園長ブログ

働く

2012/01/04

お正月にはいろいろな方と久しぶりに会う機会が多く、1年ぶりにお目にかかる方もいらっしゃいます。そんな方々ととお話をするといろいろなことが聞けます。

大手電気製品メーカーに部品を納入するお仕事をされている方とお話をする機会がありました。その方のおっしゃるには、大手メーカーから提示される条件がどんどん厳しくなってきているそうです。コストダウンは当然のことながら、今まで1ヶ月だった納期が3週間に短縮されているそうです。ですから、現場で品質の高いものを丁寧に作りたいと思っても、納期が短すぎて丁寧に作れず、その結果不良品の出る率も上がってしまうということも起こるそうです。そこを企業努力で何とかしてきたのが、今までの日本の企業なのでしょうけれど、それもそろそろ限界にきているのではないでしょうか。テレビなどではこういう話題が取り上げられることがありますが、体験として実際に聞くと、現実の厳しさが伝わってきます。

厚生労働省が昨年12月14日に発表した2011年のパートタイム労働者の総合実態調査によると、従業員に占めるパート労働者の割合は27.0%となり、06年に実施した前回調査では25.7%と上昇したそうです。その理由としては、前回より比率は下がったものの労働コストの効率化があがっています。

コストダウンばかりが優先されて、人が働くことの意味や働きがいといったこと、働くことを通して自己実現することなどはどう考えられているのだろうと思います。

当園では、職員がそれぞれ自分の良いところを発揮していきいきと働けることを目指しています。職員も仕事を通じて輝いていて欲しいと思います。そうであるためには、一人ひとりの努力が必要です。今年は職員一人ひとりがより輝くことができるようみんなで力を合わせてゆきたいと思っています。

あまざけ

2012/01/03

お寺の本殿の近くでご参拝の方に甘酒がふるまわれていました。毎年1月3日にご奉仕の方々が朝から甘酒を作って、ふるまっていらっしゃるのです。

山を登って来られた方々には喉の潤いになりますし、お参りを済まされて少し身体が冷えたと思われる方には暖まっていただけますし、参拝者にはとても喜ばれています。この甘酒がとてもおいしくて、私も何度もいただきました。

熱い甘酒にショウガを入れて、フーフーいいながら飲むと身体が温まるというイメージが強いのですが、昔は甘酒は夏の飲み物で、夏の季語にもなっているそうです。ブドウ糖と様々な種類のビタミンが含まれている甘酒はいわば栄養ドリンクで、暑気払いや夏バテを防ぐために飲まれることが多かったようです。

朝9時頃から午後3時頃までのあいだに1,500個用意していただいた甘酒の紙コップが全てなくなりました。大勢の方が召し上がってくださったのです。ほとんどの方が「おいしかった」と喜んでくださっていたようです。参拝者の喜びの声を聞き、笑顔に接することができるので、「お参りの皆さんに喜んでいただいて嬉しかった」とご奉仕の方々も喜んでくださっていました。甘酒をふるまうことによって、参拝者に喜んでいただけるし、ご奉仕の方も嬉しい。そんなみんなが嬉しくなれる場(空間)と間(時間)を提供できることが、お寺としての喜びだと聞きました。甘酒を結び目としてみんなが喜ぶことができる。その喜びの時間と空間がより良いものとなるために、ご奉仕の方々が気持ちよく動けるよう、参拝者の方々がゆっくりと甘酒を召し上がっていただけるよう、お寺の皆さんは、心を込めて全力で準備をしていらしゃいました。

いろいろなところに、みんなが嬉しくなれる場所や時間(機会)が増えるといいですね。

いのり

2012/01/02

今年は穏やかな元日を迎えることができました。昨年は大晦日から降り始めた雪がたくさん積もって気温も低かったのですが、今年は雪もなく暖かでした。お寺の本殿前から東の方に比叡山を臨むことができ、比叡山から昇る朝日が美しいので、初日の出を拝もうと7時前からたくさんの方々が待っていらっしゃいました。しかし、あいにく空が雲に被われていて、昇ってくる太陽を拝むことができませんでした。雲に隠れていても太陽は雲の上でちゃんと輝いているのですが、やはり輝きを拝み、光に包まれたいものです。

