園長ブログ

山道で

2012/03/04

この冬はとても寒い日が多かったのですが、3月になって少し暖かくなってきて、14度ほどの暖かさになった日もありました。日差しも柔らかくなってきたのか、とっても寒かった頃とは景色も違って見えます。子どもたちは寒くても平気で外で遊んでいますし、散歩にも出かけます。先日、少し暖かくなってうれしいなと思っていたら、子どもたちはもう半袖になって遊んでいました。寒い寒いといっているのは大人だけです。子どもは寒さの感じ方が違うのでしょうか。

寒くても暖かくても元気な子どもたちが、向かいの山に散歩に行きました。子どもたちのお気に入り散歩コースのひとつです。京都一周トレッキングコースや東海自然歩道の一部になっている薬王坂と呼ばれる山道で、最近の山歩きブームで人気のコースです。流行の山ガールにはあまり会いませんが、春や秋など季候の良い時期には、中高年の方々の団体にしばしば出会います。健康志向や自然志向と結びついて、中高年の登山やトレッキングがブームになって久しいといわれています。

山歩きをする人が増えると、当然事故も多くなります。この辺りの低い山でも、道に迷ったり、下山できなくなることがあるのです。そのたびに警察、消防、そして消防分団の皆さんが大勢で捜索にあたっていらっしゃいます。特に地元の消防団の活動には頭が下がります。山中で迷った人が自分の位置を伝えやすいように山道の主なポイントに番号をつけた標識を立てるといった工夫もされています。
山に入る人が増えると、当然ごみなども増えます。皆が故意に捨てているわけではないのでしょうが、ごみを捨てないなどマナーの向上に期待したいところです。

散歩に行った子どもたちが、山道に落ちているごみを見つけて「こんなところにごみが落ちてる。」「ごみなんか捨てたらあかんのになー!」といいながら拾ってくれたそうです。一人がごみを拾うとみんなも気付いて、自然にごみ拾いが始まります。子どもの注意力はすごいので、いろいろなところでごみを見つけては拾ってくれたと、一緒に行った保育士から聞きました。自然にそういう気持ちになるのが子どもたちのすごいところだと思います。次に散歩に行った時も、子どもたちがごく自然に自分からごみを拾ってくれていたそうです。そんな話を聞いてうれしくなりました。大人が子どもを見習わなくてはなりませんね。

レゴブロック

2012/03/03

レゴブロックは誰でも知っているおもちゃのひとつといってもいいかもしれません。私も子どもの頃このブロックでよく遊びました。ピースをつなげて曲線などを表現するのは難しくて苦労しましたが、そこを工夫するのが楽しかったのを覚えています。よく考えてあって、いろいろなつなぎ方ができるのですが、厳密に言えば決まった場所でしかつながらない、つながるポイントは限られている、いってみればデジタルなつながり方です。
これに対して積み木は、つなぐことはできないのですが、位置を微妙に調整しながら重ねたり並べたりできます。レゴブロックがデジタルなつながり方なら積み木はアナログなつながり方といっても良いかもしれません。どちらもそれぞれにおもしろさがあります。

私が子どもの頃は単純な基本形のピースしかなかったのですが、今は様々な形のピースがあって、かなり複雑な形のものも作れるようになっています。レゴ社のホームページを見ると1歳半くらいから遊べるものから、大人でも難しそうなものまで10種類ものシリーズがありました。

うちの4歳になる三男は、今レゴブロックに夢中です。彼が専ら遊んでいるのが、映画「カーズ2」のシリーズです。シリーズのうちのいくつかを持っているので、最初はそれを組み立て説明書通りに作っていました。といっても最初から自分で説明書を見て作れるわけではなく、私や兄たちと一緒に組み立てていました。そのうち自分で説明書を見て自分で作ろうとしますが、なかなかうまくゆきません。

レゴブロックの説明書は、様々な国で使われることを前提としているので、ことばによる説明はありません。ですから、よく見れば子どもにも理解できます。しかし説明書の順番や部品の数が数字で示してあるので、数字が読めないと部品をいくつ用意すれば良いのか、どの順番なのかがわからないのです。

