園長ブログ

赤ちゃんの視線

2012/02/23

2月22日の京都新聞に「顔色見て学習 人間特有 京大グループ、チンパンジーと比較」という記事がありました。京都大学の明和政子教育学研究科准教授、平田聡霊長類研究所准教授たちの研究です。

「学ぶ」と「真似」ということばは語源が同じで学ぶことは真似ることから始まります。真似するためには、他者の行為を見ることが大きな役割を果たしますが、どこを見ているのか、つまり何に重点をおいて見ているのかは、他者の行為を理解し、学ぶ上で重要な部分です。

准教授たちは、アイ・トラッカーという視線の動きを計測する機械を用いて、生後8ヶ月・12ヶ月のヒト乳児と、ヒト成人、チンパンジーが、それぞれ他者の行為を見るときのスタイルを比較するという方法で、研究をしました。

ヒトとチンパンジーで他者の行為理解のスタイルが明確に異なっている点が見出されたそうです。チンパンジーが物に視線を向けていたのに対し、とくにヒトの乳児はチンパンジーに比べて長い時間、他者の顔を見ることがわかったそうです。他者の顔を見ることは、他者の心を推測する過程を反映していると考えられます。他者が何に注目しているか、どんな意図をもってものを操作しているのかといった心の状態を推し量るために、顔を見るのだろうと解釈できます。

ヒトは、操作されている物と、操作する他者の情報を統合させて、行為の目的を予測し、理解するスタイルをとるのに対し、チンパンジーはおもに物の情報、たとえば物と物との因果関係に注目して、行為を予測、理解することがこの研究によって明らかとなりました。

ヒトが他者の行為から学ぶのは、行為の表面的な部分だけではありません。他者の行為の背後にある心の状態をも推測し、予測と照らし合わせながら柔軟に判断するという深い理解にもとづくものです。これは、ヒトが複雑な社会的環境の中で生存する上で、適応的な学びのスタイルであったと考えられます。ヒトは、他者の顔色を見て、心の状態と照らし合わせながら次の展開を予測するよう発達していくといえるでしょう。と結論づけています。

ヒトの学びが、他者の行為だけでなく心も理解しようとするスタイルで行われるということは、乳児に他者の心を理解する能力があるということ。子どもを育てるということは、育てる人の心までもが伝わるということです。乳幼児を育てている私たちが決して忘れてはならないことだと思います。

*京都大学ホームページを参考にさせていただきました。
http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/news_data/h/h1/news6/2011/120222_1.htm

交流会

2012/02/22

鞍馬小学校の1年生から4年生まで8人の児童と4人の先生、校長先生がら来園してくださいました。小学生との交流会です。今までは5歳児が小学校に出向くことが多かったのですが、今回は小学生が来園してくださり、5歳児だけでなく3・4歳児も一緒に楽しみました。
4年生の司会進行で、まずはみんなで歌を歌います。曲は「うれしいひな祭り」小学生はもちろん園児たちも元気に歌い、歌の後は小学生のリードで、みんながつながる「貨物列車」や輪になって楽しむゲームをしました。

 1年生の読む紙芝居に聞き入ります

続いて、1年生から順に出し物を披露してくれます。1年生は国語で勉強した「たぬきのいとぐるま」のお話を題材に、自分たちで紙芝居を作って園児たちに読んで聞かせてくれました。中には当園を卒園した子もいます。去年の今頃は園児として座っていた子どもたちが、今はみんなの前に立ち、大きな声でしっかりと紙芝居を読んでいる姿はとても頼もしく大きく見えました。2年生は本のあらすじを要約して紹介してくれ、3年生はな百人一首のなかから自分の好きなうたを3首紹介してくれました。4年生は手品です。

    みんなでつながって!

そして、園児の番ですが、保育士は小学生と一緒に何かやりたいと思ったようで、5歳児と小学生がゲームをしました。
音楽に合わせてカーペットの周りをまわり、音楽が止まるとみんなでカーペットに乗るというもゲームです。最初は何の苦もなく乗れました。2回目はカーペットの大きさが半分になります。今度は全員乗れるでしょうか。3・4歳児は歌を歌って応援です。なんとか全員乗れました。そして、更にカーペットは半分の大きさになります。今度はちょっと乗れそうにありません。みんなで相談して、どうすれば乗れるか考えてね、と保育士が声をかけるとああでもないこうでもないと相談をしていましたが、そのうち音楽が始まります。さて、みんな乗ることができるのでしょうか。音楽が止まると何とかみんなでカーペットに乗りましたが、はみ出して落ちそうになる子もいます。はみ出しそうな子の手を内側にいる子が引っ張ったり、しっかりと立っている子どうしが手をつないで、はみ出しそうな子を支えるなどして、無事に全員がカーペットに乗ることができました。

