園長ブログ

春の気配

2012/03/24

   ようやく咲き始めた紅梅

お寺の本殿前にある紅白の梅のうち紅梅の花がちらほらと咲き始めました。今年の冬が寒かったからか、暖かくなったかと思えば、また急に寒くなるという不順な天候が続いているからなのかよくわかりませんが、梅の花が咲くのがとても遅いのです。3月21日に高知で桜の花が咲いたと報道されていましたが、この辺りはやっと梅が咲いたところです。

暑さ寒さも彼岸までといわれるように、春のお彼岸ころまでは寒くなる事が多く、お彼岸中に一度雪が降り、その後ようやく暖かくなるのが例年です。

 枝の先が紅くなったモミジの木

今年はお彼岸中、ちょうど卒園式の前日に冷え込み、卒園式の朝はうっすらと雪が積もっていました。翌日は少し暖かくなったものの、その後は冷たい雨が続いています。明日の夜には雪の予報も出ています。

春が遅いようですが、自然は少しずつ春の準備をしているようです。木々の枝の先が赤みを帯びてきたり、薄い黄緑色になってきて芽吹きの準備をしているようです。桜のつぼみも少しずつ膨らんでいるのかもしれません。体長20センチ以上あるミミズが道ばたを這っていました。春の気配を感じて出てきたのでしょうか。

 枝先の花芽が膨らんできた桜

近頃、鹿を見ることが多くなりました。昨日の夜も家の近くを歩いていると、目の前に飛び出してきて驚きました。むこうも驚いていて飛び出したのでしょうけれど、ぶつかりでもしたら大変です。俳句では「春の鹿」「孕鹿」というが春の季語になっているそうです。「春の鹿」は冬毛が抜け、雄は角が落ちた哀れな様子の鹿だそうです。このあいだ冬毛が抜けかけている鹿を見ました。「孕鹿」はその名の通り妊娠中の雌鹿です。妊娠中の雌鹿が食べ物を探して出てくることが多くなっているのかもしれません。

ミミズも出てきました(左端は長靴)

シカが食べた後のシャガという植物

そういえば、鹿が食べた後の草をよく見るようにも思います。

自然の生き物は春を感じて準備をしているのですね。

卒園式 2

2012/03/23

卒園式は進みます。卒園児のことばや歌の間には、保護者の何人かがハンカチで目を押さえていらっしゃいました。そんな姿を見ると、こちらも涙をこらえているのが辛くなります。

ところで、涙って伝染しませんか。誰かが泣いているのを見ると、なぜか泣けてきます。もちろんこちらの心の状態にもよるのですが、涙が出そうなのをこらえているときなど、誰かの涙が引き金になって、自分も涙があふれることがあります。もちろん卒園式の中でも何度かありました。

式の終わりに保護者の方から謝辞をいただきました。今年は、10年来の保護者でいらっしゃるお父様からいただきました。いろいろな場面で園に来て保育を手伝っていただいたり、おいもやサンマを焼いたり、砂場を作っていただいたりと、大変お世話になりました。そんないろいろな思い出を謝辞に盛り込み、想いを込めて伝えてくださったので、その時々の情景が心に浮かんできて、涙がでました。謝辞でこれほど涙が出たのは初めてかもしれません。

式が終わった後は、保護者の皆さんが謝恩会を開催し、職員を招いてくださいました。卒園児より職員の数の方が多くて、私としては恐縮してしまいます。
謝恩会は保護者の方々とゆっくり話しができる機会のひとつです。あのときはこんなことしたとか、あのときの思い出が何年も前のこととは思えない。と懐かしい話をしたり、子どもたちが持っている力の大きさや、それを信じることの大切さを伝えたり、ゆっくりと話しができます。

保護者の皆さんはいろいろなところで、とてもよく協力してくださいます。積極的に園のことに取り組んでくださいます。そしてまた、それを楽しんでくださっている方が多いのが、とてもありがたく、うれしく思います。

当園では子どもをまん中に、園に関わる人々がそれぞれの良さを活かして互いに輝きあい、高めあえることに価値を置いています。

保護者の皆さんと話していたら、こんなにステキな皆さんとのご縁をいただいたことのありがたさをしみじみと感じました。
本当にありがとうございました。

卒園式 1

2012/03/22

3月21日卒園式を行い13名子どもたちが、卒園してゆきました。卒園式を迎えるたびにふり返って思うことがあります。「卒園してゆくこの子たちの育ちを充分に支えられただろうか?」

