみなさん。そうしてできあがった砂場の枠が、その役割存分に果たすために大きな力になってくださったのが、保護者のみなさんです。

せっかくできあがった枠をそのまま置いておいてもなんにもならないので、早く穴を掘る必要がありました。保護者と一緒になって作り上げたい!という思いが強くその機会を作ろうと考えました。保護者に来園願って作業をしていただくなら、お仕事が休みの方が多い日曜日ですが、候補となる日が少なく、卒園生が集まった同窓会の日の午後に行うことにしました。

急な依頼になったにもかかわらず、お父様方が何人かの方が集まってくださいました。案内文はお父様方に宛てたものでしたが、力仕事だからといって男性に限ることはないと思い「お母さんで参加していただける方はどうぞ」という一文を加えたら、参加してくださったお母様もいらっしゃいました。

いよいよ作業開始です。先ずはお父様方と男性職員、お手伝いをお願いしていたお寺の方で穴を掘ります。そのあいだ、お母様方、一緒に参加した園児たち、同窓会のあと園に残って遊んでいた小学生が枠に竹酢液を塗ります。園児達も喜んでやっていました。

20センチくらいの深さまでは砂なので、穴掘りは簡単に掘り進めることができましたが、そこから下は石混じりの土で、少し手強くなりました。何人かで同時に作業をするとなぜかペースが上がって疲れやすいので、交替で少しずつ行います。竹酢液を塗り終わったお母様もスコップを持って加わってくださいました。保育士も同窓会の片付けが終わった人から参加してくれました。みんなの力が合わさるというのはすごいものです。どんどん穴が深くなってゆきます。こうして50センチくらいの深さまで掘ることができました。水はけが良いように底に砂利を敷き詰めます。最後に枠を10センチほど埋め込むために所定の位置に置いたあと枠の下にある土を少しずつ堀り崩して枠を沈めます。水平になっているかどうか見ながら、少しずつ沈めて予定していた高さに落ち着きました。完成です。皆で汗を流した後はとても気持ちがよいものです。

片付け始める頃には辺りは薄暗くなっていました。砂場づくりに参加し力を貸してくださった保護者のみなさんありがとうございました。当日参加したくてもできなかった保護者もいらっしゃると思います。また次の機会や違う形で関わっていただければありがたいです。できる人が、できるときに、できるようにやる。無理をしない方が良いと思います。

ムクノキのいのちが輝くことをきっかけに、関わった人々のいのちも輝いたのではないでしょうか・・・

ムクノキ 変身

2011/11/21

砂場の枠に変身してもらうことになったムクノキの幹、そのままでは使えないので、知り合いの大工さんに相談してまずは製材することになりました。そのためには大きな丸太を園庭から運び出して製材所に持ってゆかなくてはなりません。保育園の職員ではとても手に負えないので、お寺の管理部のみなさんにお願いしました。どうして園庭の外に引き出してトラックに積むのかと思っていると、まず幹を少し持ち上げて下にコロと呼ぶ細い丸太を何本か入れ、幹に掛けたワイヤロープを軽トラックで少しずつ引っ張ると、細い丸太が転がって上に乗った幹が動く、という方法でうまく園庭の外に出してくださいました。パワーシャベルで吊り上げてトラックの荷台に積まれた幹はそのまま製材所へ。2時間ほどしてもどってきたときには、細長い材になっていました。大工さんによるとこのままでは使えないのでしばらく乾燥させないといけないとのこと。1年以上も園庭に置いておいたので、ある程度乾燥しているかと思ったら、そんなことはないようです。

製材されたムクノキ

約1ヶ月乾燥させると、ひび割れができたり反ったり製材したときとは随分形が変わっていました。枠になるように加工するのですがその前にもう一度製材所へ運んで反りを修正してからでないとうまく行かないということで、再度製材所で修正してもらった後に、加工を大工さんに依頼しました。

2週間ほどして各パーツに加工できたので、それを園庭に運んで四角く組み立てます。加工された材料を見て驚きました。きれいに磨かれまるで家具のようになっているのです。色もオイルステンかニスを塗ったような味わいのある色になっています。これは、防腐作用のあるものを塗っておいた方が良いと思って塗ってもらった柿渋の色でした。強力な防腐剤はいろいろとあるのだと思いますが、子どもがさわることを考えて天然の材料からできたものをということで柿渋を塗ってもらったのです。外に置いてしまうのはもったいないような仕上がりです。