そのうち、彼は説明書に縛られるのをやめたらしく、自分で自由に作り始めました。いろいろな部品を自由自在に組み合わせて、全く別の物を作っていました。子どもの想像力には脱帽です。私などはどうしても説明書通りに作らないといけないという固定概念に縛られてしまいます。

もう一つ「クリエーター」というシリーズのひとつがあります。こちらは部品点数も多く、少し高度なので、「作って」とせがまれます。これもとても良くできていて、ひとつのセットで3種類の完成形があるのです。同じ部品を使って3種類のものを作れるようにするための設計はかなり大変なのだろうと思いました。また、レゴ社のホームページにはテクニックというかなり高度なシリーズがあり、ひとつ欲しくなってしまいました。

ひなまつり

2012/03/02

3月3日の前日ですが、園ではひなまつりの行事を行いました。1ヶ月ほど前からひな人形を飾って子どもたちは楽しみにしていました。ひな人形は30年近く子どもたちを見守ってくれています。ひな人形の飾り方、特に男雛と女雛の左右はどちらもあるようです。一般的には、男雛を右(向かって左)に飾ることが多いようですが、男雛を左(向かって右)に飾る方法もあります。昔は日本では左が上座だったので、天皇は左側だったのですが、明治以降西洋にならって大正天皇からは天皇が右になったそうです。ですから、貴族のあいだで飾られ、装束は有職の作法に従って忠実に再現された有職雛などは男雛が右に飾られているものが多いようです。

行事は、全園児がおひな様の前に集まって、ひなまつりの歌を歌い、ひなまつりが流し雛の風習から始まったという内容の紙芝居を読んでもらっていました。0歳児から5歳児までが一緒に楽しむ時間ってとってもいいなと思いました。

ひな祭りの日の昼食はちょっと特別です。こちらも全園児が1つの部屋に集まって一緒に食べます。3・4・5歳児には銘々にお膳が用意され、ご飯、汁物、和え物、焼き物、煮物のお皿を並べて食べています。こんな食べ方もあるというのを知ってもらおうと、お膳を使って食べることを20年ほど前から行っています。以前は毎月1回この方法で食べていたのですが、園児数が増えてから、年に4回になりました。いつもと違う食事の方法に子どもたちはうれしいのか、食事も進むようで、大勢の子がお代わりをしていました。ちなみに今日のごはんはちらし寿司でした。
0・1・2歳児はランチプレートに盛りつけてもらって、みんなで食べていました。
全園児が1つの部屋に集まっていつもとちょっと違う方法で、食事をするのは、いろいろな意味で良いのかもしれません。

学力

2012/03/01

「大学生数学基本調査」について書いていたら、学力って何だろうと思ってしまいました。学力が低下したといわれると、授業時間を増やして詰め込んだり、競争をさせるという意見が出ます。それは試験で良い点を取るためには有効かもしれません。しかしそれでは、断片的な知識が蓄積されるだけのようにも思います。

学力と何でしょう?
基礎学力といわれる「読み・書き・計算」の能力をしっかりと高めることが最も重要だという考え方と、「関心・意欲・態度」に基づいて「調べる力・対話をする力・まとめる力」を高めることが最も重要だという考え方があります。しかし、これはどちらか一方だけが重要なのでなく、相補的に高め合ってゆく要素だと思います。

基礎学力が低下したのであれば、高める方策をとらなくてはなりませんが、なぜ低下したのかをふり返り、明らかにすることなく、こなさなくてはならない量だけ増やしても逆効果にしかならないと思います。

赤ちゃんは「読み・書き・計算」はできませんが、お母さんのおなかの中にいるときから、外の世界と自分を知ろうと手足を動かしています。外界への「関心」と知ろうとする「意欲」は生まれながらにして持っているのです。そして生まれてからは様々な環境に自ら働きかけ、環境との相互作用を通して発達してゆくのです。その源となるのが、探求心です。「なんだろう?さわってみたいな。」「どうなっているのだろう?中を見てみたいな。」そしてさわってみたら、重たかった、かたかった、でこぼこしていた。おもしろい!中を見てみたら不思議な物がいっぱい入っていた。とてもきれいな色をしていた。あっちにあるのも見てみたい!そんな、探求心を抱き、それが満たされ、また次の探求心へと結びついてゆく。そんな巡りを大切にしたいと思います。