みんなで力を合わせて

このゲームはイス取りゲームのようなものですが、勝ち負けを決めるのではなく、参加者が力を合わせて問題を解決する楽しさを感じることができるゲームなのです。何も言わなくても子どもたちは自然と協力し合っていました。
園児たちは小学生が来てくれることによってとても楽しい時間を過ごせました。鞍馬小学校の皆さんありがとうございました。

おつかい

2012/02/21

先日、2歳児の子どもたちが、買い物に行きました。といっても鞍馬の田舎にはお店がないので、叡山電車に20分ほど揺られて、園の食材を納入してくださっているお店まで行きました。何を買いに行ったと思いますか。油揚げです。なぜ油揚げ?と思いますよね。実はストーリーがあるのです。

直接的には、クッキング保育で、いなり寿司をつくるので、その材料の油揚げが必要だったのです。なぜ2歳児のクッキングで、いなり寿司?そんな手の込んだものを2歳児が???と?がいっぱいになっていらっしゃる方もあるかもしれませんね。重要なのは油揚げだったのです。

「こんたのおつかい」(作・絵: 田中 友佳子 徳間書店 刊) という絵本があります。いつのころからか2歳児たちのお気に入りの絵本になっていました。主人公のこんたがお母さんに頼まれておあげ(油揚げ)を買いに行くというお話です。こどもたちが、とても気に入っていたので、発表会の題材にとして劇遊びを楽しみました。

それだけで終わらせず、次につなげたいという担任の思いもあったのでしょう。おあげを使ったクッキングが、いなり寿司になったのでした。

子どもたちが、絵本の主人公、こんたになりきって、買い物にいったことが想像できて、思わずほほえんでしまいます。絵本で、おあげを売っているのは、くまのおじさんですが、子どもたちが実際にお店に行った時に「くまのおじさん、いないね。」と言っていたそうです。

子どもたちの中で、絵本の世界と、現実とがフュージョンした、ファンタジーの世界が、どこまでも広がっていたのだな、と思います。この時期にしか味わえないファンタジーの世界を思う存分味わわせてあげたいものです。

基準

2012/02/20

先日、久しぶりに左京区の園長会の集まりに参加しました。最近はなかなか参加ができずにいましたが、今回は園長先生方と主任保育士の先生方との合同研修会です。研修の内容は新しく定められる京都市の条例についてでです。

地方分権の流れの中で、地方自治体の自主性を強化、自由度拡大のため国が定める義務付け・枠付けの見直しが図られることとなり、児童福祉施設の設備及び運営に関する基準を京都市が条例で定めなければならないこととなったそうです。その条例骨子案について保育課の方が説明してくださいました。

簡単に言えば、今まで国が決めていた様々な基準を、地方自治体が決めるということです。もちろん地方が全て独自に決めて良いというものではなく、条例で定めるに当たっての「従うべき基準」(必ず適合しなければならない基準)、「標準」(通常よるべき基準)及び「参酌すべき基準」(十分参照したうえで判断しなければならない基準)というのが示されています。

「従うべき基準」というのは、児童福祉施設のサービスの質に深刻な悪影響が生じる大切な事項については全国一律の設備運営基準が維持されており、これを下回る基準を地方が定めることはできません。そのひとつに人員配置基準があります。つまり、子ども何人に対して保育士を何人配置すべきかという基準です。国で決めている基準は次の通りです。0歳児3人に対して保育士1人(3:1)1歳児6人に対して保育士1人(6:1)、2歳児も1歳児と同じ(6:1)、3歳児20人に対して保育士1人(20:1)4歳児30人に対して保育士1人(30:1)5歳児も4歳児と同じ(30:1)です。わかりやすいように京都市の基準と比較して、書き出してみます。

     国の基準  京都市の基準
0歳児    3:1     3:1
1歳児    6:1     5:1
2歳児    6:1     6:1
3歳児    20:1     15:1
4歳児    30:1     20:1
5歳児    30:1     25:1

京都市の基準は国を上回る基準となっています。こう書くと京都市では条例ができて新しい基準になり、保育士さんをたくさん雇うことができるかのようなイメージを持つ方もあると思いますが、そうではなく、すでに現行の基準がこうなっていて、それが条例で定められるようになるということです。ですから実質的に何かが変わるわけではありません。