美しく加工された部品を園庭に運んで、組み立てです。完成したときに、角が丸くなるように加工してあり、組み立て方もなるほどと思うやり方でした。日曜日の午前中かかって組み上げた砂場の枠はとても立派なものになりました。翌日登園してきた子どもたちは、大きな木枠を見て、「これなにー」といいながら上に登ったり、中に入ったりして遊んでいました。あとは穴を掘って砂を入れるだけです。

ムクノキ そして

2011/11/20

園庭のムクノキは薄い黄色の葉をたくさん落として、すっかり冬支度が整ったようです。枝の先には小さな実がなっていて食べることができるのですが、実のつく枝が高いところにあるので、採ることができずあまり食べることはありません。

高いところが枯れて危なくなったので切り、芽が出るかと思って残していた幹からは芽が吹かず、それも切り、切った幹を園庭に置いたら、子どもがテーブルやベンチにしたり、平均台のように渡ったりして楽しみました。そうして園庭の一部となっていたムクノキの幹ですが、1年ほどが過ぎ「いつまでもこのままにしておくより、次に何かに活かせないですか」との保育士の提案に、みんなでいろいろと考えました。輪切りにしてベンチとテーブルにするという案も出ましたが、それは最初に切った幹の上の方の部分で既に作って園庭に置いていました。

現在、当園には砂場がありません。2年ほど前になると思いますが、古くなった固定遊具を撤去して、新しくすべり台、のぼり棒、鉄棒を設置したときに砂場も埋めてしまっていたのです。今年の春に保育士から園庭に砂場がほしいという要望が出ていて、カタログから既存の製品をいろいろと探したのですが、あまり適当なものが見つかりません。どうして砂場を作ろうかと考えていたときに、園庭で充分に役目を果たしたムクノキの丸太をどうしようかという話が出てきて、この二つが結びつきました。ムクノキで砂場の枠を作ろう!

方向性が決まると、いろいろなアイデアが出てきます。どうせ作るならできるところは自分たちでやろう。せっかくなら保護者にも手伝ってもらおう。そんなこんなで、ムクノキ砂場プロジェクトが動き出しました。とてもゆっくりですが着実に…

砂場のプランを考えていたときに、ただ枠を置いて砂を入れるだけなら簡単だけれど、子どもが深く掘りたくても掘れないし、地面を掘って砂場を深くすることはできるが、水はけはどうなるのだろう。いろいろな疑問が出てきました。しかし、そこで考えてばかりいてはプロジェクトが前に進まないので、基本に戻りました。「子どもが思いっきり遊べる砂場にしたい!」それなら地面を掘って深さを出そう。園庭の土の質も掘ってみなくてはわからないし、ダメならまたそこでどうするか考え直せばよい。よく言われることですが、先ずはやってみることですね。考えてばかりでは何も前に進みませんから…

 

 紅葉が美しくなってきました

ムクノキ その後

2011/11/19

短くなってしまったムクノキ。離れたところから見ると、園庭に太い丸太を立てたように見えて格好は良くなかったのですが、8メートルくらいという高さにしてもらったのには私なりの意味があったのです。ちょうどそのあたりから幹が大きく二つに分かれており、その分かれたところを残しておけば、そこから新しい芽が出て再び葉が茂り枝が伸びるといいなと思ったのです。以前太い幹を切られたケヤキがそんなふうに切り口から芽を出し葉を茂らせているのを見たことがあったからです。

早く新しい芽が出ないかな、と思いながら頻繁に切り口を見ていましたが、全くその気配はありません。木を切ったのが11月、冬に向けて新しい芽は出そうにないので、きっと春になれば芽を吹くだろうと期待をしていました。しかし、桜が咲いても新緑の頃になっても一向に芽が出てくる気配はありません。夏には太陽がギラギラと照りつけ、去年までムクノキが作っていてくれた木陰のありがたさを思い知りました。1年以上待ちましたが、結局切り口から芽が出ることはありませんでした。そのかわり、その一段下の枝には、これでもかというくらいに葉が茂りました。今考えると、幹を切ったときに下の枝も少しだけ切っておけば、そこに木のエネルギーが集中することなく、幹の切り口から芽が出ていたのかもしれません。