初日の出に限らず、お正月にはたくさんの方が鞍馬のお寺にお参りされます。大晦日の深夜から登山し、除夜の鐘を撞いて元朝早々に本殿にお参りされる方、毎年決まった日の決まった時間にお参りされている方、家族そろってお参りされる方もいらっしゃいます。ご参拝の目的は、無事に過ごせたことに対するお礼であったり、心願の成就を祈っていらっしゃったり、お札やお守りを授かるためなど様々ですが、いらした皆さんは真剣に祈っていらっしゃいます。

お寺のことをしていると、様々な方の様々な願いに出会うことが多くあります。ご自身や家族の健康や安全に関する願い、お仕事や学業に関する願いが圧倒的に多いのですが、中には「みんなが幸せになりますように」とか「世界が平和になりますように」という願いもあります。みなさんの願いがかない「みんなが幸せになれる」ことを祈ります。

      いのりのともしび

     雪が降っても…

 

新しい年を迎えて

2012/01/01

平成24年の新しい年を迎えました。昨年は3月には東日本大震災と原子力発電所の事故、9月には台風12号による災害など日本国内だけでも大きな災害や事故が多発した年でした。世界各国でも大規模洪水や大地震などの災害がたくさん起こっています。また、欧州の信用不安をはじめ災害以外の様々な危機が世界を被い、今までの物事のあり方や価値観が大きく揺さぶられている気がします。

自然災害が起こるのはどうしようもないのですが、自然に対抗するような形で考えられてきた防護策は、自然の力の前にはあまりにも脆かったことを思い知らされました。原発事故は、今まであまり気にせずに使ってきた電気とそれに依存しきった私たちの生活のあり方に疑問を投げかけています。

私たちが、お金という実体のないものをあたかも最も大切なものかのように追い求めてきた結果、本来何の価値もない記号であるはずのお金が、現実を離れて膨れあがり、まるで最も価値があり一番大切にすべきものかのようにふるまうようになってしまいました。私たちが気付かないうちに今までの価値観やシステムが限界に来てしまっていることを、経済危機は示唆しているように思えます。

昨年、起こった様々な危機を目の当たりにして既存の価値観に疑問を持ち、新たな価値を見いだそうとしている人が多いようです。本当に大切にすべきもの、価値ありとすべきものは何なのでしょうか。今年はそのことについて深く考える年ではないでしょうか。

鞍馬山保育園は、「みんなのいのちが輝く」を理念に掲げています。「みんなのいのちが輝く」とは、大きくは人間や動植物はもちろん無生物にいたるまで、その存在意義と役割がより良く発揮できるという意味です。人間について言えば、お互いが認め合い、人々が排除や否定されることなく、それぞれの良いところを活かして共にいきいきと生きられることです。

そうできるように、まずは大人がお互いに認め合うよう努力しなくてはなりません。ついつい自分の意見だけが正しいと思い込み、人にそれを押し付けようとしがちですが、お互いに心を開いてフラットに意見交換を積み重ねられるようになれると良いと思います。

そして、園児たちが大人になった時にそういう社会を築いてくれることを願い、保育園でとても大切な時期を過ごす子どもたちが、

  • 自分を発揮していきいきと過ごす。
  • 友達とお互いを認め合う。
  • 意見を交わしながら一緒に何かに取り組む。
  • そして、そうすることがとても楽しい。

そんな経験をたくさんしてほしいと思っています。

まずは大人が見本になりたいものです。それは、決して派手なパフォーマンスや特別なものではなく、私たちの毎日の生活そのものなのです。あらゆる場面で自分の言動や想いまでもが「みんなのいのちが輝く」に向かっているのか、常に心のとめておくことです。日々何をどう考え、どう生きてゆくかを常に自分に問い直すのです。「本当に大切なことは何か」を考え、そのことに生きる年にしたいものです。

山の朝

2011/12/31

年の瀬を迎え、今年1年間のご守護への感謝と迎春のお供えのために、夜明け前から鞍馬山の中に点在するお堂やお社などを巡拝しました。

空が少し明るくなり始める頃、奥の院方面に向けて出発。気温は氷点下1度。懐中電灯を消すと真っ暗なのですが、その暗闇が暖かく柔らかに包み込んでくれるように感じます。お参りしながら山頂に近いところまでくると、少し空が明るくなってきました。