あらためて国基準と比べてみると、恵まれていると思います。国の基準が適用されている自治体もたくさんあるのですから。

雪遊び 2

2012/02/19

雪遊びの定番のひとつに雪だるま作りがあります。今年初めてのまとまった雪に子どもたちの何人かは雪だるま作りに興じていました。5歳児の女の子が「先生見て!」というので行ってみると、小さなかわいらしい雪だるまが座っていました。他の子も何人かで力を合わせて自分たちと背丈が同じくらいの雪だるまを作っています。「鼻は何で作ったらええかなー」と相談していました。
もっとたくさん雪が積もればかまくらを作ることもできるのですが、残念ながら少し雪不足です。

他にも楽しい雪遊びはたくさんありますが、子どもたちの人気はソリです。坂は園の前にお寺の参道があります。ソリは本格的なものは園にはないのでポリ袋を敷いて滑ります。単純ですがこれが結構滑れるのです。最初斜面が滑りやすく整うまではそうでもないのですが、何度か滑っているうちに、よく滑るようになります。

昨日は、まず2歳児を中心に挑戦していました。慣れないうちはどうすれば良いのかわからず、戸惑っていますがコツをつかむとどんどん滑ります。そのうち手が冷たくなって泣いてしまう子もいましたが、2歳児のYくんは、何度も何度もすごい勢いで滑っていました。

それも、おしりで滑るのではなくポリ袋のうえに腹ばいになり頭を下にしてスーパーマンが飛ぶようにして滑って行きます。体制こそ違いますが、黙々と滑っている姿は、まるでリュージュの選手がトレーニングをしているかのようでした。

3・4・5歳児は、毎月18日にお寺の貫主様と観音様の前でお参りをしています。お参りから戻ってきた子どもたちは、ソリ遊びをしたい子と園庭で雪合戦や雪だるま作りをしたい子に分かれて雪を楽しみました。ソリ遊びでは子どもたちは最初から大喜び、心の底から楽しくてしょうがないというような笑い声をあげて滑ってゆきます。その笑顔と歓声に、こちらも心の底から嬉しくなります。こどもたちのこの笑顔がもっとずっと輝き続けることを祈らずにはいられません。

雪遊び

2012/02/18

ついに雪が降って積もりました。昨夜11時近くになってから降り出して、みるみるうちに積もりました。今朝はもっとたくさん積もっているかと思ったのですが、測ってみると20センチでした。今冬初めての本格的な雪です。
しかし、1月末から2月始めにかけてのような寒さはありません。このあたりでは、寒すぎると雪は降らないといわれています。

木々の枝は雪の花が咲いたようになって青空に映えています。朝から雪かきで一汗かきました。指先がとても冷たくなりますが、終わったとはとてもさわやかな気分になります。雪かきは大変ですが、雪は好きです。雪に被われると、世界がちがって見えるからです。

園に行くと、子どもたちは早々と園庭で雪遊びを始めていました。雪合戦をしている子、雪の上を走り回っている子、それぞれに初めての雪を堪能しています。

大きなたらいに雪をたくさん詰めている子どもたちがいました。何をしているのと聞いても教えてくれません。しばらくすると、保育士が試験管とジュースを持って来ました。前にも紹介しましたが、

ジュースの入った試験管を雪のなかに

雪を使ってアイスキャンディーを作ろうとしているのです。5歳児は以前作ったことがあるので、何が起こるか知っているのですが、他の子には「どうなるかお楽しみ」になっていたようです。保育士は、子どもたちにどうなるか考えてもらおうと思って、いろいろと質問をしていました。
冷たくなるという子、なぜか暖かくなるという子、そして、おいしくなるという子もいました。おもしろいですね。

昼食後、できあがったアイスキャンディーをみんなで食べました。中身はいつも飲んでいるリンゴジュースですが、

   アイスキャンディーできあがり

雪を使ってみんなで作ったアイスキャンディーの味は格別だったようで、みんな目をキラキラさせて、おいしそうに食べていました。

     いただきまーす

小保連携 2

2012/02/17

小学校と保育園の連携で、5歳児が小学校に行き小学生と交流することで、園児が小学校は楽しいところだと感じたり、学校に行きたいと期待を持ったり、小学生がかっこいいとあこがれたりできることを紹介しました。また、活動のフィールドが同じであることによって子どもが安心できるという少し違った視点からの連携についても書きました。これらは全て、子どもが保育園から小学校に行ったときに、子どもの負担をすくなくすることに有効です。