子どもがもともと持っている「自ら育つ力」を最大限に発揮できるよう環境を整え、できる限り子どもたちが主体的に生きる(発達する)事ができるようにする。その上でその子に本当に必要なときに手をさしのべることが私たちの仕事だと思います。卒園してゆく子どもたちに対して充分にそれができたのかどうか、自問します。

卒園式前日は春分の日で休園だったので、誰もいない園でゆっくりと卒園証書に園長印を捺しました。一人ひとりの卒園証書の名前を確認するたびに、その子の笑顔が浮かんできます。柔らかな日差しが降り注ぐテラスはとても暖かく静かで、卒園児一人ひとりを思い浮かべながらゆったりとしたステキな時間を過ごすことができました。

卒園式当日、卒園児たちが次々に登園してきました。緊張している子が多いのかと思いましたが、みんなの晴れ晴れとした顔をしています。式が始まる直前、卒園児たちと少しだけ話したいと思い、みんなで輪になって座りました。「一生に一度しかない卒園式をみんなでとびっきりステキな卒園式にしようね。」というと「うん!みんなで力を合わせれば大丈夫!」という頼もしい答えが返ってきました。「そうだね」と言って私が輪から外れると子どもたちがみんなで肩を組んで、「オー!」と声を上げていました。子どもたちがともても大きく見えました。

式が始まり卒園証書を渡すときには、どの子もまっすぐに私の目を見て近づいてきます。今、この一瞬をしっかりとかみしめているようで、どの子もとてもたくましく感じました。卒園児全員が卒園のことばをしっかり言えるのかなと少し心配していたのですが、そんな私の心配をよそに、どの子も堂々と言っていました。練習の時に緊張していた子も、友達の励ましパワーをもらったからか、元気に言うことができたので、正直、ほっとしました。「みんなで力を合わせれば大丈夫!」子どもたちが式が始まる前に言ったことばが浮かんできました。子どもの力ってホントにすごいですね。

卒園式を前にして

2012/03/21

今年の卒園式は3月21日です。それに先だち、子どもたちは練習をしていました。全園児が参加しての練習です。練習とはいえ、卒園児たちは緊張していたようです。

卒園児が園生活の思い出をことばにして伝える、「卒園のことば」というのがあり、みんなで声をそろえて言う部分と卒園児が一人ひとことずつ、自分が楽しかった思い出を言う部分があります。大人でもそうですが、話しをするのが得意な人と、そうではない人がいます。特に大勢の人の前ではそれが顕著になります。

普段は元気でしっかりしているのに、みんなの前ではことばが出なくなってしまう子もいます。「卒園のことば」でその子の順番が回ってきたのですが、どうしてもことばがでません。一旦ためらうと、最初の音を出すことさえできなくなってしまいます。そうすると沈黙が流れてますますことばがでにくくなるのです。「緊張を乗り越えて声を出して!」そう念じていましたが、壁は高いようです。こんな時は子どもどうしの力が解決の糸口だと思い、近くの友達が励ましたり、手伝うように促してみてと保育士に伝えようとしたら、別の保育士が、その場で緊張している子の両隣の子に、手を繋いで「せーの!」と声をかけてあげて!と促していました。両隣の子がそうしたら、それがきっかけで、声を出せなかった子はなんとか自分のことばを言うことができました。やはり子どもどうしの力はすごいものです。その場でとっさに声をかけた保育士の判断も良かったと思います。

みんなが力を合わせることで、困難を乗り越えられる。そんな経験をたくさんしてきたと思いますが、最後にも経験できました。困っている友達をみんなで支える。支えてくれる仲間がいる。そのことがうれしい。そのうれしさをたくさん持って卒園してくれることを願います。

やきいも 2

2012/03/20

 早く焼けないかなー!

5歳児の子どもたちとやきいもをするのに、虫眼鏡を使って太陽光を集めて着火しようとしたのですが、なかなか火がつきません。それでも根気よくやっていると焦げて穴のあいた部分が大きくなってきました。そこでフーフーと息を吹きかけてみると、ポッと炎が上がると同時に、子どもたちからも「ついた!」と歓声が上がります。その火種を他の紙に移して大きくし、薪にも火がつくようにします。すぐに安定して燃えるようになったので、子どもたちに薪を足してもらいました。

虫眼鏡で太陽光を集めていて気がついたのですが、紙の色によって煙が出始める時間が全く違うのです。黒っぽい色が熱を吸収しやすいことは知識として知っていますが、実際に黒い部分と白い部分で比べてみると差がわかります。

     おいしいね!