目線を上の方に移すと、木々の枝が黒い影となって覆いかぶさってくるかのようです。その枝にうっすらと積もった雪が夜明けの薄明かりを集めて白さを際立たせています。凛とした空気に身も心もキリッと引き締まると同時に、ありがたいというのか、嬉しいというのか、暖かな感じで心が満たされてゆきます。未明から降り出した雪がしんしんと降り続いています。

地表近くまで岩盤がある地質のために根を地中深くはることができない木々が地表に根を露出させている場所があり、木の根道と呼ばれています。地表を這うようにうねる根に雪が積もり、明け切らぬ空からの淡い光にとても神秘的な光景を見せてくれています。今このときこの場所でしか巡り会うことのできない、一期一会の山の姿です。

こうして朝の空気の中に身を置いていると、心がスッと落ち着いてきて、この一年間いろいろなことがあったけれど今こうしてここにいることをありがたく感じます。人の良くないところばかりを見て批判したり、自分の思うようにならないといって腹を立てても、結局、自分も周りも苦しめるだけなのに、なかなかそこから離れられない自分、ふととらわれなくなっている自分、いろいろな自分を見つめさせていただいた年でした。

多くの方に支えていただき、導いていただいたおかげで今があるということを改めて感じます。ありがとうございます。

職員面談

2011/12/30

園の職員一人ひとりと面談する時間を取ることがあります。しばらくできていなかったので、今月は何日かかけて全員と話しをしました。わずか13人の職員ですが、普段それぞれに忙しくしていてゆっくりと話す機会が少ないので、敢えて勤務中に時間を作って面談しています。特にこれといったむずかしいことを話すのでもなく、まして園長がお説教することはなく、職員の近況や、困っていることがないかを聞いたりするだけです。それでもみんないろいろなことを話してくれるので、話し出すと1時間くらいすぐに過ぎてしまいます。勤務中は時間が取りにくいからということで、勤務終了後に長い時間話し込んだ職員もいました。

以前は面談をすると、私が言いたいことをたくさん言ってしまうという構図になりがちだったので、今回はできるだけ聞き役に回り、傾聴することを心がけたつもりですが、それでも話しすぎたかもしれません。

何人かと話をしていくうちに、1人の職員が課題だと思っていることが他の職員も同じように課題だと思っていることに気付きました。みんなの課題が共通してきたのです。これってとても進歩したということなのでは?とちょっと嬉しくなりました。

先ずは職員同士が、心の壁を全て取り払い、お互いに相手の気持ちや意見を受けとめ、認め合えるようになり、遠慮せずに想いを伝えられる関係になれると良いと思います。なぜなら、子どもたちがお互いを認め合い、意見を交わしながら一緒に問題可決できる人に育って欲しいと願うからです。そのためにも、まずは保育者が見本となるべきです。そして、鞍馬山保育園が大切にしている価値を職員みんなで共有し、形にして表してゆければ、こんなに嬉しいことはありません。これからの道のりの方が大変かもしれませんが、きっと大丈夫!と信じ、こつこつと取り組んでゆきます。

そのためにも、先ずは私がみんなの想いをできるだけ丁寧に受けとめ、感情を使うことなく、自分の考えを丁寧に伝えてゆく努力をしようと思います。少しずつ、少しずつ、チームができあがってゆく過程をみんなで楽しみながら、もっと楽しくなってゆけることを信じて。

大掃除

2011/12/29

先日、子どもたちが園の大掃除をしていました。いつもは園庭のおもちゃを洗って片付けているのですが、今年は雪が残っていて園庭のことはできません。5歳児が靴箱にたまった砂を掃き出していました。子どもたちは自分の靴箱に園庭で見つけた木の実や、自分で作った泥団子などを入れていることがあるので、まずそれを各自が片付けてから、担当をすることになった5歳児が小さな箒で掃きます。また、室内の各自の着替えや持ち物などを入れているところを整理してきれいに拭きます。どこを掃除するにしても子どもたちは、きれいになるのが嬉しくて真剣に取り組んでいます。きれいになることが気持ちいい。という感覚を子どもが身につけてくれるといいなと思います。

大人も手分けして園内をきれいにします。お掃除リストが私の机の近くに貼ってあって、できたところからチェックをつけてゆきます。私が仕事をしているといろいろな職員が入れ替わり立ち替わりやってきてはリストにチャックをつけてゆくので、どんどん掃除ができてきれいになっていくのがわかります。リストに全てチェックがついてすっかり園内がきれいになりました。