子どもが、保育園から小学校に行くにあたっては、当然様々な変化を経験します。その変化を受けとめ、乗り越える力を保育園の間につけておく必要があります。それは自立という力と、自ら新しい環境に積極的に関わってゆく力です。

その力が育つ前提として、心の根っこの部分がしっかりと育つ必要があります。失敗してもここに帰ってくれば大丈夫という心の基地があってこそ、外界に向かって働きかける意欲や力が生まれるのです。その心の基地はお母さんやお父さんそして、園では保育者なのだと思います。そこの信頼関係をしっかりと築くことができたら、大人は少しずつ子どもに任せて、離れる必要があります。その距離感をしっかりと意識していないと、依存を生んでしまうことになるからです。いつも指示ばかりしていると指示がないと何もできなくなりますし、いつも守ってばかりでは、新しいことに挑戦する力がつきません。子どもの自立するために必要な経験とは何か。私たちはしっかりと心にとめておく必要があります。

しかし、あまりにも変化が大きいと、子どもたちは戸惑います。小学校と保育園の一番の違いは何でしょうか。それは大人が何を重視するかではないでしょうか。保育園では様々な活動を通じて、子どもがどんな経験をするか、その経験の質はどうだったかということに重点を置きます。別の言い方をすれば、学びのプロセスに注目します。学校の場合は、学ぶべきことがあり、授業ごとのめあてがあって、それを子どもたちが習得したかどうかが重要になってくるのだと思います。

小学校と保育園との連携を更に深めるのであれば、子どもどうしの交流に加えて、小学校の先生方と保育園の職員が交流できる場を持ってゆけると良いと思っています。そこから、少しずつお互いの違いを知り、理解しあうことができればもっと連携が深まり、子どもがスムーズに学校の環境に移行し、子どもがいきいきと学ぶためにはどうするのが良いのか、新しい発想も生まれてくるかもしれません。

小保連携

2012/02/16

先日、鞍馬小学校の研究発表会に参加して、先生方と話す中で小学校と幼稚園や保育園の連携という話になりました。最近はよく連携が話題に上ります。1年生が、学校になじめない、授業中立ち歩く、自分勝手なことをするなどの問題が1999年ごろから目立つようになり「小1プロブレム」と呼ばれるようになりました。このことをうけて、幼稚園、保育園と小学校が連携することに目が向けられたのです。

幼稚園、保育園から学校に行ったときにうまく適応できるように、5歳児が学校を訪れたり、小学生と協働して何かをしたりという交流活動が行われるようになりました。また、幼稚園や保育園から、園での子どもの成長の姿を小学校に伝えるという動きも出てきました。

当園でも5歳児が鞍馬小学校に行って、小学生とゲームやお店屋さんごっこで交流したり、学芸会に出演させて頂いたり、小学生が保育園に来て学習の成果を発表してくれたり、お互いに交流する機会を鞍馬小学校さんがリードして頂く形で持たせていただいています。もともと鞍馬小学校と当園の間では、連携ということが言われる前から小学生が保育園に来てくれたり、園児が小学校に行くという関係はできており、それが続いているという感じです。交流活動によって、園児が学校という雰囲気を味わえたり、小学生になることに憧れを持つことができるようになりました。小学校の学芸会を見ていた5歳児が「かっこいいな。あんな風に台詞を言いたいな。」と話しあっていたのを聞いたことがあります。

連携について、教頭先生が新しい視点を提供してくださいました。鞍馬小学校の子どもたちが全校ハイキングで山に登ったり、自然のフィールドに出ることが多いのですが、保育園の時に散歩や山登りで行った場所と同じ場所に行くことあるそうです。そうすると、子どもたちは「ここ保育園の時に来たことある。」と笑顔になるそうです。

つまり、活動のフィールドを小学校と保育園が共有することで、子どもが安心したり、自分の知っていることや保育園での体験を友達に伝えたり、自信を持てたりするということです。

どこへ行っても、環境が変わっても、それをしっかりと受けてとめて、いきいきと活動できる。保育園にいる間にそんな力をつけて欲しいと思っています。

避難訓練

2012/02/15

園で避難訓練が行われていました。担当の保育士が、今から地震が起きた想定で避難訓練をします。と知らせに来てくれたので、見に行きました。0・1・2歳児はみんなそれぞれに机の下に頭を隠して小さなおしりを並べ、地震が収まるのを待っていました。

