園長ブログ

チャレンジ体験 4

2012/01/14

      中学生の写経

お寺に職場体験に来ている中学生の活動についてお伝えしています。前回は、午前中に行っている写経などの様子を書きましたが、午後は日によって内容が異なります。掃除だったり、山内の巡拝だったりするのですが、鞍馬の動植物についての調査研究を担当していらっしゃる方々から自然の話を聞く機会もあります。今回は話しだけではなく、実際に体験もしました。そのひとつは越冬するコウモリ探しです。お寺の建物のひとつにヒナコウモリというコウモリが毎年越冬する場所があります。(ヒナコウモリが一定の場所で越冬するのがわかっているのは、かなり珍しいようです)そこで、どこにコウモリがいるかを調査して記録をつけるという体験です。

壁とガラスの3センチくらいの隙間で頭を下にして越冬するヒナコウモリ

建物の建具の隙間に入って越冬しているヒナコウモリを3頭見つけていました。ひとつの部屋は直前まで作業が行われていて暖かかったので、しばらく見ていると少し動いたり、チッチッチと鳴いたりしていました。

私自身そこでコウモリが越冬をしていることは知っていましたが、あまりじっくりと見たのはなかったので、とても興味深く見ることができました。

もうひとつは、お寺の中にある博物館に行って自然科学系の展示を見ながら説明を聞きました。

標本の姿を美しく整えます。根気のいる作業です。

中学生の中には虫が好きではないという子がいて、気持ち悪いなどと言っていましたが、指導いただいている方から、どんな生き物もみんな何らかの形で関係しているので、極端なことをいえば、今気持ち悪がっている蛾が絶滅すると人間も生きてゆけないかもしれない。という説明を聞いて中学生は少し驚いていました。

虫が嫌いというのは幼い頃の環境によるところが多いと思います。まわりの人が気持ち悪いとか怖いといっているのを聞きながら育つと、嫌いになるのだと思います。みんなが虫を好きになる必要はないとは思いますが、幼少期の環境や体験が影響するのだと思います。

説明を聞いてから、昆虫標本のつくりかたを教えていただきましたが、標本にしているのは、主に窓辺で死んでいたりする虫を使うようにしているという話を聞き、死んでしまった虫も標本という姿になって、次のいのちを生きている(役割を果たしている)のだなと思いました。

中学生が、「こんな考え方もあるんだな」と感じてくれるといいなと思います。

チャレンジ体験 3

2012/01/13

中学生の職場体験「チャレンジ体験」で中学生が来ています。保育園とお寺に来ていて、お寺に来ている中学生の活動を少し紹介します。朝一番には本殿で般若心経を一巻唱える勤行をします。午前中の最初の活動は30分から40分のあいだ心を静かにして動かず音を立てず、姿勢を整え、呼吸を整えてじっと坐る時間を取っています。普段の生活では30分ものあいだ、音をたてず、じっとしていることはないと思いますが、中学生たちは背筋をピント伸ばして頑張っています。

心を落ち着けた後は、般若心経一巻を書き写す写経をします。写経用紙の下にお手本をおいて上からなぞるタイプなので、写しまちがうことはまずないのですが、266字(経題を含めると276字)を丁寧に書こうと思うと1時間以上はかかります。ただ、書けば良いというのではなく、一字書くごとに紙の上に仏様のお姿を表すつもりで、つまりお経の一文字が一体の仏様だと思って丁寧に写すようにと言っているので、なおさらです。それでも、今年参加している子たちは集中力があるのか、かなり早く書き上げます。しかも、とても丁寧に書いているのです。初日はさすがに一時間半ほどかかっていましたが、3日目には1時間ほどで書いていました。決して早いことが良いとは言いませんが、丁寧に書きつつ、ある程度の速度で書くのは結構難しいことです。

写経が終わった後時間があれば、雪かき作業をします。先日降った雪が屋根から落ちたところにたくさんたまっているので、どけてもらっています。中学生はこの作業が結構好きで、少し時間があると雪かきをしたがっています。息抜きも必要ですね。

チャレンジ体験 2

2012/01/12

中学生の職場体験、チャレンジ体験の中学生を保育園で受け入れていることについて、前回少し触れました。チャレンジ体験は保育園だけではなく、お寺でも受け入れているので、この期間私はもっぱらお寺で中学生と過ごしています。お寺には毎年10名くらいの中学生が体験に訪れますが、今年は5名と少なくなりました。