発達の過程で文字や数に対する興味関心芽生え、「知りたい」という意欲が湧いて知ろうとするのです。学校における学びでも、子どもが自ら学ぼうとする意欲を高めることが必要なのだと思います。

乳幼児の間に、子どもの興味関心を無視して大人の都合で大人のさせたいようにさせてばかりいては、この探求心は育ちにくいですし、知ろうとする意欲もなくしてしまいます。学力低下はもしかしたら乳幼児教育の問題かもしれません。

学力をいうときに、「子どもがどんな力をつけることが望ましいのか」ということを議論しないままでは、授業時間数ばかり増やしても、現場の先生は混乱するし、一番迷惑するのは子どもたちです。

私は子どもたちが、より良く生き、お互いに認め合い、それぞれがよいところを活かすことができる。そんな未来を築いて欲しいと思っています。

学力低下

2012/02/29

「大学生の4人に1人は「平均」の意味を正しく理解していない」先日、こんな報道がされていました。

日本数学会が行った「大学生数学基本調査」の結果についての報道です。この調査は、大学生が高等教育を受ける前提となる数学的素養と論理力をどの程度身につけているのか、 その実態を把握し、大学教育の改善に活用するとともに、初等中等教育に対する提言の材料とすることを目的として、全国の大学生6,000人を対象に行われたものです。

近年、大学生の学力が低下しているといわれていますが、大学の先生の間で学生から論理的文章を理解する力、論理を組み立て表現する力が学生から失われつつあるのではないかという危惧がひろがっていることから、この調査が行われたそうです。

問題は、小学校や中学校で得意だった科目などを聞くアンケートと、5つの問題から成っています。問題の1つが新聞のヘッドラインにもなった平均の問題です。下に紹介しておきます。

ある中学校の三年生の生徒 100 人の身長を測り、その平均を計算すると 163.5 cm になりました。この結果から確実に正しいと言えることには○を、そうで ないものには×を、左側の空欄に記入してください。
(1) 身長が 163.5 cm よりも高い生徒と低い生徒は、それぞれ 50 人ずついる。
(2) 100 人の生徒全員の身長をたすと、163.5 cm × 100 = 16350 cm になる。
(3) 身長を 10 cm ごとに「130 cm 以上で 140 cm 未満の生徒」「140 cm 以 上で 150 cm 未満の生徒」・・というように区分けすると、「160 cm 以上で 170 cm 未満の生徒」が最も多い。
(答えは、(1)× (2)○ (3)× だそうです)

ちなみにこの問題の全体の正答率は76.0%だったそうです。
また、問題の尋ね方や答えについて、細かな議論はあるようです。

私がこの報道を通して感じたのは、「学力」とはなにかということです。

メディアはショッキングなヘッドラインで「学力が低下した」「ゆとり教育の結果だ」といい、「もっと勉強させろ」的な意見が多いように思います。試験の点数が下がったから科目や時間数を増やして、もっと詰め込めば良い。ということなのでしょうか。

一体、子どもがどんな能力を身につけて欲しいのか。そこのところがもっと議論されるべきだと思います。今の論調は試験のために暗記する能力ばかりつけさせようとしているようにしか思えません。

私は「学力」を「学ぶ力」と読みたいと思います。子どもたちが「自ら学ぶ力」をつけられるようにするのが大人の役割です。

不思議だな?なぜだろう?という探求心からスタートし、知りたい、わかりたいという知識に対する意欲とそれを知るための忍耐力、得た知識を元に考える抽象的、論理的思考力、自分の考えを人に伝えるための表現力、そんな力を子どもが積極的に環境に関わることによって身につけてほしいものです。乳幼児期こそ、その基本を身につける大切な時期だと思います。

茶道教室 2

2012/02/28

鞍馬小学校学校運営協議会主催の茶道教室について少し紹介しました。

茶室でかなり緊張しながら濃茶を体験した子どもたち、そして隣の広間で子どもたちの様子を見つつ、同じく濃茶を体験してくださった保護者、地域の方々、学校の先生方、いかがだったでしょうか。