残るのは私の机の周りだけです。ついつい後回しにしてしまっている仕事が山積みになっているので、それを片付けてから掃除です。掃除するのは好きなので、掃除し出すと細かなところまでするのですが、ときどきするのではなく、毎日とか毎週とか決めたときに必ずするようにしないと、すぐに後回しにしてしまいがちです。いろいろなものごとを、こつこつと続けて行うことが大切なのですね。お寺で、掃除をするときは「心もきれいにする。」と思いながらしなさいと聞いたことがあります。放っておくと埃や塵がつくのは物だけではありません。毎日自分をふり返って心の塵を払うことを忘れずにいたいものです。

お寺で発行している小冊子に「お掃除十箇条」というのがあるので、紹介します。

お掃除十箇条
一、 「一掃除・二看経・三学問」といわれ、掃除は修行のはじめ、生活の基
二、 掃除は仏教語で「そうじょ」、取り払うことであり、心の塵も取り払う
三、 掃除の道具を上手に使おう
四、 掃除の要領は整理整頓から
五、 角ずみから始めよう、まん中はひとりでにきれいになる
六、 動かせるものは移動して、後ろも下もきれいにする
七、 際(ものの区切りのところ)をきれいにすると仕上がりが美しい
八、 階段は蹴込みもきれいにすることを忘れずに
九、 住まいも、身も、心も美しく
十、 清く明るいところに福が来る

おもちつき

2011/12/28

毎年恒例のおもちつきをしました。といっても、お寺で行っていらっしゃるお餅つきに毎年参加させていただいているのです。お寺ではお正月にお供えするお餅をついて作っていらっしゃいます。その合間に3・4・5歳児と遊びにきていた小学生がが参加して、三臼分のお餅をつかせていただきました。蒸し上がった餅米が運ばれてきて、白い湯気を上げながら臼に入ると「うわー!ごはんや!」「白いごはんとおんなじやな。」「ちがうで!あれは餅米っていってお餅になるごはんなんやで。」子どもたちが様々な会話を交わしています。

最初はお寺の方がついてくださいます。それを見ていると、お米の形がだんだんなくなって、粘りが出てきます。つくたびに湯気がふわっとあがり、その湯気が漂ってくるとほんのり甘くていい香りがします。「いいにおい。お腹がすいてきたな。」と子どもの声がします。

ある程度お餅の姿になってくるといよいよ子どもたちの出番です。3歳児4歳児は、保育士にいっしょに杵を握ってもらって数回つきました。5歳児も昨年までは、同じように手伝ってもらいながらついていましたが、子どもが自分でつく経験をさせてあげたいという保育士の発案で、子ども用の杵を用意してそれを使って自分たちでつきました。最初はうまく行かなくて臼の縁にコツンとぶつけたりしていましたが、何度かつくうちに慣れてきました。ただ、お餅が杵にくっつくので、重くて持ち上がらない子が多かったようです。しかし、どの子も大人の助けを借りることなく、十数回つくことができました。最後はお寺の方につきあげていただいて、お餅つき終了。

今度は、そのお餅をそれぞれに丸めます。一人分に小さくちぎり分けてもらったお餅をさらに小さくちぎり、少し粉をつけてみんな上手に丸めてゆきます。泥団子作りの要領なのでしょうか。小さなお餅をたくさん並べている子もいました。自分で丸めた、何もつけないお餅を口に入れてしばらく噛むと、良い香りとほのかな甘さが口の中に広がります。「お味はどうですか」と聞くと子どもたちは口々に「あまい!」と言っていました。調味料の味ではなく、お米そのものの味を感じているようです。

お餅そのものを味わった後は、あんこをつけたお餅ときなこをつけたお餅にたくあんのおつけものとみかんをいただきました。きなこが苦手な子がいたり、あんこが苦手な子もいますが、お代わりをしている子もいます。みんなとっても満足し、お寺の方にお礼を言って帰ってきました。

明日から年明けまで、しばらくお休みに入ります。「良いお年を」の挨拶を交わして、園児たちは帰って行きました。お正月に元気な顔に合えるのが楽しみです。

雪かき

2011/12/27

真冬の空気がやってきて、急に寒くなりました。天気予報が大雪への警戒を呼びかけています。鞍馬の昨日までの積雪量はそれほどでもありませんでしたが、今日は朝から雪が降り続いています。気温は低く、朝方で氷点下3度くらい、日中でもほぼ氷点下のままです。