お寺で職場体験って何をするの?と思われる方が多いでしょう。本来の趣旨とは少し異なるかもしれませんが、お寺の場合は仕事というよりも、修行というか研修的な意味合いが強い内容で行っています。修行ということばを使うと、なにかとても厳しいようですが、あまり厳しく「やらせる」ことがないように心がけています。「自分からやってみよう」という気持ちになって取り組んでくれるのが良いと考えるからです。お寺に来ることを自ら選んできているわけですから、みんな積極的にいろいろなことに取り組んでいます。

活動の内容は、じっと静かに座る瞑想、般若心経を1巻書写する写経、室内外の掃除、雪があれば雪かき、山の中のお堂を巡拝、鞍馬の自然について知る活動や最終日には茶道の体験をしています。

お寺での体験では、活動を通じて「自分を見つめる」というテーマを設けていて、5日間の全ての体験を通じて「自分を見つめること」に挑戦していただいています。

こちらの活動の様子も、少しずつ伝えてゆこうと思います。

チャレンジ体験

2012/01/11

今日から、土曜、日曜を除く5日間、中学生6名が園に来ます。京都市教育委員会が実施している「生き方探究・チャレンジ体験」という活動です。これは、中学生が、自ら学び、自ら考える力などの「生きる力」を身につけるとともに、集団や社会の一員としての自己の在り方を見つめ、自らの生き方を見つけられるよう支援するため、生徒の興味・関心に応じた勤労体験・職場体験、ボランティア体験など社会体験活動を推進する目的で行われています。平成12年度から始まった活動で、平成14年度には、京都市立の全ての中学校で実施されています。始まった当初、体験期間はは3日間でしたが、平成18年度から5日間になりました。

当園で活動をする中学生には、当園の保育について伝えています。まず、保育の理念として「みんなのいのちが輝く」つまり、みんながいきいきと過ごせることを大切にしているとです。

そして、子どもたちが、自ら主体的に関わり、育つことができるような環境を整えることが保育であり、決して過剰にやってあげたり、やらせたりするのではないということ、そのためには子どもたちを信じ、心を込め、真心をもって接し、適切な距離感をもって見守ることが大切だということを伝えます。

そうしてこそ、子どもたちが自ら生きてゆく力を身につけて自立できることや、保育者(大人)との関わりよりも、子どもどうしの関わりに重点を置くことで、ぶつかり合ったり、力をあわせたり、意見を調整し合ったりするなかで自律を学ぶことを説明します。とはいっても、それがどういうことなのかはすぐにはわからないと思います。大人がお世話をしたり、大人の言う通りに子どもを動かしたりすることが保育だと思っている子もいるのかもしれません。

 

園児たちは、新しい先生というより、お兄さんお姉さんがたくさん来てくれたと喜んでいます。新しい人に興味を示しコミュニケーションを取ろうとすることは自然なことだとです。しかし、子どもの中にはいつもと違う人が来ると、過剰にその人を独占したくなり、側にくっついてばかりいて離れない子がいます。その背景には、その子が興味を持つことができる環境が園に用意できていなくて遊び込めなかったり、友達との関係をうまく築くことができていなかったりすることがあります。だからこそ、一人ひとりの子どもをよく理解し、その子の興味や友達との関係をしっかり把握して、大人に依存せず、自ら遊ぶことができるような配慮をすることが必要になってくるのです。

成人の日

2012/01/10

平成24年は1月9日が成人の日で、各地で成人式が行われたと報道されていました。ハッピーマンデー制度に伴い、平成12年から1月の第2月曜が成人の日になって10年以上になりますが、私はいまだに成人式といえば1月15日というイメージが強いのです。1月15日が成人の日とされたのは、昔は小正月の1月15日に元服式を行っていたからだという説もあります。

総務省統計局によると、平成24年1月1日現在20歳(新成人)の人口は122万人となっています。男女別にみると,男性は62万人,女性は60万人だそうです。この数字は調査を開始した昭和43年以降、最多だった昭和45年の246万人の半数を初めて下回り、最少となっています。また、新成人の総人口に占める割合も2.40%(昭和45年)から0.96%(平成24年)に減少しています。平成になってからでは平成6年の207万人から、平成14・15・16年が152万人と横ばいなのを除いて減少し続けています。(総務省統計局ホームページの「辰(たつ)年生まれ」と「新成人」の人口-平成24年 新年にちなんで- 参照)

現在日本では成人は満20歳なのは民法に規定されているからですが、これは、『礼記』に「二十を弱と曰ひて冠す」(男子は二十歳で冠を付けて成人(元服)した)と記されていることによるとも言われています。世界の国々では成人を16歳から21歳などとしていますが、18歳を成人としている国が圧倒的に多いようです。