子どもたちには、サツマイモをアルミホイルで包む仕事をしてもらいました。非常勤の調理員さんが手伝ってくれたので、子どもたちもうまくできました。まずサツマイモを濡れた新聞紙でくるんでから、アルミホイルを巻き付けます。そうすることにより、焦げにくく蒸し焼き状態になるのです。非常勤の調理員さんは少し年配の方で子どもたちにとてもわかりやすいように丁寧に教えてくださっていました。決してやらせようとせず、子どもたちが自分で考えられるようにじっくりと待ちながら教えてくださっていました。

火の勢いも強くなってきて、ありったけの薪を入れるとさらに火力が上がります。

   あー!おいも落とした!

それまで、火に近づいては薪を投げ入れていた子どもたちも、だんだんと近寄れなくなります。

保育士の一人が『やきいも』という絵本を持ってきて読んでくれました。絵本が終わる頃には炎も小さくなってきて代わりに炭のようになった部分ができてきたので、いよいよサツマイモを火の中に入れます。下火になったとはいえ、近づくとかなり熱いので子どもたちはおっかなびっくり、サツマイモが入ったら上からおがくずをかぶせて、焼けるのを待ちました。そのあいだ子どもたちは思い思いに園庭で遊んでいます。

たき火にあたりながら非常勤の調理員さんと少し話をしました。いつも私の想いを理解して支えてくださる存在だったので、今月で退職されるのが残念です。早いもので11年になります。とても前向きな方で、当園に勤めだしてから自分で勉強して調理師の資格を取り、様々なボランティアもして、今はパソコンに挑戦中だそうです。
柔らかい日差しと、たき火の暖かさを感じながら子どもたちの遊ぶ姿を見ていると、ひととき忙しさを忘れてとても幸せな気分になることができました。

ボクにも少し分けて。いいよ。


30分ほどして、どうやら焼けたようなので、包んでいたアルミホイルを外してみました。中の新聞紙は焦げているところもあれば、乾いていないところもあります。焼けてるかなー?と思いながら新聞紙を外すときれいな色になったサツマイモが顔を出しました。割ってみるとちょうどいい具合に焼けていました。失敗しなくてやれやれです。
早速みんなでいただきました。とってもおいしく焼けています。他の職員にもお裾分けしておいしく頂きました。ごちそうさまでした。

やきいも 1

2012/03/19

当園では5歳児は秋からお昼寝をしなくなって、午後の保育があります。全ての保育士が交代で午後の保育を担当します。普段は乳児の担任で5歳児と関わる機会が少ない保育士は5歳児と過ごす時間を楽しみにしています。もちろん園長にもその機会は与えられます。園長が望めば何日でも与えられるのです。毎日だって午後保育できます。でも実際にはそれは無理です。そこで一日だけ午後の保育を担当させていただくことになりました。

何をしようかと考えましたが、ここ何年かは子どもたちとやきいもをしているので、今年もやきいもをすることにしました。私がなかなか時間がとれないこともあって卒園直前になってしまいました。日程が決まったら早速、保育士が子どもたちに知らせたようです。普段はおとなしい女の子が、私に話しかけてきました。「明日、楽しみ!」なぜと聞くと、「だって園長先生とやきいもするんやろ?」そんなに期待してくれているとは思ってなかったので、とてもうれしく思ったのと同時にうまく焼けなかったらどうしようと不安にもなりました。

さて、当日は少し肌寒かったのですが日差しも届き、寒すぎず暖かすぎず、やきいも日和になりました。やきいもといっても、薪を燃やしてアルミホイルで包んだサツマイモを焼くだけの簡単なことなので、何か楽しめないかと思い、火のつけ方を工夫してみました。ライターやマッチではなく虫眼鏡で太陽の光を集めて火をつけることにしました。

子どもたちにライターやマッチを使わずに火をつけるにはどうすればいいかな?と聞いてみると「木と木をこすり合わせる」「虫眼鏡で光を集める」と答えてくれました。実際に虫眼鏡を使って日光を集めてみると、意外と早く煙が出て紙に穴があきますが、なかなか炎が出るまでにはなりません。炎が出るまでと思って一生懸命になっていたら、「空が紙の上に!」と子どもの一人が言います。一瞬何のことかよくわかりませんでしたが、よく見ると太陽の光が集まって煙が立ち上っている周囲に空の雲が写っていました。光を集めるということは焦点を合わせるということなので、当然と言えば当然です。紙の上に凝縮された空がモノクロ写真のようで美しかったことと、子どもがそれに気付いてくれたことがうれしく思いました。

見えないつながり

2012/03/18

日本の希少淡水魚の現状を少し知って、無秩序放流、密放流など、人間の行動が原因となって起こっている問題が多い、というより、ほとんどが人間の行動に起因することに気付かされました。