雪が降ると、雪かきが待っています。昨晩のうちに少し降ったようで、今朝はうっすらと積もっていました。雪かきも、積雪量によって道具を使い分けます。うっすらと積もったときは、竹箒で掃くのが楽に早くできます。3センチから5センチ以上になるとホームセンターなどで手に入る雪かき専用ツールが便利です。ただし、これらはふんわりと積もった雪用です。踏み固められたり、一度とけたて固まったりした雪には、本格的なスコップや、つるはしが必要になってきます。昨冬にはつるはしやスコップで氷を割りながらの雪かきを何度もしました。

気温は低いので、とても寒いのですが、雪かきをして身体を動かすとすぐにあたたかくなってくるので、調節しやすい服装が必要です。ただし、指先はいつも冷たいので動かしにくくならない程度に手袋を重ねています。

今朝はうっすらと積もっていただけだったので、箒で掃いて比較的楽に済ませたのですが、その後にまた降ったので、7時過ぎには雪かきする前よりもたくさん積もっていました。一番がっかりするのは、汗だくになって雪かきをして、一定の範囲を仕上げたと思ってふり返ったら、後から降った雪がたくさん積もって、雪かきをする前と変わらなくなっているときです。

どけてもどけても、あとからあとから積もってくる。まるで、払っても払っても心に積もる塵のようです。心の塵を払うつもりで雪をどけるようにといわれますし、良い運動にもなり良い汗をかくことができ、たまには気持ちよいものですが、毎日となるとつらいときもあります。しかし、鞍馬に降る雪くらいで大変だと言っていたら、豪雪地の方に叱られますね。

ここから車で30分くらい北に行ったところはもっと雪が多くて大変です。そこから通勤している職員が、昨日家に帰ったら駐車場が雪に埋もれて車を入れることができなかったので、除雪機を使って除雪したといっていました。各家庭にエンジンの力で除雪する除雪機があるほど雪が降るのです。

雪かきなど、大変なこともありますが、冬は寒くて雪が降り、梅雨には雨が降り、夏は暑い、毎年順調に季節が巡ってくることが大切なことなのだと思います。

サンタクロース

2011/12/26

子どもたちにとって、クリスマスの一番の楽しみは、サンタクロースが運んできてくれるプレゼントでしょう。サンタクロースは、聖ニコラスという聖人がモデルだといわれています。

今年のクリスマス、子どもたちのところにはサンタクロースはやってきたのでしょうか。

保育園には毎年サンタクロースがやってきます。「えっ、お寺の保育園なのにサンタクロースが来るの?」と思われるかもしれませんが、鞍馬のお寺の教えには、宗教や民族、人種の違いを超えて共に祈るということがあります。子どもたちのより良い育ちを願ってサンタクロースも来園してくださるのです。今年はカナダ出身のからだの大きなサンタクロースがやってきてくださいました。実は知り合いの方が子どもたちのためにサンタにプレゼントを託してくださっているのです。ここ数年来てくださっている方は日本で教会のお仕事や英語の先生などされている方で、サンタの衣装を着てひげをつけると、からだの大きさや顔立ちと相まって、絵本や写真で見るサンタクロースそのものです。

クリスマス会の最中、鈴の音と共にサンタクロースが現れると、「ホントにサンタなん?」と疑っていた5歳児も目を丸くしていましたし、0・1歳児は口を開いてぽかんとしています。サンタクロースに質問をする時間がありました。「なぜ赤い服を着ているの?」「この服はとても暖かいんだよ。」「どうやってここまで来たの?」「トナカイの引くソリにのってきたよ。」「トナカイはどこ?」「今、空の上で待ってるよ。」子どもたちの質問に、サンタクロースさんは穏やかに優しく答えてくださいました。子どもたちの心の中に、ファンタジーの世界が広がっているのが感じられて嬉しくなりました。

一人ずつ小さなブーツのプレゼントをもらって。「来年も来てね!」とお願いすると「ちゃんと野菜を食べて、いい子にしていたらまた来るよ!」と言ってサンタクロースは帰ってゆきました。その日の給食は野菜の苦手な子も、頑張って野菜を食べていたそうです。子どもたちって素直ですね。

いろいろな方に支えられて、子どもたちの心の中にステキな思い出が重なってゆきます。

 

 

スクロール