成人について考えていたら、「大人ってなんだろうと」思ってしまいました。

子どもは、とても発想が豊かで、大人には思いつかないことを思いついたり、考え出したりしますが、それを整理したり、理論立てたりすることは得意ではありません。反対に大人は、理論的に考えたり分別したり整理したりしますが、子どもの発想力にはなかなか及びません。子どもの豊かな発想をできるだけ失わず、それを整理したり説明したりできるような大人になれるといいと思います。そのためには、子どもには、子どもの発想がどんどん膨らむような環境を用意しておくこと。大人はいつも「遊び心」を忘れないようにすることが大切な気がします。

野生動物 3

2012/01/09

鹿、猿と野生動物の話題が続いたので、その他の動物についても書いてみようと思います。鹿、猿以外の大型動物では猪に出会うことがあります。猪はもっぱら夜にしか見かけません。普通に歩いているときに出くわすと危険だと思いますが、幸い今まで猪を見かけたのは、車に乗っているときばかりでした。数年前、保育園前の参道で猪を見かけました。何かが道路を横切るのがヘッドライトに浮かび上がったので、よく見てみると体長1メートルくらいの大きな猪が1頭歩いています。車を止めてしばらく見ているともう1頭後から来ました。その後ろには小さなうりぼうが5〜6頭、きれいに1列に並んで歩いています。猪の家族だったのでしょうか。猪の子どもは生まれてから4ヶ月くらいは、からだに縞模様があってシマウリに似ているのでうりぼうと呼ばれるのですが、本当に瓜が並んで歩いているかのようで、とてもかわいらしかったのを覚えています。

別の日には、大きな猪がものすごい勢いで私の乗っている車に向かって突進してきたので、これはぶつかると思ったのですが、直前で猪が方向を変えてくれたのでぶつからずに済みました。まさに猪突猛進ということばが納得できる走り方でした。よく猪はまっすぐに走るといいますが、障害物はちゃんとよけます。

猪は土の中にいるみみずや昆虫、植物の根などを食べるために土を掘ります。落ち葉を集めておいて堆肥にしている場所にはミミズやカブトムシなどの幼虫がたくさんいるので、よく掘り返されます。以前に比べてカブトムシやクワガタムシを見かけることが少なくなったように思うのですが、猪が幼虫を食べてしまうからかもしれないと勝手に考えています。春になると竹やぶに少しだけ竹の子ができるのですが、最近はほとんど猪に食べられてしまって、採れなくなってしまいました。猪はいろいろなところを掘ります。結構固い地面でも鼻と牙を使って掘り起こしますし、かなり大きな石を動かすこともあります。

猪の肉は滋養強壮の効果があるといわれ、食用にされます。食べ方として最もポピュラーなのがぼたん鍋でしょう。鞍馬や貴船でもぼたん鍋を出しているお店があります。薄く切った猪の肉を皿に牡丹の花のように並べるので、ぼたん鍋と呼ばれるのです。冬にぼたん鍋をいただくと身体が温まるといわれています。このあたりは禁猟区なので、このあいだ見かけた猪が、お皿にのっているということはありません。ご心配なく。

山にはいろいろな動物がいます。

野生動物 2

2012/01/08

前回は鹿について書きましたので、今回は猿にします。猿は一昨年あたりから見かけることが少なくなりました。もう少し前には、ときどき群れでやってきて木の実を食べたり畑の作物を食べたりしていました。初めの頃はその程度で済んでいたのですが、だんだん人間に慣れてきて、誰かがお仏壇をお参りしていると思ったら猿が勝手に家の中に上がり込んで仏壇のお供え物を食べていたとか、店先に並んだ商品を失敬していったという話しも聞きました。

猿とのつきあい方もよく考えないとなりません。観光で来られた方が、興味半分でレジ袋からお菓子を出して猿に与えると、レジ袋やバッグなど人間の持っているものには食べ物が入っていると猿は思うのでしょう。それを奪いに来るようになります。ずいぶん前になりますが、園児が降園時に手に持っていたレジ袋を猿に取られるということがありました。幸いけがはなかったのですが、ヒヤッとさせられます。猿は爪や歯が鋭く、引っかかれたり噛まれたりすると大けがをすることがあります。野生動物に軽い気持ちで接するべきではないのです。

畑に網を掛けていなかった頃、作物が実って明日収穫しようと思っていると、収穫する直前に猿がやってきて食べてしまったり、園庭近くの栗の木に実がなって、取ろうと思っていると先に猿に取られたりということがよく起こっていました。なぜか猿はちょうど良いタイミングでやってくるのです。野生の勘でわかるのでしょうか…