釣りを楽しみたいために他の魚を食べる外来魚を放流してしまう。漁業目的でアユなどを他の地域に放流してしまう。善意ではあるけれども、産地のわからない魚を無秩序に放流してしまう。そういったことによって、起こっている問題がたくさんあるのです。この魚を今この水域に放流するとどうなるのか。それを知らずに、それを考えずに、考えようとせずに、そんな視点に気付くことなく、安易に放流してしまう。そんな私たち人間の無知が問題を引き起こしているのですね。しかし、人間がわかる範囲は限られているので、全てのことがわかるわけではありません。

全てのことには原因があり、様々な要因が作用して結果が生まれます。全てのものやことがお互いに直接的な原因や間接的な要因になり結果が生まれ、またそれが原因になるなど相互に関連しています。いいかえれば、見えないところでみんなつながっているのです。先に紹介した食べる、食べられる、食害などは比較的わかりやすいと思いますが、次のような例は何がどう関連するかわかりにくいと思います。展示から紹介します。

その問題は「競争」です。私たちの身の回りの自然は、同じ生息場所において「争い」が生じた場合、何十万年何百万年という長い年月をかけて、繁殖時期や餌、住む場所を変えることで問題を解決し共存してきました。しかし、無秩序な放流により、日本の水辺には思いもよらないやっかいな「競争」が数多く発生しています。生息場所や餌をめぐる競争、繁殖をめぐる競争などがあるそうですが、生き物の競争はどちらか一方が衰退するまで続くので、競争に敗れた方が絶滅してしまうこともあるというものです。

人間が環境に与える影響の大きさを認識しておく必要がありそうです。

パネルにはこんなことばが書かれていました。
「生態系を破壊しているのは私たちではなく、勝手に私たちを連れてきた人間じゃないの?」オオクチバスやブルーギルはそう嘆いているかもしれません。
「私たちに競争を押し付けているのは誰」そんな声がメダカやタナゴから聞こえてきそうです。

全てはわからなくても、みんなが繋がっていることを念頭に、同じ地球に生きる仲間のことを誠意をもって考える姿勢は必要なのだと思います。

知らない世界

2012/03/17

何気なく、もしくは悪意ではなく善意ででも魚を放流することが与える影響の大きさを知り、考えさせられました。琵琶湖博物館の企画展「明日へつなぐ日本の自然-よみがえれ、日本の希少淡水魚-」の話しです。希少淡水魚を通じて、自然環境保全の重要性について考える機会を提供する展示です。

「喰い荒らされる日本の財産」というタイトルで訴えられていたのは、外来魚が引き起こす食害の問題です。オオクチバス(ブラックバス)やブルーギルなど魚食性の強い外来魚の放流が、昔からそこで生息していた日本固有の在来魚を食べてしまうために、在来魚が減少絶滅の危機に瀕している問題です。この問題は、ある意味わかりやすく、報道でも取り上げられることが多いので知っていました。

しかし、在来魚が減ってきている理由は食害によるものだけではないそうです。遺伝子の攪乱が引き起こす問題も深刻です。つまり、近縁種による交雑で雑種に置き換わったり、昨日のブログで紹介した同じ種類でも違う地域の魚が入ってくることで起こる遺伝子の攪乱が問題になっています。パネル展示で取り上げられていたのは、滋賀県米原市の地蔵川に住むハリヨの例です。ハリヨの鱗は通常5枚〜10枚ですが、地蔵川に住むハリヨには2008年頃から同じトゲウオの仲間のイトヨと同じ20枚〜30枚の鱗を持つ個体がみつかるようになり、遺伝子を調べてみるとほぼ全ての個体がイトヨと交雑をして雑種化が進んでいたのです。これにより、地蔵川のハリヨはほぼ全滅状態にあると考えられています。幸い別の支流で純粋なハリヨが生息していることがわかり絶滅は免れました。
本来北日本などに生息するイトヨが滋賀県で見つかったこの例は、同じ国内の淡水魚でも異なる別の地域に入ることで、そこにいる貴重な生物を滅ぼしてしまう危険性があることを私たちに教えてくれています。という内容でした。

変化は常に起こっているので、変わってゆくことはしょうがないことですが、その原因が人間の無知や不注意によるのだとしたら・・・それも一つの姿なのでしょうか?どうなのでしょう?考えさせられました。