濃茶体験のあとは、広い部屋に移って自分で薄茶を点てます。作法はあまり気にせず、とにかくお茶碗にお茶を入れて、お湯を入れ、茶筅を使って点てていただきました。お茶の先生や経験のある方から、お茶やお湯の量、茶筅の使い方などをアドバイスしていただいて、子どもたちはそれぞれにお茶を点てていました。

茶筅を振って泡立てることは思ったより難しかったらしく、やや苦戦していましたが、それでも何とか点てて、お母さんにあげたりしていました。中には薄茶が気に入ったのか、自分で点てて自分で飲んでいたり、大人に頼んで点ててもらって飲んでいる子もいました。2人男の子が何度も挑戦していたのがうれしかったです。保護者の方も「意外と難しいね。」などと言いながら、楽しんでくださっているようでした。

最初の濃茶とは違って、いろんな人とおしゃべりしながら、楽しくお茶を点てていただのでしょう。保護者の中には、「前にしていたお茶のお稽古を、また始めてみようかな。」なんて会話をしてくださっていた方もいらっしゃいました。

お菓子は、濃茶の時には薯蕷饅頭を、みんなでお茶を点てたときには干菓子を使いました。最近の子どもは、あんこが苦手な子が多いので、「あんこは食べられる?」と聞いてみたら、一人の女の子が「こしあんなら大丈夫」と答えてくれたのには思わずほほえんでしまいました。干菓子も、意外に嫌がることなく食べてくれて、安心しました。

茶道の基本は「もてなし」だといわれます。心を込めて客をもてなす。客を敬い、客のことをいろいろと想って、しつらえを考えたり、趣向を凝らしたりする。
少し強引な解釈かもしれませんが、どうすれば相手に喜びを差し上げることができるのか、と想いを巡らせることだと言えると思います。これは、生活のあらゆる場面で大切なことでしょう。

そんなメッセージが子どもたちに伝わっていればうれしく思います。

茶道教室 1

2012/02/27

鞍馬小学校の学校運営協議会事業のひとつに茶道教室があり、お手伝いをさせていただきました。茶道教室といっても、子どもたちとお茶のお稽古をしようというのではなく、小学生が保護者と一緒にお茶とお菓子を味わい、楽しんでいただこうという企画です。

日曜日の午前中に行いましたが、小学生9人と保護者や地域の方々10人あまりが集まってくださいました。午前中の2時間ほどを2つのパートに分けて行いました、1つは茶室でお茶をいただく、もう1つは自分でお茶を点ててみようという試みです。

最初は蹲踞(つくばい)を使って手を清め、口をすすいで茶席に入るところから体験しました。この茶道教室は今回が初めてではないので、小学生の中にも経験者はいます。6年生に蹲踞の使い方を覚えているか聞いてみると覚えていたようだったので、他の参加者に教えてあげてほしいと頼んだら、実際に自分でやってみながら教えてくれました。

手を清め、口をすすいで茶室に入ります。子どもたちは躙り口から小間に入り、大人の方は隣接した広間に入っていただきました。建物の中にしつらえた茶室なので草履の扱いなどは体験できませんが、躙り口から入って床や道具、釜などを拝見して席に着くことを伝えました。

その日に使っていたお釜の模様は松竹梅がモチーフになっていたので、子どもたちに見つけてもらおうと「3種類の植物を探してくださいね。」と言うと、じっと見て探していました。竹と梅は釜の胴に大きく描かれているのですぐにわかるのですが、松は、鐶付が松かさの形になっているだけなので、それを探すのは難しいかもしれないと思っていましたが、4年生の男の子がすぐに見つけてくれました。子どもの観察力には驚かされます。
一通り拝見が終わって、みんなが席に着いたころ、大人の方々も広間に座っていただいたので、お手前を始めて頂きました。いつもお世話になっている茶道の先生にお手前をお願いして、今回は濃茶を練っていただきました。子どもに濃茶はちょっと手強いかなと思いつつも、普段、濃茶を口にする機会は滅多にないだろうと思い、思い切って挑戦してもらいました。