地域でも畑を作っていらっしゃる方はたくさんいらっしゃったのですが、野生動物に食べられてしまうので近頃は作物を作らなくなってしまったようです。鹿や猪は柵を作れば、なんとか防ぐことができるのですが、猿は上からやってくるので、防ぐのが難しいのです。猿は本当に賢く、畑にフェンスを作り上に網を張ってこれで大丈夫と思っていたら、なんと子猿が畑に入って大暴れしていました。網の継ぎ目のほんのわずかな隙間を見つけ、そこを通り抜けられる子猿だけを中に入れて作物を食べさせていたのです。親猿たちはその周りで見張りをしていて、人が近づくと普段は逃げるのですが、この時ばかりはいつもより激しく威嚇されました。猿でも子を思う親の気持ちは強いのです。

そんな猿ですが去年はほとんど姿を見かけませんでした。昨秋は柿の生り年でたくさん実がなったのですが、今でもたくさんの柿の実が雪をかぶって枝に残っています。

猿の群れはかなりの広範囲で移動をしているようですがこのあたりはその範囲から外れてしまったのでしょう。畑で作物を作る人もほとんどいなくなって、食べるものも少なくなったので、来なくなったのかもしれません。

野生動物のとうまくつきあってゆくのは難しいものです。人間のその場だけの身勝手で対応すると、後々大変なことになりかねません。どうすればどうなると先を見通すのは難しいことですが、少なくても短期的局所的な視点ではなく長期的総合的な視点をもって、どうすれば共に生きてゆけるのかを考えることが必要なのだと思います。

野生動物

2012/01/07

当園は山の中にあるので、よく野生動物が近くに来ることがあります。昨日のブログでも鹿や猪、猿について書きましたが、人間の活動と直接関わりのある比較的大型の動物はこの3種類くらいです。もちろん山の中にはもっとたくさんの動物がいます。もう少し山深いところでは、時々熊が出るという話しも聞きます。

最近各地で鹿の食害が問題になっていますが、鞍馬でも例外ではありません。一昨年までは昼間でも園庭の近くや畑の上の山でよく鹿の姿を見かけました。鹿がそのあたりを歩いていることがあまりにも普通になっているので、動物園に行ったときに柵の中に鹿が入っているのを見て違和感を感じてしまったくらいです。

以前は鹿を見ることは少なかったのですが、数年くらい前から特によく見かけるようになった気がします。山に食べ物がなくなっているから里に下りてきていると言われますが、個体数も増えている感じがします。鹿が頻繁に見られるようになってから、山の様子が変わりました。草という草を食べ尽くすので、緑がほとんどなくなって山の中で目に入る色は茶色になっています。鹿は草がなくなると木の皮をむいて食べるので、木が枯れてしまうこともよくあります。また、鹿は適応力が高いのか、食べるものが少なくなるとそれまで食べることがなかったものまで食べるので、一部のシダ類や樒などを除いては草や低木がなくなってしまいました。

鹿の食害が増えた原因は温暖化、天敵であるオオカミの絶滅、杉や檜の植林と広葉樹林の減少による餌不足、狩猟の減少など様々な要素が複雑に絡み合っているのだと思いますが人間の様々な活動が関係していることが多いのではないでしょうか。

鹿による食害という問題が起こると、ただ単に鹿を駆除すれば良いという意見が出てくることがありますが、それほど短絡的なものではないようにも思います。増えたから減らす、減ったから保護するというような目の前の問題だけに対応する方法だけではなく、長く広い視点を持ち、どう共生してゆくのかを人間の上から目線ではなく、同じように生きている「いのち」という立場で、人間が全てをコントロールできるわけではないということを忘れずに考えてゆけると良いと思います。

2012/01/06

保育園の園庭より少し高いところに畑があります。山の中で急な斜面が多いこのあたりでは、ある程度自由に使える貴重な平地です。ずいぶん前に畑として使い始めたのですが、せっかく種をまいても芽が出ると山から鹿が下りてきて全部食べてしまったり、猪が土を掘り返したりして作物を収穫することはできませんでした。そこで、畑の周りにフェンスを巡らしました。鹿や猪を防ぐこともできたので、子どもたちと大根を植えました。順調に育ってそろそろ収穫しようかといっていた矢先に畑が荒らされました。せっかく育った大根が全滅で、みんながっかりです。そうです。猿がやってきて全部食べてしまったのです。鹿や猪は周りを囲ってしまえば入ることはできませんが、猿は上からやってきます。作物を育てても野生動物が食べてしまうこともあると知るのも良いとも思いますが、作っても作っても猿に取られるのでは、子どもたちも楽しみがなくなってしまいます。そこで、男性保育士たちと網を張って猿も防ぐことができるようにしました。