自然は人間の思うようになんてならないものです。それぞれにいろいろな条件や理由があって、そうなっているのです。子どもだってそうです。大人の思うようにしようなどと考えると、思うようにならないからと、イライラしたり、ストレスに感じてしまうのです。第一そんなの子どもが楽しくありません。まずは「まあ、そんなものだな」と思って現実をそのまま受け止めることが大切です。お互いの幸せのためにも…

次の夏ごろ、元気に葉を茂らせていた一番下の枝のすぐ上からもう一度幹を切りました。切り落とされた幹は、子どもたちが遊ぶだろうと思って園庭にそのままにしておきました。新しいものには子どもたちはすぐに興味を示し、その上を歩いたりして遊んでいました。

ムクノキ

2011/11/18

園庭に大きなムクノキがあります。今のように園庭が広がる前はフェンスの外側でしたが、防災工事にともない園庭が広がったときに庭の一部となり子どもたちとの距離も近くなりました。幹のまわりは2メートル強、高さ20メートルくらい、樹齢100年以上はありそうなとても大きな木です。夏には大きく広がった枝が庭に木陰を作り、秋には黄色く色づいた葉がまるで雪が降るように舞い落ちて目を楽しませてくれます。子どもたちは落ち葉をつかって様々にあそびますし、掃き集めた落ち葉で焼きいもを作ることもあります。以前大きな幹に抱きついて木に何かを話しかけている子もいました。そんなふうにして、いつも子どもたちを近くでそっと見守り、様々なめぐみを提供してくれていましたムクノキです。

5年ほど前から、夏の葉が茂る時期に葉をつけていない枯れた枝が高いところに目立つようになってきました。枯れた枝が落ちてくると危ないと思って気をつけていましたが、ある日大きめの枯れ枝が園庭に落ちているのを見つけました。子どもが遊んでいるときに落ちてきては大変なので、いろいろと対策を考えましたが、やはり枯れてきている部分を切るしか方法はなく、樹木の管理を専門に行っていらっしゃる方にお願いして切ってもらうことにしました。といっても15メートルもある高い部分、しかも大きな枝が四方に広がっているのをどうして切るのだろうと思っていたのですが、その方は直接木に登り枝をひとつずつ切ってゆきます。しかし、ただ切り落とせばよいというものではありません。下にはお寺の山門もありますし、第一大きな枝が落ちてきたらとても危険です。

まずしっかりした枝や木の股をえらんでロープを引っかけ、そのロープの先を切り離す枝に結びつけます。そうして枝を切れば、引っかけたところを支点として枝がロープで吊り下げられるので、ロープをゆるめながらゆっくりと下ろしてゆくのです。どこにロープの支点をもってくるのか、切る枝のどこにロープを結ぶのかはとても難しく、変なところに結ぶと切った枝が落ちてしまったり大きくスイングして切った人にぶつかるかもしれません。そうなれば、命にかかわることです。作業を見ていましたが、みごとな手際です。高い木に登るだけでも怖いのに、その上で動き回りながら作業をするのですから、考えただけでも恐ろしくなります。そんなところで適切な位置にロープを結び、枝を一本ずつ切り離してゆき、枝のなくなった幹の上の部分は、落ちる方向を考えて切り落としていました。木が大きかったので作業に丸1日かかりましたが、ずっと見ていたのを覚えています。

そうして、地上から8メートルくらいのところまでを残して上の部分がなくなってしまいました。少し寂しく、木に申し訳なく思いましたが、子どもが怪我をしてからではおそいので、しかたありません。そんなふうにして大きかったムクノキは短くなってしまいました。

お十夜

2011/11/17

洛東に鈴聲山真正極楽寺という天台宗の古刹があり、真如堂とも呼ばれています。永観2年(984)比叡山の戒算上人という僧が、「京に出てすべてのものに利益を施す」という如来のお告げによって、比叡山常行堂の阿弥陀如来を東三条女院(藤原詮子)の離宮に遷座奉安されたのがそのはじまりといわれています。

毎年11月5日から10日間にわたって「十日十夜別時念仏会」、通称「お十夜」と呼ばれる法会が厳修され、十日十夜に渡って鉦が響き念仏が唱えられます。11月15日はその結願法要が行われ、その法要に園児がお練りの行列に加わって本堂でお参りをするという形で参加させていただいています。もともとはお寺のご縁で始まったのですが、少なくとも50年以上にわたって園児がお参りさせていただいています。