3・4・5歳児はといえば、頭を守って、じっとしていました。地震が収まったので、みんなでランチルームに集まり、担当の保育士に地震の紙芝居を読んでもらっていました。子どもたちはみんな真剣に聞き入り、保育士の質問にも答えています。

私は、子どもたちがどれほど自分で考え、判断しているのか知りたいと思い、紙芝居が終わってから、少し時間をもらって3・4・5歳児と話をしてみました。

紙芝居の中で「倒れそうな物や落ちてきそうな物には近寄らないで」という話があったので、この部屋の中には、どんな倒れたり落ちてきそうな物があるか。と聞くと子どもたちは部屋を見渡して、ピアノ、雛飾り、壁掛け時計、壁に掛かった絵など、祭壇など的確に答えてくれました。障子の向こう側にある跳び箱も危ないと言ってくれた子もいました。

また、紙芝居には「頭を守って」という話も出てきたので、「みんなは何で頭を守る?」と聞くと、3歳児のYくんは「ボックス」と答えました。ボックスとは、子どもたちが自分の着替えを入れているプラスティックの箱で、それを頭にかぶると良いというのです。確かにヘルメットのようになりますし、着替えの服を何枚か使えば頭との間のクッションにもなります。よく考えたものです。

「では、今地震が起こったらどうする。自分で考えて動いてね」と言い終わるか終わらないうちに「地震です!」というと、子どもたちは、一斉に机の下に入ろうとしました。しかし小さな机なので、全員が入れるわけではありません。なんとか机の下に入ろうとする子もいましたが、無理だとわかるとすぐにイスで頭だけを被うようにした子もいました。

いつもは、保育士の指示で動いていますが、子どもが自分で考え判断するとどうなるのかと思ったので、子どもと相談してみると、子どもなりにいろいろなことを考えていることがわかりました。たとえ、保育士が指示を出すとしても、訓練のたびに子どもたちが考えられるようなことばがけをしてみると良いのかもしれません。そうすれば、なぜそうするのかが理解しやすいですし、子どもなりの良いアイデアも出ると思います。

変化

2012/02/14

今朝、外に出てみるととても暖かく感じたので、気温も高いのかなと思って温度計を見てみると1度でした。1度といえばそれほど暖かいわけではないのですが、しばらく氷点下の日が続いていたので、1度でも暖かく感じたのだと思います。人間の感覚って相対的なものなのだと思いました。

お寺の本殿前から比叡山を望むことができます。今朝は小雨が降っていたこともあり、手前の山は薄い綿かうすぎぬに被われたように霧がかかっていて、そのむこうに雲海がひろがり比叡山の頂だけが顔をのぞかせていました。何とも幻想的で美しい光景です。ところが、この光景は一瞬にして変わってしまいます。ほんの1〜2分後には、手前の山はうすぎぬを脱ぎ捨てていました。10分後には濃い霧が立ち上り、比叡山は全く見えなくなっていました。まさに刻々と景色が変わるということば通りです。

霧や雲はすぐに動くので、変化が早く、わかりやすいものです。しかし、一見動かないように見える山も動いています。富士山だって少しずつ浸食され姿を変えています。
私たち人間の身体は約60兆個の細胞からできていますが、少しずつ入れ替わっています。昨日の私と今日の私では、細胞の何割かは変わっていて、同じではないのです。富士山にしても、人間の細胞にしても、当たり前と言えば当たり前の話しですが、私たちは普段それをあまりそれを意識してはいません。昨日の私は今日の私だと思っています。

全てのものが変わってゆきます。ですから、私たちも変化に合わせて変わる勇気をもち、変える努力をする必要があります。保育や教育だって同じです。先日鞍馬小学校での研究報告会があり、そこで教育委員会の方と少し話しをする時間がありました。
私が、当園では子どもたちが自ら学ぶことを大切にしている。と伝えると。「昔は学校で子どもたちに知識を教え込むのが先生でしたが、先生の役割は教え込むことではなく、子どもの力を引き出すことなのです。しかし昔の教え込という考えから抜け出せない先生がたくさんいます。」と仰っていました。その話を聞いて、鞍馬山保育園の目指している方向は学校教育でも取り組もうとしていることなのだと理解し、心強く思いました。

均質な労働力や、命令通りに動く人をたくさん育てるのなら、教え込めば良いでしょう。しかし、より良い社会を構築するために自ら考え、他と認め合い、力を合わせる人を育てるにはどんな方法をとるのが良いのでしょうか。

変えてはならないこと、変えなくてはならないことをしっかりと見極め、必要なことは変える勇気を持ちたいと思います。

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