そこまでした畑なのですが、どうも有効に活用できていないように思います。昨年はカボチャがたくさんできて、おいしくいただきましたが、他のものはうまくいきませんでした。十分な世話ができないのです。カボチャはほとんど世話ができなかったのに勝手にどんどん育ったという感じです。そんな畑を今年は少し有効に使うことができれば良いと考えています。

園芸や畑のことに少し詳しい職員とそんなことを話していたら、いろいろなものを育てるけれども、収穫をしたらそれで終わりになってしまうことが多くて残念だといいだしました。植えた種が芽を出して、花を咲かせて実が実る、そして種ができる。その種をまくとまた芽が出るということを経験してこそ、いのちの巡りが実感できるのにと言うのです。このことばを聞いて私はハットしました。まさにその通りです。子どもたちに体験して欲しいのはそこだったはずです。畑にその視点が欠けていたのだと思います。「みんなのいのちが輝く」と言っていながら、作物を食べることばかりに目が行って、作物が実るまでのいのちの働きを見つめることをおろそかにしていたのかもしれません。自分で育てて食べるという意味ではそれも良いのですが、そこにとどまることなくもっと大きな学びの機会があるはずなのに、近視眼的にしか見られていなかったのかもしれません。それに気付くことができたこと、そして何よりそのことを職員が提案してくれたことがとても嬉しく思いました。

本当は、みんなが同じ方向を向くことで職員間で気兼ねなく話しができ、みんなで「それがいいね」と納得できるともっといろいろなことが前に進み一番良いのですが、正直言ってまだそこまでたどりつけてはいません。前回のブログにも書いたように今年はみんなの気持ちを収束してゆくとに力を入れてゆきたいと思いますし、それと同時に畑を学びの場として有効活用してゆきたいと考えています。

でも、慌てない慌てない。自然はゆっくりとしか変化してゆきません。自分のせっかちをたしなめながらゆっくりと着実に進んでゆこうと思います。

今年は…

2012/01/05

4日の午後3時頃から雪が降り出して2時間ほどの間に5センチほど積もり、そのまま朝まで降ったりやんだりを繰り返し10センチほどの積雪になりました。5日は新年初めての保育だったのですが、自動車で送迎されている保護者の方は大変です。もちろん冬用タイヤを装着されてはいるのでしょうが、雪道に慣れていらっしゃらない方にとって少し轍ができている雪道を走るのは大変だと思います。

お休みの子も多かったのですが、半数以上の子どもたちが元気な顔を見せてくれ、登園している園児全員が集まってお参りをしました。みんなとても落ち着いて、真剣に参加していました。あまりにも静かだったので、0・1歳児はいないのかと思ったくらいです。また、3歳児の子どもたちの「お参りしよう!」という気持ちがいつになく感じられました。自分より小さな子が一緒なので、「お手本にならないと!」という意識が働いたのかもしれません。久しぶりに会った子どもたちはみんな一回り大きくなったように感じました。年末年始の1週間会わなかっただけなのに不思議な感じです。

お参りの後、みんなで挨拶を交わしたときに、子どもたちに「今年は、お友達のステキなところをいっぱい見つけるようにしてみない?」と提案してみました。なぜなら今年はもっと「みんなが認め合える関係」になってゆくことに力を入れたいと思っているからです。

子ども、保護者、職員お互いの関係の中で、それぞれが認め合うことが大切ですが、なかでも今年は「子どもどうし」「職員どうし」の結びつきを深めることに重点をおいて取り組めたらと思っています。子どもどうしは一緒に過ごしているだけで自然に関係が深まります。その関係に「お互いの良いところを認め合う」要素が増えると良いと思うのです。そのためにも周りにいる大人が「お互いの良いところを認め合う」関係の見本になりたいのです。

ですから職員間では、みんなの向いている方向がもっと収束できるように、お互いに想いを伝え合い、認め合い、考え合える、言い換えれば、気兼ねなく意見が交わし合える関係性を深めてゆきたいと思います。「一番大切にすべきこと」をしっかりと共有することさえできれば、いろいろなことがもっともっと楽しくわくわくできることに変わるのですから、想像するだけでそれこそ楽しく、わくわくしてしまいます。

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