濃茶はその名の通り、かなり濃いものです。茶杓に山盛り3杯くらいを1人分として、約5人分を一碗に入れ、少なめのお湯を注いで練ります。練るということばからもわかるように、できあがりは粘度の高いどろっとした感じになります。それを、5人なら5人でまわし飲みします。よく頂く抹茶(薄茶)とは見た目も味もずいぶん違います。

茶入れから茶碗に入っていくお茶の量に、子どもたちは驚いた様子です。練り上がったお茶を前にさらにびっくり、「本当にこれを飲むの???」といった顔つきです。「普通は三口半で頂くといわれてるけど、飲めなかったら一口だけでいいよ」と言うと、恐る恐る口にしていました。少しだけなめてみた子、二口くらい飲んだ子いろいろでした。中にはおいしいと言っている子もいたのには、こちらが驚きました。

保護者の皆さんも多くの方が濃茶は初めてで、「思ったより濃かった」などの感想を聞かせていただきました。初めての方が多いだろうと思って、かなり薄めにはしていただいていたのですが・・・

こんなお茶もあるということは、体験していただけたと思います。

      お釜を拝見

耐寒柔道大会

2012/02/26

鞍馬小学校柔道部のことは以前にもブログで取り上げました。以前はよく練習を見に行っていたのですが、最近は時間が取れずほとんど行けていません。先日、ちょうど練習時間に学校に行く機会があったので、久しぶりに練習をのぞいてみたらみんなとても頑張っていました。以前と比べると驚くほど上手くなっていました。1年生は動きが良くなってきていますし、技の型ができてきた感じです。2年生は形も良くなってきていましたし、スピードも出てきています。4年生・5年生は技が安定してきました。6年生のキャプテンは、技の切れが増しています。指導者がキャプテンと乱取りをしていて、ふと気を抜くと本気で投げられることがあるくらいだといっていました。

そんな練習の成果を試す機会がやってきました。京都市学童柔道研究会主催の耐寒柔道大会です。今年度最後の試合なので、6年生にとってはまさに最後の試合です。

2月25日土曜日、前日までの春のような暖かさはどこかへ、冷たい雨の降る寒い日になってしまいました。試合会場となっている旧武徳殿は出入り口が開いたままなので、風が通り抜けます。覚悟してかなり着込んでいったのですが、じっとしていると身体の芯から冷えてきます。参加した200人余りの子どもたちは柔道着一枚で元気に動いています。
開会式に引き続き、午前中は個人戦、学年ごとのトーナメントです。練習の成果が出たのか、多くの子が1勝はしていました。

個人戦の後は団体戦です。1戦目はかろうじて突破しましたが、2回戦は負けてしまいました。試合後、団体戦の選手たちは指導者から「なぜ負けたかわかるか」と厳しい口調で諭されていました。
2回戦の始まる時間はわかっているので、早めに昼食を済ませて準備をするようにと言われていたにもかかわらず、準備ができたのがぎりぎりだったからでした。

「弱い相手とあたれば勝てるし、強い相手とあたれば負ける。大切なのは、勝ち負けではなく、試合の中でどれだけ自分の力が出せたかどうかだ。」指導者がよく子どもたちに言っていることです。ですから、負けたこと自体ではなく、団体戦に臨む心構えや準備が至らなかったのは、本気の度合いが違うと言いたかったのだと思います。

それを子どもたちと聞きながら、自分自身がいろいろなことに対するときの本気度ってどうなんだろう、と考えてしました。

アテルイ

2012/02/25

奈良時代、朝廷は東征政策を進め、724年に多賀城を築いた。このころ蝦夷の勢いが強くなり各地で反乱を起こした。そこで鎮圧のため数度にわたって大軍が派遣され東北地方への侵攻が進んだ。こんなことを日本史で習ったように思います。
紀古佐美に率いられた2万5千余りの大和朝廷の侵攻軍を、1千5百人ほどの軍勢で打ち破た蝦夷のリーダーがアテルイです。しかし長期化する戦い、疲弊する蝦夷の土地と、増える犠牲者を思い盟友のモレとともに坂上田村麻呂に投降し、命を保証されますが、朝廷はそれを許さず、結局斬首されてしまいます。

先日、このアテルイを題材としたミュージカルを見ました。普段はそういった時間はほとんどないのですが、たまたまチケットを頂いたので、敢えて時間を取って家族と見に行ってみようと思ったのでした。