真如堂はもみじの名所としても知られ、いつもお十夜の結願法要の頃は境内が赤や黄色で満たされとても美しいのですが、今年は暖かすぎるのか紅葉は始まったばかりでした。少し色づき始めたもみじをくぐって行列は本堂に入ります。

十五間四面欅作りの本堂には十夜鉦と呼ばれる鉦が大きな音で鳴り響き、普段鞍馬のお寺に参りするのとはまた異なった雰囲気ですが、子どもたちは堂々と行列に加わり法要中も熱心にお参りしていました。法要の最後に僧侶方が、「南無阿弥陀仏」と唱えるところがあるのですが、何人かの園児は合掌して同じように「なむあみだぶ」と唱えていました。子どもたちは普段から手を合わせたり、お参りをしたりしてるから自然とそうしてしまうのだと思うと、日々をどう過ごすのかが本当に大切なのだと改めて感じました。

     法螺貝にも興味津々

 ○十夜法要

永享年間(1429〜1440)足利幕府の執権職にあった伊勢守貞国という人がいた。貞国は若年より深く阿弥陀仏を信仰し、念仏の行を修していたが、あるとき世の無常を憂えて、真如堂に参籠して三日三夜の念仏を唱え、それが終われば髪を剃って出家しようと決心して念仏を始めた。三夜通夜して、いよいよ剃髪する日の明方、貞国がまどろんでいると、枕もとに僧が立ち、「出家するにはまだ早い。お前にはやるべき事が残っている。髪を剃るのは三日待て」という。

 

  本道の周囲を行列します

翌日になって、お上に召し出され、舎兄に代わって家督を相続するよう申しわたされた。そして三日後に家督を相続した。考えてみれば夢のお告げの通りである。貞国は感謝の意をこめて、三日三夜に加えて七日七夜の念仏を行った。その後、貞国の家は繁栄した。これが十夜念仏の始まりであるとされている。(真如堂縁起より)

現在も11月5日から15日の10日間に渡り修されている。この期間は十夜鉦といわれる鉦が鳴らされ、大勢の参拝者で賑わう。

同窓会

2011/11/16

当園を卒園した子どもたちが、同窓会と称して年に一度保育園に集まる日があります。今年は11月13日日曜日に行いました。小学校1年生から中学校2年生まで約130名に案内を出したら70名あまりの参加がありました。違う小学校に行ってしばらく会っていない友達と会えて喜ぶ小学生。中学生も部活動の時間などをやりくりして来てくれました。部活動があるけれども、練習の始まる時間までだけでも参加するという子もいました。みんな久しぶりに懐かしい顔を見るのは嬉しいものです。みんなそれぞれに成長して、町で会ったらきっとわからないだろうなと思う子もいます。送迎していらっしゃる保護者に会えるのも楽しみのひとつです。東京に引っ越した子がわざわざ来てくれた年もありました。退職した職員にも声をかけます。

みんなで集まってゲームをしたり、保育園の頃を思い出すような遊びをして楽しんだあとは、全員で昼食をいただきます。昨年まではケータリングサービスを利用していましたが、今年は調理員が「みんな保育園に来て友達や先生に会い、保育園を懐かしんでいるのだから、昼食も懐かしんで欲しい」といって、朝早くからカレーを作ってくれました。

特にこれといったことがあるわけではなく、みんな集まるだけなのですが、なぜかそれが楽しいのです。昼食の後しばらく遊んで解散するのですが、解散後も園で遊んでいく子や、久しぶりに会った友達の家に遊びにいく子などもいるようです。

中学生のひとりに「学校はどう?楽しい?」と聞いたら「楽しくてしょうがない」といっていたので、こちらも嬉しくなりました。小学校へ行っても中学校へ行っても、みんながいきいきと自分の道を歩み、自分を活かす。そのことで他の誰かを幸せにできる。そんな生き方をしてくれたらいいな。なによりもその子自身が輝いていてくれますように。たくましく成長した懐かしい顔を見ていたら、そんな気持ちがあふれてきました。

 

 

木々が少しずつ色づいてきました。鞍馬の紅葉をお届けします。

 

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