魚の世界

2012/03/16

琵琶湖博物館の水族展示室に「よみがえれ!日本の淡水魚」というコーナーがあり、既に滅んでしまったミナミトミヨやクニマスの標本が展示されています。

クニマスと言えば、一昨年くらいだったでしょうか、絶滅したとされていたのに発見されたというニュースが流れていました。クニマスは秋田県の田沢湖にしかいなかった固有種で、水質の悪化などにより絶滅したといわれていたのが、富士五湖の一つ西湖で発見されたというものです。魚に対する豊富な知識を活かしてテレビなどで活躍しているさかなクンが再発見に貢献したという報道が印象的だったのを覚えています。

「よみがえれ!日本の淡水魚」コーナーで「明日へつなぐ日本の自然-よみがえれ,日本の希少淡水魚-」という企画展がされていました。興味深い内容だったので、パネル展示の内容を要約して紹介させて頂きます。

環境省の2007年版「絶滅のおそれのある野生生物の種のリスト」(レッドリスト)には、日本にいる約400種類の淡水魚のうちの144種類が絶滅の恐れがあるとされています。その背景には、乱獲や水質の悪化など様々な要因がありますが、最近問題になっているのが、無秩序な放流です。釣りの愛好家がオオクチバスなどを密放流することだけではなく、ペットショップで買ったメダカなどをなにげなく近所の池や川に放してしまうことも問題です。

淡水魚は同じ種であっても生息する場所によって独自の進化をとげているので、長い時間をかけて獲得したその地域の魚にしかない遺伝的特性があります。例えば、メダカは大きく北日本の集団と南日本の集団にわかれていますが、最近の研究で約1800万年前に共通の祖先から別れたことがわかっています。同じメダカでも地域の特性を無視して放流してしまうと、1800万年かけて獲得してきたその地域のメダカの遺伝的特性が一瞬にして混ざってしまうのです。

漁業目的で、アユやコイなどを他の地域の河川に放流することも、地域の分布を超えて全国に広がってしまう原因となりますし、ビオトープなどに産地のわからない魚を放流することも問題なのです。

善意で行われることが多い放流ですが、一方で困ったことも起こっています。自然を守ってゆくためには、まず起きている問題を正しく認識し、望ましいことは何なのかを考えてゆく必要があるのです。(文責筆者)

こういったことがパネルで展示されていました。私たちは、つい一方的な見方でものごとを判断しがちですが、本当に大切なことは何なのかよくよく考える必要があると思います。

お別れ遠足 3

2012/03/15

     広い芝生でかけっこ

琵琶湖博物館を訪れた5歳児たちは、お弁当を食べたあと芝生広場でしばらく遊びました。定番のバナナ氷鬼をしたいと子どもたちは言っていましたが、芝生が広すぎていつものルールだと終わらないのは目に見えていたので、少しだけルールを変えて大人がおにになって子ども全員を捕まえる鬼ごっこや、かけっこをして思いっきり遊びました。でも、余り遊んでいると時間がなくなるので午後の見学のため、もう一度入館。2階の展示室を見学しました。

地質学や考古学の研究を通して琵琶湖の成り立ちを知ったり、化石の調査方法を知るために、研究室を再現した展示があります。また、湖底遺跡、湖上交通や漁業などを通じて琵琶湖と人間とのかかわりの歴史を知ることを目的とした展示や「湖と人間」というテーマに基づいて湖の環境と人々の暮らしについて知ることのできる展示など、とてもたくさんの展示があります。なかなかじっくりと見ることは難しいのですが、子どもたちにとっては、それぞれの興味のある部分を選んで見ることができるよう選択肢は多い方が良いので、大まかなセクションを区切り、その範囲で自由に見学しました。

こんな展示がありました。牛乳パックは紙でできているので、その原料となるパルプを作るのには木材が必要。だから森林を守るために、紙パックの使用をひかえて牛乳瓶を使いましょう。という考え方がある一方で、牛乳瓶は紙パックに比べてとても重いので、同じ量の牛乳を運搬するなら、軽い紙パックを使った方が、輸送のために使う燃料を節約でき、排気ガスで空気を汚すことも少ない。という考え方もあります。
このような問題提起がなされており、ただ、一方的にメッセージを発信するだけではなく、このような展示をとおして、環境とはなにか、望ましい環境とはなにかということを考えさせる展示になっていました。

ここでも子どもたちは自分の興味のある展示をとても集中してじっくりと見ていたので、あっという間に帰る時間が来てしまいました。まだまだ見たいところはたくさんあったので、残念でした。

個人的には、企画展として行われていた、「民具を科学する―明治の絵図と現代の実測図から見た近江の民具―」を見てみたかったのですが・・・

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