わらび座という劇団の「アテルイ〜北の耀星〜」というミュージカルです。

わらび座は1951年に創立。秋田県仙北市を拠点に、年間約1,200回の公演を全国で行っています。「人間の根源に迫り、その多彩な表現を通してより多くの人々の心に感動と幸福を生み出すこと」をその芸術的使命として、「人間の尊厳、いのちの美しさを描き、人々の心の糧、生きる力になる芸術活動を進める」ために活動している劇団です。

わらび座とのご縁は2007年に、ある方にご紹介を頂いて「義経ー平泉の夢」の舞台を鑑賞したのが最初です。このときも迫力のある舞台に心を動かされたのを思い出します。当時小学生だった長男と次男も何か感じるところがあったのか、劇中の歌を何日も歌っていました。

今回の「アテルイ〜北の耀星〜」のあらすじはこうです。(劇団ホームページより引用)

大和朝廷は蝦夷(えみし)を「まつろわぬ民」として征圧を企てる。 度重なる侵攻に、蝦夷は人間の誇りにかけて立ち上がる。その若きリーダーがアテルイだった。
大和軍との激しいたたかいが続く。 アテルイは今は征夷大将軍となった幼なじみの田村麻呂と岩手山の麓で一騎打ちの場面を迎える。 ふとよみがえる遠い記憶。 愛瀰詩。 エミシとは母の愛のような広々とした大河の詩を意味すると語り合った日を。
蝦夷の慟哭のような岩手山大噴火。 敗走する仲間たち。 その姿に、アテルイはついに決断する―。

劇中で盛んに発信されていたメッセージ、それは「蝦夷も同じ人間だということを認めさせたい」というものでした。

大和朝廷側から見ると、蝦夷は反乱を起こす鎮圧すべき勢力でしょう。劇中でも「野蛮な生活をしている獣のような存在」という描き方がされていました。日本史の教科書にも「各地で反乱を起こす蝦夷を鎮圧する」という書き方がされています。

一方、蝦夷にしてみれば、独特の文化を持ち平和に暮らしているところを侵略される。その侵略を阻止するため、自分たちの土地を生活を守るために戦ったのです。

この舞台を見て、「各地で反乱を起こす蝦夷を鎮圧する」ということばを何の疑問もなく受け入れてしまっていた自分に気がつきました。

どんな場合でもそれぞれの立場があり、それぞれの想いがあるということ、それを先入観や固定概念に縛られないでとらえ、考えることの必要性を感じさせられました。

月齢

2012/02/24

月齢といっても今回は赤ちゃんではありません。夜空に輝く月です。海に関わる仕事でもしていない限り普段の生活の中では月を意識することは少ないと思います。

家に月の満ち欠けを現したカレンダーがあります。簡単な物なので詳しいことまではわかりませんが、そのカレンダーによれば、2月22日が朔(さく)です。朔は、月が太陽と同じ方向に来るため地球からは見えなくなる日で、現在は新月とも呼ばれています。朔の含まれる日を1日とする太陰暦の3日に見える月を三日月というそうです。2月24日は三日月です。三日月を見ようと思いましたが、見ることができませんでした。三日月は、日没後すぐに沈むので気をつけていないと見ることができません。

昔は月の満ち欠けによる暦を用いていました。朔から次の朔までを一月とします。それは約29.5日なので、12回繰り返すと約354日になり、太陽暦の1年(365日)より11日足りないので、約3年に一度閏月を足して調整していました。太陰太陽暦といいます。

基本的には日々の生活のための暦はに密着していたので、月にはさまざまな呼び名があります。
十五夜の満月は日没と同時に東の空から昇り、明け方に西の空に沈みますが、十五夜を境に月が出る時間が少しずつ遅くなります。
16日は「十六夜」(いざよい)、17日は月が出るのを立って待つ「立待月」、18日は、立って待つには月の出るのが遅いので「居待月」、19日は、寝て待つ「寝待月」、20日は夜が更けてから月がのぼるので「更待月」ステキな名前ですね。

たまには月をゆっくりと眺める心の余裕を持ちたいものです。

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